雑賀衆(さいかしゅう)
五月二十五日に始まった『上京の戦い』は、同月二十八日に足利義政から出された停戦命令によって、一旦収まる。
二日程の戦いで京都は、二条以北のかなりの部分が焼き払われてしまった。
停戦をしたものの、双方このままで収まるものではなかった。
山名宗全は、細川勝元に攪乱された自国領を押さえ、それぞれの国から上京の兵を進めると同時に、周防国の大内政弘に上京を促した。政弘の父、長く細川勝元とせめぎ合ってきた教弘は、一昨年に戦陣で病没していた。
大内は、明や朝鮮との貿易で富を築き、多数の強兵を育てていた。
大内政弘は、大陸との貿易で細川勝元の堺と競合していたので、宗全の誘いに対して、貿易独占の良い機会として参戦することにした。勝元に翻弄されていた伊予の河野通春の水軍もこれに加わる。
これらの兵が、再度京都で細川方と衝突することになるのは、誰の目にも明らかだった。
貴族も町人も京都から逃げ出した。
京都から流出した町人達の中には、片田村に流れ着いた者も多くいた。小山七郎さんと犬丸は、避難者の若い男達に兵にならないか、と勧誘する。
「大名同士の戦で家を焼かれて村に来たんだろう、大名が攻めてきたときに、追い払うための兵にならんか」
「俺は槍も刀も持ったことが無い。そんな物騒なことはやりたくない」
「槍も刀も使えなくていい。一度片田村の上の訓練場に来てみろ。銃というものを持たせる。銃があれば、遠くから敵を倒すことができる。すこしの練習で使えるようになるぞ」
「そうか、まぁ、暇があったら見に行くよ」
石英丸が言う通り、急に人が増えても、生産設備の製造が間に合わない。石英丸は女性や高齢者の雇用を優先した。若い男達は後回しにされた。
暇を持て余した若者が、散歩がてら訓練場に来て見学する。
「まず、普通の弓矢がどれほど遠くに飛ぶか、見せる」小山七郎さんが言った。そして兵に命じる。兵は弓を斜め上に構え、矢を放つ。
「あれで、だいたい二百間(約三百六十メートル)くらいじゃ。ずいぶんと飛ぶものじゃが、あのように遠くでは狙ったところに当たらぬし、当たっても威力が無い」
「では、矢を確実に当てられる距離はどのくらいであろうかの」
弓を持った兵が、十五間(二十七メートル)の距離に置いた的に向かって矢を射る。矢が的の中心から三分の二程外れたところに当たる。
「矢で確実に当てようとすれば、この程度じゃ」
「そこでじゃ。貴様らは初めて見るであろうが、これが銃というものだ。この筒の先から弾、小石のようなものじゃが、それが飛び出す」七郎さんが、脇に立てかけてあった銃を持ち上げて、若者に見せる。
「あそこに的がある。距離は六十間(百八メートル)だ。先ほどの四倍の距離だ。見ていろ」七郎さんがそう言って、銃を構えて腹這いになっている兵に指示する。
轟音とともに、六十間先の的が割れ散った。
「ほーお」という感心する声がする。
「撃ち方を教えてやる。やってみぬか。試し射ちするだけでもよいぞ。必ず兵になれとは言わぬ」
若い男たちが、拳をあげた。
「思ったより、よく兵が集まりますね」犬丸が七郎さんに言った。
「そうじゃのう。京都で、あと一戦もあれば、村長が言う二万人に届くかもしれんの」
「最近集まった兵達、京都の町衆っていう人たちですよね。あの人たちにも『根性入れ』をやるんですか」
『根性入れ』と犬丸が言うのは、徹底服従のための訓練で、死人が出るほどの厳しい訓練のことだ。
「いや、彼らには無理じゃろ。死人が増えるばかりじゃ」
「そうでしょうね。心が耐えられないですよね」
「うむ。それに銃というものがだんだんわかってきた。豊富な銃があれば、根性が必要な程、敵が接近することは、まずないじゃろ」
「少し、安心しました」
犬丸は、少し離れたところで、銃の訓練をしている集団の方を見る。
その集団は、町衆ではなく、紀伊の土橋三郎、鈴木四郎と、その部下達だった。以前彼らは片田村に来て、三毛作などを学んでいった。
彼らは、学んだ農業技術で豊かになり、私兵を持てるほどになっていた。
同様に技術交流している地域は畿内の各地にあったが、片田は紀伊の彼らにだけ銃を提供することにした。
彼らは、その周囲から雑賀衆と呼ばれた。
「銃を渡しても大丈夫なのでしょうか。彼らが裏切ったら大変なことになりますよ」と犬丸が尋ねたとき、片田がこう言った。
「銃を渡しても、銃弾がなければ、ただの鉄の棒だろう」




