窓税 (まどぜい)
一四九五年、グリニッジ宮の四階。ヘンリー七世の応接室。
シンガの左に安宅丸と二人の日本人が並んで席についている。北を向いた席だった。
右手には西側を向いたヘンリー、白い綿のクロスが拡げられているテーブルの向こう側にはヘンリーの重臣が四名、シンガ達の方を向いていた。ジョン・ダイナム大蔵卿もいた。
ジョン・ダイナムの先に北窓があり、遠くにアイル・オブ・ドッグスの湿地が見える。その右側、ブラック・ウォールと呼ばれているところに、高い煙突が一本建っていて、黒い煙を吐いていた。
『グラス・ハウス』とヘンリーが名付けたガラス工場だ。鏡も作っている。建設したのは、日本人のガラス職人の頭だった。
ヘンリーに出来たばかりの姿見を捧げた男だ。ヘンリー王に気に入られたらしい。あれ以来グリニッジ宮に住んで、『グラス・ハウス』の建設に邁進し、歪みのない窓ガラスを安価に供給し始めている。
それまでの窓は、開き戸だった。板で出来ている。裕福な者は薄く削った動物の角を使って、室内を明るくする場合もあるが、それも高価だった。
ガラスの窓を使えるのは、王宮や教会程度だった。
そこに安い窓ガラスが出現したので、大人気になる。
新しく建てられた建物は、窓にガラスが嵌められ、室内が明るくなった。
みんな、ガラス窓がよほど気に入ったのだろう。イングランドの建物の外観も明るくなる。歴史上、イングランドの家屋にガラス窓が使われるようになるのは、もう少し後の、エリザベス女王の時代だが、ガラス窓に対する愛情は変わらない。
どれ程ガラス窓が人気だったか、それを物語るエピソードがある。かつてイングランドでは『窓税』というものがあった。窓の数に応じた税金だ。一軒あたり十枚以上、二十枚以上の窓をもつ家に課税したそうだ。もちろん、枚数が多い方が高い税を取られる。
十八世紀から十九世紀に行われた税制だった。
なんで、『窓税』なのか。実は当時は所得税というものがなかった。個人の収入はプライベートなもので、国にそんなことを知られる必要はない、そうイングランド人は考えていた。いい時代だ。
そこで、一六九六年、スチュアート朝のウィリアム三世王の時に、窓税が導入された。窓をたくさん取り付けている家は、収入も多いはずだ。そう考えた。
背景にはイングランドとフランスの植民地獲得競争があった。
たくさんの窓ガラスを設備する予定の、ステキな家を建設中の国民があわてる。税は毎年とられるものだから、なんとか少なくしたい。そこで、泣く泣く建設途中の窓にあたるところを煉瓦などで塗りつぶして、納税額を少なくしようとした。
現代のイングランドに、そのなごりがある。建物のデザイン上、明らかに窓が置かれるところが塗りつぶされている建物が、まだところどころに残っている。
ロンドンの街中にそのような建物はほとんど見られなくなっているが、例えばブライトンというドーバー海峡沿いの避暑地などには、まだ数多く残っている。
Googleマップの衛星画像でも、海岸沿いの白い建物などに見ることが出来る。ストリートビューにすると、よりはっきりわかる。
「王さま、今日は面白い物をもってきたんでさぁ、一つ見てやってくれませんか」職人頭が言う。流暢な英語だった。
ただ、『八っつあん』『熊さん』が大家に話しかけるような口調である。シンガがひやひやする。
「何を持ってきた。マスター・ホーヤ」王が言った。職人頭の名前が保谷という。マスターと付けているところを見ると、一定の敬意があるらしい。
「こいつは、加賀久っていって、私の仲間のガラス職人なんですけど、こんなものを作ってみたんでさ」
加賀久と言われた男が紫色の袱紗をテーブルに取り出し、なかからカットグラスを出した。赤と青の色ガラスをカットしたゴブレットだった。
江戸切子とも言う。
「ほう、これは見事なもんだ。ガラスを削って模様をつけたのか」
「はいそうでさぁ」
シンガが翻訳する。加賀久は、まだ英語を話すことはできない。
「持ってみてもよいか」ヘンリーが尋ねる。
「どうぞ」
ヘンリーが青いゴブレットを持ち、顔に近づける。
「ガラスとは、少し違うようだな。水晶みたいな輝きだ」
「はい、鉛ガラス」といいます。
クリスタル・ガラスのことだ。酸化鉛を添加している。鉛といっても、溶けだしてくるわけではないので、食器に使っても問題ないそうだ。
「これは、よいものだな」
「さしあげます、お妃様とお使いください」
「くれるのか」
「はい」
「なにも出ぬぞ」ヘンリーが保谷に言う。
「そんな、水臭い。下心なんぞありません」保谷が言う。『水臭い』を英語で何というか、筆者は知らないが、シンガはドキドキする。
「これ、わが国でも作れるのか」
「作れます。方法をお教えします」保谷が言う。このあたりは加賀九と打ち合わせ済みだ。その覚悟もないのに、ただ見せるととんでもないことになる、それは保谷も分かっている。
「ただし、色付きの物はつくってくれるな、と加賀久は、言っています。このようなものであれば、作っていいそうです」そういって、無色のカットグラスを渡す。
「これでも、十分売れるだろう、クリスタッロとは、また別の趣がある」
クリスタッロはヴェネツィア特産の無色透明のガラスだった。このガラスで作ったワイングラスに毒を入れると割れる、という噂があり人気があった。
ヘンリーが少し考えていった。
「これを、アイルランドで作りたいのだが、向こうに工場を作ってくれるか」ヘンリー七世が言った。
「へっ、ブラック・ウォールじゃなくって、アイルランドで作るんですか、そりゃまたなんでですかい」保谷が言う。




