2-9 因果応報と新たな旅立ち
遅い。
ボラル・マゴリーは苛立ちを隠そうともせず近くにあった机を蹴りつけた。そして思いの外それが痛くて思わず蹲る。
彼が苛立っているのは他でも無い、ムヒスの件だ。あれだけ偉そうに言っていたくせに昼を過ぎ、日は落ちかけているのに未だ帰ってこない。そんな執事にボラルの怒りが増していく。
ボラルはムヒスが言う通り半ば勘当された様な身だ。その原因は彼の性格にある。
三人姉弟の末っ子として生まれた彼は、殊更甘やかされて育ってきた。上二人の姉兄とは少し歳が離れていた事もあり、両親も姉弟たちもボラルをこれでもかとばかりに甘やかしてきた。だがその結果、ボラルは非常に自己中心的尚且つ、怠惰な人間へと成長してしまった。何せありとあらゆることを家族や使用人が助けてくれていたのだ。次第に自分がやる事は他人にやらせるべき、などと言う短絡的な思考が根付いてしまった。
そんな彼だが趣味もある。それが魔導器集めだ。様々な種類が存在するが彼が最も好むのはやはり武器型魔導器である。最初はそれらを用いて戦う姿を見るのが好きだったが、やがて成長すると共に自分でも扱ってみたくなる。ここでも持ち前の我儘さを全開に使用人たちが持っていた魔導器を強引に借りて使おうとしたが、そこで問題が発生した。
才能が無い。
魔導器はあくまで道具だ。使い方さえ分かれば大抵の人間は使用できる。だがボラルは圧倒的にセンスが……しいていうなら戦闘センスと言う物が無かった。それ故に例え武器型魔導器を使おうとしても碌に使いこなせない。それが悔しかった。悔しかったから、自分でも簡単に使える魔導器探しを始めたのだ。
初めは売られている大量生産品を。それが駄目ならより高価な物を。それでも駄目なら人が使っている物で使いやすそうなものを無理やり奪いもした。だがそのいずれも彼には使いこなせなかった。それでも諦めきれずボラルは行動した。次第に周囲からは『魔導器コレクター』とも呼ばれ始めたが気にせず続けた。続け過ぎて、そしてやり過ぎたのだ。
手当たり次第買いあさり、奪い、時には無理難題を押し付けて作らせようとするボラルのその行動は周囲の反感を浴び、最初は黙認していた家族も次第に呆れ、そして怒りを感じ始めたのだ。何せ自分達が真面目に学業や仕事に専念してる間、末っ子は家の財産を食い荒らしつつ使えもしない魔導器を集め続け更には人々の非難を集めているのだ。そこに来てようやくマゴリー家当主も自分達が甘すぎた事を反省し、まずはその甘えた根性を叩き直せと言わんばかりに彼を追い出した。追い出したと言っても家も金も使用人も用意していたあたりはやはり子を完全に捨てきれなかったからだが。
そうして追い出されたボラルだが反省するどころか悪化した。身軽になった事を良い事に、今まで以上に魔導器集めに専念し始めたのだ。そして金がなくなれば親にせびる。勘当されようが関係ない。そして親も実の子が文無しで朽ちるのは流石に捨てきれないのか、結局金を出し、そしてボラルはまた好き勝手にする。そんな悪循環が続いてしまっていた。
だがそんなボラルにも苦手な人物がいる。それはムヒスだ。自分がこの街へ勘当された際に一緒についてきた執事。両親が自分に付けたこの執事だけは苦手だ。確かに有能だが何を考えているか分からないし、自分の言う事も聞くには聞くがどこか白々しい。そして時折こちらを馬鹿にしてるのか本気なのかよくわからない発言をする。本人曰く『愛の鞭』らしいがボラルにとっては苛立たしいだけに過ぎない。
「ああそうだ。帰ってきたら文句を言ってやる」
あれだけ自信満々で行っておいて帰ってくるのが遅い。その事をネタに精々嫌味を言ってやる。そんな子供じみた事を考えていた矢先、部屋の扉が叩かれた。
「やっと帰って来たか」
口元が吊り上る。部屋に入ってきたらまず何て罵倒してやろうか。日頃の鬱憤をここで晴らすべく、頭の中で様々な文句を思い浮かべながら扉が開くのを待つ。だが一向に扉が開かない事に違和感を感じた。
「どうした! 早く入ってこい!」
声をかけても反応無し。まさかまたからかっているのだろうか? なんて奴だ! 散々人を待たせておいてこれとは!
