1936年7月初 護民総隊レームチャバン支部にて
豪雨の地面を叩く音が、執務室の中にまで伝わってくる。
どうやら雷も鳴り始めたらしい。たびたび鼓膜を揺るがす爆音に眉をひそめ、レームチャバン支部を統括している永野修身は内地から持ち込んでいた愛用の万年筆をペンスタンドに差し置いた。
執務机の上に揃えて左右に積み上げられた和綴じの紙束には英語で「Project」や「Report」と横書きに銘打たれている。内容のほとんどは国際情勢や国情に関する個人的見解とこれからの組織運営に関する意見書だ。一ヶ月の期限を設けて、生え抜きの隊員と新たに総隊入りした現地民の士官経験者から募集したものであった。
腕を組み、背もたれにゆらゆらと体を預けながら永野は左右に分けられた紙束を見比べ、低く唸る。
意見書の中身は全て英語で書き込むようにとはじめから義務づけてあった。
先ほどまで生え抜きと現地人士官、双方の作成書類をぱらぱらと見通してみたが、現地隊員の英語力がやけに目立つ。
現地語で書かれているわけではないというのに、単語や文脈におかしいところが見受けられないのだ。
新人たちとの会話からある程度は察していたが、報告書の文法やら軍事用語、専門の理論まで理解できるとは予想外の習熟率だった。
これは間違いなく何処ぞの士官学校仕込みの知識であろう。現地富裕層の間では学生時代の英仏への留学が半ばステータスになっており、英語やフランス語がほぼ一般常識と呼べる程度に普及しているのだという話はあながち嘘ではないらしい。
「ともすれば生え抜き連中と共に現地語を学ぶ必要もあるだろうと覚悟していたが……」
英語が通じるならば話は早い。駐米武官を経験した自分にとって、英語は第二の母国語と言えるほどには堪能な言語の一つだ。これならば、言語の壁が任務の差し障りとなる可能性は低かろう。
今後の支部運営を考えると、現地出身者と生え抜きが最低限の意志疎通もできないという事態は絶対に避けねばならぬことだった。
これら国の別も役職も問わずに集められた意見書の数々は、追って来月に開催予定の第二回支部会議で議題に挙げる予定だ。
第一回会議はただの顔合わせと抱負の表明であった。だが第二回会議は実務的な話になる。恐らくは立場の違いもあって紛糾することになるはずだ。
各々の意見には批判もあろう。修正意見も出よう。良い方向にまとまるかどうかはさておいて、設立当初から忌憚のない意見をボトムアップ式に交わすことのできる場を構築しておくことは必要不可欠であると永野は考える。
他者の意見とは己の鑑だ。自浄作用も自己変革も、他者の存在なしでは始まらない。
他者と接する機会なくして、どうして隊員同士の連帯感を深めあえるというのか。自己責任感を養えるというのか。暴走を防げるというのか。セクショナリズムの蔓延を押しとどめられるというのか。
自由と無秩序、放任と監督を履き違え、責任すらも他人に投げているようでは、組織は根本から腐っていくのである。
こうした永野の考え方は、生来の調整家気質に基づいたものであった。
部下に自由気ままな仕事をさせ、修正が必要なところにのみ口出しをする。歯車であることを許さずに部下の一人一人を、いわばプロジェクトリーダーとして活用するやり口こそが永野の好む組織運営術だといえるだろう。
しかし、この趣向は下手をすると放任とも捉えられかなかった。古巣の面々や、中東支部に勤めている牟田口などから「もっと部下の一挙一投足を厳しく躾るべきであります」とたびたび苦言を呈されるほどだ。
それでも支部の運営にボトムアップ式を導入しようとしているのは、ひとえに総隊の規模によるところが大きい。
未だ小所帯で歴史も浅い我らが護民総隊は、隊員の一人一人が千金の価値を持つ。
彼らにただ組織の歯車になれと命じるのはたやすかろう。上から命令を発すれば良いだけなのだから。
だが、組織の牽引者になれと命じることは難しい。昨日の今日でリーダーシップをとれる人間などいるはずがないからだ。
であるからこそ、永野たち上層部には彼ら隊員の一人一人を未来の指導者として育てていく義務と責任があった。
護民総隊とは有事の海上護衛を担う臣民の盾だ。盾が小振りではお話にもならぬ。
有事の規模拡大に耐え得るだけの人材育成……。それが現在永野たちが抱える至上の課題であった。
思考が取り留めもなく移ろっていったことを自覚しつつ、永野は手近に放置していたコーヒーカップに口を付ける。まだ量が残っているが、既に冷めてしまっていた。
人材育成。組織の拡充。教育。頭の痛い言葉が次々に浮かび上がっては消えていく。
総隊はその歴史の浅さから、専門の教育機関を持っていない。入隊者のほとんどは商船学校卒業者や海軍からの引っ越し組だ。
そもそも教育する内容が定まっていないことも問題であった。何が総隊員に必要な知識なのか、技能なのか。必要な単位数が、カリキュラムが定まらない。結局、実地で学んでいくより他にない。
「それでも、いずれは兵学校を作らんとなあ……」
やはり専門の教育機関があるのとないのとでは大きな違いが出てくるだろう。
一度、本腰を入れてこの問題に取り組んでもいいのかもしれない。
永野は自身が校長として運営する未来の兵学校に思いを馳せる。
中々に悪くない、と思わず頬を緩めた。
