2-4 ボラル・マゴリー
「やっと手に入れたか。随分と遅かったな」
「申し訳ありません。少々手間取ってしまいました」
「ふん、まあいいさ。こうやって手に入ったんだからな」
うっすらと聞こえてくる声。それを頼りに深く沈んでいた意識が浮かんでいく。
「それでこいつはどうやったら魔導器になるんだ?」
「それが未だ分からないのです。なので……おや、丁度起きた様なので直接聞いてみましょう」
目を開くと明るい室内と二人の男が正面に居た。一人は先程の執事服の男。その顔を見た瞬間怒りがこみ上げ思わず襲いかかろうとしたが体が動かない。そこでようやく自分が両腕を縛られ吊るされている事に気づいた。そして自分の真横では同じような体勢で吊るされたノワの姿がある。未だ意識は無いようだが顔は赤く息は荒い。先ほど盛られた毒が効いているのだろう。
「気分はどうですか?」
「……最悪だ」
精一杯の殺意を込めて睨みつけるが男はまるで動じない。代わりに反応したのはもう一人の男だ。
「随分と威勢がいいじゃないか。面白い」
「っんだとこのガキ」
声をかけてきたのはもう一人の男。茶の短髪を逆立てた10代半ば程の少年だ。服装から見るにそれなりの家柄には見えるが、その目つきや顔はチンピラそのものに見える――人の事は言えないが。
「今日からお前達は俺のものだ。拒否権は無い。良いな?」
「何が『良いな?』だ頭トンでんのか? 良い訳ねえだろ」
「はっ、品性の欠片も無ない男だな。そんな状態で何が出来る?」
返答とばかりに唾を吐く。残念な事に距離が離れているので男に吐きかける事は出来なかったが、床に落ちらラクードの唾を見て男の顔が不快気に歪んだ。
「出来るのはそれ位か? まあいい。お前の意見は聞いていないしこれは決定だよ」
「テメエの話を聞く必要が無い。これは矜持だ」
お互いに睨み合う。だが少年の余裕の笑みと見下す視線に苛つきが増す。何とかして縛られている腕を解こうと腕を動かすがピクリともしない。これで魔導器があれば簡単に抜け出せるのだろうが、当然ながら身体強化の魔導器を始め、ナイフ等は奪われているのが服の重みで分かった。ただ一つを除いて。
それは足だ。ブーツの踵に仕込んだ魔導器は未だ健在。この魔導器は発動状態ならば指向性の衝撃波を発生させる魔導器だ。これで本気で蹴ればそこらの人間など余裕でミンチに出来る。その分反動も強く、直ぐに壊れてしまうのが難点だが使い方次第ではかなり有用な武器である。
そして武器はもう一つある。それは他でも無い自分たち自身だ。だがこれも今は駄目だ。先ほどの毒のせいかまだ体に力は余り入らない上にノワもまだ目覚めていない。こんな状態で魔導器になった所で大したことも出来ずにそこらへんに転がるだけだ。いや、それだけならまだいいがその挙句に目の前のいけ好かない少年にいいように使われると考えると意地でも魔導器になってやるつもりは無かった。
「矜持……矜持ねえ。まあどうでも良いや。それより早く魔導器になって見ろ。この眼で直接見てみたい」
「人の話を聞かねえガキだな。ふざけるのもいい加減に――」
「そういうと思ったよ。ムヒス、やれ」
「かしこまりました、ボラル様」
ひゅん、と風を切る音。そして視界の端に見えたのは大きくしなりながら迫る光の鞭だ。それを理解したとたん、肩に激痛が走った。
「がっ!?」
「では定番の拷問からの相互理解と行きましょう。私、実はとてもワクワクしています」
光の鞭を操るムヒスと呼ばれた男はにこやかにほほ笑むと再びそれを振り下ろす。再度走る衝撃と激痛。しかし今度は来るのが分かっていたので声を出す事だけは何とかとどめた。これは意地だ。
「どうだ? 言う事を聞く気になったか?」
ニヤニヤしながら問いかけてくるボラルとかいう少年は無視。確かに痛みはキツイがだからと言ってホイホイという事を聞いてやるつもりは無い。今はただ耐える。
「なんだ詰まらん。ムヒス、やれ」
「張り切って参りました!」
何で嬉々として叫んでるのだこのジジイは。やっぱり変態だったのか。それも性質が相当悪い方向の。本当に碌でも無い連中に目を付けられた事を心底呪いつつラクードは鞭による拷問に備えた。そして鞭は再び振り下ろされる。
再度走る激痛。同時に打たれた肩の皮膚は服ごと裂けて血が飛び散った。その血が顔にかかるとムヒスは更に恍惚とした笑顔を浮かべた。
「いやあ、あなたの体は馬鹿みたいに頑丈そうですから打ち甲斐があって楽しいですよ。これが肉壁というのでしょうか?」
「知るか変態。それよりテメエら一体何者だ?」
