1-9 あなたがみえない
話が違う。
「っぅ……ぁぁぁぁぁぁぁ……」
暗く、ジメジメとした地下の牢屋でサガは一人呻いていた。その呻きはブレーナに焼かれた肌の痛みと、そして思い通りになら無い事へのいら立ちが含まれている。その苛立ちを紛らわそうと床を、壁を、何度も何度も叩くが苛立ちは解消されず、返ってくるのは痛みばかり。それが更に苛立ちを生む悪循環。
なぜ、こうなった。
あの男は言った。望む結果を創り出すと。そしてその為に自分に力を寄越すと。
だが得た力は対して役に立たず、自分はこんな陰気な場所へ送り込まれた。何が創り出すだ。何も出来ていないじゃないか!
『それは心外だなぁ』
「!?」
突如声が響く。だが周りを見渡しても誰も居ない。気のせいかと思ったがその声は再び聞こえてきた。
『今回は君が焦り過ぎたからさ。言っただろ、数日間待ってから行きなさいって。そうじゃないと君の体に施した力は上手く作用しないんだよ。それを君が焦って飛び出しちゃうからこの有り様だ』
いくら周囲を見回しても誰も居ない。しかし声は確かに響いている。
『ま、過ぎてしまった事は仕方ないね。けど僕としてもあの魔導器の性能は気になる所だからもう少し見させてもらうよ。……安心すると良い。君がこの牢屋に入れられてから早数日。予想以上に早く定着しつつある。だから今度こそ君は君の想いをぶつけてやればいいよ』
その言葉を最後に声は消えた。そしてその奇妙な現象に首を捻る暇も無く、サガの体に異変が起きた。
「がっ!? はっはっはっはっぅ……!?」
体が熱い。全身が燃える様に熱く、そして強烈な痛みが走る。自らの体を掻きしめながらサガは牢屋の床をのた打ち回った。眼は充血し、顔は涙と口から吹いた泡によってグチャグチャになっていく。のた打ち回るうちに小さな牢屋の中の机やベッドなどに足が当たるとそれらはまるで玩具の様に簡単に壊れていった。
「おい、うるさいぞ。一体何をしてる」
流石に音を聞き付けたのだろう。初老の看守がサガの独房の様子を見に来て、そして目を見開いた。
「どうした!? 何があった!?」
眼を血走らせ、泡を吹きながらのた打ち回るサガの様子に看守は慌て牢屋の中に入ろうとしたがその手を止めた。何故なら突然サガの動きが止まったのだ。先ほどまでとは違い、まるで死んだように動かなくなったサガの様子に看守は不気味に思いつつも声をかける。
「おい、どうした? おい!」
「……ァ」
「なんだ?」
「ァァァァァァァッ!」
喉の奥から絞り出すような咆哮。そしてサガは飛び起きるとその目を看守へ向けた。思わず後ずさった看守の目に写ったのは、赤く燃えるような目で見つめながら笑うサガの姿。
「さイ高ダ」
次の瞬間、その牢屋ごとサガと看守は炎に包まれた。
ガタガタと揺れる馬車の中、外を覗いていたラクードが声を上げた。
「やっと見えて来たな。意外に早く付いたし万々歳だ」
「そう、ですね」
向かいに座るノワも頷き外を見るがその顔はどこかぎこちない。だがラクードはその事を特に言う事は無かった。
(まあ無理も無いか)
ノワから感じる雰囲気は戸惑いと疑問、そして警戒の念に気づきながらもラクードはそれを見て見ぬふりをする。
クラーヴィス家を出たのは三日前。目的地のクリティブまでは馬なら2~3日であったが、生憎と使える馬が無く結局二人は徒歩を選んだ。とは言ってもずっと徒歩という訳でなく、途中の宿場で馬車の相乗りを狙ったのだ。幾つかの街から伸びる街道が集まる場所には大抵小さな宿場があり、そして馬車の乗合所もある。一日かけてそこまでたどり着いた二人はそこでクリティブ行きの馬車を見つけ便乗させて貰ったのだ。
その間ノワは終始何かを聞きたそうに、しかしそれを躊躇う様子を見せていた。原因はおそらく出発前の事だろう。自分が寝ている間に自分の事を聞いたせいだ。話をしている間は寝ていたのでどの様に話されたのかはラクードには分からない。だがその内容が面白く無く、むしろ人によっては忌諱する事である事は分かっていた。だからこそ自分も何も言わず、黙々と目的の事だけを考える事にした。