元々人に何かを教えることが嫌いではないのだ。
再び雷がピシャンと轟いた。程なくして、雨音が徐々に遠ざかっていく。
「……これは晴れるかな?」
執務用の椅子から立ち上がった永野は、コーヒーカップを片手に部屋の脇に作られた木製の白い格子窓から空を見上げた。
内地ではもう梅雨も明けて夏がやってきた頃であろう。こちらの空模様とは正反対だ。
この国では夏のことをソンクラーンと呼ぶ。ソンクラーンは3月から始まり、5月には分厚い梅雨雲が立ちこめ始める。
それから先は雨期に入り、こうして家の中に閉じこめられることになるわけだ。つまり、夏と梅雨が逆転、ないしは気の早い秋雨が到来するわけであり、これが日本人の時間感覚とはどうも相入れない。
屋外では珍しく晴れ間が見えて、南国特有の強い日差しが辺り一面を灼き清めていた。
幹線道路に面した街路脇では、雨露を滴らせる椰子とソテツが平身低頭の体を取っている。レームチャバンからバンコクに通じる路面電車は、鋼鉄製のフレームが露を振り払い、車輪で水たまりを蹴散らしながら力強く運行を続けていた。
道路にはちらほらと自動車の走っている姿も見受けられる。フランス製のシトロエンが多い。ただ、そもそも絶対数が少なかった。
それも宜なるかな。このレームチャバンは生まれたばかりの港町である。
ざっと庁舎の近隣をぶらついてみても、南国特有の椰子と石垣に取り囲まれた高級住宅地の持ち主が、この土地の先住者ではないことくらい容易に察しがつく。
あれらの持ち主は、共和商事や護民総隊がこの土地に根を張ったことを聞きつけてやってきたビジネスマンがほとんどを占めた。
伊藤忠や三井の人間に、フランス領インドシナからやってきた投資家。それにオランダ領東インドに拠点を置いているような面々がしのぎを削って勢力の伸張を図っているのだ。
その様相たるやまさに世界経済の戦国時代ともいうべきものであり、ああ世界にはかくも形のない怪物がひしめいておるのだなあと空恐ろしさを感じてしまう。
彼らの権謀術数は日常の様々な場面に張り巡らされており、決して油断のできるものではない。
役得、という言葉があるが、永野はこちらに来てから意識して公務以外に外へ顔を出すことを避けていた。
一時には政治家を志したこともあるからこそ分かる。何か、手練手管で絡め取られそうな怖さがあるのだ。彼らのような武力以外を頼みとする生き物たちには。
日頃、「哲学者のようで何を言っているか分からん」と同僚から忌避されがちな永野であったが、この政財界への警戒心だけは、同僚からも受け入れられる考え方であった。
例えば、年度初めの総隊員が集う酒席において持論を述べた時には、
『職を間違えた哲学者の言葉が珍しく心に響いたぞ。流石哲学者だな』
などと犬猿の仲の井上からは褒められているのか貶されているのか良く分からない言葉をかけられた。あの男とは生涯仲良くなれる気がしない。
更に酒気を帯びた佐藤からも絶賛された。
『その通り。政治家や軍令部の連中なんぞと関わりを持つ必要はない。永野君は今良いことを言った!』
どうやら政治や軍令部嫌いの同志と看做されてしまったらしい。訂正しようとも思ったが、
『加藤軍令部のくそったれ!』
と佐藤の信奉者と化していた百武たちにもやいのやいのの大受けであったため、水を差すのも憚られた。
あの時にお猪口を傾けながら谷口が浮かべた「仕様がない、我慢してくれ」と言わんばかりの苦笑いを思い出す。
永野はかすかに抱いた望郷の念に、ひとりため息をついた。
タイの景色は、やはり内地と違うのだ。
「提督、お手透きですかな!」
ぼうっと外を眺めているところに、溌剌とした日本語で声をかけられる。
振り向くと、瀟洒に敬礼を取った現地出身の青年士官が笑顔を浮かべて執務室の入り口に直立していた。
「失礼! ですが一応、ノックはしましたぞ?」
コンコンと開け放たれたドアを小突き、皮肉なのか弁明なのか分からない物言いをする青年に対し、永野も皇族に対するそれに準じた返礼をとる。
「ディッサクン王子」
がっしりとした長身。エネルギッシュで彫りの深い顔立ちに、薩摩隼人にも似た形相。
彼はこの国の王族であった。
いや、正確には先々代のタイ王ラーマ5世の弟に当たるダムロンラーチャーヌパープ王子の何番目とも分からぬ庶子に当たるため王位継承の見込みはなく、身分的には平民と何ら変わりない。
ただ、現在この国の中枢で働く数少ない王族であったため、その有用さから政府中枢に名誉と身分を嵩増しされているわけだ。
「政府の用件は終わったのですか?」
「ハハハ! いや、ただの意見調整でしたからなあ。やれ、王族の意見をまとめてくれ、と。この国に未だ残って民のために働く一族なぞほとんどおりません。こんな楽な仕事がありますか。いや、ありませんとも!」
からからと笑う王子の平然とした態度に、永野は何と答えて良いものか分からなかった。
何せ、現在この国は異常事態に直面しており、王や主立った王族たちが軒並み国外に亡命してしまっているのである。
そも、1932年に強行された立憲革命以降、この国の王族は政治的な実権をほぼすべて失い、議会が決定した政策をただ追認するだけの存在に成り下がった。
