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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 2
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令外官 (りょうげのかん)

 室町幕府第十代将軍、足利義材よしきは一四九三年の『明応めいおうの政変』で捕らえられ、将軍職を辞した。後に逃走している。

 時の天皇、後土御門ごつちみかど天皇は、自分が任命した将軍を勝手に免職するとはなにごとか、と激怒する。そりゃあ、そうだ。怒るに決まっている。


 そのため、後任の十一代将軍を任命することを拒み、退位すらほのめかす。


 手を焼いた細川政元まさもとが片田に相談する。片田は正四位下しょうしいげ兵部卿ひょうぶきょうという官職を持っている。政元が片田に相談しても不思議ではない。『なんとか、御門みかどを説得できないものか』。


 征夷大将軍を中心にして、政治が幕府によって行われるのは、鎌倉幕府からだ。一一九二年のことだ。以来三百年に渡って、日本には天皇を中心にして律令制で政治が行われている場所と、幕府によって政治が行われている場所が並び立つ二重政権になった。

 そして、次第に幕府の方が強力になり、諸国荘園は守護に浸食されてきた。


 歴史上では、戦国時代を経て、さらに続く三百七十年は、まったくの幕府による政府になる。それが終わるのが明治維新だ。


 征夷大将軍という官職は律令制で定められている官職ではない。このようなものを令外官りょうげのかんと呼ぶ。えびす征討せいとうする軍の統率者ということで、元々は臨時の官職だった。


 戦前の帝国議会を中心とした大日本帝国が、しだいに陸海軍に支配されていった様子に似ているような気がする。日本の政治の性格なのかもしれない。諸外国が、なぜ文民統治が出来ているのか、日本の政治学者は真剣に研究してみた方がいいのだろう。

 まあ、クーデターを起こす国もあるが。


 片田は陸海軍の支配がどのような結末になったか、すでに知っている。そして、七百年近く続いた武家政権を改めるには、この時が唯一の機会だとも思っている。長期にわたる武家政権で、江戸幕府末期を除けば、この時がいちばん脆弱ぜいじゃくだったからだ。


 すでに、東国を除く多くの大名が錦の御旗みはたの元に集結することになってはいるが、それは諸国大名達の合意の上でのことだった。強制力はまだない。

 第二次大戦後、諸国の合意の上で国際連合が運営されているのに近いかもしれない。


 まず、御門みかどを説得する。


「政元達が擁立しようとしている足利義澄よしずみは、幸いまだ、正五位下しょうごいのげです。この機会に『征夷大将軍』を四位しいの官職とさだめましょう」

「そのようなことができるのか」と、御門が下問かもんする。

「源頼朝よりともが将軍位に就任したときには正二位でしたが、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが位についたときには、従三位でした。令外官なので、相当する位階が決められておりませぬ」

「それは、そうであるが、慣例で三位さんみ以上となっているが」

「慣例というだけです。なので、従四位じゅしいと定め、征夷大将軍職を、兵部卿ひょうぶきょうの支配下にすれば、人事権が握れます。将軍職を任命するのは御門ではなく、兵部卿か、ないしは上位の中務卿なかつかさきょうになります。それならば『お上』の顔もたちましょう」

武人もののふ達が、それに納得するであろうか」

「それは、まかせてください。説得します」


 次いで、片田が細川政元まさもとの所に行く。


「というわけだが」

「それを大名たちが納得すると思うのか。彼らは将軍の権威の元で大名となっているんだぞ」さすがの改革派の政元も驚く。

「その将軍の権威をズタズタにしたのは、おぬしと御台様みだいさま(日野富子)と伊勢守(伊勢貞宗さだむね)ではないのか」

「それを、いわれると……そのとおりだが」

「放置しておけば、いくさの世の中になるぞ。だれも彼も実力で大名になろうとするだろう」片田の言が熱を帯びる。


 確かに、山名氏や斯波氏の領国では守護代がなりあがりはじめている。越前えちぜんでは、朝倉孝景たかかげが越前守護の斯波しば義敏よしとしを追放して、自らが越前守護のような振る舞いをしている。


 孝景は、地頭支配地だけではなく、越前国の荘園もずいぶんと切り取り、荘園を奪われた興福寺では、孝景を『天下の極悪人』だとして、尋尊じんそんさんなどが、呪殺じゅさつのための護摩祈祷ごまきとうを行う。

 護摩も、祈祷も、あたりまえだが、まったく効果がなかった。


 唯一、孝景に一矢報いたのは、興福寺別当べっとう経覚きょうがくが放った矢だった。矢の名前を蓮如れんにょという。蓮如が越前国吉崎よしざきで布教を開始し、『加賀一向一揆かがいっこういっき』が動き出す。朝倉氏は百年に渡り、これに苦しむことになる。


「朝廷による政治の復活ということか」

「それでいいではないか。『日の本』の中で、寸土すんどを争って、いがみ合っている場合か」

「しかし、納得するかな」

「こういうのは、どうだ」

「なんだ」

「マラッカに向けて商船団を出す。十隻でも二十隻でもいい」

「なんの関係があるんだ」

「おぬしの船も、左京太夫さきょうだゆう殿(大内政弘まさひろ)の船も連れていく」

「いいのか」

「いい、ちゃんとマラッカまで、片田商店の船が案内する。護衛もつける」


 細川政元も、大内政弘も、交易の相手は明、朝鮮、琉球までだった。それより先は未知の海だ。


「一度、連れて行けば、あとは自分達で自由に交易できるようになるだろう」

「それは、ありがたい」

「マラッカまで自由に商売することを認める」

「しかし、船を持っていない大名もたくさんいる」


 自前の船で交易できるのは、大内、細川、新興しんこうの赤松ぐらいだった。それ以下は船を持っていない。


「片田商店の船で交易をすればいい。船倉を貸し出す。向こうの物価も教えてやろう。こうすれば確実に儲かるだろう。なんだったら、海上保険の世話もしよう」

「それならば、乗って来るかもしれんな。将軍の位が何になるか、より実利がある」


「そうだ。あらそいを止めて、交易でかせげ。敵は海の向こうにいる」

「貴殿は、よくそう言うが、本当に海の向こうに敵がいるのか」

「ああ、いる」


「西国はそれでなんとかなるかもしれない。皆交易の利益を知っているからな。しかし東国はどうする」

「西国の大名が富んでいけば、自然に従って来るだろう」

「では、俺の方から提案してみよう。おもしろい男がいるんだ。使者に丁度ちょうどいいだろう」


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― 新着の感想 ―
この話弱点があるとしたら成り上がりを考えるものはより簡単になるということかな この時代あたりの守護大名なら特に西国は京での生活経験もあって武力だけでなく文化を理解してる そのためお金を武力以外にも使う…
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