211話
昨日の夕餉で談笑した友人が、泥の中で転がっていた。
大腿がチリチリと黒く焦げ、足首から先がねじ切れていた。
「こんな、そんな」
嗅ぎ慣れぬ異臭が、ツンと鼻についた。
それが肉の焼けた匂いなのだと、まもなくルイは気が付いた。
「あ、ああっ……。助けて、ルイさん」
「死ぬ、死ぬ。ァー……、ァー」
全身が焼けただれた兵士は、ルイにすがるように声をかけた。
その隣ではうつ伏せの兵士が、いびきのような呻きのような寝息を立てて眠っていた。
「待ってろ、すぐにマリッセを呼んでくるっ!」
重傷な兵士にそう声をかけ、ルイは衛生部へと走った。
仲間の治療を依頼するため、そしてマリッセの無事を確かめるため。
マリッセの籠っていた塹壕拠点は、前線のすぐ後方に作られていた。
それはさきほど、敵の榴弾が直撃した場所。
「マリッセ! マリッセは無事か!!」
マリッセはトウリを除いて唯一、ドクポリ解放戦線で医療知識を持った人間だった。
彼女が無事なら、さきほど負傷した兵士も助けられるはずだ。
「無事、か……」
ルイは無我夢中で、衛生部だったはずの塹壕区画へ駆け込んだ。
大切な妹分の、安否を確かめる意味を込めて。
────しかし、彼がたどり着いた先にあったのは。
うつぶせになった女性が、黒焦げになって転がっている姿だった。
「……」
おそらく榴弾の爆風を、至近距離で受けてしまったのだろう。
ソレが原形をとどめていることが、すでに奇跡だった。
「……マリッセか? お前」
ソレは何も答えない。
しかしボロボロに焦げた衣服は、見覚えのある服装。
間違いなく、『彼女』が身に着けていたもの。
「────ぁ」
きゅうっと、喉の奥が締め付けられた。
意図せず、かすれた声が零れ落ちた。
「あぁ、あ」
フラフラ、と。ルイは黒焦げの体躯へ向かい、歩いていく。
違う、そんなはずはないと、自分に言い聞かせて。
「────マリッセ」
ソレの傍に、膝をつき。
炭化している足先に、女物の靴が転がっているのを見て。
ようやくルイの脳は、その物体がマリッセだと認めた。
「……何で?」
つい昨晩、ルイは彼女と笑いあった。
ほんの数分前、敵の戦車が榴弾を撃ち込む直前まで、マリッセはピンピンとしていた。
「おかしい、どうして、そんなはずはない」
トウリは問うた。本当に、作戦を決行してもいいのかと。
作戦前。村で楽しく会話した『その瞬間』に、戻りたくたまらなくなる時がくるかもしれないと。
「だってマリッセは最後尾で、安全な場所にいたはずで!!」
ルイは震えながら、その身体を仰向けに起こした。
マリッセは口から黄土色の体液を零しながら、ゴロンと仰向けに転がった。
「起きろ、マリッセ!!」
ルイが叫んだその直後、賊たちが鬨の声を上げた。
攻勢を仕掛けてきたのだ。まもなくここへ、突撃してくるのだろう。
「……賊」
だが、ルイは逃げなかった。いや、逃げようという気力が湧かなかった。
マリッセを置いて、立ち去ることなどできなかった。
「……あいつら、が」
ルイは静かに、銃を構えた。
そして賊たちの声がした方を、憎悪を燃やし見つめた。
殺してやる。一矢報いてやる。マリッセをこんな風にしやがったやつらを許さない。
ここで自分が果てようと、この恨みを晴らしてやる。そんな昏い覚悟が、ルイの脳裏を焼いた。
「げほっ、げほっ」
しかし、その直後。
黒焦げのソレは、なんと大きくせき込んだ。
「……っ!? マリッセ、生きてるのか!?」
それはいかなる奇跡か、マリッセにはまだ息があったのだ。
ルイは驚き、再び彼女に駆け寄った。
「げっほ! げっほ!」
「落ち着け、深呼吸しろ!」
おそらく爆風を受ける直前に頭から倒れこんだのだろう。
