表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
219/221

211話


 昨日の夕餉で談笑した友人が、泥の中で転がっていた。


 大腿がチリチリと黒く焦げ、足首から先がねじ切れていた。


「こんな、そんな」


 嗅ぎ慣れぬ異臭が、ツンと鼻についた。


 それが肉の焼けた匂いなのだと、まもなくルイは気が付いた。


「あ、ああっ……。助けて、ルイさん」

「死ぬ、死ぬ。ァー……、ァー」


 全身が焼けただれた兵士は、ルイにすがるように声をかけた。


 その隣ではうつ伏せの兵士が、いびきのような呻きのような寝息を立てて眠っていた。


「待ってろ、すぐにマリッセを呼んでくるっ!」


 重傷な兵士にそう声をかけ、ルイは衛生部へと走った。


 仲間の治療を依頼するため、そしてマリッセの無事を確かめるため。


 マリッセの籠っていた塹壕拠点は、前線のすぐ後方に作られていた。


 それはさきほど、敵の榴弾が直撃した場所。


「マリッセ! マリッセは無事か!!」


 マリッセはトウリを除いて唯一、ドクポリ解放戦線で医療知識を持った人間だった。


 彼女が無事なら、さきほど負傷した兵士も助けられるはずだ。


「無事、か……」


 ルイは無我夢中で、衛生部だったはずの塹壕区画へ駆け込んだ。


 大切な妹分の、安否を確かめる意味を込めて。




 ────しかし、彼がたどり着いた先にあったのは。


 うつぶせになった女性が、黒焦げになって転がっている姿だった。


「……」


 おそらく榴弾の爆風を、至近距離で受けてしまったのだろう。


 ソレが原形をとどめていることが、すでに奇跡だった。


「……マリッセか? お前」


 ソレは何も答えない。


 しかしボロボロに焦げた衣服は、見覚えのある服装。


 間違いなく、『彼女』が身に着けていたもの。


「────ぁ」


 きゅうっと、喉の奥が締め付けられた。


 意図せず、かすれた声が零れ落ちた。


「あぁ、あ」


 フラフラ、と。ルイは黒焦げの体躯へ向かい、歩いていく。


 違う、そんなはずはないと、自分に言い聞かせて。


「────マリッセ」


 ソレの傍に、膝をつき。


 炭化している足先に、女物の靴が転がっているのを見て。


 ようやくルイの脳は、その物体がマリッセだと認めた。


「……何で?」


 つい昨晩、ルイは彼女と笑いあった。


 ほんの数分前、敵の戦車が榴弾を撃ち込む直前まで、マリッセはピンピンとしていた。


「おかしい、どうして、そんなはずはない」


 トウリは問うた。本当に、作戦を決行してもいいのかと。


 作戦前。村で楽しく会話した『その瞬間』に、戻りたくたまらなくなる時がくるかもしれないと。


「だってマリッセは最後尾で、安全な場所にいたはずで!!」


 ルイは震えながら、その身体を仰向けに起こした。


 マリッセは口から黄土色の体液を零しながら、ゴロンと仰向けに転がった。


「起きろ、マリッセ!!」


 ルイが叫んだその直後、賊たちが鬨の声を上げた。


 攻勢を仕掛けてきたのだ。まもなくここへ、突撃してくるのだろう。


「……賊」


 だが、ルイは逃げなかった。いや、逃げようという気力が湧かなかった。


 マリッセを置いて、立ち去ることなどできなかった。


「……あいつら、が」


 ルイは静かに、銃を構えた。


 そして賊たちの声がした方を、憎悪を燃やし見つめた。


 殺してやる。一矢報いてやる。マリッセをこんな風にしやがったやつらを許さない。


 ここで自分が果てようと、この恨みを晴らしてやる。そんな昏い覚悟が、ルイの脳裏を焼いた。


「げほっ、げほっ」


 しかし、その直後。


 黒焦げのソレは、なんと大きくせき込んだ。


「……っ!? マリッセ、生きてるのか!?」


 それはいかなる奇跡か、マリッセにはまだ息があったのだ。


 ルイは驚き、再び彼女に駆け寄った。


「げっほ! げっほ!」

「落ち着け、深呼吸しろ!」


 おそらく爆風を受ける直前に頭から倒れこんだのだろう。


 ……よく見れば。黒焦げなのは下肢だけで、マリッセの上半身は比較的軽傷だった。


「……ぅ」

「マリッセ! 寝るな!」


 しかし、彼女が虫の息であることには変わらない。


 マリッセがまだ生きているのは、奇跡に近かった。


「くそ、呼吸が浅い」


 ルイに医学知識はない。だが、彼女が虫の息だというのは分かる。


 皮膚は赤く腫れ、焦げた部分から黄色い浸出液がしみだし、焦げた衣服を濡らしてる。


 おそらく、すぐ治療をしなければ助からない。


「そうだ、トウリ。トウリが、戻ってきてくれれば────」


 この状況で、マリッセを治せるとしたら彼女しかいない。


 トウリとはさっき別れたところだ、呼べば来てくれるかもしれない。


「トウリ、助けてくれ! マリッセを、どうか!」


 ルイはあらん限りの声で絶叫した。


 敵に見つかる可能性も、何もかも織り込み済みで。


「頼む!! 衛生兵(メディック)衛生兵(メディーック)!!」


 半ば祈るように、半ば怒るように、彼の声は塹壕に木霊する。


 ルイは大切な義妹を救うため、あらん限りの声を張り上げた。


 



 


