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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
505/648

無線灯台 (むせん とうだい)

 京都からまっすぐ南に行き、宇治うじ川を越えたあたりに、一面の水田が広がる場所がある。周囲十六キロメートル、面積八平方キロメートルほどだ。

 周囲は住宅が密集しているのに、ここだけ水田である。


 ここは、昔巨椋池おぐらいけという湖が広がっていた。昭和八年から昭和十六年にかけて、国が干拓かんたく事業を行い、水田に生まれ変わった。


 その巨椋池の岸に飛行艇が着水する。桟橋に小柄なパイロットが上陸した。『ひばり』だった。

「こんにちは。今日は多いわ、五百八十六通もある」『ひばり』が言う。

「それじゃあ、じょうちゃんじゃあ持ちきれんじゃろ。わしが持ってやろう」この空港の管理人の男が言った。彼が前席から郵便物をいれた袋を持ち上げて、小屋まで運ぶ。


 飛行艇を、ただ飛ばしているだけではカネがかかるばかりだ。それで手紙など、軽い物を運ぶ郵便事業を始めた。

 当初の路線は、敦賀つるがから始まって、琵琶湖の北と南。巨椋池、堺、淡路島の由良ゆら福良ふくらつないでいた。


 飛行艇はおだやかな水面があれば発着できるため、最近は徳島や、瀬戸内海、博多まで路線が延びている


 まだ、夜間飛行や荒天時の飛行は出来ない。


「これが、最新の気象通報じゃよ。それと無線でも言ったが、今日のこちらからの郵便はわずかだ。十通ほどかの。北向けの便はない。」そういって男が紙を渡す。

「わかったわ」そういって『ひばり』が郵便物を受け取り、気象通報を読む。

「大丈夫そうね、博多まで、どこも天気がいいみたい」


「おーいっ。待ってくれ」男の叫びが聞こえた。二人が北の方を向く。

「待ってくれ、郵便飛行艇」


「また、九郎さんね」

「そうじゃろうな」


 九郎さんと呼ばれた男が馬から降りる。

「俺を福良まで乗せて行ってくれ」そう言った。九郎と呼ばれた男は、細川政元まさもと、時の管領かんれいである。かなり偉い人だ。


「無線、盗み聞きしていたんでしょ」『ひばり』が言った。

「すまん、つい、聞こえたんだ」

「無線よ。つい、聞こえるなんて、あるわけないじゃないの」

「まあ、そう言うな」

「で、また操縦させろ、って言うんでしょ」政元は淡路島、福良の港で操縦を学んでいた。

「頼む」


『ひばり』が前席用の操縦桿のうち、長い方を手に取り、後席に移す。前席操縦桿は長短二本あるが、残った短い操縦桿を使うと、後席に操縦の主導権がある。


「信用してねぇなぁ」九郎がぼやく。

「あったりまえじゃないの。飛ぶのって、命がけなのよ」九郎さんは身分相応そうおうの扱いを受けていない。


 九郎が前席に乗り、短い方の操縦桿を足の間に取り付ける。

「いいぞ」


 空港の管理人が小舟に乗り、縄で飛行艇を引き、機首を沖に向ける。

「縄を外した。行ってもいいぞ」

『かぞえ』が吹き流しを見て、風向を確認する。両足を使って機首を風上に向けていった。

「九郎さん、いいわよ。離水して」

「おう。この時が一番だよな。離水で加速するときが」そういって、スロットルを全開にする。


「と、飛んだぞうっ」九郎さんが興奮して叫ぶ。


 上空に達して落ち着いた九郎さんが、前席を見回す。

「なんか、計器が増えているな。これはなんだ」風切り音が大きいのだが、彼ら二人はヘッドセットを付けている。

「無線羅針盤らしんばんのこと。そうね、最近出来たのよ」

「無線羅針盤ってなんだ」

「無線局の方角を知る道具よ。右膝の外側に、団扇うちわみたいな丸い鉄の輪があるでしょ」

「ああ」

「それを取り出して、風防ふうぼうの前の穴に刺してみて。わたしが操縦しているから」

「おう」九郎が身を乗り出して団扇を取り付けた。


「で、そうね、今は堺に向かっているから、堺の放送局に周波数を合わせましょう。堺は一一一.六よ。計器の右の銀色のボタンを押して」

「押した、あれ、聴音器ちょうおんきの左側が聞こえなくなったぞ」聴音機とは両耳に当てているヘッドセットのことだ。

「それでいいのよ。こんどはそのボタンを回して、数字をさっきのに合わせて」

「一一一.六だったな。お、ラジオの番組が聞こえるぞ」

「いいわ。で、下のダイヤルを回して、計器の白い線が垂直になるようにして」

「下のダイヤルだな。右に回すと、右回りだな……。出来たぞ。まっすぐだ」

「そうなったとき、団扇アンテナが、機体と同じ向きになっているということよ」

「で、堺はどっちだ」

「さらにダイヤルを左右に回して、団扇アンテナを左右に振ってみて。一番ラジオの音が強い所をさがすのよ」

「よし、わかった。……。左に直角の六分の一くらいのところかな」

「自分の目で堺を確認してみて」

「左、六分の一ってか。どれどれ」そういって、前方を見下ろす。

「ああ、あったぞ。古墳こふんが見える。確かに左六分の一あたりだ。たいしたもんだな」

「その時の、白い線の方向に向かって飛べばいいのよ。じゃあ、次をやってみましょう」

「次って、ラジオ放送局以外にも、なにかあるのか」

「あちこちの発着場に、無線灯台を作り始めているの。福良は一一四.九よ」

「一一四.九か。あれ、なにかツーツー言ってるぞ。モールス信号か」モールス信号は片田が未来から持ち込んだ。飛行士の必須科目なので、九郎さんも知っている。

「それ、FKRの信号よ。電極を張り付けた円筒を回して、一日中自動で発信しているの」

「福良は、堺より、ちょっと右だな。真正面に近い」

「それでいいのよ、実際その方向だから」


「これがあれば、夜間でも飛べそうだな」

「まあ、そうかもね。あまり夜に飛びたくないけど」


 アメリカで航空郵便が発達したのは一九二〇年代だ。チャールズ・リンドバーグも大西洋単独横断の前に郵便機のパイロットをしている。同じ頃に全米でラジオ局の開設ラッシュがあった。当時の郵便飛行機の操縦士は、それらのラジオ局を無線灯台として利用した。


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