「いい加減にしろ! 余りにも馬鹿にするなら俺にも考えがあるぞ!」
遂には苛々が頂点に達したボラルが自らドアへ向かい扉を勢いよく開けた。
「いつもいつも良いようにやられてばかりだと思う……な……よ……?」
「いやあ、驚きだな。まさか俺達の事をそんなに待っていてくれたとは」
ぽかん、と口を開け目の前を凝視する。扉を開けて見えたのは何時もの得体のしれない執事の笑みでは無く、底意地の悪そうな笑みを浮かべてこちらを見下ろす黒髪の男だった。
「は……え? 何でお前が……っ!?」
混乱しつつも反射的にドアを閉めようとするが、それより早くドアの隙間に足を入れられた。そして男はドアに手をかけるとゆっくりと開いていく。必死に閉じようとしてもまるで関係ないように力任せにジリジリと開かれていくドアにボラルの顔が蒼白になっていく。
「おいおい、待っててくれたんだろ? 入れてくれよ」
「ち、違う! お前じゃない! ムヒス、ムヒスはどうした!?」
こんなのはおかしい。何故あの得体のしれない執事でなくこの男がドアを開けるのか。驚愕に震えるボラルの眼にはドアをこじ開けていく男の左腕に嵌った腕輪とそこに繋がる鎖が見える。それは紛れも無く、昨日捕らえてムヒスが拷問し、そして逃げた男と同じ物だ。確かに自分はムヒスにこの男達を探せと命じた。だが肝心のムヒスの姿が無く、この男自らこちらを訪ねてくるのは一体どういう事だ!?
「ああもうめんどくせえな」
そんな投げやりな声が聞こえた直後、ドアが蹴破られボラルの体が吹き飛んだ。みっともなく転がり反対側の壁に叩き付けられたボラルは呆然と蹴破られたドアを見る。そこには黒いコートを羽織った目つきの悪い黒髪の男と、その男と鎖で繋がれた蒼銀の髪の少女の姿があった。
「痛ってえ、まだ響くな」
「いきなり蹴破るからです。無茶はしないで下さい」
顔を顰める男と呆れた様にため息を付く少女。その姿にボラルの混乱は益々増していく。
「な、なんでお前らが来るんだ!?」
「何でも何も探してたんだろ? まあここには忘れ物があるしそれに―――」
ゆっくりと歩み寄ってきた男は床に尻餅をついたこちらを見下ろす位置まで来ると獰猛な笑みを浮かべた。
「やり残した事があったからなあ?」
「ひっ!?」
顔は笑っていても目は笑っていない。そんなラクードの表情にボラルの血の気が引いていく。ガタガタと体が震え、目線はあちらこちらに挙動不審に揺れてしまう。
「む、ムヒス! どこだムヒス!? は、早くこいつらを何とかしろムヒス!」
そんなボラルが縋ったのは先程まで罵ろうと思っていた執事だった。だがいくら叫んでも姿は見せず、いつもの様に軽口を叩きながら現れる事も無い。その事にボラルの恐怖が増していく中、ラクードはぽん、と手を叩いた。
「ああそうか。お前はあの変態執事に会いたいんだな?」
「そ、そうだ! あいつは何処に居る!?」
ムヒスの居場所を目の前の男に聞くと言うのは奇妙な状態だがそんな事には気づかず叫ぶボラルに男は笑顔で頷くと隣の少女に目配せした。少女はどこか呆れた様な顔をするとぱちん、と指を鳴らす。すると室内にも関わらず涼やかな風が流れ始めた。
「な、なんだ!? 何をした!?」
「黙ってろ。あの執事に会いたいんだろ? ほら、感動のご対面だ」
え? と間抜けな声を漏らしつつラクードが指で示した方向、蹴破られたドアの方に視線を向ける。するとそのドアの向こうの廊下の景色が歪んだ。まるで隠していた何かを暴くかのように徐々に歪みが晴れて行きそしてそれが姿を現した。
頭から血を流し右腕がもげ両足が奇妙に曲がった、まるで悪趣味なオブジェの様な姿の執事の姿を。
「ぎゃああああああああああああああああああ!?」