これは我が国が丁度明治の御代に御維新を行った頃、摂政による独裁政治を打倒し、国王集権を成し遂げたラーマ5世の流れを踏襲する現王には我慢のできない出来事であったらしく、今も国外から政治的ボイコットや派閥工作などの形で現政権への妨害を続けている。
一派の中には英仏と組もうとする者も少なからずいて、現政権はまさに政治改革の半ばにありながら国家分裂、存亡の危機に瀕していると言って良い。
この保守勢力捨て石の反撃に対し、若さと情熱を以て流れに抗ったのが、ディッサクン王子のような若手で王位継承の見込みがない、啓蒙的な下級王族たちであった。
彼らは左派勢力の政権乗っ取りを、保守的な高位王族たちとは異なり、革新的だと肯定的に捉えたのである。
彼らの念頭にあったのは日本の"天皇親政"とも言うべき共和商事の列島改造政策だ。要するに、王族主導による左傾化・民主化政策の成功という前例があったからこそ、宗家に迎合することなく、自分たちの活きる道を見出したのである。
『これから特権を失っていくであろう我々に残された在り方はぁっ! 最も民主的な人間として! 国難を打ち破る懐剣として! 民の"尊敬"を勝ち取ることだと、余は思うのですっ!』
総隊の門を叩き、入隊後の第一声に宣言した王子の抱負がこれであったように、彼らは王族による左派啓蒙こそがこの国に明るい未来をもたらすのだと堅く信じ込んでいる。
この西洋に遅ればせながらのアジア啓蒙時代の到来は、何もこの国に限ったことではない。
中国においても亡国の貴族の中から似たような機運が沸き上がっていると伝え聞いているし、最も顕著な例としては大韓共和国大統領である李鍵の独裁が挙げられるだろう。
李鍵は独立の宣言後に無聊をかこっていた李王朝の旧臣たちを招聘して、彼らと日本の役人に普通選挙法の整備をさせたが、その話し合いの場でとある事件が発生した。
旧態然とした考えを崩さず、抵抗勢力と化しかけた旧臣に対して、
「国生みの段にあって、尚も鶏肋にしゃぶりつく痩せ犬共」
と痛烈な批判を浴びせかけたのである。
何の主張を以て怒り狂ったのかは判然としないが、内地の新聞ではあまりの怒りにテーブルの角を軍用サーベルで切り落としたと報じられていた。
これは明らかに中国の故事を意識したものであり、眉に唾を付けて考える必要があるだろうが、現実の問題として強力なリーダー像を国民に植え付けることには成功したようだ。
この"斬机叱咤"事件の報道を受けて、韓国内で実施された総選挙の結果が、全ての選挙区において立候補した全ての政治家を無視した上で「李陛下」に投じられたことは確かである。
特に李王朝の生誕地である全羅道においては空前絶後の得票率100パーセントを達成しており、選挙法整備を主導した日本人役人にとってもこの結果には面食らい、不正を疑ったものであった。
このままでは全体主義に陥り、民主主義が立ち行かぬと危惧した役人によって全ての選挙形式が比例代表制に差し替えられて再選挙が行われたが、それでも李鍵を党首とする韓国独立党が95パーセントの一党体制を確立。
今の韓国は世界で唯一、国民の熱意によって皆兵制と有事における速やかな国家総動員への移行体制が整えられた、ルーデンドルフ式軍国主義の申し子とでも言い表せる国民国家と化していた。
この激情が周辺のアジア王族には眩しく映っているのである。
「常々申しておりますが、王子はやめていただきたい! ただ大尉と。余は提督の部下なのですぞ!」
ディッサクンは啓蒙的、民主的な理想像を持っているだけあって権力を笠に着ることもなく、武断的でさばさばとした性格をしていた。やかましいと言い換えることもできるが、一方で日本人好きのする性格と言い換えても良い。
そして彼はその人柄だけではなく、能力においても総隊にとって欠かすことのできない人物であった。タイ政府との伝手を持ち多言語を流暢に操る彼は、周辺の情勢をもたらしてくれる貴重な情報源なのである。
「おお、そうだ! 先ほど聞いてまいりましたが、上海での一件。我が国の政府にも追加の情報が入ってきましたよ」
「それは本当ですか?」
前のめりに先を急かすとディッサクンはそれを手で制した。
「おっと。まずは外にでも飯を食いに行きませんか? どうせ休憩をとっておられぬのでしょう」
「外ですか。それでは共和商事の食堂に……」
「いいや、手近の市に繰り出しましょう! たまにはタイ料理も良いものですよ」
「タイ料理ですか」
その言葉に永野は眉をひそめた。
実は主計課の案により、経費の節約も兼ねてこのレームチャバン支部では艦に積み込む食材に現地のものを採用している。
だが、この現地食材で作られた料理が正直な話不味かった。
特に米の臭いが酷い。
納屋に寝かしておいた稲藁から漂う鼠の糞尿の悪臭を想像すれば、大方それと同じ臭いが炊き立ての米から漂ってくるのである。
故に永野はタイの食材にあまり信頼を置いてはいなかった。下手をすれば日本人隊員の士気に関わる。あんなものを研究している共和商事の御曹司は頭がどうにかなってしまっているに違いあるまい、と。
そう内心で考えてはいるものの、目の前の青年に対して面と向かって郷土料理の罵倒をするわけにはいかなかった。
彼は総隊にとって重要な存在なのである。
「雨もあがったことであるし、さあ提督。繰り出しましょう!」
と強く誘われれば断りきれなかった。
永野は諦めて、レームチャバンの市内に繰り出すことにする。