「おや? 自己紹介がまだでしたかな?」
わざとらしく驚いたムヒスがボラルに目配せする。するとボラルも鷹揚に頷き一歩前に出た。
「俺は――」
「こちらはボラル・マゴリー様です。趣味は魔導器集めなのですが本人は不器用過ぎましてまともに使えません。だけど手元に置きたいという事でマゴリー家の貯蓄を順調に無駄遣いしつつ魔導器集めを行っております。あ、ちなみに私はそんなボラル様に仕えることに快感を覚えつつある執事、ムヒスと申しますのでお見知りおきを」
「成程、つまりクズと変態か」
「ムヒス、貴様!」
使用人である筈の男にいいようにけなされたボラルが顔を真っ赤にして怒鳴るがムヒスは更に恍惚とした表情を浮かべている。いかん、本気で帰りたい。
「落ち着いて下さいボラル様。今のはちょっとした冗談を交えてこの男を油断させる為の罠です」
「そ、そうか……そうだよな」
成程、主は馬鹿か。簡単に言いくるめられているボラルを見て呆れるがそんな連中に捕まってしまった自分達はそれ以上に馬鹿と言う事だろうか。非常に納得がいかないが事実自分達は今こうしている。全く持って最悪である。
「さて、では質問に答えた所で再開と行きましょう」
「ちっ……」
どうせなら今のしょうもない空気のまま流れてしまえば良かったのだがやはりそうはいかないらしい。再びムヒスが光の鞭をしならせ打ちつけてきた。
「……………くそっ」
碌に抵抗も出来ず隣のノワは意識が戻っていない。故に今出来ることはこの拷問と言う名のムヒスの趣味に無言で付き合うほかなかった。
それから数分間、鞭による拷問は続いた。その間にムヒスの表情は益々恍惚として来ており、その様子にはボラルも若干引いている様に見えた。だが止めることは無くそのまま鞭打ちは続き更に数分後。
「ふむ……? 耐えますねえ。実はそういうご趣味が?」
「うる……せえ……死ね」
意外そうに、そして何故か嬉しそうに尋ねる変態は無視して耐える。体中は血と汗に塗れ痛みはそろそろ麻痺してきた。折角治りかけてた傷も開き、その上から新たな傷もつけられている。ああ、正直に言おう。最悪な気分だ。
「ムヒス、楽しむのはいいが俺はそろそろ待ちくたびれたぞ」
「これは申し訳ありませんでした。年甲斐も無くハッスルしてしまいまして」
不機嫌そうに腕を組むボラルにムヒスが頭を下げる。そんな様子を横目に隣のノワの様子を確認する。彼女まだ意識が戻っていない様で、未だ赤い顔で苦しそうに息をしている。何故彼女にはあれ程まで毒が効いて自分はそれほどでもないのか。疑問はあるが今は後回しだ。彼女が目覚めない限り動くに動けない。
「彼女が心配ですかな?」
「っ!」
いつの間にか顔を寄せていたムヒスが相変わらずの笑顔で問いかけてきた。そしてなんかを思いついたように頷くと再び光の鞭を発生させ、そしてノワに目を向けた。
「おいテメエ何考えてやがる……」
「分かっているでしょう? やはりこういう時は本人よりその親しい人を痛めつけながら『ふはは、こいつがどうなってもいいのかー』というのがお約束かと思いまして」
不味い。自分は元々頑丈に出来ていた事や魔導器の力と思われる妙な副作用のお蔭て回復も早く耐えることが出来た。だがノワは違う。彼女にも同じ様に回復能力があるかは不明であるし、そもそもこの変態老人の鞭打ちをノワの華奢にも見える体で耐えられるとは思わない。
そんなこちらの様子に気づいたのだろう。ムヒスは心底楽しそうに笑みを浮かべた。
「顔色が変わりましたね? やはり定番ネタはウケが良いですねえ。ああ、そうだ。どうせなら……ボラル様?」
再び何かを思いついた様なムヒスの顔。それに嫌な予感が増していく。
「なんだ?」
「折角だからこの男の前で犯してやってはどうでしょう? おめでとうございます脱童貞の機会がこんな所に!!」
「む、ムヒス! 余計な事を言うなっ!!」
顔を赤くしたボラルがムヒスを怒鳴りつけるが本人はどこ吹く風だ。しれっとした顔で、
「けど今ちょっとワクワクしていますよね?」
「……ちっ」
例え主従の関係でも敵わないと知っているのだろう。舌打ちをするとゆっくりとノワに近づいていく。その顔には先程のムヒスの言葉に対する羞恥はあるがそれ以上の獣じみた欲望が滾っていた。
「おい待てテメエら! こいつに触るんじゃねえ!」
「何を今更。もしや恋人なのですか? だとしたら私としては楽しさ100倍です。ああ、今更言う事聞くとか言わないで下さいね? 止める気はありませんので」
「ふざっけんなよこの野郎!」
