風丸(かぜまる)
ふうは、春に水道橋工事現場に戻って来た。十か月ほど空けていたことになる。
「これが、ふうの子か」犬丸が言う。
「そうだよ。風丸だ」
「男の子、だな」土木丸も言った。
「そうだ」
「こんなに小さいうちに連れてきても大丈夫なのか」
「大丈夫、だと思う。頭もすわってきたし、乳以外の物も、すこし食べられるようになった」風丸は生まれて六か月目だった。
犬丸が、のぞき込んで、人差し指を差し出すと、風丸が微笑んで、手を伸ばしてくる。
「猫じゃないんだぞ」ふうが言った。
工事は、ふうが考えていたより進んでいた。片田村に流れ込んだ流民が、村で体力を取り戻す。それらの中で、希望するものが工事に参加していた。ここでは米が食える、というのが魅力だった。
「村では、雑穀ばかりなのか」犬丸がふうに尋ねる。
「そうだ、雑穀せんべいばかりだ。おかげで、風丸もすっかり雑穀粥が好きになった」
「そうなのか、米が食べられないのか、いつまで続くんだろう、飢饉」
この時期までに、とびの村の村人は、片田村の仕事か、ないしはそれから派生した仕事で主な収入を得るようになっていた。彼らは日常、米を主食とするようになっていた。
ふうは風丸を背中にしょって、言った。
「工事の先端部分、それと湾曲部の図面を持ってきて」
思っていたより進んでいた工事について、その二点が心配だった。水道橋は、応神天皇陵から西に向かい、仲哀天皇陵の前で右に曲がり、現在の藤井寺駅前まで続く予定だった。
ふうたちは知らないが、応神天皇陵の濠の水面が、かさ上げして海抜三十メートルの水位だった。そして水道橋の終点、藤井寺駅前が海抜二十九メートルである。この間の約一.六キロメートルで高度差一メートルだった。古代ローマの水道橋は一キロメートルあたり約三十センチメートルの傾度なので、それに比べれば難しい工事ではない。
仮に失敗しても、濠の水位を増す余地がまだある。
「まだ、二尺近くの余裕があるのね」ふうは工事の先端部分の高度を見て言った。
「あと、湾曲部の舟溜まりの幅は、四間半になっているのね」ふうはそういって、実測に行くことにした。
「すごい。正確だ。土木丸」ふうが感嘆していった。
「そうか」土木丸はうれしそうだった。
「俺だって、手伝ったんだ」犬丸が言う。
「そうだね、犬丸も、えらい。順調ね、来年には出来上がる」
ふうと石之垣太夫が話している。
「飢饉のせいで、人が余っている。労賃の安い今のうちにどんどんすすめようと思っているんだが」太夫が言う。
「そうね、水道橋が終わってから、と思ってたけど、始めてしまいましょう」
「ふう、お前さんが帰ってきてくれて、助かるよ」
工事は救荒策になる。加えて水道橋から先の工事は、太夫が畠山義就から部分ごとに一括で請け負っている。労賃が少ないうちに進めれば、それだけ太夫の儲けが多くなる。
水道橋が出来上がっている所の下流は春に撒いた籾から発芽していたが、水が届かないところでは今年の米の収穫は望めない。
そのようなところの百姓は、乾いた田に蕎麦の種を蒔き、すこしでも穀物を確保しようとした。蕎麦は、種を蒔いた後、米ほど手がかからないので、土木作業員として、石之垣の募集に応募してきた。飢饉の中でも、食料といくらかの労賃が手に入る。
二人は藤井寺から松原までの区間を開始することにした。この区間はほぼ一様に緩く下降しているのだが、途中、南から北に流れる川がある。この部分にも水道橋を架けてやらなければならない。水道橋を除いた部分から開始することにした。
なぜ、水道橋が後回しになるのか。水道橋工事には、石材、シラス、石灰岩などが大量に必要になる。これを陸上輸送するのは、手間がかかる。彼らはこれらを、運河を使って先端の工事現場まで運んでいたからだ。
ちょうど、十九世紀に猛烈な速度で鉄道が建設出来たことに似ている。鉄道はそれ自体が物流の道具であるため、鉄道建設の前線まで、レールや砕石などの資材を効率よく運搬できる。これにより全世界的に驚異の速度で鉄道を建設することが出来たのだった。
「片田サン、米が手に入りそうだよ」堺の琉球商人が言った。
「ほんとうか、助かる」
「日本の米とは、ちょっと違うけど、食べられるか」
「どこの米だ」
「呂宋、大越、占城、カンボジャ、アユタヤなどの米だ。ちょっと細長い」
フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイなどの東南アジアの国々だ。
片田は博多の中華街で、そのような米を食べたことがあった。炒飯にして食べるとうまい。
「大丈夫だと思う。いくらならば米を売ってくれる」
「現地での米の価格は安い、と国の者が言っている。普通だったら利益が少ないので運ばない。米は水を吸うと膨れるので、船が沈むこともある。船乗りは米を運ぶことを嫌う」
「なんとかならないか」
「私、考えた」
「うん」
「米とシイタケを交換しよう。相場はいつも通りでいい」
片田は、シイタケを金銀としか交換していなかった。それを米と交換できないかといって来たのだった。
「米ではもうからなくとも、シイタケで儲かる」琉球商人が言う。
「わかった、ではこの飢饉が終わるまで、米とシイタケを交換することにしよう」
「好、これ、いい取引できた」