庁舎から外に出ると、日暮れ前だというのにむんとした熱気が永野の身体にまとわりついてきた。先ほどまで降っていた雨が、西日に当てられてあっという間に蒸発したのだろう。
ぽつりぽつりと人の姿が見えるようになった一等地の高級住宅街、そして企業の出張所が建ち並ぶ通りを海に向かって歩いていくと、港湾整備者やインフラ整備に携わる者たちが雑多に居住している区画へと辿りつく。
「ああ、ここです。ここです!」
ディッサクンが促したその先には、真新しい白や青のペンキで塗りたくられたタウンハウス群が立ち並ぶ中に、急場凌ぎの麻布でできた庇や、日傘がいくつも張り出されていた。
そのあちらこちらから炊事の煙が立ち上っている。
「屋台ですか?」
「はい。港湾労働者を客層に狙った連中ですな! バンコクの中華街と比べれば規模も味もいまいちですが、余にとっては"お上品"に食べるフランス料理よりずっとずっとマシです」
そう言ってがははと笑い、ディッサクンは豪快にひしめく労働者の波をかき分け、小さなテーブルと椅子を二つ確保した。
「余が提督の料理を選んでしまっても?」
「ああ、はい。タイ料理には明るくありませんので……」
承りました、とディッサクンが手ずから購入してきた料理は、何やら汁気の強い日本の粥のような代物であった。
粥の中に細切りになった生姜と葱、それに肉団子が混ざっている。
「カーオ・トムです」
「カーオ……。んん?」
意外にも匂いは悪くなかった。薬味のせいだろうか?
「余は他の料理を買ってきますから、熱い内にどうぞ」
と言って忙しなく労働者のたむろする中に潜り込んでしまうディッサクンの背中を、永野は呆気にとられながら見送る。
常々型破りだとは思っていたが、思っていた以上に世間慣れしていた。
一人残された永野は腹時計と相談したあげく、カーオ・トムを散蓮華で掬い、口に運ぶことにする。
「ん?」
塩気と出汁が強い。恐らく、出汁は鶏から採ったものだ。
この塩気は、恐らく港湾労働者のニーズに合わせたものなのであろう。肉体労働に従事する者は濃い味付けを好みがちだ。そして、それは永野の好みとも合致する。
肉団子が旨かった。ただ、くたくたになった粥が何よりも口惜しい。日本人は、米が形を保っていないと食事をした気にならないのである。
「お待たせしました!」
絶妙のタイミングで、ディッサクンが帰ってきた。
手には椀に盛られた蕎麦が入っている。支那蕎麦にも似ているが、タイにも支那蕎麦があったのか。それにおかずとして薩摩揚げらしきものも乗せられている。
「バミーキャオナームです。それに、トートマンプラーも。どうです? 旨そうでしょう」
「ううむ」
永野は低く唸った。腹の虫も唸った。
ディッサクンと向かい合い、無言でバミーキャオナームを金属製の箸で食べる。木製の物が欲しい。
「では、余も……」
ディッサクンは行儀悪くカーオ・トムをがつがつと掻き込み、トートマンプラーを二口で胃袋に収めてしまう。
豪快な食べ方だ。共にバミーキャオナームを啜っているところで、鼻を高くしたディッサクンが問うてきた。
「んっ、どうですか?」
正直、完敗であった。
「鼠米しかない国と侮ったことを謝りたいと思います」
「そいつは良かった!」
素直に頭を下げると、ディッサクンが膝を叩いて笑う。
「正直、我々からしてみると、匂いのしない米を食べている日本人の方が信じられないのですがね。あれは祭りの時に食べるものでしょう。その点、共和商事の御曹司は良く分かっておられる! 各地の匂米を集めては、一つ一つを食べ比べてはメモを取っておられるのですから」
言われて共和商事の社長の顔を思い浮かべた。正直あそこまでの、こちらに来てから一回り太るほどの情熱を傾ける覚悟はないのだが、成る程匂米とやらも調理次第では十分日本人の舌に合うようだ。
永野は今度現地料理の研究をしてみるよう主計課に打診してみることに決めた。旨い物が食えるのならば、士気は上がるというものだ。
しばし食事に没頭する。
こちらの腹も落ち着いて、すわ次なる料理を自分で物色してみようかと考え始める頃合いに、ディッサクンが再び口を開いた。
「ああ、そう。上海の件ですが、あれは国民政府と地方軍閥の主導権争い……、愛国者と売国奴の争いでした」
永野はぎょっとして固まる。
据え置いて待ちわびていた話題ではあったが、時と場所が問題だ。
「……お待ちなさい。何処に耳があるとも限らないのですよ」
永野の制止に、ディッサクンは首を横に振って答える。
「ここが宜しいのです。余なりに最も日本語の通じぬ場所を選んだつもりですぞ」
「何ですって?」
ディッサクンの物言いは、まるで総隊に密偵が入り込んでいるかのようであった。
自らの監督不行き届きを詰られたように感じた永野は顔をひきつらせて抗論する。
「……密偵の対策はしているでしょう。人物チェックは抜かりありません」
「いえ、いえ! 提督のお力を疑っているわけではありません。日本人の側はそうかもしれませんが、こちらの政府が推薦した人材が問題なのです」
「……獅子身中の虫が潜んでいるのですか?」
ディッサクンが珍しく苦虫を噛み潰したような顔をして、頭をがりがりと掻き毟った。
