3-1 金欠な二人
こちらも終わらせる気はないので努力
昼下がりのクラーヴィス邸のテラス。そこで二人の女性が紅茶を楽しんでいた。
一人はブレーナ・クラーヴィス。銀の長髪とどこかおっとりとした雰囲気を醸し出すクラーヴィス家の長女。そしてもう一人はクレス・クラーヴィス。ブレーナとは違い少々目つきが鋭く毅然とした雰囲気の次女だ。
「ブレーナ姉様、先ほどから熱心に何を読んでいるのですか?」
クレスが正面に座る姉に問うとブレーナは読んでいた新聞から顔を上げた。
「中々面白い記事があったのよ。クレスちゃんも読んでみる?」
「面白い……?」
首を傾げつつクレスは新聞を受け取った。そしてその新聞の名前を見て一瞬眉を顰める。これは巷でも悪名高いタブロイド紙だ。書いてあることは大抵誇張されているか捏造されているかそのどちらか。そして真面目に書いてる記事は何時も突拍子もなく、妄想と疑う内容が多い。
「またこんな新聞を……」
「まあまあ」
呑気にティーカップに口を付ける姉にため息をつきつつ姉が読んで居た記事に目を落しクレスは硬直した。
『悪魔の仕業か!? フロンノに朝に突如として現れた異常! あのマゴリー家に一体何が!!』
「『当社記者の調査によると先日の朝、あのマゴリー家のボラル・マゴリー氏がベランダから吊るされている所を郵便配達の青年が発見。急ぎ通報され、使用人のムヒス氏共々救い出されたが、ボラル氏は震えるばかりで証言は要領をえずままだという。ムヒス氏に状況を確認しようとしたが、彼は重症の為に直ぐに搬送されたという。一体何が起きたと言うのだろうか』……姉様、これは」
ダラダラと冷や汗が流れる。フロンノと言えばあの二人が向かった先だ。ただそれだけなのにこの不安は何だろうか?
「クレスちゃん、最後まで読んでみなさい」
姉のブレーナはそんなこちらの反応を楽しそうに見つめつつ紅茶を飲んでいる。そんな姉の様子に嫌な予感をひしひしと感じつつ、クレスは新聞を読み進めていく。すると最後の方にはこんな事が書いてあった。
「『ムヒス氏は重症の為、なんとかボラル氏から話を聞き出そうとした警察だったが、ただひたすら『銀髪こわい』と喚くばかりでやはり意味が分からず仕舞いである。更には同日朝、フロンノにある宿屋が朝方突然押しつぶされたという報告もあり、フロンノの市民達は突然起きた奇怪な事件に身を震わせている……』ってやっぱりあの二人か!?」
銀髪。それに押しつぶされた宿と聞いて確信したクレスは思わず頭を抱えてしまった。何をやっているんだあの二人は!