だがノワはそういう訳にはいかないらしい。短い付き合いだが目の前の少女がド真面目なのはなんとなくだが分かっている。だからこそこの奇妙な空気を払拭したいのだろうが、その為には必然的にラクードの話になってしまうのでそれを躊躇っているのだろう。
『味方殺しの悪鬼』
このネーミングセンスの欠片も無い呼び名にはもう慣れた。そしてその事について否定もしない。そして彼が否定しないからこそ、その呼び名は定着していった。ラズバードの様な小さな街でも最初は気づかなくても少し調べれば簡単に分かってしまう程には。
「面倒だよなあ。あんなもん説明できんし」
「? 何の事ですか?」
「いや、なんでも無い。それより街に付いたら早速聞き込みだ。とにかく早くアズラルの野郎を捕まえてまずはこいつだ」
じゃらり、と音を鳴らす鎖を掲げる。
「これを外す。そしたらお互いそこまでた。後は自由行動でいいんだろ?」
「……ええ」
ノワも鎖を見て小さく頷く。そう、この鎖さえなければ後は他人同士。ノワは自分の街へ戻ればいいし、自分はアズラルを殺し、そして。
「そしてどうするっかな……」
「何がですか?」
「いや、気にすんな。こっちの話だ」
ひらひらと手を振って話を止める。後の事なんてその時考えればいい。今すぐ決める必要も無いだろう。
そんな投げやりな事を考えるラクードと何かを心に抱えたノワを乗せた馬車はクリティブの街へと入って行った。
クリティブはラズバードよりも首都に近く、また交易の街道沿いにあるためにそれなりに大きい。故に人通りも多く、この中で人一人を探すのは困難そうであった。
「まずはアズラルの野郎を見たって奴の所に会いに行くか。だがその前に」
「この鎖が問題ですね」
二人、街の入口付近の路地裏でため息を付く。この鎖は予想以上に目立つ。このまま歩けば奇異の視線は避けられまい。下手をすれば通報されかねない。
「どちらかが武器に変わっておくのが良いのでしょうね」
「だな。ならクラーヴィス。お前が刀になってくれ」
「私は構いませんが一応理由を聞いても?」
「俺が剣になったらお前は自分の身長ぐらいある剣を背負って街を歩くんだぞ? 結局目立つじゃねえか」
「確かに……それは嫌です」
確かにそれは悪目立ちが過ぎる。下手をすれば鎖以上に。ノワも想像したのか嫌な顔をして首を振った。その分、ノワが刀に変わる程度ならラクードは腰に差せばいいのでそれほど目立たない。魔導器が他所に使われている現在、刀を腰に差している位で捕まる事は無いだろう。
「なら決まりだな。じゃあとっとと行こうぜ。確かアズラルの野郎を見たって言うのは宝石商だったか? 名前は聞いてるし市場の方へ言って後はしらみつぶしだな」
「わかりました」
ノワも頷き自らを刀に変化させるとラクードの手に収まった。鞘は無いのでラクードはその刀身に黒布を巻いていく。これは先日ノワ達が風呂に入った時に使用した物と同じものだが、今回は刀身だけを撒いて柄の部分は出している。別にノワに外を見てもらっても問題ないためだ。
準備を整えるとラクードはノワとなった刀を腰に差し表通りへと歩を進めた。
「ここから南へ行ったところが市場だった筈だ。そんなに遠くないし後は根気だな」
《貴方はこの街へ来たことがあるのですか?》
周囲にバレ無い様に小声で話しかけてきたノワに頷く。
「立ち寄った程度だけどな。前来た時は必要な物だけ買って直ぐに別の場所へ移動した」
《別の……。それはやはりアズラルを?》
「そうだ。ずっと追いかけっこを続けてたが今回はかなり近くまで追いつけた。この機を逃す気はねえ」
《ずっと、ですか……》
ラクードの歩は大きくそして早い。同じ方向に歩く人々をあっと言う前に追い越してやがて街の中でも騒がしい一角へとたどり着いた。
そこはクリティブの中でも大きな部類に入る通りだ。そこでは様々な店が左右に連なっており、更には出店も大量に出店している。道行く人々は目的の店へ行く最中、出店等を覗き込んだりと楽しそうにしていた。
《かなり人が多いですね》
「そうかあ? これよりもっと多い所なんて山ほどあるぜ」
《そうなのですか……。ラズバードでは見れない光景ですね……》
