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99話

 その日の、夜。


「良かったんですか? あの娘を退職させる約束なんかして」

「ああ、構わん。奴は『労働者議会』が何とかなれば、とっとと内地で隠居して貰おう」


 シルフ・ノーヴァは異国の衛生兵の勧誘が上手く行き、ご満悦の表情で自らの腹心の一人エライアに話しかけられていた。


「あの女は、対オースティン戦では恐ろしくて使えない」

「恐ろしい、ですか」

「私の想像を超えた手段で裏切らんとも限らん。あの女ならやりかねん」


 シルフは優秀な部下を得て、心を躍らせていた。


 先の戦場で期待通り、いや期待を超えた戦果を挙げたトウリ・ロウ。


 そんな彼女をどう運用してやろうかと、若い指揮官はワクワクが止まらなかった。


「だが、トウリ・ロウにとっても憎い仇である『労働者議会』が相手なら、存分に腕を振るってくれるはずだ」

「そうですね」

「ゴルスキィにも、彼女から色々と学んでもらおう。ヤツの戦場を俯瞰する視野の広さは、前線指揮官としての最高の資質だ」


 トウリ・ロウは戦争が嫌いらしい。


 彼女の性格上、安住の地で子供を育てるだけの資金を得れば、オースティンに帰らずサバトに永住する可能性が高い。


「今、私は彼女から深く怨まれている。……だからこそ、あの娘の口から自分に従うという言葉を聞きたかった」

「それで、あんな強引な勧誘をなさったのですか?」

「ああ。後はこれから、トウリと良好な関係を築き上げれば良い」


 サバトに住んでくれさえすれば、あのトウリという凄まじい前線指揮官が敵に回ることは無くなる。


 トウリと良好な関係を築けていれば、義理を感じて東西戦争が再開してもオースティンに帰らない可能性が高い。


「エライア、トウリにはなるべく便宜を図ってやれ。多少、周囲のやっかみを買っても構わん」

「それは、あまり良くないのでは?」

「彼女はオースだ、サバト軍に馴染む事は出来ないだろう。だったら、我々だけでも彼女の味方になってやるんだ」


 シルフはこの時、かなりあくどい顔をしていた。


「あの娘は私より年下の少女。育児のストレスや劣悪なキャンプ環境に加え、部隊で孤立している環境にきっと一人では耐えきれまい」

「……」

「そんな彼女を目一杯に甘やかし、心の支えになってやろう。そして我々に依存させ、裏切れなくしてやるのさ」

「そう言う事をしているから、部下が付いてこないんですよシルフ様」

「煩い、それくらいしないと……。彼女の瞳から、恨みの感情は消えてはくれん」


 彼女には士官学校時代から、対等な立場の友人というものがいなかった。


 自分の成績や能力でマウントをとり、従わせるような人間関係しか構築してこれなかった。


「何と言われようと、私はトウリを最大限に甘やかしてやる」

「はあ」

「そして、ゆくゆくは……」


 そんなシルフが初めて出会った、同世代で優秀な兵士。


 今は過去の怨恨で心の距離は大きく離れているが、もしかしたら初めてのシルフにとって『親友』になれるかもしれない娘。


「よし、もう仕事は無いな。トウリの下に行くぞ、エライア」

「分かりました」

「トウリは今、所属するゴルスキィ隊に改めて挨拶しに行ってるのだったな。もう終わっている頃か?」

「恐らく、顔合わせの最中かと」

「そうか」


 きっとトウリは、ゴルスキィ隊で肩身の狭い思いをしてるに違いない。


 ゴルスキィが目を光らせているとはいえ、彼女は虐められてもおかしい状況ではない。


 指揮官の立場の自分がゴルスキィ隊に顔を出し、しっかり釘を刺しておく方がいい。


「この先ですね、ゴルスキィ小隊は」

「む、トウリがいたぞ」


 彼女の顔が暗ければ、適当な理由をつけて連れ出してもいいだろう。


 確かシルフの部屋には、手を付けていない高級クッキーなどが置いてある。これを餌に、トウリを茶の席に誘おう。


 そう考えたシルフ・ノーヴァは、エライアを引きつれ足早にゴルスキィ小隊の元へと向かった。


