盗(ぬす)み
小猿の報告に対して、藤林友保から、倉庫にある篩を盗め、と指令してきた。
やはり、そうするのか。
その日から、小猿はミカン程の大きさの柔らかい粘土を懐に忍ばせることにした。倉庫の鍵は鍛冶丸が持っている。
機会を捉えて、その印影を取らなければならない。
小猿は安母(アンモニア)製造装置の配管に、他にも触媒筒があるのではないか、と探した。
何か所か、最初の触媒筒と同じようなものを見つける。外側からなので、正確ではないが、径は三種類ある。最初の筒が約四寸(十二センチメートル)、他に三寸と五寸の触媒筒があった。
片田村の村営食堂に、鍛冶丸と鳶丸がいた。向かい合って昼食を食べている。
今日の定食は、干鱈を醤油とショウガで煮たものだった。
「鳶丸さんは、どこの出身なんですか」鍛冶丸が尋ねる。
「笠置です。笠置の樵の家で生まれました」
笠置は木津川上流の村だった。小猿の本当の出身は、下柘植ノ小猿というように、伊賀の下柘植である。下柘植は、現代の関西本線新堂駅の東方にある。
笠置ならば伊賀のすぐ西で、言葉も似ている。
「ここに来る前には、何していたんですか」
「若気の至りで、足軽をやっていました」
「戦場に出ていたんですか、すごいですね」
「足軽など、ただの盗賊、人殺しです。嫌気がさしてやめてしまいました」
「それで、片田村に」
「はい、ここならば人間らしい仕事ができて、暮らしも立ちます」
「ご家族は」
「独り身で村に来ました」
鍛冶丸は鳶丸に関心がある。できれば工場の幹部にしたい。
「結婚はしないのですか」
「もうすこし蓄えが出来たら、考えようと思います」
「そうですか、それは楽しみですね」
家庭を持とうという考えがあるならば、安定した仕事振りが期待できるかもしれない。まだ二十一歳になったばかりの鍛冶丸だった。自分も結婚していない。このあたりは石英丸からの受け売りだ。
鍛冶丸が味噌汁を飲む。片田が外山に来た頃は、塩汁が一般的だったが、片田の勧めで、味噌汁を飲む習慣がついた。
「午後は安母(アンモニア)タンク圧力計の交換をしよう」
「なにか、特別注意することはありますか」
「うーん。そうだな。強いて言えば、安母タンクは他のタンクより圧力が高い。気を抜くときに、ゆっくりやるように注意したほうがいいかな」
事務所に戻った二人が、倉庫に向かう。鍛冶丸が鍵を(ふところ)から取り出して扉を開いた。倉庫の中の整頓は良いとはいえない。
「圧力計は、こっちだ」そういって鍛冶丸が、鍵を右手に握ったまま、倉庫の右側奥に進む。
「ここだ。いくつか圧力計がある。計器盤の青い扇型が、物によって違うだろう」
「そうですね」
「青い扇型の範囲に針があると、タンク内が適正圧力だ」
「はい」
「この、右下に扇があるやつ。これが安母タンク用だ。右下まで針が回るということは、それだけ高圧だという意味だ」
「低圧だと、針が左下で、時計回りに右下まで回るんですよね」
「そうだ」
そういって、鍛冶丸が背中を向け、左手を圧力計に伸ばす。
背後の小猿は、右手の壁に立て掛けてあった細い竹竿を音が出ないように、足で払う。
竹竿が三本、鍛冶丸の背中めがけて倒れ掛かる。鍛冶丸が小さな叫び声をあげて膝をつく。右手の鍵が床に落ちる。
あっと声をあげて小猿が駆け寄りざま、鍛冶丸の背後に寄り、左手で鍵を拾う。右手で懐から、すばやく粘土を取り出し、鍵を押し付けた。鍛冶丸の顔は向こう側の床を見ている。
「大丈夫ですか」小猿が声をかけながら、粘土から鍵を外し、手拭で拭う。粘土は懐に収めた。
見られてはいない。
「うん、平気だ」そういって、鍛冶丸が膝を叩きながら立ち上がり、小猿の方を振り返る。
「圧力計が壊れなくて良かった」
「これ、鍵落としましたよ」
「ああ、ありがとう」そういって鍛冶丸が鍵を受け取る。
「こんどの棚卸の時にでも、整頓しなくちゃいけないな。倉庫の中、ちょっとひどすぎる」
その日の帰り、小猿は道端に捨ててあった鍬の柄を拾う。カシ材の硬い柄であることを確かめる。
鍬の柄を削って粘土の型に合わせて木製の鍵を作る。
深夜、小猿が工場に忍び込み、倉庫の扉を手製の鍵で開ける。
マッチを擦り、わずかな明かりで、三種類の篩を一枚ずつ抜き取り、持参した背負い袋に入れる。
元のように倉庫の鍵を閉め、小猿は闇の中に消えた。