「何だ、お前はもしかしてあの街から出た事無かったのか?」
《いえ、何度かありますが大抵姉様や父様たちに付いて行っていたのでこういった所を見る機会は中々無かったんです。クレス姉様やブレーナ姉様は隙を見つけて行っていたようですが》
クラーヴィス家の用事と言う事はこういった庶民的な場所でなく、由緒正しい店や相手の居る場所へばかり行っていたのだろう。口には出さないが、ノワの声の端々にどこか羨ましさの様な物が混じっていた。
《こんな理由で無ければ楽しめたのかもしれませんね》
「別に人生これまでじゃねえんだ。また好きな時に来ればいいだろ」
《ふふ、そうですね》
ぶっきらぼうなラクードの言葉にノワは小さく笑う。それを深く考えない様にしつつラクードは市場へと足を踏み入れた。
「宝石商の名前は何って言ったっか?」
《ノリン、という話です。元々この街で店を構えている人物の様なので行商にでも出てない限り居るかと思います》
「成程。つーか今更だけど宝石商って言うならこの市場じゃ不味かったか?」
《いえ、その方の店はこの市場のどこかにあるとは聞いています。地道に探しましょう》
ノワの言葉に安心するとノリンとやらの店を探し始めた。歩くたびに出店の店員があの手この手で商品のアピールをしてきてその度に刀の状態のノワが《あ、》だの《な、なるほど》だのと小さく呟いているがそれらを無視して進んでいく。どうやら市場は大ざっぱながら商品の種類ごとに区域が分かれているらしく、入り口付近は流行ものの服飾やアクセサリー。そして食品関係が並び、奥に行くほど生活雑貨が増えていく様だ。そして宝石や少し高めの物はその更に奥に位置している。
数々の勧誘を振り切ってようやくそのエリアまで来ると近くを歩く人に聞き、そしてやうやく目的の場所までたどり着いた。
《ここがですか……?》
「だな。だが繁盛してねえ様だ」
『ノリン宝石店』と看板が掛けられた小さな店は外観は小奇麗に纏まっているが、店内は暗くそして客も見えない。だがここで見ていても何も解決しないので入ってみることにした。幸い店は閉まっている訳では無い様で鍵はかかっておらず、コロン、と鐘の音と共に扉が開いた。
店内は外から見た時と同様にやはり薄暗く、人の気配が無い。宝石店としてそれはどうなのかと思ったが、よく見るとカウンターのショーウィンドウには商品が碌に残っておらずこれで店が経営できるのかと疑問に思う程だった。
「誰かいないのか?」
ためしに声をかけてみると、ごと、とカウンターの向こうで音が鳴り、ゆらゆらと青い顔をした女が顔をだした。どうやらカウンターの下で寝ていたらしい。
「い、いらっしゃーい」
「覇気がねえな。そんななんで客商売出来んのか?」
「覇気も無ければ商品もお金も無いのよぉ。と、言う事でそこのガラ悪い兄さん、何か買ってくれない? このままじゃ廃業よぉ」
「つーか何で商品が無いんだよ」
フラフラと青い顔で病んだ笑みを浮かべる店主の様子に若干引きつつ尋ねると女ははぁ、とため息を付いた。
「それがねえ、本当は良い商品を仕入れたのよ。自分で直接足を延ばしてね。だけど帰る途中で奇妙な化け物に出会ってそのせいで」
化け物。その単語にラクードの眉がぴくり、と反応した。狭い店内故に声が漏れる事を恐れ先ほどから黙っていたノワも小さく揺れる。
「その化け物ってのは巨大な人形とそれに乗ったヘラヘラした面の男の事か?」
「え? なんで知ってんの?」
「そいつを追って来たんだよ。で、目撃証言とやらがあったと聞いたからここに来た。つまりアンタがノリンか」
「そうよ。それでそいつがこっち気づいたら向かってきてさ。ちょっとアレはまずいと思って荷物放って逃げてきたワケ。で、結局アレ何だったか知ってんの? とりあえずヤバそうだから警察には伝えたけど」
「見た通り、巨大な人形の化け物といけ好かないクサレ外道であってるよ」
「いや、私はそこまで言って無いけど……。それでそれ知ってアンタらどうすんの?」
「色々借りがあるんでな。まずは捕まえるのが先――」
