神曲 (しんきょく)
前回の投稿で大きな誤りがありましたので修正いたします。
海流の速度を一桁多くしていました。
【誤】この海流の強さは黒潮に匹敵する。時速で三十キロメートルを超える。船乗り風に言うと、二十ノット近くの速度だ。
【正】この海流の強さは黒潮に匹敵する。時速で三キロメートルを超える。船乗り風に言うと、二ノット近くの速度だ。
です。
原因は海流速度のつもりで風速を見ていたためだと思います。たぶん。
二十ノットでは、日本海海戦の戦艦「三笠」の最大戦速(十八ノット)を超えてしまいます。そんなわけない。少し考えれば、気付きそうなものなのに、ぼーっとしてました。
教えてくださった方、ありがとうございます。
一四九六年になった。シンガがピサに送り込まれる。イタリア語を覚えるためだった。
彼等には二年後の一四九八年までにやらなければならないことがあった。
ユダヤ人商人のヤコブの商店に住んだ。ヤコブの商店はピサの西の端にある。『グエルファの塔』の近くだ。一四九六年時点では、イタリアの街はユダヤ人ゲットーを作っていない。そうなるのは、もう少し後の事だ。
「イタリア語、というものを覚えるために来た、というのか」ヤコブが不思議そうに言う。
「そうなんだけど」シンガが言う。シンガは片田が持ってきた地図でイタリアを知っていたので、一つの国だと思っている。
「そうはいっても、この半島に住んでいる人々は、さまざまな言葉をつかっているからのお」
ヤコブの言うとおりだった。日本語で言う『方言』というレベルを越える差がある。主なものでも北部ではロンバルディア方言、ヴェネト方言。中南部ではピサやフィレンツェのトスカナ方言、ローマ方言、ナポリ方言、シチリア方言などがある。
四七六年に西ローマ帝国が滅びた後、周辺諸国の介入が頻繁に続き統一国家が無かった。そのために、言語がずいぶんと分化したらしい。
イタリアが統一されたのは、近代になってからだ。明治維新とさほど変わらない時期だ。
高校で世界史を習った人は、『ダンテが『神曲』を口語のトスカナ方言で書いた』とあったのを覚えているかもしれない。
「だから、どうした」と、当時の私は思った。無知だったからだ。
これは、背景を説明しないで、『口語のトスカナ方言で書いた』と書かれただけでは、さっぱりわからないし、丸暗記するしかない。
なぜ、後世の世界史教科書に特記されるようなことなのか、私の筆力では不足するかもしれないが、説明してみよう。
まず、『口語』だ。口語じゃないとしたら、何で書いていたか。『文語』で書くことになったろう。当時の文語はラテン語だ。教養のある人や、聖職者が使っていた。
当時の普通のイタリア人は、ラテン語はほとんどわからなくなっていただろう。
『口語』で書いた、ということは普通のイタリア人が読んでもわかるように書いた、ということだ。
キリスト教の『聖書』はラテン語で書かれている。そして日曜日のミサで司祭が一般信徒に向けて聖書を読み上げる時もラテン語で読んだ。
その後で、司祭が信徒にもわかるように、口語で説明する。そのようになっていた。聖職者は、庶民と神を繋ぐ特別な『仲介者』だった。
つまり、聖書の解釈は聖職者側に任されている、ということだ。極端な言い方をすると、聖書を曲解しても、書かれていないことを説教しても、信者側にはわからない。
そのような時に、ダンテが『神曲』を『口語』で書いた。もしかしたら、『聖書』も口語に翻訳したかったのかもしれないが、それをやるとダンテ自身を危険にさらすかもしれない。聖書の口語訳はマルティン・ルターを待たなければならない。
『神曲』には何が書かれていたのか。
ダンテが地獄、煉獄、天国を見学しながら旅する物語だ。『煉獄』とはカトリックのみにある教義だ。
死んだ人が天国に行く前に置かれる場所で、生前の罪を清めるために苦しむところとされている。プロテスタントやギリシャ正教会に煉獄の教義はない。
当初は、宗教上の理由で煉獄が置かれたのだろうが、後には免罪符を買えば煉獄をパスできるという、教会が集金するための道具になった。
もちろん、今のカトリックはそんなことはしない。長く苦しい自浄を経ている。
それはともかくとして、ダンテが地獄や煉獄を回り、歴史上の人物が生前の罪で苦しむ様を、これでもかと描写していく。
日本人に分かりやすいように言うと、紫式部が源氏物語を書いた罪で愛欲地獄に落ち、石川五右衛門が盗賊地獄で無限に苦しむ、といったところだ。
それも、かなり具体的に描いている。ほんの少しだけ集英社版の寿岳文章氏訳から引用してみよう。
『どの穴の口からも罪人の足が、脚部のふくらはぎに到るまで突き出ており、他の部分は穴の中にあった。
あなうらは二つとも火に燃え、そのために関節のひきつれ激しく、綱でも枝縄でもぽきり断ち切れてしまいそう』
ここで苦しんでいる罪人は聖職をカネで買ったとされる、教皇ニコラウス三世である。
ダンテが『神曲』を『口語』で書くことにより、当時の一般信者が、カトリックのイメージする世界観を知ることができるようになった。それも、聖職者を通さず、信者自らが、直接読むことにより、知ることが出来るようになった。
それが世界史の教科書に特筆される理由だ。
そして、宗教改革を経て、やがて一般信者が口語の聖書を読むようになると、プロテスタントが誕生する。
プロテスタントは、信者が聖書を読むことによって神と繋がることが出来るとしている。プロテスタントの聖職者は『信者の中の代表』であり、特別に聖別されたものではないし、神と人との仲介者でもないとされている。
シンガに戻ろう。
「このあたりの言葉を、わしらはトスカーノと言っておる。トスカナ地方の言葉だからだ」
「ローマは、ここからそんなに遠くないけど、言葉が違うの」
「ああ、ロマネスコは、ずいぶんと違う」
「どんなふうに」
「たとえば、『あなた』と言う言葉はトスカーノでは tu でロマネスコでは te だ」
「ほかには」
「『お金』は soldi 、sordi と、発音が違う。『友達』は gli amici に対して、ローマでは j’amici だ」
「トスカーノはラテン語に似ているよね」シンガが言った。
ラテン語の『あなた』は tu だし、ローマの金貨は solidus だった。「友達」は男性複数だと amici なので、ロマネスクは、かなり崩れていることがわかる。
「ああ、このあたりは半島の真ん中に近いので、昔の言葉が残ったのだろう。お前さまはラテン語を知っとるのか、たいしたものじゃ」
ダンテは『神曲』を書く前にイタリア半島の方言を調べて『俗語論』という書を著している。各地の方言を調べた結果、トスカナ方言が最もラテン語に近く、完成度も高い、と判断したらしい。
ダンテや、後のボッカチオの活躍で、現代のイタリア標準語はトスカーナ方言を基盤にしているという。
「フィレンツェは、何の言葉をつかっているの」シンガが尋ねる。
「フィレンツェか、あそこはわしらと同じトスカーノじゃ」
どうやら、シンガ達の目的はフィレンツェにあるらしい。