今度こそ、ボラルは全力で叫び声をあげ小便を漏らしつつ失神した。
「おお、良い表情だな」
「…………悪趣味ですよ」
目の前で失神したボラルを前に指を指すとノワは何度目か分からないため息を付く。そしてそんな彼女に声がかかる。
「いやぁしかし確かに良い表情ですねえ」
「何故あなたまで楽しそうなのですか」
「ここまで徹底的にやられてしまってはどうにもできませんので」
そう言い笑うのは、奇妙なオブジェの様な姿になったムヒスだ。そんなムヒスの体をラクードが足で小突く。
「しかしここまでやってピンピンしてるってのはどういう了見だ」
「そうでもありませんよ? 全身痛いですしこの体だって治せるかどうか……」
そう言いつつ自分の体を見下ろすムヒス。その体は確かに酷いものだった。
先程の戦闘でのノワの最後の一撃。それにより右腕が千切れ、両足も潰れた。いずれも人の肌でなく、硬質の部分だ。そしてそうなったムヒスの体を更に折り曲げ今の形にしたのがラクードである。
「そうか大変だな」
「…………嬉々として人の体を曲げていた人の台詞では無いような」
「知るか。自業自得だ」
額に一筋の汗を垂らしつつのムヒスの意見を一蹴する。だがノワは難しい顔をしていた。
「しかし流石にこれは……」
「そうでしょうそうでしょう? お嬢さんもそう思いますよねえ?」
「え、ええ。まあ多少は――」
「ノワ―。こいつらお前が意識無い間に強姦しようとしてたぞー」
「―――まだ足りないですね。ラクード、氷漬けにして沈めましょう」
一瞬にして氷点下の眼差しになったノワがムヒスと気絶したままのボラルを睨みつけた。その背中には怒りの炎が燃え上がっている。
「はははそう言えばそんな事もいいましたなあ。まあ別に乙女という訳ではないのでしょう? 犬に噛まれたと思って是非わが主の脱童貞にご協力を」
「死んでも御免です! 頭おかしいんですか!?」
「何もそこまで怒鳴らずとも。一人や二人いいじゃないですか」
「ふざけないで下さい! 本当に沈めますよ?」
「成程。つまり私が沈没プレイさえ許容すれば経験豊富な貴方の指導をボラル様が受けれると――」
まるで他人事のムヒスの言葉にノワの顔が赤くなり怒りが増していくのが見えた。あーこれやばいなーとラクードも気づきとめようとしたが一歩遅く、
「私は処女です! ……はっ!?」
「あー」
気まずい沈黙。思わず怒鳴ってしまったノワが自分が今しがた叫んだ内容に直ぐに気づき硬直する。その横顔が先ほどまでとは違う意味で赤くなっていく姿はどこか痛ましい。
「あー、あれだノワ。お前からかわれてるぞ」
「…………」
ギギギギギ、とまるで壊れた人形の様に首を動かしこちらに向いたノワの顔は羞恥と怒りで赤い。肩はわなわなと震え、その小さな手はきつく握りしめられている。
「お前もいい加減にしとけ変態執事。随分と余裕じゃねえか」
「いえいえ。ちょっとしたジョークだったのですが思いの外反応が良かったもので。……しかし成程…………純情ですねえ」
「っ!」
だんっ、と響いた音はノワが床を踏みしめた音。そして乙女の怒りと羞恥を乗せた掌打がムヒスの顔面に叩き込まれた。直撃のムヒスは床を転がっていきやがて壁際で失神しているボラルの隣へと叩き付けられた。そして頭から床に落ちたムヒスだがそこは丁度ボラルの股間付近。つまり小便が垂れている場所であった。
「ぬ、ぬううう!? 鼻に、鼻に入ってきますぞ!? この場所は洒落になりません!」
何やら騒いでいるがノワは勿論の事ラクードも助ける気は無い。
「はあ、はあ、はあ、はあ、ラクード……」
「お、おう」
肩で息をするノワが顔は赤いまま、鋭い眼光でこちらへ振り返る。