……よく見れば。黒焦げなのは下肢だけで、マリッセの上半身は比較的軽傷だった。
「……ぅ」
「マリッセ! 寝るな!」
しかし、彼女が虫の息であることには変わらない。
マリッセがまだ生きているのは、奇跡に近かった。
「くそ、呼吸が浅い」
ルイに医学知識はない。だが、彼女が虫の息だというのは分かる。
皮膚は赤く腫れ、焦げた部分から黄色い浸出液がしみだし、焦げた衣服を濡らしてる。
おそらく、すぐ治療をしなければ助からない。
「そうだ、トウリ。トウリが、戻ってきてくれれば────」
この状況で、マリッセを治せるとしたら彼女しかいない。
トウリとはさっき別れたところだ、呼べば来てくれるかもしれない。
「トウリ、助けてくれ! マリッセを、どうか!」
ルイはあらん限りの声で絶叫した。
敵に見つかる可能性も、何もかも織り込み済みで。
「頼む!! 衛生兵、衛生兵!!」
半ば祈るように、半ば怒るように、彼の声は塹壕に木霊する。
ルイは大切な義妹を救うため、あらん限りの声を張り上げた。
「●、●●!!」
「●●●●」
しかし。
そんな彼のもとに駆け付けたのは、無数の賊徒だった。
「あ、ぁ、あ────」
「●●、●」
ルイの叫びを聞いて、賊がワラワラと押し寄せてきたのである。
その姿を見て、ルイの顔から血の気が引いた。
「この野郎ォォォォォ!!!!」
ルイは半狂乱になって、狙いも定めず小銃を乱発した。
何かを考えての行動ではない。無我夢中だった。
弾が切れるまで、壁に隠れた賊に向かって、無我夢中に撃ち続けた。
「●●●!!」
「へぶっ……」
やがて、弾が尽きた後。賊が撃ち返した銃弾は、ルイの体躯を貫いた。
詰めてきた賊は、少なく見ても十名ほど。小隊規模らしい。
人数に差がありすぎて、勝てるはずがなかった。
「ぇ、ぇ、ぁ……」
「●●●●! ●●ァ!」
ルイは胸と腹から血を噴き出して、その場に倒れ伏した。
賊たちの嘲笑が、塹壕に響き渡った。
「ま、り……」
彼にできたせめての抵抗は。
マリッセを庇って、覆いかぶさることだけだった。
「ち、く、しょ……」
────後悔をした。
ルイは、こんな作戦を決行したことを後悔した。
トウリの言ったとおりだった。そもそもが、無謀すぎる作戦だった。
彼女は何度も制止した。しかし、命を懸けてでもやらねばならないと強行したのはルイだ。
その結果が、この結末。ルイは命を落とし、マリッセに覆いかぶさって最期を迎える。
これでは妻を助けるどころか、義妹を道連れに自殺しただけじゃないか。
「────ぅ」
やがて、ルイの身体から痛みが消えた。
すっと、気持ち悪い眠気が襲ってきた。
体の中から大切な何かがごっそり抜けていくような、不穏な感覚。
視界が、暗くフェードアウトしていく。
義妹の末期の息遣いを、かすかに感じるのみ。
これが最期の時なのかと、ルイはおぼろげに理解した。
「……」
そして。
ルイがゆっくりと、意識を手放しかけた、その瞬間。
「────ジェンさん、制圧射撃」
「おおおおっ!」
小柄な少女兵が老兵を引き連れて、矢のごとく突っ込み。
銃弾を叩き切っているような、不思議な夢を見た。
「────はっ!」
「意識が戻りましたか?」
少しの間、まどろんだあと。
やがてルイは、夕焼け空の下で意識を取り戻した。
「……あれ? 俺、生きてる?」
「ギリギリですけどね」
うっすら目を開けた先に、見慣れた優しい顔があった。
それは孤児院の後輩、トウリ・ノエルだった。
「治療が間に合ったようで、何よりです。救援のおかげですね」
「救、援?」
「先ほどオースティン正規軍が、助けに来てくれたのですよ」
彼女はクスクスと、悪戯っぽい表情でそういった。
見れば、周囲には正規軍衛生部の赤十字のテントが立ち並び。
