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戦国の片田順  作者: 弥一
戦国の片田順 外伝
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夏越の祭り 2

『あや』が『いと』と別れ、また少し歩くと石英丸せきえいまるの妹が露店を出していた。棚の上を見ると、まず目についたのはレンズだった。虫眼鏡むしめがねという札が出ている。凸レンズに持ち手を付けたものだ。

 隣には算数セットのようなものが置かれている。物差し、三角定規、コンパス(ぶんまわし)、カラスぐちなど一式が入っている『算数一式』という商品だ。

<石英丸らしいものを売っているけれど、こんなもの欲しがる人がいるのかしら>『あや』が思う。


 小さな女の子が棚の脇で駄々をこねていた。それを子守役の『えのき』がなだめようとしている。

「だって、物差しは、買った算数一式に入っているでしょう」『えのき』が言う。

「ちがう、これは定規じょうぎだ、物差しとは違う」小さな女の子が言う。『かぞえ』という名前の五歳くらいの子だった。一式に入っている物差しとは別に直線定規が欲しいと言っているらしい。

「違わないでしょう、まっすぐだし、目盛めもりもあるし」『えのき』が言う。

「全然違うものだ」


「確かに、兄(石英丸)が言うには、物差しと定規は違う物らしいわ」妹が言う。

「どう違うのよ、見た目おんなじじゃない」

「さて、どう違うのかまでは、覚えていないわ」


「定規は直線を引くものだ。物差しは長さを図るものだ」『かぞえ』が言う。

「そういえば、そんなようなことを言っていたわね」

「見て、物差しのゼロは、板の端にあるでしょう、端を押し付けて、長さが測れる。定規のゼロは端から離れたところにある。端を押し付けて測れない」たしかに言う通りだった。

「そんなの、どっちでもいいじゃない」『えのき』が言う。


「よくない、じゃあこれは」『かぞえ』が定規の断面を『えのき』に見せる。

「それが、なに」

「ここ、斜めになっているでしょ」

「たしかに、片側が斜めになっているわね」物差しの断面を見てみると、直角だった。

「斜めになっているので、カラス口を付けても墨が紙にみない」

 カラス口とは、つけペンに似た仕組みの製図用の筆記具だ。軸を付けて手で持つこともできるし、コンパスの先端に取り付けることも出来る。


「なるほど、そういうことか、定規はカラス口で直線を引く道具、というわけね」『えのき』が納得する。


「でも、算数一式分の銭しかあずかってきていないのよ」


『かぞえ』が黙って『えのき』をにらむ。引き下がるつもりはないようだった。


「わかったわ。定規が物差しと違うのならば、最初っから算数一式に両方いれておけばよかったのよ。兄が悪い」石英丸の妹が折れた。

 彼女が、『かぞえ』が買った算数一式の袋の中に、定規をさしこんだ。『かぞえ』が微笑ほほえ


「変わり者って、いるものよ」それを見ていた『あや』がつぶやいた。


 参道の反対側を見ると金魚売りが水を張った桶の向こうに陣取っている。『金魚すくい』ではない。当時、金魚は日本に来たばかりの珍しいものである。

珍品に対して、そんな野蛮なことはしない。

 なんでも、前回の遣明船けんみんせんでもたらされ、当初は堺の近くで養殖しようとしていたらしいが、筒井や郡山こおりやまあたりの溜池ためいけに放してみたら、繁殖したという。

 金魚売りの脇には、ガラス製の金魚鉢が幾つか置かれていた。そういえば、鍛冶丸達があんなものつくっていたっけ。


 金魚売りの隣にも桶を前にした男がいる。参道のこちら側は、崖から沢水が流れ出しているので、水を使う屋台が多い。


 男は鍛冶丸かじまるだった。ラムネを売っている。

 桶のなかに、最近試作した冷凍庫で作った大きな氷が置かれている。


去年の秋にヤマボウシやガマズミの実を集めてつぶす。自家製の酢を作っている家からもらってきたあわをかけて、数か月寝かせて果実酢をつくる。

 今年の初夏に取った野イチゴ、グミ、ヤマモモなどを潰して、綿布でし、果汁を作る。

 重曹と果実酢と果汁、冷水をビンの中に入れて混ぜる。重曹と酢が反応して二酸化炭素の泡が出てきたところで、ビンを逆さまにする。ビンの中に入れたビー玉が炭酸ガスで圧迫されて、ビンに密着する。炭酸により果汁が鮮やかに変色する。

 コルクもゴムも無いので、ビンとビー玉が接するあたりには、太い木綿紐が充填材じゅうてんざい替わりに貼られていた。


 重曹は、当初のレンズを手作りしていた頃には、朝鮮半島から輸入したものを使っていたので高価だった。

しかし、すぐに食塩水を電気分解した溶液に二酸化炭素を吹き込むことにより、村内で自給できるようになった。

 その後、飽和食塩水を作り、さらにアンモニアを溶かし、その液体に二酸化炭素ガスを通すと、重曹が沈殿することを、石英丸が偶然発見した。ソルベイ法である。

 なので、重曹は炭酸飲料に使えるほどに安価になった。


「よう『あや』じゃないか。ラムネ飲んでいくか」

 両替所の店番から解放された後、なにも飲んでいなかったのを思い出す。

「そうね、一ついただくわ」

一文いちもんだ」そういって、木製の道具でビー玉を押し込む。ビンから炭酸の泡があふれる。


『あや』が銭を渡し、それを飲む。

「五月の節句の時に飲んだのより、おいしくなってるわね。すごいじゃないの」

「まあな。毎回すこしずつ配合を工夫している」


薪能たきぎのうを見に来たのか」

「いえ、店を出しているの。弟たちにまかせているので、様子を見に来たのよ」


 この春日社は、ある能の流派の発祥はっしょうの地であった。


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