「今すぐこの屋敷を解体します。剣に変わってください。あの二人事ごと事な更地にしてみせましょう。大丈夫、私と貴方なら出来ます」
「お前って時たまエクセレントに振り切れるよなぁ」
さて、怒気を孕んだこの少女をどうやって落ち着けさせようか。少なくとも奪われた物を取り返すまでは実行されては困るし。
怒りに燃えるノワを前に、ラクードは小さくため息を付くのだった。
「お、あったあった」
あれから気絶したままのボラルと何やら騒いでいるムヒスを無視して屋敷を探索していたラクード達はようやく自分達の荷物を見つけた。荷物と言っても財布と簡単なバッグ以外はその殆どが武器なのだが。
「ほら、お前のもあったから機嫌治せ」
「……別に貴方に怒っている訳ではありません」
そう言いながらもどこかむすっとした表情なノワも自分の荷物を手に取り確認する。幸いお互いに無くした物は無かった。
「しかし中々に壮観だな」
自分の荷物を取り戻したラクードは改めて部屋を眺めた。荷物が保管されていた部屋は壁や棚には所狭しと魔導器が飾られておりその種類は多種多様だ。良くある剣型の武器型もあれば、用途不明のまな板のようなものまである。その光景は流石に珍しいのか、ノワも興味ありげに眺めていた。
「これだけあれば私たちの鎖を何とかする魔導器もあるかもしれませんね」
「確かにな。なら探してみるか」
「ええ」
そうと決まれば捜索だ。二人はそれぞれの見解の下、部屋の中を探し始める。
「これなんてどうだ? 鎖が斬れそうだ」
「なんですかその視覚化されてる程禍々しいオーラを放つ鋸は……。と言うかそれ血の跡が見えるのですが。それよりこれはどうでしょう? とても神聖なオーラを感じます」
「俺には竜の置物にしか見えないんだが。しかもこいつ人間とか食ってそうな面してるぞ」
「ではこれでどうでしょう? こちらも中々」
「竜が鳳凰になっただけで似たような置物じゃねえか! だったらこっちの方が良いだろ」
「……なんで鎖を外す為の道具に鎖を選んでいるんですか。しかも妙に刺々しい形の」
あーでもないこーでもないと探すが結果は芳しくない。何せ魔導器は使用するためには起動キーが必要であり、それは魔導器によってそれぞれ。つまりそれを知っていなければどのような効果があるのかも判別がつかないのだ。
だがそんな中、ラクードが妙な物を見つけた。それは棚の奥の方に無造作に転がっていた、ボロ布に包まれたブローチだ。核がある事からも魔導器である事は確かなのだろうがどうもそれだけ雰囲気が違う。
「っ、それはもしや不完全魔導器では?」
「何……?」
不完全魔導器。それは原典魔導器を元にコピーされた稀有な物だ。その力は現在もっとも使われている模造品とは段違い。そんな物が無造作に転がっている事には驚きだった。
「おおかた使い方も分からず放置したのでしょうが……やはりそうですね。核や魔導器本体に刻まれた紋章も複雑で現代のものとは違いますので間違いないです」
物珍しそうにノワがブローチを覗き込む。自分では良くわからないので彼女に渡そうとラクードが差し出すが、その際に鎖が邪魔をしてブローチが手から転げ落ちてしまった。
「あ……っ!?」
ノワが慌ててそれを受け止めようと手を伸ばす。だがそれより前にブローチが鎖に当たり、そして光った。
「うお!?」
「え!?」
ばちん、と大きな音を立てたブローチは一瞬だけ光を撒き散らすと粉々に砕け散った。
「割れたな……俺なんかしたか?」
「いえ、落したと言っても鎖に当たっただけですが……え?」
思わずブローチから距離を取ってしまった二人だがそこでノワが気づく。ラクードとノワ。二人はブローチが割れた瞬間にお互い左右に跳んだ。それなのにいつもの様に鎖で引っ張られていないのだ。