その病床の一つに、ルイは寝かされていたようだった。
「……なんで、正規軍が?」
「たまたま慰安旅行で、近くに来てたらしくて」
彼に巻かれた包帯も、繋がれた点滴も、何もかも正規品である。
トウリの言う通り、正規軍が助けに来てくれていたらしい。
「それで、ドクポリに敵がいるって報告したら、動いてくれたんですよ」
「なんで、こんな辺鄙なところに慰安旅行を?」
「穀倉地帯でも観光したくなったのではないでしょうか? いやあ、幸運ですね」
「……こじつけが過ぎるだろ」
そのトウリの白々しい態度を見て、ルイは察した。
たまたま、こんなところに正規軍の兵士が旅行に来るわけがない。
オースティン政府も、ドクポリを何とかしようと考えていたのだ。
「あ。そうだ、マリッセは!?」
「……生きてはいますよ」
ルイは安全を確認した後、死にかけの義妹の様子を思い出した。
そうだ、彼女は大やけどを負っていて……。
「何とか、一命はとりとめました」
「そうか!! よ、良かった……」
「ギリギリでした。あとちょっと遅れていたら、どうなっていたか」
トウリはそう言って、ルイに微笑んだ。
マリッセが助かったと聞き、ルイは安堵で瞳に涙を貯めた。
「正規軍に『神の手』がいて助かりました」
「そうか、その人にも感謝しないとな」
「お礼なら、お酒を持っていくと良いでしょう。酒以外に興味がないんで、その女性」
しかしトウリは微妙な表情で、苦笑いすらしている。
何だか含みがあるような言い方だった。
「ただマリッセ姉さんの足は、どうしようもありませんでした」
「っ!」
「……残念ながら、切断になったそうです」
その言葉を聞いて、ルイは頭に衝撃を受けた。
きっと、トウリたちも必死に治療をしてくれたのは分かる。
命が助かっただけで奇跡。マリッセは二度と歩けない。
だが、やはりショックだった。
「被害は、それだけじゃありませんよ」
「それだけじゃない?」
「姉さんを含め、ドクポリ解放戦線は七名の死者と、十四名の重傷者が出ています」
追い打ちのように、ルイは味方に死者が出たことを知った。
グラっと、ルイは頭を殴られたような痛みと、吐き気を催した。
「そ、そんなに? みんな、すぐ逃げたじゃないか」
「賊の追撃です。自分とジェンさんで、被害は減らしたつもりですが」
そう、マリッセが奇跡的に助かっただけであり。
壊走したドクポリ解放戦線は、手痛い被害を受けていた。
「う、あ、あ……」
その死者の中には、十代の少年もいたという。
味方の撤退を支援しようと、果敢にも賊に突っ込み、ハチの巣にされてしまったのだとか。
「俺が、無謀な作戦を立てたから」
「……その命は、無駄ではありません」
ルイは、その少年を引き入れた時のことを覚えていた。
賊を殺してやると義憤を燃やした、正義感のある少年だった。
「彼らのお陰で、賊どもは戦車を使わざるを得なかったのです」
「戦車……」
「それが、正規軍を動かすきっかけになりました」
トウリは悲しそうに目を伏せ、話をつづけた。
彼女は、オースティン正規軍を動かす『理由』をずっと探していたそうだ。
しかし偵察だけでは、証拠を集めることはできなかった。
「貴方たちが立ち上がったから、エイリスは新兵器『戦車』をお披露目したのです」
「俺たちが、立ち上がったから?」
「それはエイリス政府の介入を示すには、十分な証拠になりました」
そう言ってトウリは、一枚の写真を取り出した。
……そこには、煙を上げて燃える戦車が写されていた。
「この写真のおかげで、軍が動けたのです」
「あれ、戦車燃えてね?」
「オースティン軍がすぐに出動して、一日でドクポリを攻略しました。ルイ兄さんたち、『市民』が立ち上がってくれたおかげです」
