要塞(ようさい)
ポルトガルの第五次インド遠征艦隊の司令官はアフォンソ・デ・アルブケルケだった。史上では二度インド遠征を行っており、二回目の航海の後には二代目インド総督として同地に常駐する。そしてゴア(一五一〇年)とマラッカ(一五一一年)の占領を行い、ポルトガルのインド洋支配を確実にした男として評価されている。
以降、ゴアは二十世紀の一九六一年まで、ポルトガルの植民地となった。イギリスがインドを植民地としたときにも、第二次世界大戦後にインドがイギリスから独立した時にも、ポルトガルはゴアを手放さなかった。
ゴアがインドに戻ったのは、同年のインドによる『ゴア併合』という軍事行動の結果だった。
インドがイギリスから独立した後にも、フランスやポルトガルの植民地は残ったままだった。フランスの植民地には、インド人が大量に押し寄せ、非暴力運動で返還を求め、フランスはこれに応じて植民地を返還した。
ところが、ポルトガルは強硬な対応を行い、警官の発砲などで死傷者が大量に出た。
これを見たインド軍が、武力によるゴア返還を決意し、『ゴア併合』が始まる。ポルトガル守備兵三千五百人に対して、十倍を超えるインド軍四万五千が押し寄せ、十二月十七日から十九日までの三日間の戦闘でポルトガルが降伏した。
この時、ゴアにいたポルトガル海軍の軍艦は、二千トン級フリゲート一隻だけだった。開戦早々にインド軍のホーカー・ハンター戦闘爆撃機六機の空爆により、地上のポルトガル側無線施設が破壊される。以後、このフリゲートは本国との唯一の通信手段になっていた。
ポルトガルは、アラビア海に救援艦隊を派遣しようとしたが、これはエジプトのナセル大統領がスエズ運河の通航を拒否する。
ポルトガルは、NATOに救援を求めたが、他加盟国からの同意を得られなかった。
十二月十八日、インド海軍の三隻のフリゲートがポルトガル艦に襲い掛かる。
そのポルトガル艦は一九三五年就役の老朽艦で、搭載されていた百二十ミリ砲は一分間に二発しか発射できなかった。対するインド海軍は最近就役したばかりのフリゲートで、イギリス製のQF4.5インチ砲(一一三ミリ)マーク6を備えていた。その発射速度は一分あたり十六発である。
三時間の戦闘で、ポルトガル艦は操艦システムが破壊されて砂浜に乗り上げ、降伏する。
このフリゲート艦の艦名が『アフォンソ・デ・アルブケルケ』というのは、象徴的であった。
そのアルブケルケが六隻の艦隊を従えて、コチン港に接近した。祖国を出た時には九隻あったのだが、アフリカで三隻を失っている。
コチンは、アラビア海と、海岸線沿いに長く拡がるベンバナード湖を繋ぐ水道にある港だ。
見覚えのあるポルトガル艦が四隻、港に並んでいた。ダウ船とは、あきらかにシルエットが異なるので、遠くからも見分けられる。
艦隊が港に近づく。入港しているポルトガル艦が大きく見えた。一番大きなナオ級一隻と、小さな二隻のカラベル級が舵の修理をしていた。
そして、四隻目のカラベル級は、左舷が大きく抉れていた。
「小さなカラベルとはいえ、どうやったら、あんなに大きな穴を開けることができるんだ。艦内で火薬の爆発が起きたのだろうか」アルブケルケが訝る。
アルブケルケが出発したのは一五〇三年三月だった。その時までにポルトガルのインド遠征隊は、第三次までが帰国している。ガマ、カブラル、ノヴァの三つの航海だ。
第四次のガマの二回目の航海は帰国が〇三年九月頃なので、入れ違いになっている。
それらの報告から、コチン港は友好的で、入港しても大丈夫だということは、わかっていた。現に河口右側の四隻のポルトガル艦は、岸に停泊しており、修理をしている。大破している一隻だけが少し不審だが。
アルブケルケは入港することにした。すると、入れ違いに、一隻の船が出港してきた。これは変わった船だった。ダウでもないし、ポルトガル船でもない。四百トン級のアルブケルケの船よりも、一回り大きな船だった。船腹に幾つもの蓋のようなものが付いている。
ナオ級という船は非常に幅がある。ガマのサン・ガブリエル号は百二十トン程度であった。ところが、アルブケルケが率いていたナオは六百トン級があったという。もちろん、ポルトガルに持ち帰る商品をたくさん積みたいからだ。