「伸び……てる?」
「……マジだ」
ラクードもそれに気づきぽかんとしてしまう。そう、二人を繋ぐ鎖が今までの倍ほどは伸びているのだ。突然のその微妙すぎる変化に二人は顔を見合す。
「原因を考えるとしたらまあこれしかないんだろうが……」
「砕けてしまいましたしね。しかしなんとも微妙な変化……」
千切れるでも外れるでも無く伸びただけ。そりゃあ、多少なりとも伸びるなら便利だけれども。
そんな微妙すぎる展開に二人は小さくため息を付くのだった。
翌日。フロンノ街は朝から大騒ぎだった。
最初に気づいたのは郵便配達をしていた青年だった。いつもの様に朝の寒空の下を走りながら仕事をこなしていた彼だが、マゴリー家の前を通った時思わずわが目を疑った。
「は、はあ!?」
思わず声を漏らしてしまうのも無理は無い。何故ならマゴリー家の2階、ベランダと思わしき場所から何かが二つ吊り下げられていたのだ。よく見ればそれはまるで蓑虫の様に全身を簀巻にされた人間の姿だと分かり尚更状況が分からず混乱してしまう。
しばらく唖然とその光景を見ていた青年だが不意に蓑虫の一つが顔を上げた。その顔には覚えがある。ボラル・マゴリー。噂では本家から勘当されてここへ来たと言う碌な噂が無い男。時たま街で通行人に難癖を付けたり商人をいびったりしている姿を見る。とてつもない悪事を働いた、というのは聞いたことは無いが細々と色々やらかしている為に子悪党の印象が強い。そんなボラルが顔を上げると涙でくしゃくしゃになった顔で一言。
「寒い……漏れる……」
何が? とは聞かない。聞きたくない。だが一応これは事件だろう。勿論、あの男が突如として人間性を疑う斜め上な性癖に目覚めた可能性もゼロでは無い。ゼロでは無いが……それはそれで事件だ。主に街の気品的な意味でも。
青年は慌てて警察署の方へ走っていった。背後から何かの断末魔の様な音が聞こえたが聞かなかった事にした。
「さて、次は何処へ行くべきか」
「アズラルの行方も結局わかりませんでしたしね。となるとアズラルの情報を探しつつ、この鎖を何とかするための方法を探すしかないでしょう」
「ま、そうなるよな」
昨日とは打って変わって今日は快晴。そんな日の下を二人は歩く。その距離は以前と変わらずに、鎖が間で音を立てている。
昨日色々と調べて見た所、どうもこの鎖は伸縮自在になったらしく望めば直ぐに長さが戻ったのだ。その逆も然りだ。これはこれで便利だがやはり目的は鎖と腕輪自体を無くすこと。故に二人の旅は終わらない。
「昨日のブローチの破片は一応回収しました。何かの手がかりになるかもしれませんしね」
「そうなる事を祈るさ」
大きく欠伸しながら歩くラクード。その傷はまだ完全に癒えてはいない。それでも二人が街を出たのは昨日の内にボラルとムヒスに『制裁』を加えたからだ。今回ばかりはノワも怒り心頭であり、ラクードが嬉々として二人を吊るすのを何も言わず見ていた。何せあの二人は自分が意識朦朧としている間に散々好き勝手し、この自分の体すらも手にかけようとしたと言う。そんな相手に同情する気は無い。
しかし、とふとムヒスが言った言葉を思い出す。それはラクードとムヒスが相対していた時の事。ムヒスはラクードに『態と悪ぶっている』と言っていた。あれはどういう事だろうか。
無論、それはムヒスの唯の憶測に過ぎない。だが言われてみれば、と思う所もある。以前も感じた微妙な違和感。見た目も口ぶりも粗暴の様で、しかし一緒に居るとただそれだけでは無いと気づく。どこかちぐはぐなその印象は未だ拭えない。
(いつか聞く事ができるのでしょうか?)