「●、●●!!」

「●●●●」


 しかし。


 そんな彼のもとに駆け付けたのは、無数の賊徒だった。


「あ、ぁ、あ────」

「●●、●」


 ルイの叫びを聞いて、賊がワラワラと押し寄せてきたのである。


 その姿を見て、ルイの顔から血の気が引いた。


「この野郎ォォォォォ!!!!」


 ルイは半狂乱になって、狙いも定めず小銃を乱発した。


 何かを考えての行動ではない。無我夢中だった。


 弾が切れるまで、壁に隠れた賊に向かって、無我夢中に撃ち続けた。


「●●●!!」

「へぶっ……」


 やがて、弾が尽きた後。賊が撃ち返した銃弾は、ルイの体躯を貫いた。


 詰めてきた賊は、少なく見ても十名ほど。小隊規模らしい。


 人数に差がありすぎて、勝てるはずがなかった。


「ぇ、ぇ、ぁ……」

「●●●●! ●●ァ!」


 ルイは胸と腹から血を噴き出して、その場に倒れ伏した。


 賊たちの嘲笑が、塹壕に響き渡った。


「ま、り……」


 彼にできたせめての抵抗は。


 マリッセを庇って、覆いかぶさることだけだった。


「ち、く、しょ……」



 ────後悔をした。


 ルイは、こんな作戦を決行したことを後悔した。


 トウリの言ったとおりだった。そもそもが、無謀すぎる作戦だった。


 彼女は何度も制止した。しかし、命を懸けてでもやらねばならないと強行したのはルイだ。


 その結果が、この結末。ルイは命を落とし、マリッセに覆いかぶさって最期を迎える。


 これでは妻を助けるどころか、義妹を道連れに自殺しただけじゃないか。


「────ぅ」


 やがて、ルイの身体から痛みが消えた。


 すっと、気持ち悪い眠気が襲ってきた。


 体の中から大切な何かがごっそり抜けていくような、不穏な感覚。


 視界が、暗くフェードアウトしていく。


 義妹(マリッセ)の末期の息遣いを、かすかに感じるのみ。


 これが最期の時なのかと、ルイはおぼろげに理解した。


「……」


 そして。


 ルイがゆっくりと、意識を手放しかけた、その瞬間。




「────ジェンさん、制圧射撃」

「おおおおっ!」



 小柄な少女兵が老兵を引き連れて、矢のごとく突っ込み。


 銃弾を叩き切っているような、不思議な夢を見た。











「────はっ!」

「意識が戻りましたか?」


 少しの間、まどろんだあと。


 やがてルイは、夕焼け空の下で意識を取り戻した。


「……あれ? 俺、生きてる?」

「ギリギリですけどね」


 うっすら目を開けた先に、見慣れた優しい顔があった。


 それは孤児院の後輩、トウリ・ノエルだった。


「治療が間に合ったようで、何よりです。救援のおかげですね」

「救、援?」

「先ほどオースティン正規軍が、助けに来てくれたのですよ」


 彼女はクスクスと、悪戯っぽい表情でそういった。


 見れば、周囲には正規軍衛生部の赤十字のテントが立ち並び。


 その病床の一つに、ルイは寝かされていたようだった。


「……なんで、正規軍が?」

「たまたま慰安旅行で、近くに来てたらしくて」


 彼に巻かれた包帯も、繋がれた点滴も、何もかも正規品である。


 トウリの言う通り、正規軍が助けに来てくれていたらしい。


「それで、ドクポリに敵がいるって報告したら、動いてくれたんですよ」

「なんで、こんな辺鄙なところに慰安旅行を?」

「穀倉地帯でも観光したくなったのではないでしょうか? いやあ、幸運ですね」

「……こじつけが過ぎるだろ」


 そのトウリの白々しい態度を見て、ルイは察した。


 たまたま、こんなところに正規軍の兵士が旅行に来るわけがない。


 オースティン政府も、ドクポリを何とかしようと考えていたのだ。


「あ。そうだ、マリッセは!?」

「……生きてはいますよ」


 ルイは安全を確認した後、死にかけの義妹の様子を思い出した。


 そうだ、彼女は大やけどを負っていて……。


「何とか、一命はとりとめました」

「そうか!! よ、良かった……」

「ギリギリでした。あとちょっと遅れていたら、どうなっていたか」


 トウリはそう言って、ルイに微笑んだ。


 マリッセが助かったと聞き、ルイは安堵で瞳に涙を貯めた。


「正規軍に『神の手(ゴッドハンド)』がいて助かりました」

「そうか、その人にも感謝しないとな」

「お礼なら、お酒を持っていくと良いでしょう。酒以外に興味がないんで、その女性(ヒト)


