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2-3 流れ着いた先で

雪の降るこの季節、川の水は当然ながら凍える程冷たい。万が一、何の対策も無しに落ちでもしたらその者は凍えてもがく力もなく沈んでいくことだろう。故にこの季節、特に流れの速い川の近くには人間は愚か動物たちも殆ど寄り付かない。

 だが、


「ぷはっ!」


 流れの速いその川からノワは飛び出した。高く跳んだ彼女は直ぐ近くの岩場に着地すると荒い息を整えながら周囲を見やる。


「どうやら……撒いた様ですね……」


 ぜえはぁと息を整えながら安堵する。続いて自分の体に手を当て首を傾げた。


「咄嗟の行動とはいえ何故無事なのでしょうか……?」


 川の水は冷たかった。それは間違いない。だが何故かそれは自分を凍えさせるまではいかず、体はまともに動かせる。それが疑問だった。


「これも魔導器の力でしょうか……? そうだ、ラクードっ!?」


 今は疑問は後回しだ。背負っていた大剣をおろし声をかけると小さくだが反応が返ってくる。


《逃げ切れたか》

「ええ。ですが早く場所を移動して貴方の治療をしなくてはいけません。それまで堪えて下さい」

《ああ、問題ない》


 また嘘をつく。それともやせ我慢だろうか? とにかく彼が危険なのは間違いない。ノワはコンパスと地図を取り出すと日の位置を確認しつつ街をめざし歩き始めた。





 幸いな事に小一時間程歩くと街は見つかった。街の名はフロンノ。なんと当初の目的地である。どうやら川に流される内に近づいていたらしく、悪運の強さにノワは思わず頬を引き攣らせた。

 だが今はそれもありがたい。早速宿を見つけ中へ入ると当然ながら宿の主人は口をぽかん、と開け驚いていた。何せ漆黒の大剣背負った少女がずぶ濡れの状態でやってきたのだ。季節の事も相まって驚くのも無理はない。


「お、おいアンタ大丈夫なのか?」

「ええ、それより部屋を借りたいのですが」

「お、おおう」


 淡々と要求すると店の主人は慌てて鍵を渡した。ノワは小さく礼をすると部屋へと上がっていく。渡された鍵を見ると207号室とある。どうやら一番奥の部屋らしい。とりあえず一番最初に見つけた宿屋に入ったのだがここは余り広く無く、直ぐに廊下の端、つまり207号室にたどり着いた。

 部屋は本当に簡素な造りだ。小さな机と棚が一つずつ。そして窓際にあるベッドのみ。それもどこか埃っぽい。どうやらしっかりと清掃をしていないらしく、この宿を選んだことを小さく後悔する。だが今はそんな贅沢を言っていられない。