「元気そうでなによりねえ」
「そういう問題ですか!?」
呑気な姉の態度に肩を落としつつクレスは天を仰ぐ。いくらなんでもこれは不味いだろう。もしボラルかムヒスとやらが正気に戻るなり治療されるなりして復活して証言されたらアウトではないか。
「ああ、それは大丈夫そうよ。ほら、こっちの新聞によると警察の調査の際にマゴリー家の今まで犯した罪がどんどん発覚してるらしいから。そっちの記事は不気味に煽ってるだけなの。実際はそれなりの小悪党だったらしくて、恨みをあちこちから買って襲われたんだろうって見解よ。それに警察も今まで煮え湯を飲まされたらしいから、積極的に犯人捜す気はなさそうね」
「なんてお気楽な……」
がたっ、と疲れた様に椅子に体重を乗せる。一体何をやっているんだか、あの二人組。特にノワだ。生真面目な妹が付いていてそんな状況になると言う事はあの男……ラクードに大分毒されているのではないだろうか? 両親たちがその事を知ったらどう反応するかが怖い。
「けど……そうねえ、心配な事は別にあるわあ」
紅茶をテーブルに置いたブレーナが思い出したかのように空を見上げた。
「心配? 何でしょうか?」
だいぶ落ち着いてきたクレスが尋ねると、ブレーナは「えーとね、」と一拍置き、答えた。
「お金よ」
「金が無い」
始まりはラクードのその一言だった。突然のその告白に隣を歩いていたノワが首を傾げた。
「どうしたのですかいきなり?」
「どうしたも何も言った通りだ。俺の金が尽きた……」
ぬう、と苦い顔をするラクードをノワが呆れた様に見つめる。
「食べ過ぎですよ。昨日だって行商人見つけたら片っ端から食料頼んでいたじゃないですか……確かに美味しかったですけど」
そう、二人はフロンノの街を出て次の街へと移動の最中だ。街道を歩いている為に時たまそう言った行商人が通る。そこで足りない食料や道具を買う事はよくある事なのだが、ラクードは少しタガを外して買いすぎたのだ。
因みに財布に関しては二人は別々に持っており、お互い奢る時もあるが基本支払いは別々だ。
「仕方ありませんね。しばらくは私が出して上げますからその間に資金繰りを……そういえばラクードはいつもどうやってお金を手に入れていたのですか? ずっと旅をしていたと聞きましたが」
ふと気づく。ノワの知る限りラクードはアズラルを追ってずっと旅をしていたはずだ。ではその資金はどこから出ていたのであろうか?
「金か……。立ち寄った街で日雇いの仕事受けたり強盗団なり山賊なり見つけ出して身ぐるみ剥いで金にしたりだが。……そういやこないだの連中からは剥ぎ忘れてたな。失敗した……っ」
「聞くんじゃありませんでした……」
つまりは行き当たりばったりと言う事らしい。益々呆れてしまうが無いものは無いのだから仕方がない。因みにメルダ達は残らず捉えて警察署に前に放って置いた二人である。
「とりあえずもうすぐ街に付きます。そうしたらそこで何かを考えましょう。それまでは私が貸して…………」
言いながら自分の懐を漁り、そしてノワは硬直した。
「……ノワ?」
ラクードが首を傾げているがそれどころでは無い。おかしい、こんな馬鹿な事があっていいのか。徐々に湧きあがる焦燥感に追われつつ、ノワは服のあちこちを探し回り、しかし望む結果が得られずその顔がどんどん真っ青になっていく。
「おい、どうした?」
再度のラクードの問い。それに対し肩を震わせつつ涙目で、
「お財布…………落しました……」
その時の彼女の顔は本気で泣きそうだったと言う。
《おい、本当にいいのか?》
「構いません。ラクードが言ったではありませんか。お金を稼ぐために働くと」
《しかしだな、これ体力仕事だぞ? だったら俺がやる方が適任じゃね?》
「問題ありません。むしろ体力仕事だからこそ私でしょう。貴方の剣の力は重力変化です。ならばその力を私が使って仕事をすれば遥かに楽な筈です」
《いや、俺が言いたいのはそういう事じゃなくて……》
