ピレトリン
除虫菊は、シロバナムシヨケギクとも言う。その種の部分に殺虫成分のピレトリンが含まれている。なので、種を粉末にして燻すと、殺虫剤として使うことができるし、実際、歴史的に農薬として使われてきた。
最も有名な使用方法が、『蚊取り線香』だ。今ではあまり使われなくなったが、緑色の渦巻型線香を知っている人もいるだろう。
朝倉村の夏実が除虫菊を特定した。このことは、非常に重要な事だ、茸丸はそう思っている。
彼が準備している『第一回学会』で配られる学会誌に掲載するべきだ。そして、広く世間に周知し、除虫菊の栽培を促進すべきだった。
茸丸が夏実に、論文の執筆を薦め、茸丸が共同執筆者となることにした。
茸丸が、夏実の論文原稿を読んでいた。誤字脱字の修正、また論の進め方を指導するためだ。
“今回発見された『殺虫剤』は、除虫菊という植物の種子の部分にあり、昆虫類、両生類、爬虫類に対する殺虫作用がある……”
んっ、両生類、爬虫類にも効くのか、夏実、試したうえで書いているんだろうか。
さらに読んでいくと、“哺乳類、鳥類に対する毒性は低いと考えられる”とあった。夏実、実際に試験しているんだろうか。最後まで読んでみたが、それらに対する実験については書かれていなかった。
茸丸が夏実を呼び出す。
「これ、両生類、爬虫類にも効くとあるが、試したのか」
「試しました。カエルとカナヘビにも効果がありました」
「効果があったのか。そうか。しかし、それならばどのような実験を行ったのか、書いておかなければならない。ただ『効果があった』と結論だけ書くのは良くない」
「わかりました。追加しておきます」
「で、鳥類と哺乳類についてだが、これも試したのか」
「はい、やりました」
「どんなふうにやった」
「鳥類は、近所の子供にスズメを捕まえて来てもらいました」
「簡単に捕まるのか」
「なんか、竹笊を地面に逆さまに置いて、つっかえ棒をするんだそうです、それで地面の所に米粒を撒き、雀が笊の下に入ったら、つっかえ棒に結んだ紐を引っ張ると、捕まえられるんだそうです」
「なるほど、でスズメはどうなった」
「除虫菊を燻した空気で満たした中にいれたら、嫌がってバタバタ羽ばたいていましたが、死ぬことはありませんでした」
「そうか、では、スズメを使ったこと、何分くらい置いていても死ななかった、ということを書かなければいけない。なぜならばスズメ以外に除虫菊に弱い鳥がいるかもしれないし、また、長時間にわたると悪影響があるかもしれないからだ」
「なるほど、そうですね」
「で、哺乳類には何を使った」
「研究所のウサギを使いました」実験動物として、ウサギを飼っていた。
「ウサギでやったのか」
「ウサギは相当暴れたので、デシケーターを抑えるのが大変でした」
「ウサギ位になると、そうだろうな、で、どうなった」
「私の手からエサを食べてくれなくなりました」
「それは、そうだろうが、そうじゃなくって、実験の結果について聞いている」
「ウサギもすごく嫌がっていましたけれど、二分以上閉じ込めておいても死にませんでした」
「ならば、体重何グラムのウサギを使った、体積何リットルの容器に閉じ込めた、何グラムの除虫菊粉末を燻した、そして少なくとも二分は生存していた、その後何週間観察したが、異常は見られない、などと書かなければいけない。また、蚊とウサギの体重比についても検討がなされていなければならない。毒というのは血液中の濃度が効果に影響する」
「そうでした。すみません」
「無害の証明はむずかしいんだ。殺虫効果については、虫が死ねばすぐわかるが、無害の場合には、この方法、範囲では無害だった、という書き方をしなければならない」
「わかりました。やりなおします」
「別のウサギにしてやれよ」
夏実の論文原稿は欠点がある。しかし良い所もあった。それについて茸丸が褒める。
「批判ばかりしたが、とてもいいところもある」
「どこですか」夏実が笑顔になって言う。
「光の影響や有効期間について書いてあるところだ。ここだな」
“この殺虫剤は光に弱いと考えられる。日中の光に一時間晒したところ、効果がなくなった。日光に晒さない場合でも、その効果は一日程度しか持続しない”
「それ、なんとなく思いついてやったんです」
「よく、日光の影響を思いついたな。私では思いつかなかったろう」
夏実がニコニコと笑う。
「日光に弱い、ということは、例えばこの殺虫剤を田畑に使う時には、夕方に燻した方が効果的だ、ということだ。これは、すごいことだぞ」
「えへへっ」
「あと、一日で効果が無くなることを見つけたのも、偉い」
「へぇ、そうなんですか。それ、見つけた時がっかりしたんですけど」
「そんなことはない。一日たったら除虫菊の殺虫成分が変質してしまう、ということは大事なんだ」
「なんでですか」
「仮に除虫菊の有効成分が人間にとって有害だったとしよう」
「はい」
「で、それがいつまでたっても変質しないとしたら、どうなる」
「いつか、人間にとって害になるかもしれません」
「そうだ、だから短時間で変質するということは重要なんだ」茸丸が言った。
現代の農薬は、そのようになっている。野外に数週間ほど置かれると分解されるような化学物質を設計して使っている。こうしておけば、残留農薬が農作物を通じて体内に入ることが少なくなるからだ。
農薬は出荷直前の散布を禁止していて、例えば散布は出荷二週間前まで、などとしているものが多い。




