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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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Volta do Mar (ヴォルタ・ド・マール 海の迂回)

 ヴェルデ岬を出発したヴァスコ・ダ・ガマと彼の四隻の艦隊が不思議な動きを始める。


 アフリカ海岸から離れ、南西の方角に針路をとったのだ。これでは大西洋の真ん中に出て、さらにブラジルに着くことになる。そのような針路だった。


 十年前にアフリカ沿岸を南下したバルトロメウ・ディアスの報告書によれば、アフリカ西岸では、常に南からの風に悩まされたという。加えて海流も同じ方向に流れていた。

 ディアスの船はナメクジのような遅さでしか南下できなかった。

 さらに、赤道を離れるにしたがって、気候は涼しくなっていったとも言う。


 一方で、コロンブスによる航海の記録は、スペインの国家機密であったろう。なのでガマがその詳細を知ることはできなかったに違いない。しかし、その航海の大体のことは噂で流れてきた。

 しかもポルトガルも早くから北大西洋に出ていたので、以下のようなことは知っていた。


ヨーロッパの大西洋岸では通年で北から南へと風が流れる。特に夏場はその傾向が強い。

北緯三十度を越えて南下すると、東から西へ流れる貿易風がある。

北緯四十度を越えて北上すると、西から東へ流れる偏西風がある。


つまり、北大西洋では、風が時計回りに回っている。


 ガマ達の艦隊は、このように考えた。


 ならば、南半球では、風が反時計回りに回っているのではないか。なので、ディアスの南下の航海は困難だったのだ。

 もし、そうであるならば、アフリカを離れて、南西に向かい、北風を受けて一気に南下して偏西風帯に入る。そして、西の風を受けて喜望峰に向かう。この航路ならば、アフリカ大西洋岸を南下するよりも早く喜望峰に着けるかもしれない。

 一見、遠回りのようだが、風の循環に従った方が、帆船であった当時では有利だ。


 そして、どうなったか。

 ディアスが七月にリスボンを出発して、現在のナミビア海岸の中部、ウォルビス・ベイに到達したのが十二月、喜望峰の向こうにたどり着いたのは翌年の二月だった。

 それぞれ、五カ月、七カ月を要していた。


 それに対してガマの第一回インド航海では、リスボンを出発した艦隊は十一月に喜望峰の北、百四十キロのセント・ヘレナ湾に到達している。四カ月の航海だった。


 今では高校の地理や地学の教科書にも載っている、大気や海流の大循環であるが、当時の航海者は、そんなものは知らなかった。

 コロンブスも、ガマも、手探りでこれを発見したのだ。


 この航路の発見には、当時のポルトガル人も大いに感銘かんめいを受けたらしい。ガマの方法を『Volta do Mar』と呼んだ。直訳すると『海の迂回うかい』だが、日本語にするならば『迂回航路』というところか。


 ガマの第一の功績は、もちろんインド航路の発見だが、この Volta do Mar の発見も、彼の航海者としての面目めんぼくだった。


 ただ、彼の航海日誌が残っていないので、どのような航路だったかは、正確には分かっていない。書籍やネットで航路を見比べると、かなり東西に差のある航跡だ。


各国のWikipediaを見ると、ガマの出身地、ポルトガル版Wikiの「ヴァスコ・ダ・ガマ」の記事には、アフリカ離岸後、大きく西南西に舵を切り、大迂回して喜望峰にたどり着く航跡が掲載されている。


 英語版と日本語版の記事では、南大西洋を南下する部分は割愛かつあいされていて、アフリカ東海岸側の航跡しか描かれていない。論争に巻き込まれるのが嫌なのだろう。


 スペイン版に至っては、航跡地図も無い。


 日本語に翻訳されているガマの伝記などでは、ヴェルデ岬から南下する、あるいは南南東に進むような航跡が多い。


 私が渉猟しょうりょうした中では、高校世界史の副教材「最新世界史図説タペストリー 十九訂版」2021年発行(帝国書院)が、最も大胆に西に膨らんだ航跡を描いている。

 この図ではほとんど教皇きょうこう子午線しごせんまで達しているから西経四十度あたりまで行ったことになる。あと少し行けばブラジルの海岸だ。


 いずれにしろ、ヴェルデ岬を出発してから三か月、まったく陸を見ない航海だった。さぞや苦しかっただろう。

 コロンブスの航海は、カナリア諸島を出発してサン・サルバドル島を発見するまで、五週間に過ぎない。それでも終盤には反乱寸前の空気が漂った。




十一月三日。この日は金曜日だった。

「魚か、今日は金曜か」干ダラを水で戻したものだった。それを加熱し、オリーブオイル、酢、塩で味付けしている。

 魚と一緒に固いビスケットを口に入れ、ビールで流し込む。ビスケットと言っても甘くない。小麦粉と水を混ぜ、何度も焼いただけのものだ。

航海開始から三か月だ。すでに樽の真水は腐っている。水分はビールかワインで補給することになる。


一昨日おととい、海をただよう海藻が増えたって、言ってたよな」

「ああ、そうだな。あと数日で陸地が見えるだろう」


 貿易風や偏西風などの一定の風に乗っている時の帆船乗組員は、意外と暇だった。

ガマのたくみなリードで行われたこの航海では、始終追い風を受けていたので水夫たちは暇だっただろう。

彼等はサイコロやカードで博打ばくちを始めたり、魚を釣ることも出来た。ヴァイオリンを持ち込む男もいる。


 だが、水夫を暇にさせておくと、喧嘩ケンカが始まったり、反乱の可能性もあった。ヴァスコ・ダ・ガマはこのあたりの事を理解していたのではないかと思う。


 彼は水夫に仕事をさせた。もちろん、自分も仕事をする。その日、ガマが緯度を観測すると、喜望峰までの南北方向の距離は一四〇キロに迫っていた。


 甲板の清掃、破れた帆の修理、古いロープのみなおし、射撃練習等である。他にも、衣類を洗いつくろう、鍋やよろいを磨く、などもやらせる。

やることが無くなると、マストの見張り所まで駆け上る競争などをさせて体力を使わせた。なので、夜になると水夫達は、へとへとになって熟睡する。


 翌日の日の出二時間前。夜間当番がおもりを落として水深を測ると、水深二〇〇メートルの所で錘が海底にあたった。大陸棚たいりくだなに接近していた。

 そして、翌朝九時、ガマの艦隊が陸を発見する。


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