上陸地点
今の渡良瀬川は利根川の支流にすぎないが、当時は大河だった。日光の皇海山を源流として、東京湾に注いでいた。下流の方は、現在は江戸川と呼ばれているが、当時は太日川と呼ばれていたらしい。
東京湾の河口から、古河まで六十キロメートル遡上しても、まだ川幅が五十間以上もある。街道を百メートル歩くのは容易だが、川幅が百メートルといえば、たいしたものだ。
そこに古河城がある。
当時の川だ、堤防もなければ、浚渫も行われない。これだけの大河の両脇には利用できない氾濫原が広がっていただろう。所々に『渡し』はあったが、人が入る事もできないところも多かっただろう。なので、彼等の電撃戦が成立する。
治水が満足にされていないので、利根川から流れ込んでくる支流もあった。その支流と渡良瀬川の合流点に三角州ができている
その洲の脇で、漁師が網を打っている。鯉を捕えて古河城の堀に放つのが、彼の仕事だった。堀の鯉は、慶事の際の料理になるし、籠城時には兵糧にもなる。
早朝で、川面には薄い霧がかかっていた。
川下の方から、小さな轟くような音が聞こえてくる。
「ありゃ、なんじゃろ」漁師が訝しがる。
川下側に小さな影がいくつも現れ、やがて接近してくる。彼が乗っているような川舟だったが、なんとも不細工な造りだった。それに聞いたこともない音をたてている。
「おい、漁師」相手側から声がかかる。
「はい、なんでしょう」
「ここは、これから戦場になる。剣吞なので、他所にいくがよい」
「戦を始めようってんですか」
「そうだ。恐れ多くも、御門の軍である」
漁師が、わかりやした、といって網を巻き、艪を掴んで下総側の岸に向かう。現代の古河市は茨城県に属するが、当時は下総国だった。
そうしているうちにも、次々と舟が現れる。なかには大きな船もいた。
「こりゃあ、大した戦がはじまりそうじゃ」漁師が思う。漁師が舟を岸に引き寄せた頃には、広い渡良瀬川の川面一面に大小の舟が犇めく。
「合流点の三角州に噴進砲を設置する。この広さならば、そうだな、設置数は十門だ」
「砂地で柔らかい、一番から十番までの分隊舟艇を解体し、噴進砲の足場とする。訓練でやったとおりだ」
なにか大きな箱のようなものを載せた船が三角州に接岸する。
「大事になりそうじゃ、お館に知らせねば」そういって漁師が古河城に向けて走り去る。
この時代、渡良瀬川は利根川支流との合流点の川上で大きく湾曲している。そのため三角州のあるあたりから西に、両側を川に挟まれた細長い土地が続いている。
指揮官の小山朝基が、その方向に向けて斥候と中隊を一つ送る。約百名程だ。この方向さえ押さえておけば、敵歩兵は三角州に接近できない。
一方で二艘の分隊舟艇を渡良瀬川の上流に向かって放つ。
「下総側の歩兵上陸適地及び、武蔵側の軽迫撃砲陣地の適地を探ってこい。エンジン音で見つかってもかまわん」
この二艘は、無線機を載せた師団付きの偵察用舟艇だった。
一般的な分隊舟艇の乗員は十二名で分隊歩兵が十名乗る。残りの二名は舟の操作や物資搬送を担当する。
舟艇には軽迫撃砲が二門と軽迫弾五十発。小銃十五丁と小銃弾百発入りの箱が四箱載せられている。手榴弾も豊富に持ち、これは投げるだけではなく、安全ピンに紐を取り付けて対人地雷としても使用される。
軽迫弾や小銃弾、手榴弾の数は、属する大隊の役目により数が増減する
他にも両舷側に立てる銃眼付きの板盾が用意してあり、矢が飛んでくるような場所では、それで防ぐことができた。
糧食は十二名三日分の缶詰と飲料水樽、ラムネを備えた。ラムネの本数は分隊の自由にさせてある。
他にも救急箱、裁縫箱、土工具類、布や糸なども装備する。
要するに現代アメリカ軍のM2ブラッドレー歩兵戦闘車の小舟版のようなものだ。それに船外機エンジンを載せて、上流深くまで遡上できるようにしている。
「渡良瀬川を大きく右に蛇行し、約四.九キロメートル遡上したところに古河城を発見しました」先行した舟艇が、分隊周波数で連絡してきた。
「上陸候補地点は見つかったか」
「渡良瀬川は、古河城から左に蛇行します。なので古河城手前の湾曲部が浅くえぐられており、葦などが生えていません。ここが上陸適地と考えられます。しかし、古河城周囲には堀がめぐらされているでしょう。川面からは堀が見えません。上陸してみますか」
「可能ならば、上陸偵察を許可する。矢に注意しろ、盾を持っていけ」
「承知しました」
「軽迫撃砲適地探索隊です」
「どうだ」
「渡良瀬川の武蔵側は、一面の葦です。上陸して軽迫陣地を構築することは困難だと思われます」
「そうか。それでは、古河城正面での川幅はどれくらいだ」
「えっと、百メートル程であります」
「百メートルもあれば、対岸の弓矢は脅威にならんな。武蔵側の葦原に船首を直角に入れてみろ」
「はい、やってみます」
単に矢を飛ばすだけならば、和弓は三百メートル程も飛ぶだろうが、殺傷威力を維持できるのは八十メートル程度が限界だ。百メートルならば、狙いを定めることはできないし、矢が飛んできても板盾で防げるだろう。
「葦原に船首を三分の一程いれることができます。そこで川底に触れ停止しました」
「よし、そのままで軽迫を打てそうか」
「舟が左右に揺れますので、照準は不安ですが、撃つだけだったら、できそうです。距離も百から二百程度でちょうどいいです」
「よし、軽迫陣地は水上に設営することにしよう。そちら、現在の偵察位置を維持できそうか」
「維持できます。古河城側に目だった動きはありません」
「よし、ではこちらが行くまで現在地で偵察を継続せよ」
小山朝基が、第三大隊、(軽迫大隊)百隻に軽迫陣地までの進撃を命令した。