 しかしトウリは微妙な表情で、苦笑いすらしている。


 何だか含みがあるような言い方だった。


「ただマリッセ姉さんの足は、どうしようもありませんでした」

「っ!」

「……残念ながら、切断になったそうです」


 その言葉を聞いて、ルイは頭に衝撃を受けた。


 きっと、トウリたちも必死に治療をしてくれたのは分かる。


 命が助かっただけで奇跡。マリッセは二度と歩けない。


 だが、やはりショックだった。


「被害は、それだけじゃありませんよ」

「それだけじゃない?」

「姉さんを含め、ドクポリ解放戦線は七名の死者と、十四名の重傷者が出ています」


 追い打ちのように、ルイは味方に死者が出たことを知った。


 グラっと、ルイは頭を殴られたような痛みと、吐き気を催した。


「そ、そんなに? みんな、すぐ逃げたじゃないか」

「賊の追撃です。自分とジェンさんで、被害は減らしたつもりですが」


 そう、マリッセが奇跡的に助かっただけであり。


 壊走したドクポリ解放戦線は、手痛い被害を受けていた。


「う、あ、あ……」


 その死者の中には、十代の少年もいたという。


 味方の撤退を支援しようと、果敢にも賊に突っ込み、ハチの巣にされてしまったのだとか。


「俺が、無謀な作戦を立てたから」

「……その命は、無駄ではありません」


 ルイは、その少年を引き入れた時のことを覚えていた。


 賊を殺してやると義憤を燃やした、正義感のある少年だった。


「彼らのお陰で、賊どもは戦車を使わざるを得なかったのです」

「戦車……」

「それが、正規軍を動かすきっかけになりました」


 トウリは悲しそうに目を伏せ、話をつづけた。


 彼女は、オースティン正規軍を動かす『理由』をずっと探していたそうだ。


 しかし偵察だけでは、証拠を集めることはできなかった。


「貴方たちが立ち上がったから、エイリスは新兵器『戦車』をお披露目したのです」

「俺たちが、立ち上がったから?」

「それはエイリス政府の介入を示すには、十分な証拠になりました」


 そう言ってトウリは、一枚の写真を取り出した。


 ……そこには、煙を上げて燃える戦車が写されていた。


「この写真のおかげで、軍が動けたのです」

「あれ、戦車燃えてね?」

「オースティン軍がすぐに出動して、一日でドクポリを攻略しました。ルイ兄さんたち、『市民』が立ち上がってくれたおかげです」


 政府だけでは、外交のしがらみに囚われてドクポリに手を出す事が出来なかった。


 ただの市民であるルイが立ち上がったからこそ、軍が動けたのである。


「そうか、賊は殲滅されたんだな!? 俺の、妻は。捕まっていたオースティン人は!?」

「残念ながら、基地内に捕虜はいませんでした。おそらくは、輸送されたものと思われます」

「……そんなっ!」


 だがしかし、ドクポリの拠点の中に囚われたオースティン人は存在しなかった。


 賊は、オースティン人を奴隷としてフラメールやエイリスに輸送していたことが分かっている。


「じゃあ、どうすれば!」

「外交部として、捕虜の返還交渉に向かう予定です」


 ルイが思わず激怒して、大声で叫ぶと。


 トウリも同じく、怒りで声を震わせて答えた。


「ただで済ませる気はありません。世界中に働きかけて、糾弾する予定です」

「トウリ……」

「ここから先は、政府の仕事。歯がゆいとは思いますが、もう少しだけ待っていてください」