突如カウンターから乗り出したノリンが、がしっとラクードの肩を掴んだ。その眼は血走っておりギラギラと光を放っている。
「捕まえて頂戴! そして私の商品を取り返して!」
「いや待て。お前の話だと荷物放って逃げたんだろ? だったらあの野郎が持って行ったとは言い切れないんじゃねえか?」
「いいえ、絶対に持っていったわ! あの数々の商品に見向きもしない人間なんて人間じゃないわ! 猿よ、猿以下犬以下のナメクジ見たいな存在っ! 実は私の通報の後警察も調査に出たらしいけどその化け物も私の商品も影も形も無かったそうなのよ。だから絶対に横取りしてるに決まってるから! お願い! このままだと私本当に破産なのよぉ~」
最後は半泣きになりながら縋りつかれ、流石に気の毒になってきた。とりあえずノリンを引きはがしてラクードは嫌々ながらも頷いた。
「まあ覚えてたら持ってきてやるよ。けどその場合当然謝礼はあるんだよな?」
《なっ!?》
不意にラクードが切り出した要求にノリンよりも腰に差されたノワが反応した。ノリンはきょとん、とあたりを見回す。
「なんか今声がしなかった?」
「気のせいだろ。それでどうなんだ?」
「ま、そこは良いわよ。本当に取り戻してくれるなら少し位弾んであげる」
「よし。なら謝礼についての相談だが――っておい!?」
「え? 何よいきなり?」
突然体を震わせ腰元に視線を落としたラクードにノリンは首を傾げるが、こちらはそれどころでは無い。何せ刀の状態のノワが冷気を放ち始めたからだ。思わずしゃがみこんで小声で文句を垂れる。
「おい、いきなり何すんだよ」
《貴方こそ何をやっているんですか。弱みに付け込んで礼を要求するなど》
「当然だろうが。俺が働く。あいつが感謝し金払う。ギブ&テイクは基本だろ?」
《しかしこの店の状況は見ての通りでしょう。彼女とて余裕は無い筈です》
「だからただ働きしろってか? 御免だね。俺はアズラルの野郎を捕まえてぶっ殺すついでにあいつの商品とやらも奪い返す。あいつは商品が戻って店をまともに開ける。そして俺は謝礼を手にする。どちらも幸せな話だろ」
《言いたいことは分かります。しかし……》
「あいつだって納得してんだ。だったら良いだろうが」
「えーと、何してんの? 何かの病気?」
「おおぅ!?」
背を向けしゃがみこんでノワと話していたラクードにノリンが不審そうに声をかける。ラクードは慌てて立ち上がると誤魔化す様に首を振った。
「いや、ちょっと考え事をだな」
「それで独り言? 何ならいい病院紹介しようか?」
「いらんわ。とりあえずまずはアズラルの野郎の行方だな。他に何か知らないか?」
「アズラルって言うんだあの男。けどこれ以上の情報はね……ちょっと私は分からないけど、警察なら知ってるかもよ? さっきも言ったけど私の通報の後調査に出たらしいし」
「成程な。それが聞けりゃあ十分だ。じゃ、そっちに行ってみるわ」
「はいはい。くれぐれも私の商品の事よろしくね~」
未だ納得の言っていないノワが冷気を発していたが、それを無視してラクードは店を出た。
「次は警察署か。大した情報は得られなかったがノリンが似たのがアズラルだと判明しただけでも良しとするか」
《……》
反応しないノワにラクードはため息を付いた。どうもこの少女は頭が固すぎる気がする。
「まだ納得言ってねえのかよ。あいつだって了承してたし良いじゃねえか」
《それはそうですが弱みに付け込むというのが……》
「それでお互い幸せになれるんなら良いんだよ。もうちょっと軽く考えな」
それっきりノワは黙りこくりラクードも特に言う事も無く無言の時間が続いた。やがて市場を抜けクリティブの警察署までたどり着くと受付へと顔を出す。
「ラズバード警察から連絡は言ってる筈だが、ラズバード自警団の者だ。先日街の外で目撃された化け物とやらの話を聞きたい」
「ラズバードの? 少し待っていてくれ」
受付に居た男性は確認の為に下がっていく。待ち時間の間ラクードは近くのベンチに腰を下ろすことにした。
《あなたは自警団じゃないでしょう》
「別に俺が自警団とは言って無い。お前の事を言ったんだがあいつは勘違いしたんだろうな」
