1935年12月 アラビア海にて(2)
12月になった。
故郷ではそろそろ年の瀬の準備を始めている時分であろうか。
ここ2ヶ月の間はほとんど安常処順の日々と言って良く、石原の陰謀論が当たっていたのかどうかはさておいても、海賊の影も形も見えなかったことだけは確かである。
ごくごく平穏な、熱気と潮風だけを浴びて過ごす滞在期間中、佐藤司令官率いる遣アラブ艦隊の面々は海難事故についての捜査の傍らで、現地住民の生業を"交流活動"の名目で積極的に手伝い続けた。
――その結果が今、"秋津"の甲板上にいた大井の眼下を群なして帆走している。
さあっと北東から吹きしく季節風を受け、三角帆を大きく膨らませては"秋津"に並び、揚々とアラビア半島を目指しているのは、インド帰りのダウ船団だ。
季節風の恩恵によるものか、かつて中東とアジア諸地域の間では、多くのダウ船が香辛料やインド綿を乗せて行き交っていたのだという。
香辛料は傷んだ生鮮食品を少しでもマシな味で食べるために、インド綿は繊維産業の未発達ゆえに。
以前は胡椒の一粒が同量の金と等価で取り引きされた時代があったのだそうだから、まったくもって驚くばかりだ。
世界の先進地域たる西欧が、衣服の一着も一から作れなかったというのはいささか信じがたい話ではあるが、どんな文明国にも未開の時代があったのだと考えれば、理解もできる。
香辛料の需要は冷蔵技術の発達と缶詰の発明によって、そしてインド綿の需要は西欧諸国で巻き起こった産業革命が原因で衰退してしまったが、未だ東西の取り引きが完全に途切れたわけではなく、こうして中東の商人たちは命脈を保ち続けていた。
併走するダウの船体がゆらりと揺れる。
アラビア半島の東端、アル・ハッドにさしかかり、西流する海流が南北に別れたためだ。
この近隣の海流は季節によってその向きを変える。
夏は東に、冬は西に。
半島に切り裂かれた海流の"外れルート"に乗ってしまっては、後が面倒だ。
「ちんたらすんな、急げ!」
ダウ船の上から水夫たちの賑やかな声が聞こえてきた。
役割が細分化された大型船に比べると、小型帆船の操船は一人一人が多くの役割を兼ねるためにせわしなくなりがちだ。
例えば、船底の溜まり水。
これは船齢によって多少の多寡があるだろうが、順風であっても無くなりはしない仕事の代表例といえるだろう。
手前を併走するダウ船などは見るからに年季の入ったロートルであるから、恐らく船底には馬鹿にならない溜まり水が生じているはずだ。
「ホールド!」
さらには帆の調整にも手間がかかる。
水夫たちが赤茶けた棕櫚の縄を力いっぱい引っ張ると、三角帆の膨らみが一層増した。
「ホーラ・ウェー! おら、急げ急げっ!」
林のように並び立つ三角帆が一斉に角度を変え、船団の進路が北西に向く。
……ここまでくれば、あとは目的地に辿り着くのみである。
大井が隈をこさえた目をこすりながら、安堵の息をついていると、
「ヨーソロー! うっし、進路そのままっ」
船頭の溌剌とした"日本語"が一際楽しげに弾んだのを感じ取り、大井の心はささくれだった。
忌々しげに半目で見下ろす。
船上では現地商人に混じって、護民総隊の水兵たちが大はしゃぎで商人たちの仕事を手伝っていた。
皆が肌を真っ黒に焦がし、人によってはターバンまで巻いているのだから性質が悪い。
水兵たちの陣頭指揮を執っているのが、これまた瞳をギラギラと輝かせた渋谷であった。
日焼けした筋骨隆々の肉体を潮風に晒しながら、伸ばしっぱなしの髭をたなびかせている。
元より頭のネジが何本もはずれた人間であったが、この滞在中にすっかり風土に馴染んでしまい、今では現地の人間と見分けがつかない。