「む、居たぞ」


 エライアの言っていた通り、トウリ・ロウは顔見せの真っ最中だった。


 周囲を屈強な男に囲まれ、一人ぽつんと台の上で立たされていた。


 そんな異国の衛生兵(トウリ・ロウ)に声をかけようとシルフは足早に近づいて、



「以上、お粗末でした」

「良いぞ! 良いぞ!」

「何だお前、オースの癖に面白いヤツじゃねぇか!!」



 小隊の中心で拍手喝さいを浴びる、少し得意げな顔のトウリ・ロウと目が合った。



「……滅茶苦茶馴染んでるな!」

「あ、シルフ指揮官殿」









「オースの衛生兵が、本格的にうちに所属するのか」

「前の戦いで、意味不明に前進を提案しまくった女」

「……」


 芸は身を助ける。これは前世の日本での諺です。


 異世界に転生し、文化も言語も違うこの世界でもその諺は有効と言えました。


「貴様ら、そう威圧するな。トウリ、自己紹介を」

「はじめまして、トウリ・ロウです。衛生兵として皆様の健康を預からせていただきます」

「こんなチビに出来るのか?」


 自分はシルフの命令で、そのままゴルスキィ小隊所属になりました。


 しかし、彼の部下とのファーストコンタクトは、あまり良いものではありませんでした。


 前に肩を並べたとはいえ、敵国民と仲間として絡むのはやはり抵抗が大きいみたいです。


「わかりました。では皆様に自己紹介を兼ねて、一曲歌わせていただきます」

「あん?」


 そんな微妙な空気を察したゴルスキィさんは、自分の歓迎会を開いてくれました。


 前の戦いでゴルスキィ小隊は戦功第一とされ、兵士は酒や嗜好品の褒賞を得たそうです。


 その時の余りを使い、訓練所の片隅で小さな宴が催されました。


「オースの歌なんか聞きたくねぇぞ」

「では、知り合いのフラメール人から聞いた歌を」


 自分はその場で、一生懸命に歌を歌おうと考えました。


 この時の自分に対する皆の目つきは、敵意すらはらんでいました。


 このままでは作戦行動中に『誤射』されてしまうかもしれないと思い、何とか親睦を深めたかったのです。


 フラメールの歌なら、そんなに敵愾心を刺激しないでしょう。


「おお、何だこの歌声」

「セルフコーラス? す、すっごい」


 自分は眼を閉じて、アルノマさんに教わった歌を唱え始めました。


 長い修行の末、自分は音程を変え二つの声で同時に歌えるようになっていました。


 この芸で孤児院では『孤独な残響(ロンリーエコー)』の異名を貰い、いつも拍手喝采でした。


 徴兵さえされなければ、芸人として食っていくつもりだった程には自信があります。


「一曲目、フラメールの赤い夕雲。如何だったでしょうか」

「良いぞ、すげぇじゃねえかオース!」


 一人でハモり、合唱を行うこの芸はサバト兵士にも好評でした。


 本来であれば人形を用いて腹話術で歌わせるのですが……、二重歌唱だけでも十分に満足いただけたようです。


 最初は微妙な顔をしていた兵士も、徐々に笑顔になっていきました。


「多芸だなぁ。本当に衛生兵か?」

「今の自分は、さすらいの芸人です」

「ほほう。じゃあ、他にも何か芸はできないのか」


 ヴォック酒も入ってテンションが上がり始めた彼らは、やがて次々と自分へリクエストを飛ばし始めました。


 こんな場を用意してくれたゴルスキィさんに感謝ですね。


「えーっと、簡単なジャグリングとかでしたら」

「おお、じゃあ空き瓶でやってみろ」


 兵士が飲み終わったヴォック酒の空き瓶を投げながら、最近教えて貰ったサバト軍唄を歌い、宴は大盛り上がりを見せました。


 酒を飲み席につくのは、やはり仲良くなる何よりの手段です。


 最初は怖い目つきだった兵士さんも、目から険が取れ、バシバシと笑顔で自分の肩を叩くようになりました。


 その様を見て、ゴルスキィさんも満足そうに笑っていました。


 良かった、自分はこの部隊で上手くやって行けそうです─────