《屁理屈過ぎます》
「結果オーライってやつだ」
「待たせたな。こっちへ来ると良い」
先ほどの受付が他にも数人の警官と共に現れラクードを促した。ラクードは頷くと立ち上がり後に付いていく。
警察署の廊下はそれなりに広く左右に扉が広がっていた。そこを二人の警官が先導し、更にラクードの背後に一人。それを横目で見て舌打ちする。
「やっぱり俺じゃなくてお前に行かせるべきだったかかもな」
《……?》
人前なので喋らないがノワが戸惑う気配は読めた。その間にも先導は続き、やがて広い会議室の様な場所へ連れてこられた。
室内は机と椅子が整然と並んでおり、その一番奥にはこの警察署の署長だろう。他とは違いう制服に幾つかの勲章らしきものを付けた男が座っている。50代半ば程で、白髪と髪の薄さが目立つ男だ。体格も小柄の様だが今は無駄に豪奢な椅子の上でふんぞり返っており、自らを大きく見せようとしている意思が見えた。
「君がラズバードの自警団の者かね? あちらの署長からも話は聞いていたが随分と人相が違う様だが?」
甲高く、人を見下すような口調で署長に問われ、ラクードは首を振る。
「いや、俺じゃねえな。俺は連れみたいなもんだ。アンタは何処まで聞いてんだ?」
「口のきき方に気を付けろ、と言いたいとこだが君に言っても無駄そうだな。なあ? 『悪鬼』」
ぴしり、室内の空気が一気に張りつめた。ラクードを取り囲んでいた警官達が一斉に警棒を抜きラクードに向ける。その眼にはいずれも嫌悪感がにじみ出ていた。
「あちらの署長から話は聞いていると言っただろう? その後に我々も独自に知らべたが、中々碌でも無い経歴の持ち主の様だな、君は」
「それでこの歓迎か?」
「当然だろう? それとも自覚が無いのかね君は」
署長は机の上の書類を手にするとそれを読み上げる。
「ラクード・ウルファース。生まれはノックスとあるが幼少期の詳しい情報は無し。一番最古の情報は傭兵団の一人として10年前の戦争に参加。戦争後は仲間と共に暮らし、そして―――――それら全てを皆殺しにした」
ぴくり、とラクードの眉が動くのを見て署長は笑った。書類を机に放り足を組むと蔑んだ目でラクードを見下す。
「その後、数年間の投獄の後何故か釈放。現在に至ると。正直何故君が釈放されたのか不思議でなら無いが今は良い。私が言いたいのは一つだ。今すぐこの街から出て行きたまえ」
ちゃきり、と署長が懐から銃を取りだしこちらに向けた。魔導器によって防御されているのでそれ自体は脅威ではないが、周りを取り囲む警官達は別だ。一斉に襲い掛かられれば中々面倒な事になる。
「別に出ていくのは構わねえが情報が欲しいんだよ、こちらは」
「貴様にくれてやる情報など何もない」
「なら何で態々ここまで俺を連れて来た? とっと追い出せばいいだろ」
「一度見て見たかったのだよ。自身を育て、助けた者達を皆殺しにして未だのうのうと生きているクズの顔をな。尤も、貴様の本性すら見抜けず一緒に暮らしていた連中だ。どうせ碌でも無い馬鹿の集まりだったのだろうがな」
瞬間、頭に血が上り署長へ詰め寄ろうとしたが途中でその動きが鈍った。チャリ、と金属の音と共に背後に左腕が引っ張られたのだ。ゆっくりと振り向くと刀から人間に戻ったノワが右腕を押さえながら首を振った。
「落ち着いて下さい。ここで手を出せば彼らが貴方を捕まえる理由になります」
横目で警官達を示しながらゆっくりと、言い聞かせるように言われた言葉に小さく息を吐くと、ラクードも引き下がった。代わりとばかりにノワが前に出ると署長は面白そうに笑う。
「ほう、それが件の魔導器の力とやらか。中々興味深い」
「そんな事はどうでもいです。それよりも情報を出してくれる気にななりませんか?」
「言った筈だ。直ぐに出て行けと。しかしそうだなぁ、君が私達に施しを《接待》くれるのなら考えてもいい」
「……っ」
ノワの胸元を見ながら好色な笑みを浮かべる署長にノワの顔が不快気に歪む。突然人間になったノワに驚いていた警官達も同じように笑みを浮かべた。
「人の事散々言っておいてそれかよ。ラズバードのジジイ警官共がまともに見えるな」