何時だったかに『なあ、大井よ。ムスリムへの改宗は難しいんだな。改宗してしまえば、何かとやりやすくなるかと思ったんだが、艦内神社にすら参拝できなくなるというのは、いかにもまずそうだ』などと言われた時には、流石に頭が痛くなったものであった。
楽しそうで結構である。
こちとら、陸軍組からもたらされる情報の整理で寝る間もないほどだというのに、この環境の差は何なのだろうか。
「……やっぱり、帆船ってのは男心をくすぐりますなあ」
と大井の傍らで水兵たちを眩しげな眼で見ていたのは、船長の河野であった。
「河野さんもあちらに混ざりたいので?」
「立場が許せば、勿論。ですが、生憎と船長ですから……」
しかも、"秋津"の船長である。大井は船尾に目を向けた。
この船が搭載する大発動艇は、海賊との戦闘においては重要な水上戦力となるだろう。
"富山"や"対馬"の水上機も重要な戦力ではあったが、いざという時に商船をかばえる取り回しの良さでは、発動艇に分があった。
今回のアラブ遠征において、最も重要な役割を担っているといっても過言ではないかもしれない。
「"秋津"のことは頼りにさせてもらいますよ」
「期待の分は応えなければなりませんね」
大井が言うと、河野は嬉しそうに眼を細めた。
「……ただ、何事もないのが一番だとは思います。あたしは元々商船屋なもんで、こうして積み荷を乗せた船が行き交っている様を見ているだけで十分ですよ」
「それは、そうですね。小官もそう思います」
ダウ船の上では、アラブ人と総隊の人間が笑顔で親睦を深めている。
やっと、それなりの関係が築けたのだ。
今となっては互いに冗談を言い合えるほどには関係が深まっていたが、はじめから現地の人々とまともな交流ができたわけではなかった。
例えば、"交流活動"を続けるにあたって、まず障害となったのが宗教による価値観の違いだ。
エチオピアのようなキリスト教国を例外とすれば、基本的にアフリカ北部から中東においてはイスラム教が広く信じられている。
これは古来より貿易風を頼みにイスラム商人たちが活動範囲を拡大していった結果広まったもので、中東においては商業活動と宗教が密接な関係を持っていた。
そして、イスラム圏には古くから喜捨という社会福祉の慣習がある。
これが問題となったのだ。
喜捨は財産を持つ者が困窮者に対して行われるもので、教義上の義務であると同時に"情け"でもある。
そして、イスラム商人たちは決して現地において生活困窮者ではない。
"交流活動"の報酬は商人たちの誇りを傷つけぬよう、営利を目的とせずとも見かけ上は対等な立場で支払われる必要があった。
とはいえ、長らく西欧に市場を席巻されたアラブ圏では満足のいく利益を上げることは難しい。
要らぬ人手が増えれば、当然利益も減じるわけで、商船主たちも鬱陶しく思ったことだろう。
彼らは生活困窮者ではなかったが、同時に余計な人手を抱え込めるほど豊かなわけでは決してなかった。
――何故俺たちがあんたたちを雇わなければならないのか。
――さっさと海賊でもなんでも退治して、この地から出ていってくれ。
時には遠まわしに、また時には直接的に苦情が訴えられたが、生憎と今回のアラブ派遣は長丁場であり、彼らの船を日常的に検める必要があった。
いくら針のむしろだからといっても、彼らの要求を安易に呑むことはできない。
こうして両者の長い交渉の末、"交流活動"の対価はたばこなどによる現物支給と、各商船主の裁量による歓待によって購われることになった。
当然こちらも先方に嫌われないよう、愛想良く勤勉な仕事ぶりを心がける。
"交流活動"に取り組み始めてから、各艦の艦内神社には『実るほど、頭を垂れる、稲穂かな』と筆書きの全紙が貼られるようになった。
現地入りしていた共和商事の職員や、陸軍組の構築する伝手を活用して、現地の言葉を学べる機会を盛んに設けた。
