投資信託(とうし しんたく)
『うさぎや』こと、野洲弾正忠の『南洋株の発行は取引所だけにする』という方針のため、南洋株の株価はさらに上昇する。
七月を待たずに一株額面十貫の株が四十貫を超えた。
細川勝元の守護債と南洋社新株の交換、それを密かに行うことが出来ない、と分かった守護債保持者達は、取引所で堂々と競るようになる。
『総本家しろむすび』屋の客席。
男が『あんぺい』を肴にして焼酎を舐めている。手には洛陽新報があった。
見出しには、『順風満帆、戦後の南洋社船、続々尼崎に入港』とある。
いつもは辛口な洛陽新報であるが、南洋社については気の抜けたような記事を書く。それもそのはずだ。世間では知られていないが、洛陽新報は、藤林友保の組が発行している。
仲間らしい男が『総本家』に入ってくる。
「おう、どうだった」
「ああ、いましがた取引所に行ってきた。神器株と石鹸株を売って、南洋株三枚百二十貫で手に入れた」
「百二十貫って、もう四十貫を超えたのか。すごいな」
「お前は、幾らのときに買ったんだ。南洋株」
「俺か、俺は十日前に三十七貫四百で五株買った」
「すると、一株あたり二貫と六百文だから、十日で十三貫の儲けか。いいな。俺ももう少し早く決断しておけばよかった」十三貫というと、一文七十五円とした場合、九十七万五千円ほどになる。
南洋社が六月の収支を取引所に報告、公示する。売上も利益も倍増している。南洋社は、この売上、利益の多くは、株式発行によるものだ。と説明していたが人々の記憶にはとどまらないようだった。
「そういえば、先月は幾つもの南洋社の琉球船が尼崎に入ったそうだ」
そのような声ばかり聞こえてくる。
その発表を受けて、南洋株はさらに、五十貫、六十貫と値を上げた。
南洋社の新船建造費用は、すでに調達できていた。後は細川勝元の守護債の回収が主になる。
野洲弾正忠は、株価があまりに急騰すると、どうなるのか、見当もつかなかった。なにしろ経験がないことだからだ。しかし、急激な動きというものに対する警戒心は持っていた。
京都にいる細川勝元の家臣、薬師寺元長と相談し、発行株式を十株単位、額面百貫に変更することにした。
資金の流入を抑えるためであった。
一枚が十株、額面百貫にすると、時価にすると六百貫の単位で取引しなければならない。一般の投資家は、なかなか手が出せないだろう。
そういう目論見だった。
いつの時代にも利口な者がいる。この時代にもいた。
『うなぎや』という投資信託会社が出来た。いかにも『うさぎや』と誤解させよう、という会社名だ。
社長の名前は沼野鯉次郎という。本名かどうかわからない。
投資信託業を開業するためには、現在の日本であれば総理大臣の免許または登録を受ける必要があり、金融庁の指導を仰ぐことになる。銀行や証券会社と同様の厳しい運営が求められる。
しかし、この時代にそんなものはない。勝手やり放題である。
投資信託というと難しそうであるが、『うなぎや』の社長、鯉次郎の事業は比較的わかりやすい。
・『うなぎや』が南洋社の十株券を購入する。
・その株券を担保として、南洋社株の分割債券を発行する。
・それぞれの分割債券を購入希望者に販売し、販売時に購入代金の二十分の一を手数料として徴収する。
・『うなぎや』はいつでも、顧客の求めに応じて分割債券を南洋株の時価で買い戻す。
というものだ。
株価が上がっているときには、人々は分割債券を求める。手放そうとするのは、資金が必要になった時か、株価が下がった時である。『うなぎや』が南洋株を入手次第、日を置かず即座に分割債券を販売し続けることが出来れば、損することはなさそうである。
売り文句は、
『我々にも門戸を』
だった。
具体的に言うと。
『うなぎや』が南洋社の十株券を六百貫で一株購入する。鯉次郎が十枚の『南洋<分>』というミニ債券を発行する。分とは十分の一という意味だ。鯉次郎は購入希望者にこの『南洋<分>』を、手数料を含めて六十三貫で販売する、というものだ。
購入者は、現金が必要になれば、いつでも『うなぎや』が、その時の南洋株価格の十分の一で分割債券を買い取る。
最初の『南洋<分>』十枚は個人投資家に、あっというまに売れた。鯉次郎の利益は手数料三十貫だった。
最初の十枚が首尾よく売れたので、その売上と利益で次の南洋株を買う。
買い手の裾野を拡げるために、南洋株をより多く分割した。
『南洋<分>』、『南洋<厘>』、『南洋<毛>』、 『南洋<糸>』、『南洋<忽>』などの商品を次々と発表した。
それぞれ、南洋株が六百貫の時、<分>が六十貫、<厘>が六貫、<毛>六百文、<糸>六十文、<忽>六文である。
なんと、『南洋<忽>』などは子供でも買おうと思えば買える金額である。
「オレ、『父ちゃ』に頼んで、『南洋<忽>』を二枚買ってもらったんだぞ」
「なんだ、ナンヨウコツって」
「知らねえのか。小遣いを銭でもらってもいいけれども、『南洋<忽>』でもらえれば、翌月には二倍になるんだぞ」
「翌月まで、小遣い使うのをガマンできるかよ」
「しょうがねぇな。将来のことをよく考えた方がいいぞ」
「ふにゃあ」
「余計なことしやがって」『うさぎや』こと、野洲弾正忠が、『うなぎや』の仕事を見て歯ぎしりした。




