祐清(ゆうせい)
寛正三年(一四六二年)。五年程前の事である。
和泉国、若松荘に仁和寺より、祐清という名の若い僧が、直務代官として派遣された。前年の疫病で前任者が死亡してしまっていた、その後任だった。
長禄三、四年(一四五九、六〇年)と飢饉が続いた後に来た疫病であった。大和、河内は片田商店の布施や肥料の配布で、被害が少なかった。しかし、和泉国など他の国々は、史実どおりの被害が出てしまっていた。
祐清は二十五歳であった。直務代官としては少し若いが、若松荘はそれほど難しい荘園ではなかったので、仁和寺は彼に任せることにした。
荘民は反抗的ではなく、地頭の小谷氏とも住み分けが出来ていて小競り合いもなかった。
従って、仁和寺が祐清に期待したのは、飢饉疫病からの復興だった。
「ここが代官屋敷です。屋敷といっても、小さくて恐縮ですが、でも風呂があるのが自慢です」現地荘官が、若松荘に着いた祐清に、彼が住むことになる屋敷を見せた。
「これで十分ですよ。身の回りのものもたいしてありませんから」
祐清が言う通りだった。彼の荷物は、背中に背負い縄で結び付けた葛篭一つきりだった。
これまでの雇われ代官が荷駄の列を連ねてきたのとは、ずいぶんと違う。
「そういってくれると、助かる。で、身の回りの世話をする者なのだが」現地荘官がそう言って勝手口を開け、子供を祐清の前に連れ出した。
「もうしわけねぇが、人手が少ないので、こいつを使ってやってほしいんだ」
「子供ですか。見たところ五、六歳くらいのようだが、台所や洗濯が務まりますか」
「いや、これでも十歳になる。続く飢饉で村の子供は皆育ちが悪い。見た目はこのようだが、家事一通りはこなす。わしの隣の家に住んでおったのでよく知っている」
「住んでいたって、家族はどうしたのです」
「両親も、爺婆も、兄弟もみな飢饉と疫病で死んだ。末娘のこいつだけが生き残った」
「それでは、雇わないわけにはいかなくなりますね」
「そうしてくれると、助かる」現地荘官がそういって、笑う。
“先の飢饉、京都もひどかったが、こちらも悲惨なことになっていたのだな”祐清は思った。
現地荘官が子供に向かって言った。
「おい、雇ってくれるそうだ。よかったな。名をなのるがよい」
「……たまがき、です」
「たまがき、か。分かった。雇うことにする」
現地荘官は『たまがき』を残して帰っていった。
「では、まず風呂を沸かしてもらおうか。旅の垢を落としたい」祐清は『たまがき』にそう言って様子を見ることにした。火の扱いができれば、大概のことは任せられるだろう。
『たまがき』は、井戸から湯槽に水を入れる。慣れた手つきで火口に火を点け、薪を燃やし始める。湯を沸かしている間も、釜から離れようとしない。大丈夫そうだな、と祐清は思った。
祐清が風呂から上がった。
「『たまがき』も風呂に入ってくるといい」そう声をかける。
「私も入っていいの」
「ああ、はいってこい」
この時代に庶民が風呂に入るのは、寺に行ったときくらいであった。
祐清は、明日からの仕事のため、現地荘官が置いて行った荘園の土地台帳を調べ始めた。
台帳の上半分には耕作地とその広さが反で書かれている。下半分には、それぞれの耕作地を担当する耕作者の名前と、彼が住む小字が書かれていた。
耕作者名に朱墨で線が引かれているのは、亡くなった者であろう。
この台帳が作成されたのが六年前であったが、その間に半数ほどが亡くなっているようだった。
朱墨の脇に小さく耕作者名が追加されているのは、耕作地を引き継いだ者だろう。女と思われる名が多い。
なるほど、これでは私の世話係に子供をつれてくるわけだ。
夕食が出来た、と『たまがき』が呼びに来た。台帳を手にしたまま、部屋を出る。土間の隣の板の間に、畳が一枚敷かれていて、その前に膳が設えてあった。
「ここにお座りください」と『たまがき』が言うので、畳の上に胡坐をかいた。
『たまがき』は、彼の左手前に控えた。脇には飯の入った御櫃がある。
「お召し上がりくださいませ」『たまがき』が言う。現地荘官から、作法を教え込まれたのであろう。『たまがき』も、生きるために必死で覚えた。
「いやいや、そのほうのような子供を控えさせて、一人で飯をくうことはできぬ」
「子供と思っていただくと、こちらが困ります」
「いいから、膳と椀などをもってこい」祐清が強めの口調で言う。
驚いた『たまがき』は、土間に走っていき、おそるおそる膳など一式を持ってくる。
シイタケの煮物、豆腐、野菜の塩漬けなど、祐清の器から、『たまがき』の器に分ける。
「飯も自分の分をよそうがよい」
言われた通り、よそった。
「では、食べようではないか」
「よろしいのでしょうか」
「かまわぬ」
『たまがき』の料理は上手だった。
「明日からは、干魚なども用意せよ」
「お坊さまが、魚をお食べになるのでしょうか」
「魚なら、かまわぬであろう。なにより子供が僧の食べるようなものばかり食べていては育たぬ」
「はい」
食事が終わった後、祐清が尋ねた。
「そちは、字が読めるか」
「読めませぬ」
「では、父の名と小字を覚えておるか」
「父の名は又四郎。小字はイツミでございます」
土地台帳でその名を調べる。朱墨が引かれていた。隣に小さく女の名前が書かれており、その名も朱墨で消されていた。
僧であるにもかかわらず、子を持ってしまったような気がした。
“次に市に行ったとき、小袖を二、三着と、庭訓往来でも買って来るか”
『たまがき』の古びた小袖を見ながら、祐清はそう思った。