 ノワはベッドまで行くと大剣を降ろし呼びかける。


「ラクード、治療をしますので戻ってください」


 声をかけると直ぐに大剣が光りだし、そしてラクードが姿を現す。ラクードは姿を現すが否や、


「腹減った……」

「言ってる場合ですか。それより治療をしますよ」

「いや、大丈夫だろ」

「何を言ってるんですか。あまり手間を……え?」


 呆れつつ傷の具合を見ようとして思わずノワは固まった。そんなこちらを見てラクードも「な?」と視線で語る。

 ラクードの体。確かに服は破け、血の跡はある。だが肝心の傷口は血は止まっており、完全ではないにしろ傷口が塞がりかけているのだ。


「どういう事でしょうか?」

「まあ考えられるとしたらこれしかないだろうな。少なくとも俺だってこんな奇特な体質だった記憶はねえ」


 そう言いつつラクードが鎖を持ち上げる。それはノワも同意見だ。先ほどの自分の凍えない体も相まっていよいよその可能性が高まる。


「……はぁ、とりあえず完全には塞がっていませんし、治療は行います。しかしまだ治療魔導器で治せるレベルではありませんね」


 治療用魔導器は複数種類が存在するが、それはいずれも小さな傷や破損しか治せない。ラクードの傷はその許容量を超えているので、使っても対して効果が無いのだ。


「服を脱がしますよ」

「それ位は流石に自分で出来る」


 嫌そうにラクードが顔を顰めるが、やはり動くと痛みがある様で脂汗を流していた。それでも頼ろうとしない姿にノワが苦笑しつつ無理やり手を貸した。


「……おい」

「子供じゃないんですから。それに早く治療するに越したことはありま―――」


 そんな時だった。がちゃり、と突然扉が開く。


「お客さん、夕食はどうす――」


 顔を出したのは宿の主人。彼はベッドに横たわるラクードと、その服を無理やり脱がそうとするノワの姿を見て硬直した。


「あ……」


 それはノワも同じ。彼女もまた、突然ドアを開けた主人と目を合わせぴしり、と凍りつく。

 気まずい沈黙。やがて先に動いたのは主人だった。


「……ごゆっくり」


 きっと気を回したのだろう。若干居心地悪そうな生暖かい笑みを浮かべそのままドアを閉め去っていく。


「……ありゃ誤解されたな」

「なんでいつもこうっ……こうっ……!」


 ノワは頭を抱えてベッドに突っ伏した。





「第一です、客の部屋を挨拶も無しに開ける時点でおかしいと思いませんか……っ!」

「あーそうだなー」

「そうですよね? そう思いますよねっ!? では落ち着いたら宿を変えましょう。ええそうしましょう。

「まあ俺はいいけどよ」


 あれから少しして、羞恥と怒りに震えるノワの相手を適当にしつつこれからの事を考えていた。

 アズラルを追う事には代わりは無い。問題はその行方だ。運よくアズラルが居たというこの街までは来れたが到着しても何もアクションが無い所を見るとやはりもう居ないのだろう。これはある程度予想していた事なのでそれほど落胆は無い。

 当初の予定ではアズラルが居なかった場合は住民に聞き込みするつもりだったのだが、あの妙な男のせいで自分は怪我人。鎖で繋がるノワも自由に動けなくなってしまった。いや、大剣に変わればノワも動けるだろうが万が一またあの男が襲ってきた場合その全てをノワに任す事になってしまう。


「勝てるか?」


 ノワだけじゃない。一度敗北した自分含めてだ。腹の立つことにあの男の実力は本物。その力は得体も底も知れないから性質が悪い。仮に自分が受けた攻撃をノワがモロに喰らえば自分の傷どころでは無い。彼女の細い腕や足など千切れてしまうかもしれない。となると取るべく手段は限られてくる。


「やられる前に殺れ。闇討ちがベストなんだがな……」

「なにさらりと物騒な事呟いているんですか」

「いやさっきの野郎対策何だがやっぱり先手必勝だと思うんだが」

「そうですね……出会いがしらに氷漬けにすれば安全かもしれません」

「なにさらりと恐ろしい事呟いてるんだ」

「貴方が言いますか」


 ぬぅ、と二人首を傾げる。


「出会わない様に逃げるというのはどうでしょうか?」

「ああいう手合いはストーカー気質だからきっと追ってくる」

「そう言う物なのですか?」

「そういうもんだ」


 勿論100%ではないだが可能性がある以上、捨て置くのは危険な問題だ。


「武器の方はどうですか?」

「起爆型のナイフはあと2本。ブーツ仕込みの打撃系はスペアがねえから壊れたらこれっきり。後は鎖と銃くらいだな。お前は?」

「《霧風》を除けば崩落系の腕輪位です」

「手が足りねえな」


 相手の得体が知れない以上手は打ちたいが打てる手もこれでは少なすぎる。それはノワも同じ気持ちの様でこちらの意図を察したのか静かに頷いた。


「少しでも対策の幅が広げられる様に武器をさがしましょうか。この街でも売っていればいいのですが」


 魔導器何て物騒な物が出回っている時代だ。大きな街では簡単な武器位は売っている。尤もそれも主に自衛を目的としたものが多いが。だがこの街フロンノはそれほど大きいとは言えない。規模で言えばクリティブの方が大きい位だ。だからこの街にそういう店があるかはまだ分からないのだ。


