株式の買い占め
楽民銀行の支援により、片田村とその周辺で、多くの組が作られ、それぞれに生産活動を行った。手工業的な小規模なものから、工場を建設するものまで、規模は様々だった。
身の回りの物、農機具、運搬具などが主な生産品であった。
いくつか例を挙げていこう。
様々な桶や樽などの木工品。壺や皿などの陶器類、箸については、既に紹介したが、竹製の箸立て、焼き串、楊枝、薬味入れなども作られた。
鉄を利用した様々な工具、剃刀などの刃物。綿製品や布団。麻製の蚊帳。
鉄製の鎌、鍬。除草機、脱穀機。
一輪車、様々な背負い籠、荷車、大和川を行き来する魚簗舟を造る組まで出てきた。
足踏み脱穀機、唐箕、籾摺り機、これら三種の神器の出張貸出を行っていた組は、それぞれの機械を製造する大掛かりな工場を建設することにした。
最近は出張貸出ではなく、機械の購入を望む村が増えてきたためだ。
工場の建設にあたり、楽民銀行からの資金融資では間に合わないので、株式を発行した。
この『神器株式会社』の株は、取引所で額面より高い価格で購入されていった。会社の知恵者が、株式を逐次売却していったので、売却の度ごとに、さらに高値で買われていった。
工場の建設が始まると同時に、神器株式会社の営業担当者達が近畿一円、山城、摂津、河内、和泉などを回って脱穀機などの実演を行う。
「今時、大和では脱穀は、このようにやっている、いつまでもチマチマと扱箸で脱穀している時代ではない」
相方が合わせる。
「見たか。これが、来たり、扱けり、勝てり、だ」
どこでカエサルの言葉を覚えたのだろう。
彼らは、それぞれの地方に、まずは出張貸出の組を作らせ、大和と同じように始める。やがて村々が神器を購入することになるであろう。
農村では、飢饉により人手が減っていた。夏に除草機が、そして収穫後に神器が使えるのであれば、それを前提にして、作付けを増やすことが出来る。
工場が完成し、製品出荷台数も年を追う毎にウナギ上りに延びてゆく。
いままでになかった機械を売っているのであるから、ブルーオーシャンである。
南都(奈良)の土倉が、この『神器株式会社』に目をつける。彼らは秘密裡に神器会社の過半数の株式を買い占めた。
会社の方針は、株主会議での議論と、一株一票の多数決で決めることになっているので、土倉が経営を掌握する。
「これは、大丈夫だろうか」大橋宗長さんが心配する。心配するが自由経済を建前としているので、口を出すことが出来ない。
土倉側は、現在で言う所の社内規定を次々に制定し、株主土倉に大半の利益が集中するように会社を変えていった。
「こりゃあ、とんでもねぇことになった。機械を作っても、ちっとも儲からん」
「俺たち創業からの役員も、役員規定、役員報酬規程とかいうもので、少しもいいことがなくなった」
創業者達が次々と退職していった。彼らはそれぞれに熟練技術者を引き抜いていく。
各地で神器修理の組が出来る。創業者たちが立ち上げた組だった。彼らは修理業で、当座の収入を手に入れた。
一方、『神器株式会社』の工場では、生産台数が減少し、故障しやすく、効率も悪くなった。熟練者がいなくなってしまったからだ。
創業者達は、神器を修理し、性能を上げることが出来た。
神器を作るには、針金、材木、歯車などの材料を仕入れなければならないが、それらを販売する組との関係も希薄になり、仕入れに苦労するようになる。
どの組も、土倉による金の暴力にいい顔はしなかった。
やがて、『神器株式会社』の株価が低迷する。そして凋落した。
土倉は安い価格で株式を創業者達に売り渡し、去っていった。彼らは工場を取り戻した。
現代の株式市場で、このような極端ことが起こることはない。少なくとも今のところは。
しかし、市場創成期、あるいは社会が荒廃する時には、このような乱暴なことも起きる。




