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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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ヴァスコ・ダ・ガマの第二回航海

 ヴァスコ・ダ・ガマの第二回航海は一五〇二年二月だった。この頃には、春の出立がポルトガルのインド航路にとって、もっとも条件がいいことが分かって来ていた。

 船団の数は全部で二十隻だったが、二月の出航に間に合ったのは十五隻だけだった。残りは四月に出発している。

 ヴァスコと共に出発した船団の中には五隻の軍艦が含まれている。これらは交易が目的ではない。アラビア海に常駐することになっていた。


 ヴァスコの船団の出航を見届けたヴェネツィアの大使、ピエトロ・パスカリーゴは本国に暗号書を送る。


『通商破壊』。


ポルトガル王が言っていた。聞きなれない言葉だった。恐らくアラビア海でイスラム商船を襲う海賊行為を働くのだろう。

 そうなれば、アレキサンドリアに香辛料などのインド洋商品が入ってこなくなる。これは、彼のヴェネツィアにとっては致命的だった。


 パスカリーゴの暗号書を受けたヴェネツィア共和国の十人委員会は、カイロのマムルーク朝に密使を送った。


 マムルーク朝の王をスルタンという。マムルーク朝のスルタンは世襲ではない。軍人中の有力者が選ばれた。

 密使はスルタンに、最近インド洋に現れたポルトガル船の危険性を伝える。最近ポルトガルを出発した船団の中には軍艦が含まれており、アラビア海でイスラム教徒の商船を襲うはずである、と言った。

 アラビア海に、海賊がいない、ということはなかったが、まさか一つの国が、軍艦を使って商船を襲うなどということがあろうか。スルタンはなかなか信じられなかった。


 そのような国は、国際的信用を失うことになり、どこの港でも相手にされなくなるはずだ。


「秋になれば、ポルトガルの軍艦がアラビア海に到着するでしょう」密使が言った。

「彼らのやることを、よく見ておいてください。そして、もし軍艦が必要であれば、我々の軍艦を提供することもできます」

 ヴェネツィアのガレー軍艦をアレキサンドリアで解体し、陸路で紅海まで運んで組み立て直すことが出来る。という意味だった。




 ヴェネツィアからの密使を下がらせたスルタンが、カイロの『カタダ商店』店主を呼び出すように命じた。やってきた店主は日本人だった。


「ヴェネツィアの使節が、このようなことを言ってきたのだが、カタダはどう思う」

 そう尋ねられた日本人は村上隆勝たかかつという。村上雅房まさふさの息子だ。

「その件は承知しております。ポルトガルの船団のなかには五隻以上の軍艦が含まれています。現地に駐在するイングランド人がそう言ってきました」

「ヴェネツィアは、それが交易目的ではなく、アラビア海に居続けて商船を襲撃するはずだ、と言っている」

「さて、そこまでは存じませんが、これまでの彼等の三回の航海の様子を見ますと、海賊行為により交易の資金を得て、その資金で、コチンで香辛料などを購入して帰っています」

「やつらは、インドで売れるような商品を持っていないようだからな」

「そのとおりです。彼等が二回目の航海でコチンに持ち込んだ商品は、銅、しゅ辰砂しんしゃ、水銀、琥珀こはく、毛織物、ビロードなどでした。これは現地の片田商店の報告です」

「高値で取引されるようなものではないな。それで、商品を略奪しようというのか」

「そうなるでしょう」

「アラビアの海には、わしが所有する船もある。メリ号という美しい大型船だ。三百人を乗せることができて、メッカ巡礼者の客船になっている」

「それは、心配ですね。注意するように船長に言うべきでしょう」


 現代のクルーズ客船(豪華客船ともいう)は、十九世紀に登場した。荒天の冬季に旅客需要が減少する。その季節に南国に航行する需要を掘り起こしたものだ。

 ニューヨークの教会が中心になりニューヨーク発着で地中海と中近東のキリスト教聖地巡礼を行うという商品を出したところ、これが当たった。

 マーク・トウェインはこの航海に参加して「地中海遊覧記録」を書いた。


 なので、十六世紀のアラビア海をメッカ巡礼するスルタンのメリ号は、クルーズ客船の先祖ということができるだろう。

 さぞや豪華な船だったのだろう。天気の良い日には、上甲板で香がかれ、楽団の演奏などもあったのかもしれない。


「そうすることにしよう。それとだが……」

「はい」

「カタダ商店にも船があるであろう」

「はい、ありますが」

「ひょっとして、軍船も持っておるか」

「はい。持っております」

「そうか。わかった」

「店主に問い合わせてみましょうか」

「いや、まだ、そこまではしなくともよい」




 七月、ヴァスコの船団がアフリカ東海岸に現れた。モザンビークの北にキルワという大きな港がある。そこに現れた。今のキルワは人口二千人程の漁村だが、当時キルワは東海岸で最大の町だったという。特産品は金、銀、象牙、琥珀こはく麝香じゃこう、真珠などだった。

 ヴァスコはこの港をさんざん砲撃して降参させ、毎年約六百クルサード(金二キログラム程度)の貢物みつぎものを支払う属国とした。

ポルトガルが帝国になった。


幸先さいさきがいい。ヴァスコ達は意気揚々(いきようよう)とインドに向けて出港した。

そして、九月にカレクト王国の北、現在のゴアの沖に到着する。


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― 新着の感想 ―
「十六世紀のアラビア海をメッカ巡礼するスルタンのメリ号」って素敵ですね!出会った時日本勢はメリ号をどの様に見るのでしょうねぇ
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