努力のほとんどは現場に苦労を課すものであり、今まで市井に頭を下げることのなかった面々には苦労をかけることになったが、今のところ士官や水兵たちから不満の声はあがっておらず、両者の間に深刻な対立は起きていない。
日々の慣習や歓待における現地女性の取り扱いなどで問題になることはあったが、総隊の活動は順調に回っている。
「大井参謀。新顔さんと揉め事が起きたようです。大発動艇を出しますので、至急現場に向かうようにと」
「……了解です」
「古株の商船主も加勢してくれるそうなので、頼みます」
「痛み入ります」
中東の情勢が動き始めたのは、12月も半ばを過ぎた頃合いであった。
海賊が、再び動きを見せたのである。
◇
イタリアの攻勢に耐えかね、ついにエチオピア帝国が降伏を認めた数日後、イタリア籍の商船2隻がアデン湾近海で国籍不明の武装船舶に撃沈された。
犠牲者は百数十人にも及び、辛うじて生き残った船員の話を聞くところによると、下手人は旧式の軍用艦を駆り、砲弾を撃ち込んできたのだという。
イタリアはこの悲惨な事件に激高し、「国際貿易上の重大な安全保障問題」というお題目の下、大々的な掃海作戦の決行を列強各国に呼びかけた。
連盟に加盟していない米国はこの呼びかけに対して静観の立場を取り、英仏は積極的に協力する用意があると表明する。
現在は当座より協力体制を取っていた日本も合わせ、列強4カ国がアラビア海周辺に巡洋艦隊を差し向けている最中だ。
12月13日0630時。
佐藤率いる遣アラブ艦隊は、明後日に合流予定の帝国海軍遣外戦隊をダーラム沖で待っていた。
"海彦"の司令官室には、紫煙が途切れることなく舞っている。
「……分からん」
長椅子に浅く腰掛けていた佐藤は、苛立たしげに中東産のたばこを噛み潰しては、机を指で叩いていた。
――これは障らぬ神に何とやらかな。
大井の経験則が、部屋の隅で置物になっているようにと、頻りに警鐘を発している。
佐藤は公正で慈悲深い指揮官ではあったが、気分屋の一面もあった。
ただでさえ、機嫌の悪い時に藪蛇をつつくのは馬鹿のすることである。
副官の吉野もその点は良く弁えているようで、無言で書類をぺらぺらとめくっていた。
彼の苛立ちの原因は、帝国海軍の増援にある。
今までアラビア海近隣の通商保護は、遣アラブ艦隊が"交流活動"の傍らでこなしており、少なくとも自分たちの縄張り内は平穏無事を保つことができていた。
今回事件が起きたのは、アフリカ大陸に面するアデン湾で、そこは前もってイタリア海軍が受け持つようにと打ち合わせがなされた地域である。
つまり、総隊に手落ちはない。
そう、自分たちの手落ちはないというのに、海軍の援軍がやってくるのだ。
まるで自分たちの働きをあざ笑われたように感じたのだろう。
佐藤の顔には不満の色がありありと浮かんでいた。
「……手際がまるで遊撃部隊のそれだ。一般的な海賊でないことは確かですな」
この状況で素直に言葉を発せるのは、総隊の理想の信奉者であり、職務に忠実な新見だけである。
「それに積み荷を放置しています。これは本当に海賊と言えるのでしょうか?」
いや、訂正しよう。
吉野もまた真面目であった。
どうやら、無言であったのは単に情報の整理に専念していただけのようだ。
彼は商船畑であるから、海賊行為を何としてでも解決しなくてはならぬと使命感に燃えているのかも知れない。
「……イタリアの商船が狙われた動機は理解できる。積み荷を狙った犯行でないことから、今までと目的が異なることも確かだ。まず間違いなく統制された部隊による軍事行動と見て良い」
佐藤はそう言うと、机の上の地図に目を落とした。
「だが、戦争は既にエチオピアの敗戦で終わったのだ。いたずらにイタリアの被害を増やせば、それだけ賠償も苛烈になるのだぞ。現皇帝は馬鹿では無い。敗戦の混乱から、軍の統制ができていないということなのか?」
