アルベルガリア艦隊
アルベルガリアの艦隊が教訓にできたのは、第四回インド航海、すなわちガマの第二回目の航海だった。
なので、アルベルガリアはカレクトがコチンを包囲して攻撃寸前まで行ったことも、コチンのポルトガル商館が廃墟になったことも知らない。
第五回インド航海艦隊司令官アルブケルケがコチンに要塞を建設しはじめたことも知らなかった。
それでも、ガマの報告から、カレクトとコチンの関係が悪化していることは知っていた。そこで、今回は陸上戦闘員と小銃、陸砲などを搭載していた。コチンにおいて同港を防衛しようと考えたのだった。
そのアルベルガリアの第六回インド艦隊がカレクト北方のカナノールに入ったのが一五〇四年の八月末か九月の初めあたりだった。
ここで艦隊は、コチンのポルトガル商館が壊滅したことと、その跡地に要塞の建設が始められたのを知る。
カレクト軍が大挙コチンに押し寄せ、ポルトガル商館を破壊したのだと知らされた。少し情報が交錯しているようである。
アルブケルケはカレクトに対する報復を行うことにした。この地において、ポルトガル人は圧倒的な少数派だった。ポルトガル人ひとりの命に対して、百の命を奪い。一つの建物に対して千の建物を破壊する。
そのようにして、恐怖によって統治するしかない。彼らはそう考えた。
九月七日、アルブケルケの艦隊がカレクト沖に姿をあらわし、コチン商館破壊の犯人引き渡しを要求した。
カレクト王、ザモリンは、あれは我々のやったことではない、と拒否する。
次いで、アルブケルケはヴェネツィア人の大砲技師二人の引き渡しも要求した。カナノールで聞いたのだった。ヴェネツィア人がカレクトで大型の沿岸砲の整備を進めている、と。
日本で言えば、『お台場』のような沿岸砲台である。
ザモリンはこれも拒否する。
アルブケルケが、カレクト市街に対する無差別砲撃を開始する。彼の艦隊は大型のナオ九隻と、小型のカラベル四隻から大小の砲弾が放たれた。
彼のナオは、四百トンから六百トンと、大きい。搭載砲の数も多くなっていただろう。
「『比叡』、聞こえますか。先ほどよりポルトガル艦隊十三隻がカレクト市街に砲撃を加えています。救援お願いします」カレクトに開いたばかりの片田商店から無線が発せられた。
「大型艦は何隻いる」『比叡』が尋ねてくる。
「九隻います。しかも今までより大型です。五百から六百トンほどもありそうです」
「了解、『比叡』は現在カレクト西北西百二十海里(約二百二十キロメートル)にいる。六時間でカレクトに到着する」
「『那智』も呼びますか」『比叡』艦上で航海長が艦長金口三郎に尋ねる。
「いや、『那智』はゴア沖にいる。十三時間以上かかるだろう。それよりも、コチンに停泊中の魚運(魚雷運搬船)をカレクト沖に呼び出してくれ。現在随伴中の魚運は低速なので、追従はさせるが、間に合わないだろう。カレクトとコチンの間は九十海里だから、そちらの魚運の方が早くカレクトに着く」『比叡』艦隊は二隻の魚雷運搬船をインドに連れて来ていた。
海での距離は海里で測る。これは緯度一分(一度の六十分の一)に相当する単位なので天測で自位置を把握する船舶や航空機などの航行に便利な単位だった。一海里は一.八五二キロメートルになる。
同様にして海での速度はノットである。一ノットは一時間に一海里進む速度を言う。時速なら一.八五二キロメートル毎時になる。
以下では海里とノットで書く。
今、『比叡』はカレクトの西北西百二十海里の位置にいる。戦艦と巡洋艦は二十ノット、魚雷運搬船は十五ノットの速度が出せる。
なので、比叡は120÷20で六時間後にカレクトに到着できる。しかし、『比叡』に随伴している魚運は八時間かかることになる。
一方コチンとカレクトの距離は九十海里程度なので、コチンに停泊する二番目の魚運は六時間後にカレクトに到着できることになる。
なので、金口三郎が、コチンの魚運を呼び出せといったのだ。
アラビア海に夕陽が沈み、わずかの残照が水平線を照らしている。ポルトガルの艦隊は五時間にわたってカレクト市街を砲撃し続け、夜になり発砲を停止した。
いま頃は、ハードタックという乾パン、チーズ、塩漬け肉と豆のスープなどの食事を、ワインで流し込んでいるだろう。もし、ワインがまだ残って入れば、だが。
街の数か所に火災が発生していた。昇り立つ黒煙に、地上の炎が照らし、火の粉が舞っている。
魚雷運搬船の方が、早く到着していた。次いで、横一線に細く延びた赤い光のなかに、『比叡』が浮かび上がる。
魚雷艇が二艘降ろされ、照明に照らされた魚運の艦尾で魚雷を装着する。
星が瞬く夜空に、『比叡』から幾つもの照明弾が打ち上げられた。それを合図とするかのように、魚雷艇がポルトガル艦隊に接近する。
夜間だったので、魚雷の発射は五十メートル以内の至近距離で行われた。次々と舵が破壊されていく。魚雷艇二艘が三回襲撃を繰り返し、二十四本の魚雷で十三隻の艦隊の舵全てを破壊した。
次いで『比叡』が艦隊に接近し、艦首部を狙ってすれ違いざまに砲撃を行った。狙いはポルトガル艦の錨索だった。
舵を破壊され、錨索を切断されたポルトガル艦は、季節風に乗ってカレクトの砂浜に吹き寄せられる。
そこには、怒れる蜂の群れのごときカレクト市民が待ち構えていた。