「身内の恥を晒すようで心苦しいのですが、我が国の中枢はその大半に華人と、英仏からやってきたお雇い外国人が関わっておるのです。そこにチャクリー宗家……、現王一派が政権の切り崩しを謀っておるわけですから、警戒しすぎるということはないのですよ。おっと、この理屈で言うならば、余も含めるべきでしたな。ハハハ……!」
彼の自嘲からは強い未練が感じ取れた。
目の前の愛国青年にとって、自国の恥部を晒すことはきっと何よりも辛いことなのだろう。
「王子、いや大尉のことはまことの意味で信頼できると小官は考えておりますよ」
永野は包み隠さずに腹の内を晒した。
ここ数ヶ月で積み重ねた関係から、彼の主義主張は良く分かっている。少なくとも、現状において我が国と敵対する可能性はないと断言できよう。我々に敵対して、得することがないのである。
そうした理屈を重んじた永野の慰めに、ディッサクンは自らの抱える未練が和らいだかのように頬を緩めた。
「ありがとうございます。少なくとも余は、包み隠さずに自分の腹の内を明かしましょう。総隊に不義理も致しません。……お話を続けても?」
「はい、大尉の判断を信じますよ」
言って永野は居住まいを正し、彼の言葉に耳を傾けようとする。
が、その神妙な姿勢をディッサクンが笑った。
「おっと、食事をしながらでお願いします! 提督の至誠は尊敬されてしかるべきものでありますが、かえって目立ってしまうでしょう」
「……それもそうでした」
照れ隠しに頭を掻き、追加の屋台料理を手近な店から購入する。
お代わりにと購入した料理は蒸した鶏肉と現地米の盛り合わせであった。鼠米への忌避感が薄れた今、こういった冒険も難なくこなせる。
「では、上海の一件ですが」
「はい」
二人して鳥出汁で炊き込まれた米を腹に納めながら、明日の天気を占うような口調で、東アジアの近況を伺う。
「現在知っておられることと言えば、現地から速報として送られたものばかりでしたな」
「そうですね。しかも通信で得られた知らせに過ぎませんから、まだ分析も完全ではなく、ひどく断片的で困ります」
上海で起きた武装蜂起に関して永野は、護民艦隊からもたらされた速報以上のことを知らなかった。
そもそも事変が起きたのはまだ一昨日であり、あまりにも急が過ぎるのである。
情報の整理をかねて、永野は知っている情報を簡潔にまとめていく。
「まず、観艦式の4日目に寄港予定地の騒動を知った総司令部は、護民艦隊を上海邦人を救出するための救出部隊と"浅間丸"をはじめとする民間船舶を安全な場所まで送り届ける護衛部隊に分割することを決断しました」
ディッサクンが頷き、永野の代わりに続きを口にする。
「護衛部隊はつつがなく民間船を馬公まで送り届けることに成功しましたね。ただ……、救出部隊は上海沖にて正体不明の航空部隊と交戦。激しい空中戦を繰り広げました」
永野は飯を食いながら、それに頷いた。
上海沖の戦いでは護衛対象こそ守りきったものの、総隊の航空士が一人重傷を負ってしまった。
これを死傷者を0に抑えたと喜ぶか、被害を出してしまったと悲しむかは意識の置き方によるだろう。
「まずこの戦いに関する補足ですが、明日にでも英国系の新聞社から号外がでることになるはずです。『上海沖のドックファイト。日本製の戦闘機がテロリストを鎧袖一触』と。"雨燕"に関しては現地で写真も撮られているようですよ!」
「……随分準備が良いのですね?」
「私見ですが、その周到さは英国の立場から推測が可能でしょうなあ。まあ、今は整理を先にやってしまいましょう」
言って、ディッサクンは上海港における邦人救出作戦について口に上らせた。
「上海に急行した"秋津"は大発動艇を総動員して在中邦人の救出作戦を敢行しました。上陸時に戦闘もあったようですが、そもそもが陸軍出身者の多い大発動艇部隊です。身内からは十名と負傷者を出さずにテロリストを牽制しつつ、要救助者をすべて"能登"へ回収することに成功しました。このあたりは流石満州・中東で実戦経験のある精鋭部隊ですな」
永野もこれには頷く。
総隊の陸戦部隊は北方に最前線を渡り歩いてきた古強者でほとんどが占められている。さらに規模の小ささから装備更新の頻度も高く、親元の陸軍と比べても決して劣らぬ充実した装備が与えられていた。
例えば、小銃分隊には6.5mm弾丸の取り回しと装備調達の容易さから三八式歩兵銃が採用されていたが、戦銃分隊と弾薬分隊から成る機関銃中隊には7.7mm弾丸を用いた九二式重機関銃が配備されている。
いや、配備されているという言い方は妥当ではないだろう。九二式重機関銃はそもそもが武装大発動艇の艇載兵装であった。同じく積み込まれていた土嚢と併せて、上陸時に取り外し、即席の防御陣地構築に利用されているのだ。
更に――、これは永野としては疑問が残る部分であるのだが、陸戦隊には重擲弾筒や、何と戦車も一台配備されていた。
八九式中戦車というらしい。
元は陸軍の型落ちとして満州方面から送られてきた戦車なのだが、現場の話を聞く限りでは、土嚢による陣地構築中の隊員を守るため、動く盾として活用されているようだ。
"士魂号"などと名付けられて現場の隊員たちから愛されている兵器を腐すのは気が引けるが、海を主戦場とする総隊に果たして戦車など必要なのかと頭を捻ってしまう。これは自分が海軍出身だからそう思うだけなのであろうか?