「……滅茶苦茶馴染んでるな!」

「あ、シルフ指揮官殿」


 と、そんな感じに兵士と親睦を深めていたら、シルフ・ノーヴァが大声で突っ込みを入れてきました。





「おうシルフではないか。何のようだ」

「ゴルスキィか。いや、トウリの様子を見に来たんだが」

「自分に何か御用でしたか」


 見ればシルフは、困り顔のエライアさんを引き連れゴルスキィ小隊の宴会場(訓練所の片隅)に来ていました。


 彼女は中間管理職の筈ですが、暇なんでしょうか。


「トウリとはこれからも仲良くしたくてな、茶にでも誘いたかったのだが」

「おう、ならばちょうど良い。今はトウリの歓迎の席である」

「みたいだな。馴染めているなら良かったよ、孤立していないか心配だった」


 どうやら彼女は、自分を心配して様子を見に来てくれたようです。


 そう言えば「オースであっても守る」と勧誘の時に言っていましたっけ。


 その約束を守るため、時間を作って来てくれたのかもしれません。


「今は時間があるのか、シルフよ」

「ああ。……だがゴルスキィ、徴兵に応じたならちゃんと私に敬語使えよ」

「残念ながら今この場は、無礼講である。間が悪かったなシルフよ」

「ったく」


 シルフはやれやれと言った表情で、ゴルスキィ氏の隣に座りました。


 そして、自らの懐から小瓶を取り出しグビグビと飲み始めます。


「私も交ぜて貰おうか。遠慮はいらん、無礼講で構わん」

「う、は、はいっす」

「そう萎縮せんでいい」


 ゴルスキィ氏の前では大はしゃぎしていた兵士も、シルフの前では態度を固くしてしまいました。


 彼女は癇癪もちで、かつ部下に厳しい事で有名です。


 それで、固まってしまったのでしょう。


「シルフよ、貴様が来たせいで場が白けたではないか」

「……はぁ。何だゴルスキィ、邪魔だから帰れってか?」

「いや。ここにいる兵士共も、貴様の事をよく知らんから緊張しているのだ。きちんと自己紹介くらいせい」

「自己紹介? 私の事を知らん奴が、私の部隊にいるというのか?」

「いや、そう言う意味ではない」


 その空気を機敏に察したゴルスキィ氏が、シルフの肩をポンポンと叩きました。


 正直、自分も結構シルフに苦手意識を持ってはいるので、兵士の気持ちは分かります。


 何というか、高圧的で少し怖いんですよね、彼女。


「宴に参加するならば、自分を知ってもらわねばなるまい。その為に─────」






 10秒後シルフは、先程まで自分が歌っていた宴会中央のステージに立たされていました。


「えっ」

「なんか面白い事をやれ、シルフ。サバト最高の頭脳と言われる貴様なら、造作もあるまい」


 ゴルスキィさんはそんな非情な振りをして、ニヤニヤとヴォック酒をもう1瓶開けました。


 鬼ですかあの人は。


「先程のオース……いやトウリは、その状況から見事に兵士全員の心を掴んだぞ」

「おうとも! よろしくな、ちっこい戦友!」

「安心しろ、命を懸けて守ってやるぜ」

「ど、どうも」

「だから、いつも馴染み過ぎではないかお前は!」


 ゴルスキィ隊の兵士はノリが良いのか、さっきまで敵視していた自分と戦友のように肩を組み始めました。


 これは多分、シルフに対する煽りも入ってますね。


「え、エライア~……」

「小官は、その、頑張ってくださいとしか言えません」


 ……にしても、成程。これはゴルスキィさんなりの、シルフへの援護でしょうか。


 彼女は部下に嫌われているので有名です。


 だからこそ、親しみやすさを演出すべくこのような苦境に立たせたのでしょう。


 ゴルスキィさん、そういう人間関係の調整が凄く上手ですね。


「芸がないならママから聞かされた子守唄でも歌ったらどうだ、シルフ中隊長殿!」

「やめろよ、お子様であられる指揮官殿がスヤスヤ寝ちまったらどうするんだ!」

「は? 誰だ今の発言をしたのは、処刑してやろうか!」

「無礼講、無礼講であるシルフよ。それとも、貴様の頭脳をもってしてもこの苦境は突破できぬか?」