中東やアフリカの情勢を現地住民から仕入れていって分かったことは、兎にも角にも皇帝であるハイレ・セラシエ1世の聡明さである。
イタリアとの戦争中、少なくともエチオピアの政治的・外交的な立ち回りは諸国から「未開国にしては良くやる」と称賛されるほどには卒のないものであった。
基本路線としては、国際連盟を通じてイタリアの横暴を訴え続け、明日は我が身の小国家群を味方につける動きを徹底する。
これに対して東欧諸国がエチオピアの擁護に入り、イタリアの横暴を批判した。
その背景には東欧諸国のリーダーたるオーストリアの与党に社会民主党が居座っていることにある。
彼らの政敵は愛国保守路線のキリスト教社会党だ。
キリスト教社会党は伝統的にローマのバチカン聖庁と関係が深く、イタリアびいきの政策をとる。
そして、社会民主党はその逆に政策方針が振り切れていると考えれば、彼らの反イタリア的な行動にも理解ができよう。
さらに列強国には個別交渉を行った。
英仏は元々エチオピア領の中でも特に旨みのある地域を既に獲得していたため、これ以上の領土的な興味はなかったが、反ファシスト的な立場から、または既存の植民地防衛の立場から、イタリアの侵略に消極的な反対をとることを約束する。
恐らく、英仏が最終的にエチオピアの支援を決意したのは欧州情勢の変化があったためであろう。
東欧の台頭、ソビエトの弱体化や、ドイツ賠償金の整理によって、英仏独の関係が一時的に和らいだことで、欧州大戦以来の対独包囲網をイタリアと組む必要性が薄れたのだ。
安全保障上の脅威がなければ、国内の平和主義者の声が大きくなることは自明の理である。
英仏が「人道的な正義」をスローガンにエチオピアに軍事的な支援を行ったことは、国内向けのアピールと見て良い。
ハイレ・セラシエ1世は、英仏の支援を取り付けた上で日本には「解放主義」への賛同を示し、婚姻外交を提案してきた。
「解放主義」は今上陛下の"玉音放送"で語られた、今後の重要な指針である。
外務省も当然ながら、国内世論を考慮してエチオピアの提案を無碍にはできず、エチオピアの皇太子ととある子爵家令嬢との間の婚姻を認めることになった。
どうやら、エチオピアは日本に対して外交的な後援者になってくれることを期待しているようだ。
ハイレ・セラシエ1世は元から国内産業の改革や、列強国との間に交わされた不平等条約の撤廃に熱意を傾けていたそうだから、日英同盟における英国の立ち回りを求めているのかもしれない。
このように、イタリアと正面から向き合わずに搦め手でその力を弱めようとするほどには頭の回る君主が治めているというのに、果たして敗戦が決定した後もイタリアを刺激しようとするのだろうか。
……分からないことが多すぎる。
商船を襲った軍用艦とやらは、いかなる経緯で海賊の手に渡ったのか。
乗組員は一体何者か。
海賊行為の再開が確認されてからは、各国の大使館も現地民も慌ただしくしており、情報が錯綜していた。
恐らくは追加の情報がもたらされるまで、真相の究明は叶わないであろう。
袋小路に迷い込んでしまった思考をリフレッシュすべく、大井は長椅子にもたれかけ、うんと伸びをした。
とその時、大井の耳に船外で響く軽快なエンジン音が聞こえてくる。
「おや、来客ですかな」
大井は億劫そうに立ち上がり、司令官室にはめ込まれた舷窓より外を覗き見ようとする……、もすぐに無駄な行為だと気がついた。
「霧、霧……、最近は霧ばかりですなあ」
外は濃い朝霧に包まれており、一寸先ですら窺うことができない。
12月に入ってから、やけに霧の立ちこめる日が多くなった。
「……この近辺の地域的特徴なのかもしれぬ。一度濃霧の発生範囲については別個に調査する必要があるだろうな」