ともかく、総隊が求められている拠点防衛という役割を果たすに、彼ら陸戦隊が現状十分すぎる装備を持っていることだけは疑いようがない。
現に上海における拠点防衛は中東における不手際を忘れさせてしまうほど、完璧な結果をもたらしてくれたのだ。
東浦の外国船碇地から上陸した陸戦隊は、そのまま共同租界へと北上、テロリスト相手に無勢の防衛を強いられていた英仏軍を救援し、"士魂号"と隊員らの奮闘によってテロリストどもを租界外の市場通りである五叉路にまで追いやった。
そして五叉路から広がる道々に防衛陣地を築き上げ、民間人が無事に逃げのびるまで租界を守りきることに成功したのである。
やけにテロリストの数と装備が整っていたことが気にはなったが、今回の一件で我が国が国際的に株を上げたことだけは確かであった。
ただ――。
「彼らの奮闘によって救出した民間人は既に負傷した者が多かった。それに、日本人以外も多数逃げ込んでいた、と繋がりますね」
上海の戦いにおいて、最も絢爛たる功績を残した部隊は恐らく大発動艇部隊でも航空機部隊でもない。
病院船"能登"の軍医たちであった。
鉄火場の上海から何とか民間人を救出できたものの、丸半日にも及ぶ無差別な市街戦は、多数の負傷者を生み出していたのである。
"能登"に収容された約500人の内、半数が重軽傷を負っていたと報告にあったから、現場の壮絶さは目に浮かぶようにして理解できた。
十や二十の負傷者ならば、通常の艦船に備えられた医務室でも何とか対応ができよう。だが、百や二百を越えるとなったならば? はっきり言って対応は難しい。
船長室と機関室以外の大半の区画が医療設備に代えられた"能登"だからこそ、今回の対応は可能だったのである。
「恐らく、報道陣が最も大きく取り扱う記事は"能登"に関することだと思っとります。悪いことではないんですがね。どんなアクシデントも美談として報道されることでしょう。例えば……、邦人に混ざっていた外国人を分け隔てなく治療したこと。子どもから優先して治療を行ったこと。人員不足から、軍医以外の総隊員や軽傷の民間人までも総動員して治療を続けたこと。赤十字社の関係者も逃げ込んでいたそうですから、国際世論が総隊に牙を剥くことは絶対にないでしょう」
「だといいのですが」
絶対の自信を持つディッサクンの物言いに首肯できず、永野は言葉を濁す。
永野は他の総隊上層部と同様に新聞報道というものをいまいち信頼していなかった。何をきっかけに手のひらを返してくるか、分かったものではないからだ。
「あまり、新聞報道に興味をお持ちではないのですなあ」
「共和商事も含め、我々は少々報道に振り回されすぎたもので……」
片眉を持ち上げるディッサクンに永野は苦笑いを返した。
ディッサクンは理解はしたが、共感できないとでもいうような表情を浮かべて、「ならば」と続けてくる。
「中国政府関係者からの情報ならば信頼も置けましょうか?」
「操作されていない情報を得る伝手があるのですか?」
今度はディッサクンが苦笑いを浮かべる番だった。
「ハハハ。我が国はついぞ数十年前まで、あの国を宗主国と崇めていたのですぞ。我が父ダムロンが脱亜入欧を志し、それを為してからも依然として太いパイプが繋がっておりますし、雲南軍閥などには、むせるほど鼻薬も嗅がせてあります」
要するに改革時に必要なものなら旧くともばっさりと切り捨てずに、後々まで残しておく判断ができたというわけだ。これは恥じる類の話ではない。この柔軟性はむしろ賞賛すべき話であった。
永野が誉めるとディッサクンは照れ臭そうにはにかみ、さらに続ける。
「これは雲南軍閥から得られた情報なのですが……、ことの始まりは蒋中正のアジア独立構想から始まるようです」
「蒋中正……。ああ、蒋介石ですか。国民政府の。しかし、アジア独立とは……?」
ディッサクンは頷く。
「中正は孫老師の後を引き継いだ正しい愛国者であり、日本への留学経験もある知日派です。恐らく方々からの助言もあったのでしょうが、彼は今の国際情勢が中国を筆頭とする大アジア独立の好機であると判断しました」
そうしてディッサクンは蒋介石の独立構想を語り始める。
まず、前提となるべき視点として、彼の問題意識が挙げられた。
蒋は、本来"甲"であるはずのアジア諸地域が、"乙"であるべき西欧による分割統治を受けている現状を憂いているというのである。
この随分と前近代的な言い回しに、永野は目を丸くする。
「"甲"に"乙"ですか? それは朱子学の……?」
「その通りですな。余も提督も馴染みのある、アジア的身分秩序が問題意識の根底にあることは疑いようがありません」