「何ぃ!?」


 そんなこんなで、シルフは「無礼講でいい」と言ったばかりに無茶苦茶煽られ始めました。


 兵士たちも色々と彼女に溜め込んでいたものがあったのか、遠慮なく騒ぎ始めてしまいます。


 酒を飲んで気が大きくなっているのでしょうか。


「あ、こんなところに誰かのカバンが」

「ま、待て貴様! 私の私物をあさるな!」

「小隊長殿! こんなところに指揮官(シルフ)殿の帽子を発見しました! これをこうすれば……」

「あ、あれは! むぅ、まさか本当に実在していたとは」


 これは駄目な飲み会ですね。


 全員の理性が取っ払われて、どこまでも悪ふざけに走っていく流れです。


 自分は巻き込まれないよう、静かにエライアさんの隣に移動しておきましょう。


「知ってるのですか、ゴルスキィ小隊長」

「あれはヴォック鉄帽……。突撃部隊ゴールデンブラストに伝わるという、伝説の度胸試しである。ひっくり返した鉄帽になみなみとヴォック酒を注ぎ、一気飲みするという……」

「ちょっと待て!」


 憐れにもシルフは、飲み会の中央で兵士に囲まれて逃げ場がありませんでした。


 そして2Lは有ろうかという帽子に注がれたヴォック酒を、一気飲みする流れに乗せられました。


「エライアさん、これがサバトの日常なのですか」

「ええ。恥ずかしい事に、サバト軍兵士の死因第3位は急性アルコール中毒と言われています」

「そんな軍に負けかけたのですか、オースティンは」


 この国の、お酒に対するTPOはどうなっているのでしょうか。法で取り締まらないんでしょうか。


 そんな事を考えながら。自分はおろおろと心配そうにシルフを眺めてるエライアさんの隣で、少しだけお酒を頂きました。


 煽られるシルフを肴に『サバト最高の知謀を誇る彼女は、どうやってあの苦境を乗りきるのだろう』と静観していると、


「ふっ、やはりお子様だな。もういい、分かったよ」

「まったくくだらねぇ女だぜ」

「あ?」


 何やら、シルフには煽られ耐性が無かったようで。


「場を白けさせてごめんなさいしたら、許してやるよ」

「がっかりだ、やっぱりシルフ殿はシルフ殿であられますな」

「……上等じゃないか! 貴様ら、見ておけ!」

「おっ」


 散々になじられたシルフは我慢の限界が来たのか、なみなみと注がれたヴォック酒を手にとって


「ぐびぐびぐびぐび」

「おー! 良いぞ!」

「シルフ様が顔真っ赤だぜ!」


 周囲に煽られるがまま、イッキ飲みをしてしまいました。


 ……ヴォック酒は蒸留酒でチビチビ飲むものであり、あんな飲み方をしたらどうなるか賢い彼女が分からないわけないでしょうに。


「……。うきゅ~」

「あ、大変だ、シルフ様が倒れた」

「衛生兵、衛生兵~」

「きゃー、シルフ様!?」


 案の定シルフはそのまま昏倒して、衛生兵(エライア)に運ばれて行きました。


 その様子を、ゴルスキィ氏はにんまり笑って眺めていました。


「な、意外と愉快な娘だろう。諸君らもあまり邪険にしてやるな」

「ゴルスキィさん。急性アルコール中毒は危険なので、衛生兵としてヴォック鉄帽の廃止を提案します」

「えー」


 この後、ちょっと酔い始めていた自分は、ゴルスキィ氏に中毒の危険について説教しました。


 窒息したらどうするつもりだったんですか。兵士の死因の第3位だというなら、しっかり規制してください。

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― 新着の感想 ―
[一言] いやだなぁ・・・ あの地獄を味わったのにこういうシーンはさらなる地獄を味わう助走にしか思えない・・・。 嗚呼、辛い。 オースティンの連中にサバトに馴染んだトウリの姿がどう映るのか・・・
[一言] シルフ、死亡確認!
[気になる点] シルフが嫌いになれない。どころか仲良くして欲しいんだけどどうなるんだろう、、、
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