「確かに。人手を使って、一度調べてみます」
佐藤とそんなやり取りを交わしていると、しばらくしてから部屋の扉がノックされる。
大発動艇で"海彦"の司令官室を訪れたのは、現地で工作活動を行っている石原莞爾であった。
「二ヶ月ぶりであります。司令官閣下殿」
石原が陸軍然とした挙手礼を取ると、佐藤も椅子から立ち上がり、海軍仕込みの挙手礼を返す。
「健勝そうで何よりである。して、今日はどうしたのだ」
現地での工作活動に専念したいと言って、石原はこの二ヶ月間陸に作り上げた拠点に篭り、こちらに顔を見せることは一度もなかった。
常の連絡は暗号通信か、人を使った伝言だけであったというのに、一体どのような風の吹きまわしであろうか。
「これをお見せいたしたく。とにかくご覧下され」
言って佐藤に渡された資料は、表紙が無題の紙束であった。
大井は新見艦長や吉野と共に、資料をめくる佐藤の傍らに立ち、石原の手渡してくる資料を覗き見る。
資料には何らかの組織の構成員らしき名が、人相書きや顔写真を添付して列挙されていた。
驚くべきことに、彼のもたらした情報には出身地や家族構成、信じている宗教についてまでもが明記されているようだ。
性格はさておき、石原の手腕だけは認めざるを得ないだろう。
「"ラスタファリの殉教者"……、の構成員であります。閣下」
「何だ、それは」
佐藤の問いに、石原は頷き答える。
「ラスタファリとは現エチオピア皇帝の本名であります。有り体に申し上げるならば、皇帝を救世主に据えた信仰。憂国の武装集団とでも言いましょうか。エチオピアはキリスト教国でありますから、救世主の到来を望んでも不思議ではありません」
「一昔前に起きた、義和団事件のようなものか」
まだ中華民国が清国と呼ばれていた時代、"扶清滅洋"を謳って大規模な反乱が中国で起きたことがあった。
その時は列強各国がこぞって鎮圧に乗り出し、1年で状況は終息したのだが、エチオピアでも同様の事件が起きてしまったのだろうか。
だが、石原は頭を振って続けた。
「根本は似ております。ただし、いくつかの点において義和団とは様相が異なります」
と指折り、相違点を諳んじる。
「一つ目に、義和団は街や寺院を制圧してくれたために、攻め滅ぼすべき賊の拠点がありました。しかし、"ラスタファリの殉教者"にはそれがありません。二つ目に、義和団とは異なり、エチオピア皇帝も彼らの存在を叛徒と認めているために、政治的な歯止めが利きません。そして――」
何時になく、神妙な面持ちで石原は続けた。
「その戦闘力が隔絶しております。こちらをご覧ください、閣下」
提示されたものは何らかの部隊の集合写真であった。
えらく手足の長い、木偶の坊を思わせる大男を中心に据え、10代から30代までの若者がライフルを掲げて整列している。
写真の端には、西洋人男性がパイプを燻らせ写っており、彼らの指導者的立場に収まっていることが窺い知れた。
「彼らはハイレ・セラシエ1世が最悪の事態に備え、英仏人義勇兵を軍事顧問に据えて鍛え上げた部隊です。元の部隊名は日本語に訳すならば"王の盾"とでもなりましょうか。今回の戦争においても、要所でイタリア軍に対し幾度となく痛打を浴びせている精鋭部隊なのであります」
曰く、騎兵科と同じ速度で数十キロを走破できる。
曰く、遊撃部隊としてイタリア軍の補給線を執拗に狙い、イタリアの攻勢に対抗していた、と石原の語る戦績はそれが事実ならば誰もが感嘆するほどのものであった。
「英仏領では『土人に対する油断がイタリア軍の余計な被害を招いたのだ』と軽んじて噂されておりますが、とんでもない話ですよ。戦を知っている者なら、どんな軍人だって、気の緩む瞬間があることはわきまえています。そしてここの部隊指揮官は、そういった気の緩みをつくことが恐ろしく上手い」