「とりあえず探すしかないな。じゃあ―――」

「まずは傷を癒しましょうね」


 早速行くか、と言おうとしたラクードの肩をノワが軽く抑える。抗議の目で見るが彼女は呆れた様に首を振る。


「今の状態で襲われたら堪らないのは私も分かっています。だからこそ、貴方も体調を万全にして二人でかかるのが得策。ならばまずは傷を癒すべき。違いますか?」

「……あーくそわかった。わかったよ」


 ああそうだ。彼女の言う事は正しく、子供じみた意地で動こうとしている自分の方が間違っているのは明らかだ。それが分かってしまうからこそ渋々と頷いてベッドに体を沈めた。その際ちょっとした悪戯心が沸き、ノワに声をかける。


「ノワ」

「なんですか?」

「隣で寝るか?」


 瞬間、ノワの顔が一瞬で真っ赤に染まり慌てて立ち上がる。だが鎖が有る為に離れるに離れられず微妙にバランスを崩し、思わず片足で体を何とか支えつつ、もう片方の腕でバランスを取る姿はまるで案山子だ。


「な、な、な、何をいきなり言ってるんですか!?」

「いやあ、予想以上に面白い反応だなオイ」

「当たり前でしょう!?」


 がるる、とでも聞こえそうな程警戒しているその姿が面白く、それから暫くノワを弄り倒すのだった。




 それから少しして、ようやく落ち着いてきたノワとラクードの部屋の扉が叩かれた。


「あ、あの……」


 声は宿屋の主人の声だ。先程いきなり入ってきた後にノワがものすごい勢いで抗議と誤解を解きに行ったのだが、どうやらその勢いに未だに気圧されてしまっているらしい。実際、その声を聞いてノワの柳眉が少し吊り上っていた。


「なんでしょうか? どうぞ開けて下さい」

「し、失礼します」


 そう言って入ってきたのは中年の男性。この宿の主人である。どこか無造作に生えた髭とボサボサの頭。服もよれており客商売としては身なりは良くない。だが口調は丁寧に彼は頭を下げつつ要件を告げる。


「先程のお詫びを含めて食事を用意したのですが……」

「食事ですか?」


 きょとん、とノワが聞き返しそしてこちらに視線を向ける。『どうしますか?』と確認しているのだろう。確かに気が付けば日も暮れ始めぼちぼち夕食の時間だ。腹も減っている。正直この宿屋の食事と聞くとあまり良い予感はしないが無いよりはましだ。そして何よりタダである。


「いいじゃねえか。貰えるものは貰っておこうぜ」

「……わかりました。それでは頂きます」


 未だ若干の警戒を残しつつノワが頭を下げると主人も頭を下げ『それでは下へどうぞ』とこちらを促す。


「よっ、と」


 ずっと寝ていた体を起す。やはり痛みはまだ酷いが全く動けないという程では無い。ゆっくりと体を動かし立ち上がろうとしているとその肩をノワが支えた。


「……介護老人な気分だ」

「そんな悔しそうな顔で嘆いてないで行きますよ」


 ぐっ、と悔しさをかみ殺してノワの支えの下一階へ降りていく。この宿屋は2階が客室で一階は食堂代わりの様だった。だが夕食時に関わらず客らしい姿が見え無い事に不安を覚える。