「しかし、蒋介石は日本の士官学校で西洋由来の近代理念を学んでいたはずです。となれば、『万国公法』も当然頭に入っていると考えて良いでしょう。それなのに、今更時代遅れの"儒教"ですか……?」
『万国公法』は世界各国を一等から三等にまで格付けて、先進国が未開地域の教育に乗り出すことを正当化した考え方だ。
この理論が世界の主流になったからこそ、帝国主義という覇権的な経済志向が蔓延したと考えて差し支えない。
永野の疑問にディッサクンは笑って答える。
「『万国公法』と"儒"は必ずしも対立する概念ではありません。どちらも上下関係を決める論理であることに変わりはありませんからな。それに、我々アジア人の精神から"儒"を取り除くことは容易ではないと思いますよ。何といっても根付いてからの歴史が違います。韓国の李陛下も、その精神の根幹には"儒"が基づいておられるはずです。父といえる存在が日本に変わり、周りを弟と考えているからこそ、軍事力を整えて兄としての力を保持しようとしているのですから」
ともかく、とディッサクンが続ける。
「"甲"が"乙"に勝てないのは何故なのか……。この疑問に対して、彼は本来の力を発揮できていないから、と考えました。要するに西欧の策略によってアジアは力を発揮できない状況に追い込まれているという理屈です」
「もしかして……、それは西欧のよくやる分割統治のことを言っているのですか?」
「ご名答!」
ディッサクンは頬についた飯粒を指で拭い、頷く。
「西欧は質の高い軍事力を保有していますが、こと植民地に限っては量を配備できているわけではありません。彼らの影響力は、餌場となる各植民地を分権化し統一を防ぐことで保ち続けているのです。そしてこれは植民地に駐留する軍隊の維持費を削減するという重要な役割も果たしている……。この点が重要です」
ディッサクンは散蓮華をまるで指示棒のように持ち上げて言った。
「言い方は悪いですが、先だって日本が"東洋の番犬"として西欧に飼われていたのも、軍事費の削減が目的でしょう。要するに、西欧は軍事費の際限無き肥大化を嫌っているのです」
この点に蒋介石は着目したのだとディッサクンは言う。
「彼は何らかの事変を起こし、軍閥の一斉掃討を目論んでいた……。もし、中国の統一が為されて軍閥割拠が解消された場合、中国と隣接する植民地を持つ列強は、安定した中国市場と引き替えに強力な軍事的脅威の出現を座して認めることになるのです」
そこから先の展望は永野にも予測ができた。
恐らく、中国に備えての際限なき軍事費の肥大化が始まり、周辺アジア植民地が軒並み"不良債権"と化す。
それを防ぐためには、中国に番犬の役割を求め、何らかのうまみを用意するしかないのである。
周辺アジア植民地の独立か、はたまた中国の国際的な立場強化か……、アジア主義者の視点から見てみれば、まるで王手飛車取りのような立ち回りだ。
ただ、このような中国による東亜新秩序の確立は日本に多大な影響を及ぼすことも確かであった。
ディッサクンはこの懸念にも即座に答える。
「恐らく、対立するのではなく厚遇されたはずでしょうなあ。日本には対等な立場で大東亜連合を抑えてもらわねばなりませんから。下手に西欧の番犬に戻られて、日中対立をつけ込まれる事態だけは避けねばなりません」
成る程。それならば、日本にも損はない話と言えよう。
周辺との利益調整にまで気が回っているとなると、蒋の目論見に現実味が増してくる。
後は西欧の要らぬ介入をはねのけるための軍事力を何処かから引っ張ってくれば完璧だ。その出所は日本か、それとも……。
「合衆国です」
ディッサクンが断言する。
「恐らく、先の中正は最終的には中日米の環太平洋同盟を目論んでいたはずです。中国が東・東南アジアの二地域を抑え、日本には北東アジアを任せる。さらに合衆国に南北アメリカを抑えてもらえば、西欧列強の太平洋への介入経路はオセアニア地域のみに限定されましょう。内々で日本にも合衆国にも話が行っていたのではありませんかね? 日本の外交官は、動きが良く分からんのです」
永野にもそれは分からなかった。
元々外務省は国内各派閥の思惑が入り交じっていて、全体的な動きが分かりにくい。
日米中連携の動きがあったのならば、あったのであろうとしか言えないのである。
永野が日本の状況を説明すると、困ったようにディッサクンが肩を竦めた。
「まあ、政・軍の連絡不行き届きは何処の国もよくあることですな。いずれにせよ、結局のところはあぶくと消えた構想です。中正の野望は最早潰えました。彼の構想を邪魔に思う西欧人の暗躍によって」
「西欧の暗躍……、ですか?」
「イギリスとシオン共和国ですよ。ユダヤ問題で反目しつつある両勢力は、中国の統一という一点においては、協力して打ち砕く路線で同じ舟に乗ったようですね」