あれから数時間後。ノワとラクードは次の街、学術都市シヴァルへとたどり着いていた。この街は名前の通り、研究者や学者が多い。それはこの街から更に北に行った所に遺跡が多数ある事が理由である。その遺跡群は未だ完全には発掘されておらず日夜その努力がされている。そして発掘された遺跡は直ぐに研究者達が調査を行うのでこの街にそういった人材が集まるのだ。更には上記の理由から貴重な資料なども多い。
そしてそんな街では現在新たな図書館を建築中であり、その為の人手の募集に眼を付けた二人である。因みに二人の周りには他にも何人か同じ依頼を受けた者達がたむろしているのだが、どれも筋骨隆々な男達ばかり。その中には大剣背負った少女がいる光景は中々に目立っていた。
「おいおいねーちゃん。まさかアンタも参加するのか?」
「辞めといたほうが良いぜ? お遊びで出来る仕事じゃねえぞ?」
何人かはそうやって声をかけてくる。半分は普通に心配しており、半分はからかっている連中だ。だが前者には丁寧に礼を言いつつも頑として譲らず、後者には背中の大剣を見せつけると何も言わず去っていった。
《絶対後悔すると思うぞ》
「何をそんなに心配しているので―――来ましたよ」
ノワの視線の先、スーツを着た役人らしき男と汚れたズボンとシャツ一枚という、かなり軽装の男がやってきた。恐らくスーツの男が依頼人でシャツの男は現場監督か何かだろう。
「よーし、それじゃあ仕事を説明するぞ。内容は簡単だ。図書館建設に使う資材を馬車から運び出して所定の位置まで置いてくれ。後はその位置に居る奴が指示をするからそれに従う様に。難しい事は必要ない、ただひたすら物を運んでくれればいい」
「ほら、聞きましたか? 簡単ではありませんか」
《ああ、まあそりゃそうなんだけどよ》
シャツの男は粗方の説明を終えると名簿を確認しながら参加者達に担当を割り振っていく。そしてノワの前までくるとその眉をしかめた。
「ノワ・クラーヴィス……女か? まさかお前が?」
「ええ、そうですよ」
自信満々に頷くノワだが男は訝し気だ。何せノワは男に比べて小柄であるし腕には鎖。そしてその鎖が背中の大剣に繋がっているのだから怪しむなと言う方が難しい。
「色々言いてえことはあるがまず一つだ。お前、仕事舐めてんだろ?」
「いいえ」
否定するも男は苛立ち気に首を振る。そしてため息をつきつつノワを睨みつけた。
「いいか嬢ちゃん。背中の剣も気になるとこだがまあそれはいい。魔導器持ちの中には肌身離さず、って奴はいることは俺も知ってるし、問題さえ起こさなきゃな。だがお前はそれ以前に大問題があるだろうが。本や野菜を運ぶのとは訳が違うんだよ。お遊びで来られたら迷惑なんだ」
「むっ……」
最近のガキは面倒くせえ、とか、女ってのは黙っていう事聞いてればいいんだとぼやきつつどうにかこちらを追い出そうとしている男の姿にイラッとした。確かに自分は女性だし体格も周りの男達と比べたら雲泥の差だ。だから勘違いするのは分かる。だけどもう少し言い方もあるとは思うのだ。
「…………あれを運べば良いんですね?」
ノワは冷静に遠くにある荷馬車に積まれた資材の山を見る。成程、確かに一つ一つが大きく、石柱や斬り倒したであろう大木などが見える。
こちらの態度を強がりと見たのか男はふんっ、と鼻で笑うと少し口を吊り上げた。
「ああそうだ。これでわかっただろ? だからとっとと消えな、お嬢ちゃん」
「っ…………わかりました」
ノワは男を無視して馬車へと歩いていく。背後で男が『おい、どこへ行く!』と叫んでいるが無視だ。そして馬車の近くまで来ると、先ほど自分を心配したりからかっていた連中が振り返った。そんな彼らに向けてノワは微笑み、
「少々、どいてくれませんか?」
「ひぃっ!?」
その笑みにどこか昏いものを感じたのだろう。男たちが一斉に馬車から飛び退く。そして人の離れた馬車に近づくと小さく一言。
「ラクード」
《知らねえぞ……》
ラクードが応え、そして小さな光が漏れる。それに頷きつつノワは荷台に手をかけ、
「ふっ」
持ち上げた。
「は…………?」
