洛陽新報売り(らくようしんぽう うり)
この時期に取引所で『南洋株』を取引していたのは、主に二つの勢力である。一つは急速な株価上昇を期待して、高利の借金をして株を購入していた勢力。仮に借金勢と呼ぶ。もう一つは余剰資金を投資して南洋株の値上がりを期待する勢力。これは土倉や問丸、寺社など、運用資金を持っている勢力、これは運用勢と呼ぶことにする。
「あーっ、こりゃあ駄目だな。琉球貿易は、もう片田商店のものになるだろう」借金勢の一人が嘆く。
「少し損をしても、ここは売っておくか。今売っておけば、通しで利益は残るからな」もう一人の借金勢がため息をつく。彼は手持ちの南洋株を売りに出した。
「売るのはいいが、買い手がつくか」
「さあな、成行で出してみるかな」
運用勢は、どちらかというと様子見であったが、値上がりを期待して、南洋株を購入する者もいた。
「別に、南洋社が琉球貿易を止めるわけではないだろう。ジャンク船を持っているのだから」
『南洋社』のジャンク船が琉球の有力者の所有であることを知らないらしい。
『売り』と『買い』がしばらく交錯するなか、次第に『売り』が優勢になった。南洋株の『売り』の板に、『成行』の札が増えていく。
『成行』株にも下限を設けることが出来る。その下限が四百五十貫、四百二十貫、四百貫と、下がっていく。それでも約定するのはわずかだった。運用勢は様子見に回ったようだ。
昼過ぎに、『売り』の下限が三百八十貫を下回る、取引所が『南洋株』の本日の取引を停止した。値動きがあまりに激しいとき、取引所の判断で取引を停止することが出来る、そういう取り決めになっていた。
南洋株に注目していた投資家が取引所から引き揚げた。
慈観寺の東にある『総本家しろむすび』屋。ここは、取引所から近いので、『おたき』さんの店と共に投資家がよく訪れる。
今日も取引所から引き揚げた投資家が集まっている。
「いやぁ、まいったな。四月からこっちの利益がふっとんだ」借金勢の一人が言う。
「俺なんか、赤字だぞ」
「『南洋株』は、潮時かな。琉球から帰ってきた片田商店の株でも買うか」
「片田商店は、取引所に上場していないぞ」
「そうなのか」
「ああ、片田は上場していないが、堺の戎島造船は上場している。そっちの方がいいかもしれんな」
「それは、いいかもな。堺だけじゃなく、尼崎や兵庫の商人達が片田の琉球貿易を見て、一斉に船を発注しているというぞ」
「ああ、その噂聞いたことがある。琉球までとはいわないにしても、国内貿易でも、頑丈な竜骨船がいい。欲しがっている商人は多いだろう」
「つぎは、戎島造船かな」
懲りない連中である。
彼らがぼやいているところに、『総本家しろむすび』屋に『洛陽新報売り』が入ってくる。片足が不自由なのか、松葉杖に寄りかかっていた。
「洛陽新報っ、いらんかな」店内でも遠慮なく呼びかける。
「今日は何の記事だ」
「今日は三枚組の大特集だ。目玉記事は、南洋株購入者の詳細な一覧だ」
「南洋株の購入者だと、そんなの南洋社が毎月報告書を出しているだろう」
「そうだ、俺の名前も出ているだろう。マヌケな値段で南洋株を買ったやつ、としてな」
「誰がそんな物、買うか」
「ところが、ところがだ」『洛陽新報売り』が言う。
「なんだ」
「今日の洛陽新報には、取引所外で南洋株を売買した者の一覧もある。守護債と転換した者の名前もだ。取引した守護債の枚数も、取引の際の株価も掲載している」
「なんだと」皆の目の色が変わる。
「なんで、そんなものがわかるんだ。守護債と南洋株の転換は大部分が取引所外だ。分かるわけがないだろう」
「そうだ、そうだ。そんなの、『うさぎや』の野洲弾正忠本人にしかわからないはずだ」
「ところが、それが全て、この洛陽新報に書いてある。特集号だから、一部五文だ。どうだ、求める者はおらんか」
店にいる投資家たちが、紙幣や銭を差し出して、競うように洛陽新報を求めた。