 トウリの怒りに、ルイは思わず口を噤んだ。


 彼女自身、エイリスの横暴には激怒していたのだろう。


「……ごめんなさい、兄さんたちを矢面に立たせてしまって」


 その後、ポツリと。


 トウリは、ルイに申し訳なさそうに頭を下げた。


「トウリ?」

「本来なら政府が、こうならないよう立ち回るべきでした」


 トウリは、酷く辛そうな顔をしていた。


 ルイにはどうして、彼女がそんな顔をしているのかわからなかった。


「どうしてトウリが謝るんだ。政府が悪いのだろう?」

「自分は、官僚だったのです。今回の件のために、辞職しましたけどね」

「か、官僚?」

「戦後は、外交官をやっていました」


 トウリは自嘲気味に、懺悔するよう目を閉じた。


「エイリスと、ドクポリの賊討伐に関して交渉を続けていたのは自分なんです」

「トウリ……」

「自分の交渉では、譲歩を引き出せませんでした。ルイ兄さんの奥さんが攫われたのは、自分の不手際なのです」


 ルイは何度も、政府に軍の出動を要請した。しかし『外交上の問題』として正規軍は動かなかった。


 動きたくても、動けなかったのだ。下手をすると、再び『世界大戦』が始まってしまうから。


「ここ数年で何度もエイリスを訪れましたが、暖簾(のれん)に腕押しでした」

「なるほど」

「このまま交渉を続けても埒が明かないと思い、力技に出ることにしたのです」


 トウリもドクポリに関して、やきもきとしていた。


 賊による被害は増えていく一方。このまま指をくわえてみているわけにはいかない。


 そこで、


「自分は私用でドクポリに向かったという建前で、偵察を強行したのですよ」

「……おお」


 トウリは無茶を承知で、職を辞して『一般人』として、自らドクポリに乗り込んだのだった。


「一人で戦うつもりだったのか?」

「まさか。懇意にしている部隊に、『たまたま』近くに旅行してもらってました。そして、奇襲を仕掛けていただくプランです」

「そんな屁理屈、許されるのか」

「許されませんよ、エイリスの正規軍が関わっているという証拠でもない限り。もし自分が証拠を見つけられなければ、そのまま帰って頂く手筈でした」


 トウリはそう言って、ヒラヒラと写真を振った。


 燃え盛る戦車の前で治療をする彼女が映った、一枚の写真。


「この写真が決定打になるのです。ルイ兄さん、これがあなた達の戦果です」

「お、おお」

「どうせエイリスは屁理屈を並べてくると思いますが、論戦はオースティン外交部に任せてください」


 トウリはその写真を大切に仕舞い込んで。


 何かを思い出したように、少しだけ微笑んだ。


「議長のアルノマさんは、正しい判断を下してくれるでしょう」


 彼女はそう言うと。


 遠く、東の空を見上げて一礼した。



次回、最終話

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
正規兵相手に7人の死者だけで済んでるのが異常だよなぁ... エースの存在ってやっぱり理不尽だわ
アルノマさんが生きている間は大戦起きなそうだけど、死んだらやばそうやな。サバトも革命の綻び出てきてる頃だろうし。。。 二次大戦は近いな…
やっぱり準備万端だったんですね… また掌の上でゴロゴロしてしまいました…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