戦藻録(せんそうろく)
「なあ、片田様がいうような、なんでも民が決める国、そんなものが本当にできると思うか」年長の兵が若い兵に尋ねる。
「さあ、どうだろう、わからない。でも、俺は、この銃があれば、武士に勝てるんじゃないかと思っている」
「そうか……妻はいるのか」
「いや、まだだ」
「そうか。俺は片田村に子供を置いてきている。京都で商売をしていたんだが、焼け出されて、かみさんと共に逃げてきた」
「大変だったな」
「子供を持つ人間にとっては、片田様が言うような国になってほしいものだと思う」
「そうだろうな。独身の俺でも、今日よりはましな明日が来てほしいと思うくらいだからな」
戦後に生まれた身としては、『大東亜共栄圏』などという言葉を聞くと、なにか胡散臭いものを感じる。しかし、片田のように戦前に生きた者にとって、この言葉の意味するものは、なんだったのだろう。
戦前に日本で生きた者にとっては、当時の西洋によるアジア植民地支配について、好くは思っていなかった、というところまでは間違いのない所だろう。
片田は商売で成功した。成功するにつれ、これならば、西洋がアジアに来る前に、アジアを侵略に負けない強固なものにすることができるのではないだろうか、と考えるようになっていた。
宇垣纏という海軍の軍人がいた。太平洋戦争開戦時に連合艦隊参謀長であったというから、高位の軍人である。
戦争中に日記を書いている。その日記を戦藻録といい、戦後に出版されている。
戦藻録の昭和十六年(一九四一年)十二月三十日に書かれている部分を引用してみたい。この部分は、海軍省で占領地処理方針を決定するにあたり、広島県呉港沖の柱島泊地に居た宇垣が、中央に派遣する藤井政務参謀に授けた、彼の見解を記述している。
十二月三十日といえば、真珠湾攻撃、マレー沖海戦に勝利し、香港を占領し終えた時期である。
(占領地処理方針を決定するにあたり)
【引用開始】
前提として考慮すべき事項、
(一)人道的観点
(イ)八紘一宇の理念
(ロ)世界新秩序の建設
(ハ)東亜共栄圏の確立
(ニ)大東亜戦争の起因
>東洋民族の興隆
この看板はあくまで掲げて表面矛盾あるべからず。
(二)国家(主義)的観点
(イ)戦争収拾の捷径
支那事変本戦争の速やかなる目的達成を計る手段、個々撃破、分離講和、植民地分離、必要物資の敵性国への流出防止。
(ロ)自衛的方策
防衛の形成、要点の占有。
(ハ)自存的方策
必要物資の絶対確保永続。
本諸項は帝国興廃の繋がるところ必ずその目的を貫徹するを要し、前提条件中の最上位とす。
(三)経済的観点
(イ)英米のごとく帝国は殖民政策上手ならず。搾取主義は執り得ず、人道的同化温情主義に流れやすし。
(ロ)帝国が物質的援助を必要とするがごときは極力これを避くるを要す。ただし有無融通し共栄的方法はこれを尊重す。
(ハ)軍事的支援は帝国防守的見地に立ちその最小限度を出でず。
(ニ)隣接地境人種等を考慮しなるべく速やかに人心の安心を致すとともに、紛争の禍根を残さざるを要す。
【引用終了】
【引用元】
書名 戦藻録[新漢字・新かな版]上,p126-127,2019年3月12日第1版第1刷
発行所 株式会社PHP研究所
いろいろな読み方ができる文章だと思う。東洋民族の興隆が第一義だと読むこともできるだろうし、国家的観点が最重要で、東洋の興隆は二の次だと読むこともできよう。
私には結論を出すことはできない。
言うことができるのは、当時の高位軍人の一人、宇垣纏は、このように考えていたのだ、ということだけだ。