言って、石原は木偶の茫然とした大男を指差した。
黒人の人相は良く分からないが、一見したところでは温厚そうにも見える。
大井には彼が部隊指揮官であるようにはどうしても見えなかった。
何と言うか、覇気というものに欠けているのだ。
「リジ・アルラ。本名は伝わっておりません。ただ、"ラス・アルラの後継者"という意味合いでアルラの仔と呼ばれています」
「ラス・アルラとは?」
「50年以上前にイタリアを苦しめた、エチオピアの戦巧者とだけ知られております」
佐藤はしばらく目を閉じてはアルラの名前を反芻すると、
「……エチオピアに精鋭部隊がいることは分かった。それで、彼らが商船を襲っておるということなのか?」
疑わしげにそう言った。
イタリアの商船は、武装船舶によって"砲撃"されたのだ。
いくら良く訓練された兵隊であるといっても、それはあくまでも陸の話であり、海で専門に訓練されたわけではない。
海上戦闘の難しさを知っているからこそ、佐藤が石原の情報を素直には受け止められなかったのは尤もなことであると言えた。
「商船を襲った理由までは分かりませんが、彼らが海上戦力をもっていることは間違いないでしょう」
だが、石原は確信をもってこれに答える。
「少なくとも小官が情報をつかんだ限りでは、小型高速艇なる兵器が戦中に英仏によって供与されておるようです。畑違いの小官ではその脅威がどれほどのものかまでは分かりませんが、捨て置いても良い戦力とは思えません」
「小型高速艇……? うちの大発動艇のようなものか」
首を傾げる佐藤に対し、新見が言葉を付け足した。
「恐らくは欧州大戦時に用いられた高速魚雷艇のようなものでしょう」
「成程。高価な魚雷を重機関銃や火砲に取り換えれば、使い道も出てこような。して、速力はどの程度になりそうか」
「……欧州大戦時を参考にするならば、最低でも30ノットは出るものと見てよろしいかと」
しばし思案してから出した新見の答えに、佐藤の顔色が変わった。
「その速力ならば、近接戦闘が可能ではないか……!」
海上の弾道計算などは、あくまでも1万メートルほど離れた地点で撃ち合う場合に必要になるものであり、艦同士が肉薄してしまえば、錬度不足も問題にならない。
重機関銃や火砲を用いているとして、その口径はいか程であろうか。
"海彦"を例外とすれば、もと民間船舶を改装した総隊の艦は、お世辞にも装甲が厚いとは言えないのだ。敵の口径次第では下手をすれば致命傷を受けかねない。
室内にいた誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
石原は"ラスタファリの殉教者"とやらの脅威度を共有できたことに満足を覚えたのか、
「恐らく、明後日にでも列強国による掃海活動が始まるのでしょうが、閣下におかれましては十分お気を付け下さい。……敵は牙を持たぬ獲物ではありませんぞ」
と言って一礼し、部屋を出ていってしまう。
扉が閉まり、軽快なエンジン音が遠退いていったあたりで佐藤がぽつりと言葉を漏らした。
「"王の盾"か」
椅子に深く身を預けた佐藤の横顔は、何処か口惜しげであるように見えた。
「ソビエトのマカロフ殿もそうであったが、我々が相対する敵は何時だって政治に見捨てられた者たちばかりだ。……正直、やりきれん気分になる」
「司令官――」
新見が気遣うようにして声をかける。
佐藤は静かに頷き、大井たちに目を向けた。
「とは言え、我々に課せられた使命は果たさねばならん。海軍の巡洋艦隊と合流次第、情報の共有を行おう。新見君は大井君とともに、今の情報を元にして対策を講じておくように」
大井たちの返事が重なり、"交流活動"に力を注いできた隊員たちの顔が、戦士のそれへと変わっていった。
直に、戦いが始まるのである。