アルブケルケは、異形の船をやりすごし、上陸した。
港の知事が歓迎し、コチン王ラージャの招待を知らせた。王宮を訪ねる。
「よくぞ来られた」ラージャが言う。
きめられた挨拶を行い、ポルトガル国王からの書簡を手渡す。
「ところで、ポルトガル商館に残しておいた同朋が艦に来ないのですが、無事でしょうか」アルブケルケが尋ねる。
「それなんだが、貴国の商館は打ち壊された」
「なんですと」
王が事情を説明する。提督が国に帰ったあと、残された五隻の艦隊はコチン防衛をおこなわずに、どこかに去って行った。ソドレ兄弟のアラビア海封鎖艦隊のことだ。
ポルトガル艦隊がいないことを知ったカレクト王は、大量の軍船をコチンに送って来た。守る者の無いコチンは無防備だった。
そこで、カタダ商店の軍艦がカレクト軍司令官と話をつけ、ポルトガル商館を破壊することで、カレクトの進軍をとどめた、というわけだ。
「で、商館にいたポルトガル人はどうなりましたか」アルブケルケが顔色を変えて尋ねる。
「安心せよ、怪我をしたものはいるが、全員生きている。わしの離宮で快適に暮らしている。カレクトには牢獄に入れたといっておいたがな。ただ、イタリア人が二人行方不明になっている。これについては、すまないことだと思う、と王が言った。
「最大限ご配慮していただいていることは、承知いたしました。ところで、その『カタダ商店の軍艦』とは、どのような船でしょうか」
「それがの。船の腹全体から大砲の玉が飛び出すんじゃ。すごい船じゃ」
「船の腹全体から、ですか」アルブケルケが想像する。
「そうじゃ。ほれ、貴殿が入港してきたときに、交代に出ていった船がそうじゃ。あれは小さい方の船じゃがの」
「あれで、小さいというのですか」
「そうじゃ、大きい方の軍船は、あの五倍はあるじゃろ」
「五倍ですか」アルブケルケが絶句する。彼の乗って来たナオ級の二倍以上ということか。
「商館のことは、すまなかった。この港をカレクトから守るためには、ああするしかなかったんじゃ」
「ところで、港の入口のところにポルトガルの船が四隻泊まっていますね。修理しているのですか」
「ああ、あれはガマ提督が残していった艦隊じゃ。カタダの艦が引っ張って来た」
「引っ張って来た、とはどういうことですか」
「すべて、舵も檣も壊されていた。海の戦に敗れたのじゃ」
「とすると、乗組員は」
「ああ、彼らも離宮でくつろいでおる。心配しなくともよい」
「いま、艦を修理していますよね。どういうことですか」
「修理が完成したら、離宮の乗組員を乗せて、ポルトガルに返すんだといっておる」
「カタダがですか」
「そうじゃ。だが、砲はすべて外し、火薬も持ち込ませないそうだ」
アルブケルケが考え込んだ。船の大きさでは、どうもカタダとやらに勝てそうにない。ならば、陸上で勝負するしかあるまい。
「では、またカレクトが攻めてきたときのために、この港の入口に要塞を建設してあげましょう」アルブケルケが申し出た。
「要塞とは、なんじゃ」
アルブケルケが要塞について説明する。
「そうすると、その狭間とやらの間から銃や砲を撃って撃退するというのだな」ラージャが納得する。当面は、木材で要塞を作るが、将来は重要なところから石材に変更するとも説明した。
「それならば、カレクトが攻めて来ても持ちこたえられそうじゃな。それを、わしのために建設してくれるというのか。わかった、要塞の建設を許す。しっかり建ててくれ」コチン王が要塞建設を許可した。
アルブケルケは、ラージャのために要塞を建設する、と言った。しかし、時が来れば、これを奪取してポルトガルのものにするつもりであった。
今回は、六隻のみの航海だった。カレクトと戦争を起こすにはこころもとない。それに謎のカタダ軍艦というものもあった。
離宮にいるポルトガル人達を使って、要塞の建設が開始できれば上出来というところだ。
この要塞は、現在のコーチの河口南側に、『フォート・コチ』という地名を残している。ポルトガルのインド支配の拠点の一つとなった。