そうだ。自分は恋人でも何でもない。ただ鎖で繋がれただけという、ほんの少し前まで他人だった存在。だがだからと言って知っている人間がクズの様な人間に玩具にされる姿を見過ごす理由にはなら無い。
体を改めて確認する。未だ体は痺れるが血を流し過ぎたせいで逆に毒が抜けてきたのかもしれない。多少なりと動かす事が出来る様になっている。
「実はさっきからこの女の事は気になってたんだよ」
「でしょう? チラチラ見ていたのをこのムヒス。見逃しはしません」
「お前はいちいち一言余計なのだ!」
バカみたいな会話をしている二人を尻目に覚悟を決める。例え失敗しようとも何もしないで後悔する事だけは死んでも嫌だからだ―――あの時の様に。
息を吸い、溜め込んでゆっくりと吐く。意識を集中させつつ今まさにノワの胸に触ろうとしているボラルに視線を向ける。
「おい、そこのエロガキ」
「何だと?」
邪魔された事で苛立ちを隠そうともせずに振り返ったボラルに笑みを浮かべて問う。
「お前、体重何キロだ?」
「はぁ? 一体何を」
「見た所60前後ってとこか。じゃあ――その約十倍を味わえ」
「ボラル様っ、離れて下さい!」
ムヒスが気づき咄嗟にボラルの体を抱えると同時、ラクードは己が身を漆黒の大剣へと変化させた。光を散らし己が姿を剣に変化させる途中で縛っていた縄から腕が抜ける。よし、ここまでは予定通り。
「おぉ、これか!」
ボラルが嬉々として叫んでいるが無視。大剣へと姿を変えると直ぐに力を溜めこむ。毒の痺れのせいかいつも以上に感覚が掴めないが、いける。重力破を上へと飛ばし、ノワの腕を縛り吊るしている縄を天井ごと砕いた。途端に力の抜けたノワの体が落ちるのと大剣の体が床に突き刺さるのは同時。だがそこで終わりでは無い。更に力を籠め今度は突き刺さった床を中心に力を解き放つ。
「させませんぞ!」
ムヒスが光の鞭を伸ばす。だが大剣を中心にして発生させた斥力の壁がそれを弾き、床を破壊しながらムヒスとボラルへ、まるで波紋の様に迫っていく。攻撃が届かないと判断するとムヒスはボラルを抱えて背後へと跳んだ。
《砕け散れ!》
床が崩壊していく。そして唐突に訪れる浮遊感。どうやらここは2階だったらしい。砕けた床を突き抜け一階へと落ちると同時に直ぐに人間へと戻り、腕の鎖に引っ張られる様にして落ちてきたノワをキャッチ。軽い筈の彼女の体が今はとてつもなく重く感じる。まだ完全に力が戻ってきていない証拠だ。だがそれでも逃げ出すだけの力は戻っていたのは幸いだった。最初の賭けには買ったのだ。だが分の悪い賭けはこれで終わりでは無い。ボラルを安全な場所へ置いたらムヒスは必ず追いかけてくるはずだ。だが今の状態ではまともに逃げる事など不可能。ならば、
「我ながらアホな発想だが仕方なし、か!」
ノワを抱えて窓へ向かって走る。窓の外には暗くなった外の景色とその中に浮かぶ家々の光が見えた。よし、いける。
「逃がしません!」
背後から何かを砕く音と着地音。肩越しに振り返るとムヒスが降りていた所だ。だがこちらの方が早い……!
「こんな変態屋敷に居てたまるかよ!」
痛みと痺れに悲鳴を上げる体の力を振り絞って跳ぶ。窓ガラスを突き破り地面へと着地。このまま走れば追いつかれるのは分かっている。だからこそラクードは両足の魔導器を発動させると窓へと振り返り無造作に地面を蹴った。
「があぁぁっ!?」
魔導器が発動し衝撃波が撒き散らされる。それは地面を抉り雪と泥。そして石を巻き上げ窓へと殺到した。発生した反動で全身に激痛が走る。それを歯を食いしばって耐えつつもう片方のブーツを脱ぐと踵を自分に向けて苦笑する。
「ほんっと、我ながら馬鹿な発想だ」
我ながらそう思いつつその踵を残る力で殴りつけた。瞬間、全身に走る衝撃と激痛。それに抗う事もせず逆に身を任せるようにして力を抜く。踏ん張りも何もかもすてたラクードとノワの体は、その衝撃によって天高く吹き飛ばされていった。
「む……逃げられましたか」
泥まみれのムヒスがようやく外に出た時、既に二人の姿は無かった。これで逃したのは二度目だ。そしてその逃げ方は前回と同じ。目くらましをした隙に何かしらの手段を持って遠くへと逃げ切ったのだ。
「面白いですねえ」
この自分が二度も逃すとは。益々と興味が湧いてくる。これは自分も本気でかかるべきかもしれない。そんな事実に更に楽しさがこみ上げてくる。
「それほど遠くへ逃げたとは思えませんし、ボラル様を安全な場所へ移したら追いましょう」
そう笑いつつムヒスは屋敷へと戻っていった。