政府だけでは、外交のしがらみに囚われてドクポリに手を出す事が出来なかった。
ただの市民であるルイが立ち上がったからこそ、軍が動けたのである。
「そうか、賊は殲滅されたんだな!? 俺の、妻は。捕まっていたオースティン人は!?」
「残念ながら、基地内に捕虜はいませんでした。おそらくは、輸送されたものと思われます」
「……そんなっ!」
だがしかし、ドクポリの拠点の中に囚われたオースティン人は存在しなかった。
賊は、オースティン人を奴隷としてフラメールやエイリスに輸送していたことが分かっている。
「じゃあ、どうすれば!」
「外交部として、捕虜の返還交渉に向かう予定です」
ルイが思わず激怒して、大声で叫ぶと。
トウリも同じく、怒りで声を震わせて答えた。
「ただで済ませる気はありません。世界中に働きかけて、糾弾する予定です」
「トウリ……」
「ここから先は、政府の仕事。歯がゆいとは思いますが、もう少しだけ待っていてください」
トウリの怒りに、ルイは思わず口を噤んだ。
彼女自身、エイリスの横暴には激怒していたのだろう。
「……ごめんなさい、兄さんたちを矢面に立たせてしまって」
その後、ポツリと。
トウリは、ルイに申し訳なさそうに頭を下げた。
「トウリ?」
「本来なら政府が、こうならないよう立ち回るべきでした」
トウリは、酷く辛そうな顔をしていた。
ルイにはどうして、彼女がそんな顔をしているのかわからなかった。
「どうしてトウリが謝るんだ。政府が悪いのだろう?」
「自分は、官僚だったのです。今回の件のために、辞職しましたけどね」
「か、官僚?」
「戦後は、外交官をやっていました」
トウリは自嘲気味に、懺悔するよう目を閉じた。
「エイリスと、ドクポリの賊討伐に関して交渉を続けていたのは自分なんです」
「トウリ……」
「自分の交渉では、譲歩を引き出せませんでした。ルイ兄さんの奥さんが攫われたのは、自分の不手際なのです」
ルイは何度も、政府に軍の出動を要請した。しかし『外交上の問題』として正規軍は動かなかった。
動きたくても、動けなかったのだ。下手をすると、再び『世界大戦』が始まってしまうから。
「ここ数年で何度もエイリスを訪れましたが、暖簾に腕押しでした」
「なるほど」
「このまま交渉を続けても埒が明かないと思い、力技に出ることにしたのです」
トウリもドクポリに関して、やきもきとしていた。
賊による被害は増えていく一方。このまま指をくわえてみているわけにはいかない。
そこで、
「自分は私用でドクポリに向かったという建前で、偵察を強行したのですよ」
「……おお」
トウリは無茶を承知で、職を辞して『一般人』として、自らドクポリに乗り込んだのだった。
「一人で戦うつもりだったのか?」
「まさか。懇意にしている部隊に、『たまたま』近くに旅行してもらってました。そして、奇襲を仕掛けていただくプランです」
「そんな屁理屈、許されるのか」
「許されませんよ、エイリスの正規軍が関わっているという証拠でもない限り。もし自分が証拠を見つけられなければ、そのまま帰って頂く手筈でした」
トウリはそう言って、ヒラヒラと写真を振った。
燃え盛る戦車の前で治療をする彼女が映った、一枚の写真。
「この写真が決定打になるのです。ルイ兄さん、これがあなた達の戦果です」
「お、おお」
「どうせエイリスは屁理屈を並べてくると思いますが、論戦はオースティン外交部に任せてください」
トウリはその写真を大切に仕舞い込んで。
何かを思い出したように、少しだけ微笑んだ。
「議長のアルノマさんは、正しい判断を下してくれるでしょう」
彼女はそう言うと。
遠く、東の空を見上げて一礼した。
次回、最終話




