ガラス製造機
グリニッジに戻った『川内』から、ヘンリー王と安宅丸達が下船する。
続いて、ガラス職人達が降りてくる。さらに水夫たちが、ガラス製造機の模型を運び出す。
「お城のなかに、ガラス製造機を拡げられるような、鍛冶場のような所はありますか」職人の頭が尋ねる。
王が武器鍛冶を呼び、仕事場を案内させる。
もどってきた頭が言った。
「いいでしょう。十分な広さがあります。ガラス製造の仕組みを見せるだけならば十分でさぁ」
シンガがイングランド王に説明する。
「よかろう。ガラスと鏡を作って見せてくれ」
その頃、『川内』の無線室。無線室は艦長室の一つ前にあり、イングランド王が乗船中には、内部から鍵を掛けていた。
さすがに、無線機を見せることはしない。
「イングランドの王が、本日、自ら乗艦なさいました。つい、いましがた下船したばかりです」
「条約は締結できそうか」堺から尋ねてくる。
「イングランド王は上機嫌だったそうです。あとはガラス製造の実演をして、こちらの条件に偽りがないことを示せれば、締結の運びになりそうです」
「まだ、わからない、ということか」
「実際に締結されたら、またお知らせします。いま言えるのは実現の可能性は高そうだ、というところまでです」
翌日、模型が出来たと頭が言って来る。
王や大蔵卿、他の政府の中枢が集まってきた。ポーツマスの港湾長官の姿もあった。
「ガラスの材料は、どこにでもある川砂の中の、透明に輝く砂です。篩でよりわければ、誰でも材料を採れるでしょう」
「その砂に二つの粉を混ぜます。一つはタマゴの殻を細かく磨り潰した粉で、もう一つは重曹です。タマゴの殻は、この国でも作れるでしょう、重曹がもしなければ、いくらでも販売できます」
「これは、蒸焼石炭といいます。これで千二百度という高い温度が出せます。炉の上に砂を溶かす皿を置き、川砂と二つの粉を混ぜて入れてやると、このように溶けてガラスになります」
そういって、赤く光る透明な液を指さした。
「皿にどんどん原料を入れていくと、ガラスが皿から溢れます。皿の一方は縁が低くなっていて、そこからガラスが流れ出します」
「溶けたガラスが流れ出したところにある、箱に入った水銀のようなものはなんだ」
「それです、『おいら』が工夫したのは」そう職人頭が胸を張る。
「この水銀のようなものは、錫です。二百三十度で溶けだすのですが、ガラスより重いので、ガラスが錫の上に平たく拡がります」
シンガが『錫』を『Tin』だと言った。
「食器やオルガンのパイプに使う錫か」イングランド人が尋ねる。
「オルガンパイプがどのようなものか、知りませんが。私もこちらに来て錫の食器を使ったことはあります。たぶん、その錫です」
「錫は三百度くらいなので、ガラスはゆっくり冷えながら、箱の反対側にたどりつきます。その先には、五つの鉄製の円筒が上下に並べられています。円筒はこの折軸で回してやります」
「半分固まったガラスが、この間を通り抜けるうちに、さらに平たくなり、反対側に着いた時には温度も下がっています」
「適当な長さになったところで、定規をあて、先に金剛石を嵌めた鑿で直線の傷をつけます」
頭が、防熱手袋を嵌めた手で、得意そうに線を引いて見せる。ここが一番の見せ場だと思っているのだろう。
「そして、パンッ。とすれば、ほれ、まっすぐにガラスが割れます」
パリンというガラスの割れる音がして、長方形のガラスが出来上がった。見事にまっすぐに割れた。
見ていたイングランド人達が、ほぉう、という声をあげる。
「どうです、よくごらんになってくだせぇ。まったく歪みがないでしょう」と、自慢する。
「たしかに、向こう側が、なにもないかのように、そのまま見えるな」
「こりゃあ、ヴェネツィアのガラスより上質だ」
「色も全くない。水のようじゃないか」
「そうでしょう、そうでしょう。これは模型ですが、実際にガラス工場を作れば、もっと大きなガラスを作ることが出来ます。そして、これだけ上質なガラス板ならば、こんなことも出来るんでさぁ」
そういって、予め冷却済みのガラスを入れた、開いた木箱を見せる。本くらいの大きさだった。
「ここに、この特別の液体を流し込むと。さて、皆さん、お立合い。しばらく待ってくださいね」だんだん説明が凝ったものになってくる。職人の頭というより、大道芸人のようだ。
シンガが翻訳に苦労する。
みなが覗き込んでいると、ガラスの色が変化してくる。
「なんか、黒くなってきたな、これじゃあ、ガラスの役にたたないぞ」
「もう少しの、我慢です」
「あれ、黒い所が銀色になってきたぞ」
「そうじゃの」
『そうじゃの』とは、英語でなんて言うのだろう、『That’s right.』かの。
「もう、いいでしょう」そういって余った液体をバケツの中に捨てて木箱を外し、水洗いして、反対側を皆の衆に見せた。
「あ、鏡じゃないか。こんなにあっという間に出来るのか」
職人の頭が、あらかじめ用意していた、木彫りの装飾を入れた枠に鏡をはめ込む。ちょっとした姿見に変身した。
ヘンリー王に向かって跪き、鏡を王に捧げる。
「お妃様に、どうぞ」
いつの間に、そんな芸当を覚えたんだ。鍛冶場の鍛冶職人にでも教えてもらったのか。
「ヴェネツィアの商人は、鏡は作るのに一カ月以上かかると言っていたぞ、だから高いんだ、とな」
「それなのに、ヴェネツィアのものより上等な鏡が、すぐに出来るのか。こりゃすごい」
「確かに、これを大陸で売れば、儲かるであろう。しかも、彼が言うところによると、もっと大きな鏡を作ることも出来るらしい」大蔵卿が思った。
イングランドと日本の友好通商条約が署名された。この件は片田が天皇の承諾を得ていたので、両国間の条約として成立することになる。
この時期の皇室は、幕末の皇室よりもはるかに弱い立場にあった。片田が来るまでは、生活もままならないほどだった。攘夷など、考えたかもしれないが、主張は出来ない。
細川政元も同意していた。彼は貿易が国を富ませるということを知っている。
赤子のヘンリーが積木で作るものが変わった。『外輪付きの帆船』を作っている。将来大艦隊を建設することになる子らしい遊びだ。