少なくともそれは今で無い。まだ出会ってひと月足らずでそれを聞くことは躊躇われる。だが何時まで一緒に居るのかは分からないのだ。
ちゃり、と鎖が音を立てる。それを見ながらふと思う。確かにいつまで一緒に居るかは分からない。だがこの鎖が外れなければもしかして――――――――一生?
「っ~~~~~!?」
「お、おいどうした?」
突然顔を真っ赤にして俯き呻き始めたこちらにラクードが怪訝な顔をする。だが今は待ってほしい。この顔を見られたくない。というか自分は何を考えているのだ。一生一緒だなんてまるでそれは……夫婦の様では無いか。
(確かに第一印象とは違って案外まともな所もありますし気も効きますし悪い人では無いのは事実で嫌いでも無いですがいくらなんでもそれは……!)
つい先程であってであって一月足らずと考えていたのにこの体たらく。しかもそれも悪くないかもしれないと一瞬でも考えてしまった自分に尚更恥ずかしくなる。そして何やら勝手に顔を真っ赤にして震えているノワの姿をラクードが気味悪がって見ているのに気づいていなかった。
「ら、ラクード?」
「どうしたんだよさっきから」
ようやく落ちつて来たノワが面を上げる。顔はまだ赤いが少し聞いてみたくなったのだ。
「もし……もしこのまま鎖が外れなかったら―――」
「あああああああああああ!?」
突然、ノワの言葉に被せる様にして女の叫び声が響いた。何事かと思って声の方へ視線を向けると見覚えのある女性の姿。
「おお、お前らか」
「な、なんでアンタ達がここに居るんだい!?」
そう指差して驚いているのはメルダだった。その周囲には同じ様に驚いている部下達の姿も複数。
「何でも何もここは街道なんだからあの街から出れば嫌でも歩くだろ。お前らこそ何してんだ? あの後から姿が見え無かったが」
「アンタらに会いたくなかったんだよ! もうやる事やったんだから良いだろ!? 私たちはもう関わらない。静かな街で仲間達と酒場開いてひっそり儲けるって決めたんだ……!」
そう言うとメルダ達は回れ右。逃げるようにして別方向へ走ろうとするが、その数歩先の地面が突如として崩落した。
「う、うわあああ!? なんだいこれは!?」
当然メルダ達は慌てて踏みとどまる。そんな彼女達の下へノワがゆっくりと歩いていく。
「アンタがやったのか! 何なんだよいった……い……?」
抗議するメルダだが、歩み寄ってくるノワの浮かべるどこか昏い笑みに尻ずぼみになっていく。そんな彼女達にノワはにっこりと微笑んだ。
「大事な話をしていたと言うのにいえまあある意味聞かない方が良かっのかもしれませんしその辺りは色々と難しい所ですがやっぱりちょぴっと気になる事でもありましたので邪魔をされた事にほんの僅かばかりの怒りを感じたりもしているわけでして私のこの微妙な心境はどうしたらいいと思うかといろいろ考えた結果一つの結論に至りました」
「け、結論……?」
何やらまくし立てているノワの様子にメルダは勿論、その部下達も冷や汗を流す中ノワが宣言する。
「ええ、貴方達をまだ警察に突き出してなかったという大義名分を元にこの鬱憤を晴らせるのでは無いかと」
「逃げろおおおおおおおおおおおお!?」
顔を真っ青にしたメルダ達が一斉に逃げ出した。
「行きますよラクード! 彼女達を野放しにする訳にはいきません」
「今はお前の方が危険に見えるのは気のせいだろうか」
呆れ半分面白さ半分な笑みを浮かべるラクードを引っ張りつつノワが走り出す。大分慣れてきた、腕に感じる鎖の感触を実感しつつ、今はもう少しだけこの関係が続いてもいいかもしれないと思いながら。
逃げるメルダ達とそれを追いまわすノワ達。そんな姿はその日一日一杯続くのだった。