「シオン共和国もですか!?」
思わず大声を出してしまい、慌てて声のトーンを下げた。
ディッサクンは平然とした顔で頷き、続ける。
「イギリスは中国権益の確保が目的ですから不思議でもありませんが、シオン共和国だって満州地域を諦めていませんよ。彼らにとって、まだ中国は"餌場"であるべきなのです。故に英シは国内軍閥を経済援助という名目で操り、即席の寄せ集めテロリストどもを作り上げた。軍閥連中も蚕食した既得権益を失うまいと必死でしょうから、英シの差し伸べた手を振り払いはしませんでしょうな」
ディッサクンのもたらす情報に、永野は思わず冷や汗をかいてしまう。
この情報が確かならば、我が国はまたとない安全保障連携の機会を英・シ二つの勢力の思惑で逃したことになる。
「今回の一件で、中正は日本を見切りました。大東亜連合の盟主であると思われた日本は、実のところお飾りの盟主に過ぎなかった、と。中日二つの柱を主軸とする彼のアジア独立構想は振り出しに戻ったということです」
「そんなことが……」
絶句する永野に対してディッサクンは苦笑いを浮かべた。
「ですが、我々タイ王国の立場に立ってみると"正直助かった"と素直に言えるでしょう。我々も自国優位のインドシナ旧領の奪還を目指していますから、現状の中国に宗主国へと復活されてしまうと少々困ります。中国の手を振り払ったあなた方と、我が国の政府は今後も蜜月の関係を築ける見込みがあるでしょうな」
「それは利益が反目しあえば手切れもありえるという意味でしょうか?」
「当然ながら。国とはそういうものです。尤も、余個人としては手切れをされては困るのですがね。おためごかしに受け取られるやも知れませんが、余の臣民を守らんとする意思は本物です。政治云々はさておいて、タイ日両国の臣民のために身を粉にする所存であります。まあ、現状我が国の政府が日本との付き合いを切ることはできませんよ。"怖すぎる"んです。あなた方は」
「"怖い"……?」
ディッサクンは大きな目を見開き、真剣な表情で向き合った。
「あなた方はまるで未来予知でもしているかのように"正解"を選び過ぎているんです。列島改造と名付けられた左傾化改革は傍から見ていても成功だと分かります。パリ不戦条約から無理筋に見えた日ソ紛争も、都合の良く起こったウクライナ危機が無理を道理に変えました。他国の"侵略"が、圧制からの"解放"へとまんまとすり替わってしまったのです。そして中東・東アフリカにおける影響力の確保……。共和商事の狙いは明らかに米国との利益共有による西欧への対抗という国益に根ざしたものでしたよね? 昨今の複雑怪奇な国際情勢において、不可解なほど社会正義と正解を選択し続けるあなた方ははっきり言って"異常"です。中国との一件は破談に終わりましたが、それすらも何らかの布石に思えてしまう……。だからこそ、我が国はあなた方の"千里眼"についていくことにした。農政分野のこともそう。軍港を貸し出しに関してもそう。付き合いますよ。最後まで。次は"スペイン"ですよね?」
彼の言う"スペイン"とは先日速報で中東支部よりもたらされた「スペインにて陸軍ナショナリストが共和国政府に対してクーデターを起こしたらしい」件を指しているのだろう。
永野もこの一報を聞いた時、背筋が凍りついたかのような心地がしたものであった。
クーデターそのものへの恐怖ではない。
総隊本部長、谷口の指示があまりにも予知めいていたことが原因であった。
「我が国の米英仏大使も日本に関する情報収集でてんやわやになっていると聞きました。何せ、スペインのクーデターに先立って"スペイン出向中のオリンピック選手団救出のため、予め領海通行許可まで取ってあった"のですから。陰謀を疑う者もいるそうですよ。下手をすれば、ヨーロッパの何処の国よりも先に我々護民総隊が現地へ駆けつけかねません。我が国が帰りの寄港地でしかないことが残念に思います。今回は現地外交の難航を見越して艦隊旗艦に本部長閣下も乗船しておられるのでしょう? 早く話を伺ってみたいのですが……」
一刻も早く話を聞きたいのは自分も同じだ。
仮に谷口に先を見通す力があったとすると、彼や井上、そして宮本が常々言っていた『世界のすべてが敵に回ったとして――』という想定がただの悲観論として片付けられなくなってしまう。
まさか、本当に"海上交通路をすべて敵通商破壊を目的とする艦隊に押さえられる"ような事態が起こり得るというのであろうか……?
それは……、あまりにもおぞましい未来だ。
そんな負け戦の確定した戦争状態に「入るはずはない」との一言を――、一言で良い。永野は谷口から直接聞きたかった。