周りの男たちがぽかん、とする中、ノワはさしたる苦も無く歩いて行き、やがてシャツの男の前までたどり着くとその前に荷台をゆっくりと降ろす。荷台が地に付いた途端、その重みでずんっ、と小さく音が響き砂埃が舞った。
「お、お前…………」
ぽかん、と口を上げ呆然とする男を前にノワは満足げに頷いた。少々やり過ぎな気はしたがいい気味だ。散々馬鹿にした女のまさかの行動にさぞや驚いている事だろう。
さあどうだ、とばかりにノワが男を見ると男は顔を引き攣らせつつ、
「あ、あの荷台を持ち上げただと…………どこのゴリラだ貴様!」
「ちょっと待ってください!? 何ですかその反応は!?」
余りにも予想外の反応にノワが慌てるが周りの男達、果てはギャラリーまでもが怯えた様にノワを見ていた。
「おい、すげえぞあの子! どこにあんな怪力が!?」
「俺聞いたことある。大陸南の野生の大国リスラマだと女がステゴロで象を倒すらしいぜ!」
「と言う事はあの子もリスラマのゴリラ少女って事!? 確かに異常な筋力ね!」
「なんて美しいゴリラなんだ……」
「ど、どうしよう!? 俺あの子からかっちったよ!? 殺される……!?」
「落ち着け! 果物だ、果物を持ってこい!」
「ちょ、ちょっと待ってください!? 何でみんな一致団結してゴリラコールなんですか!? というかいくらなんでも失礼過ぎじゃありませんか!?」
《安心しろノワ。俺はお前がゴリラじゃない事は知っている》
「冷静に言ってないで下さい!? ねえ、お願いですから皆さん私の話を聞いて!?」
涙目で叫ぶノワの声は彼らに届かず空しく空に響くだけだった。
「もう私は二度と力仕事はしません……」
「だから言ったのに」
騒動から逃げ出したラクードとノワは街の中心付近に設置されている噴水の傍でようやく落ち着くことが出来た。とは言ってもノワに関しては落ち着くどころか沈んでいるのだが。
「別に馬鹿にする訳じゃないけどよ、お前みたいな体格の奴があんな物持ち上げたら騒がれるだろそりゃ」
「ぅぅ……反省しています」
どよーんと暗い顔で落ち込むノワ。その眼は涙で赤いが、それは羞恥の外に本人もやり過ぎたと気づいた故の自己嫌悪のせいである。今の彼女は文字通り地面に両手両膝をついて正しく打ちひしがれていた。
「とりあえずあの仕事は俺がやるからよ、別の仕事探そうぜ? 二人共金が無いんだから早めに始めないとまずいだろ」
「ぅぅ……」
よろよろとノワが立ち上がる。まだダメージから回復はしていないがまあそれは仕方あるまい。とりあえずノワでも出来る仕事と言ったらなんだろうか? ウェイトレスとかか? しかし背中に大剣背負ったウェイトレスなんて果たして採用する店があるのか疑問である。というか採用したらしたでその店は色々不味い気がする。
「あの……」
そんな時だ。突然声をかけられ驚いたラクードが振り向くと、先程の現場に居たスーツの男がそこに居た。上品そうなスーツに襟には紋章が刻まれたバッジを付けた男は40代程に見える。白髪の混じった髪は綺麗に整えられているが、どこか弱気な印象を受ける男だ。
「あんたは?」
「ああ、すいません。私はこの街の第一図書館の館長、フリーク・ミンティスと申します」
「図書館……?」
ノワも目元をぬぐいつつ不思議そうに首を傾げた。フリークはそんなノワに頷きつつ、実は、と切り出してきた。
「先程のお姿を拝見して是非彼女にお願いしたいことがあったのです。お連れの方が居るのは知りませんでしたがもしよろしければ助けて頂けないでしょうか?」
「助け? 一体何の話だ?」
当然と言えば当然のラクードの問いに。それにフリークは頷き応えた。
「先程のそちらの方の超パワーを見て確信したのです。この方なら私の依頼も達成できるに違いないと。勿論報酬は出しますのでお願い頂けないでしょうか?」
「超パワーは忘れて下さい…………ぅぅ」
再び崩れ落ちるノワ。
「内容次第だろ。決めるのはこいつだがまずその内容を言えよ」
「ああ、すいませんでした。内容ですね」
スーツの男は苦笑すると、人の良さそうな笑みを浮かべ、
「我が図書館を学園のクソ餓鬼共から守って欲しいのです」
『は?』
そんな事を、言った。