「あんな干からびたジジイ達と一緒にしないでくれないかね? それでどうする?」
「っ、お断ります!」
ノワは嫌悪感を露わに机を叩くと踵を返した。ラクードもそれに続く。もはやここには用が無い。居ても情報は得られないからだ。
「お前達の事は既に街の者にも伝えてある。とっとと出ていくんだな。くれぐれも私の街で問題を起こすなよ」
部屋から出る直前、馬鹿にするような署長の声が聞こえた。
どうやらあの署長の言っていた事は本当らしく、改めて街に出ると何人かがこちらを見て奇異と嫌悪の視線を寄せていた。先ほどまでこんなことは無かったので、こちらが警察署に付いてから情報が広まったのだろう。随分と早い事だな、と少し感心してしまう。
「申し訳ありません。勝手に交渉を打ち切ってしまいました」
「何言ってんだ。あんな条件賛同する必要ねえだろ。それよりも別の情報源を探さねえとな」
二人は人目を避ける為に路地裏に入り今後を話し合っていた。ここでは人も少ないので近くにいれば鎖もバレる事は無いだろう。
これからの事をどうした物かと考えていたラクードだがノワがそんな彼の左腕が急に引かれた。
「どうして、何も否定しないんですか?」
「何?」
「先程の事です。どうしてあれだけ言われても何も否定しなかったんですか」
問いかけるノワの眼に映るのは戸惑いや不安。そして苛立ちだ。その瞳に真っ直ぐとラクードを見つめる。
「別に大した理由はねえよ」
「嘘です」
言い訳を一刀両断するノワの声にラクードはようやく振り向いた。
「もし本当に何も思っていないのなら、何故あの時あの男に詰め寄ろうとしたのですか? 貴方の行動はちぐはぐなんです。気にしていない。話す気は無い。理由は無い。無関心を装い隠そうとしている癖に、先ほどは反応した。一体貴方の本心は何処にあるんですか」
ぐっ、とノワが詰め寄るがラクードも一歩も引かず見つめ返す。
「何処も何もない。俺はアズラルを見つけ出して殺す。それだけだろ」
「なら貴方のあの話は何なんですか? 味方殺し? 悪鬼? それとどう関係するんですか」
「それはお前に言う必要は無いだろ。あいつが喧嘩を売って俺が買った。それだけだと前も言った筈だ」
「また誤魔化しましたね。そんなんで納得できると思っているんですか」
「うるせえよ。別に納得できないならそれで――」
「良いわけありません!」
いよいよ抑えきれなくなったのか、ノワが大きく叫ぶ。
「貴方はそれでいいかもしれませんが、こちらの事も少しは考えて下さい! 私は貴方と鎖で繋がれているんです。嫌でも一緒に居なければなら無いんです! そんな相手が味方殺しだの悪鬼など呼ばれて私が安心できると思ってるんですか!? 確かに貴方は粗暴だし口は悪いしどこか適当で自分勝手な所がありますが、善と悪が分からない人ではない事くらい私にも分かります! 出なければあの時列車を守らなかったし、ラズバードの警察署でも力を貸してくれなかった! けどだからこそ貴方に対する噂と実際の貴方にはズレがあるんです! その違和感が貴方を余計に分からなくする! 貴方は、貴方は一体」
何者なんですか?
絞り出すようなノワのその言葉にラクードの胸がずきり、と痛む。彼女の言う事は尤もなのだ。彼女からして自分の存在は不信極まりないだろう。だがこちらにも事情はある。言い出せない事情が。それは酷く自分勝手な事情で我ながら不誠実だとは思う。だがそれでも……そう、自分は言いたくないのだ。
二人の間に嫌な空気が流れる。路地裏と言ってもたまには人は通る。そんな人々はまず声に驚き、そして鎖で繋がれた両者を見て奇異の視線を向けるものも、厄介事はごめんだとばかりにそそくさと去っていく。
そんな状態が数分ほど続いた時だった。不意に路地裏に男の声が響く。
「こんな所で喧嘩とは感心しないなあ」
「っ!?」
その舐めつくような、不快な声には聞き覚えがあった。二人が振り向いた先、そこには白いスーツを着た金の長髪の優男、アズラルがニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見つめていた。