「こちらへどうぞ」


 そんな嫌な予感を感じつつ案内されたテーブルを見てラクードは眉を顰めた。料理が最悪だったのではない。むしろ逆だ。

 テーブルに乗っていたのは香ばしい香りのするスープと調味料と米を混ぜ合わせて卵で閉じた料理、つまりオムライスだった。見た目もしっかりしており匂いは確かに食欲をそそる。だがこんな寂れた雰囲気の宿でこんなまともな料理が出てくる事に違和感を感じた。


「これは……」


 ノワも驚いている様子で料理を見ている。そんな失礼な二人の視線に主人はどこか居心地の悪そうな顔しながら頭を下げた。


「先程のお詫びをと思って腕を振るってみました。味には自信があります」

「まあ、見た目は申し分なしだしな」

「え、ええ」


 頷き二人席に着く。因みに鎖で繋がれているので隣り合わせだ。対面で座るとテーブルの上を鎖が横断して非常に邪魔なのである。ちなみにこの鎖の件は『ちょっとした手違いで鍵を無くした』とかなり強引な言い訳をして誤魔化している。正直に姿を見せてまた厄介毎が起きたら堪らないからだ。


「い、頂きます」


 ノワが恐る恐る口に運ぶ。ラクードも同じだ。そして口にいれ二人同時に目を見開いた。


「美味いな……」

「ええ」


 今までの不備を帳消しにしても良い位、そのオムライスの味は良かった。ラクードは宿とのギャップに唸り、ノワはぽわん、と幸せそうな顔をしている。

 それから二人は黙々と食事を勧めた。予想以上の味と空腹感が相まって、ただひたすら食に集中する。その間宿の主人は何も言わず二人を見つめていた。

 やがて食事を終えると二人はふう、と満足し主人へと向き直る。


「悪かったな。正直予想外だった」

「ええ。とても美味しかったです」


 それは二人の本心からの言葉。その言葉に主人も笑みを浮かべて頷いた。

 口元だけを吊り上げた、どこか悪意のある笑みを。


「ええ、私も良い思いを出来ます」

「何……?」


 先ほどまでと違う主人の雰囲気に眉を顰め、立ち上がろうとした時だ。突然体中の力が抜けその場に崩れ落ちそうになる。


「ラクードっ!?」


 鎖に引っ張られる形のノワに慌てて支えられつつ己の体の異常に気付いた。怪我のせいだけじゃない。何かの影響で体が不調を来たしている。


「まさか……」

「おや、怪我人の方が早く効果が出ましたか」


 ラクードの声に答えたのは主人では無い。厨房の奥から静かに歩み出てきた執事服の男だ。


「貴方はっ……!?」

「あの川の流れを追ってきましたよ。貴方達は目立つので探すのは案外簡単でしたよ?」


 そう言い歩み寄ってくるのは昼間戦い、そして何とか逃げれたと思っていた男。彼は懐から子袋を取り出すと宿の主人に手渡した。


「ご協力感謝します。これはお礼です」

「ありがとさん」


 へへ、と目をぎらつかせてそれを受け取る主人の姿を見て全てを悟る。料理に毒を盛られたのだ。そして自分達はそれに気づかずそれを喜んで食べてしまった。何て間抜けなんだと自分で自分を殴りたくなる。


「私が作った料理を美味しそうに食べて頂ける姿は素直に嬉しい物でしたよ」


 にこりと笑い男が近づいてくる。ノワが咄嗟に戦闘態勢を取ろうとしたがその体が揺らいだ。


「くっ……」


 うめき声をあげて倒れかけたノワを支え、抱き寄せる。その体には力が無くそしてどこか息も荒い。


「そちらのお嬢さんにも効果が出てきましたね。しかしあなたの方はまだ動けるのですか? 少々量を間違えましたかね?」

「く……そ……」


 確かに体はまだ動く。だが完璧には程遠く思う様に力は入らない。ノワを抱えながらずりおちる様に床に体が倒れ込んでいく。

 

「ですがもう限界の様ですね。では良い夢を」


 にこやかに笑う男の笑みを最後に、ラクードの意識は途絶えていった。


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