剣の深淵
願望世界ラーヴァシュネイク。天空の歯車。
雲の中、大小無数の歯車が噛み合い、緩やかに回転している。
<絶渦>から立ち上る赤い星々が、その歯車に吸い込まれていくのが見えた。
すると、歯車に星の輝きが宿り、更に強い魔力を放ち始める。
「これは<願望の星淵>の力を、正帝アイゼルが取り込んでいるんだろうね」
天空の歯車の中を飛びぬけながら、レイが言った。
「時間をかければかけるだけ、正帝は強くなる。第一魔王とアノスをまとめて倒すつもりなのかもしれない」
「あら? 可愛らしいことを考えますわ」
ミサが微笑する。
自分たちがアイゼルを滅ぼすのだから、と言わんばかりだった。
「気をつけてください」
シンが視線を鋭くした。
目の前にあるのは歯車が集まり、巨大な箱型となっている物体。そこから水銀が溢れ出て、人型を形成する。
絡繰神だ。
箱型の歯車から、絡繰神が次々と生産されていく。
「絡繰神で時間を稼ぐつもりですのね」
「絡繰神は私が相手をします。あの箱の歯車を破壊してください」
そう口にするや否や、シンはまっすぐ絡繰神に飛び掛かった。
収納魔法陣に手を差し入れ、引き抜く。
白く、飾り気のない魔剣だった。シンはその魔剣を振り下ろす。
腕を伸ばし、絡繰神は魔法障壁を張る。しかし、それはなんの妨げにもならず、魔法障壁ごと絡繰神は両断された。
その上、本来ならば、自己修復するはずの絡繰神が修復されないのだ。二つに分かれた体は、どろりと水銀と化すと、空中に霧散していった。
更に二体の絡繰神が左右からシンに迫る。
その二体とも、彼は容易く両断した。やはり、絡繰神は修復せず、そのまま滅び去る。
シンを脅威と見た絡繰神たちは、狙いを彼一人に絞り、一斉に魔法砲撃を放った。
「今だ」
絡繰神の守りが手薄になった隙に、レイとミサは箱型の歯車へ接近していく。
そこから、ちょうど三体の絡繰神が生まれようとしていた。
「ミサ」
「お任せくださいな」
魔法陣を複数描き、ミサはそこから<覇弾炎魔熾重砲>を乱れ撃つ。
生まれかけだった絡繰神に青き恒星が次々と着弾し、派手な爆発を巻き起こす。
「<破邪聖剣王道神覇>」
ミサが魔法砲撃で弾幕を張っている隙に、レイは大魔法を発動した。振り上げた無道剣エフェクから神々しい光が立ち上り、その場を照らす。
次の瞬間、彼が無道剣を振り下ろせば、光が純白の道を作り出した。
それは箱型の歯車を飲み込み、回転する歯車という歯車をズタズタに斬り裂いていく。
ガタガタと、音を立てて、その箱型の歯車は崩壊した。
「これだけやれば、絡繰神を作ることはできないと思うけど?」
「十分ですわ」
レイの問いに、魔眼を光らせながら、ミサは答えた。
「歯車への魔力供給が止まっていますもの」
「それじゃ」
彼はシンの方を見る。
襲い掛かる絡繰神を一刀のもとに斬り捨て、シンもまたレイたちの方へ視線を向ける。
瞬間、彼は顔色を変えた。
「後ろですっ!!」
はっとして、レイが後ろを振り向く。
崩れ落ちた歯車の陰から、鬼の角が二本覗く。
完全に気配を消して、そこから飛び出してきたのは第四魔王アゼミだ。
手にしているのは霊命鬼剣マギマである。シルクの鍛えた魔剣でさえ、まともに打ち合うことのできないその刃を受ければ、致命傷は避けられぬ。
そして、レイは完全に不意をつかれていた。
レイが無道剣エフェクを構えるより先に、霊命鬼剣マギマが疾走した。
血が鮮やかに散った。
目を見開いたのはレイだ。彼の身を寸前で庇い、霊命鬼剣に腹部を斬られたのはシンだった。
「へぇ……」
と、第四魔王は興味深そうにシンを見た。
シンと、彼が手にしたその魔剣を。
「お父様っ!!」
「どうぞ、先に行ってください」
深手を負った腹を手で押さえながら、シンはそう言った。
「ですけど」
「ここで時間をかけるわけにはいきません。それに」
白い魔剣を構えながら、シンは言った。
「この鬼は、私が斬るべき相手です」
一瞬、戸惑ったミサの手を、レイが握る。
「行こう」
ミサはこくりとうなずく。
そうして、二人はこの場から飛び去っていく。
「よかったのですか? 彼らを見過ごして」
シンは言った。
「構わねえよ。正帝がどうなろうと知ったこっちゃねえ」
「ではなぜ正帝の陣営に?」
アゼミは霊命鬼剣マギマの切っ先をシンに向ける。
「剣の深淵を覗くためだ。正帝が事を起こせば、銀水聖海は荒れる。このマギマを振る機会も増えるだろう」
「己の正義もなく、幾多の命を犠牲にしてまで、剣の深淵を覗きたいと?」
冷たい視線を放ちながら、そうシンは問うた。
「正義など不純だ」
はっきりとアゼミは答えた。
「強き正義も、巨大な悪も、平等に斬り裂くのが剣の刃だ。それは命によってこそ、磨かれる」
「……それで、霊命鬼剣マギマをベラミーに?」
短くシンは問う。
「ああ。命で作られた、命で研ぎ直される、至高の剣だ。このマギマとなら、剣の深淵を覗くことができ
る。が、まだ一歩足りない」
アゼミは、シンの持つ白い魔剣に視線を向ける。
「その魔剣、天才シルク・ミューラーの打ったものだろう?」
シンは答えず、ただアゼミを鋭く睨み返した。
構わず、彼は続けた。
「彼女なら、このマギマを更に鍛え上げられる。より多くの命――銀泡で研ぎ澄ます魔剣を作れるはずだ。それが叶えば、<深魔>と同格、深淵の剣となるだろう」
「残念ながら、あなたの思想には致命的な間違いがあります」
「へえ?」
アゼミは眉をピクリと動かした。
「まさか命と引き換えに剣を作るのが間違ってるなんて、甘っちょろいことは言わねえよな?」
「いいえ。より多くの命を犠牲にさえすれば強い剣を作れるという考えが、甘っちょろく、そして弱いのです」
かんに障ったように、アゼミはシンを睨む。
「弱い? 俺がか? それとも、マギマがか?」
「無論、両方とも」
即答すれば、アゼミの視線に殺気がこもる。
今にもシンに斬りかからんばかりだ。
「今からそれを教えて差し上げましょう、この虚空剣ノインで」
両者は同時に魔剣を振り下ろした。
霊命鬼剣マギマと虚空剣ノインが激突する。
余裕の笑みを浮かべていたアゼミは、しかしその瞬間、目を丸くした。
霊命鬼剣で斬り落とせる自信があったのだろう。だが、虚空剣は刃こぼれ一つせず、その斬撃を見事に受け止めていた。
ふいにアゼミの体が、ぐらりと傾く。シンが技でもって、その力を受け流し、体勢を崩したのだ。
そのまま、アゼミの力を返すようにシンは霊命鬼剣を打ち払った。
剣圧に押され、勢いよく弾き飛ばされたアゼミは巨大な歯車の上に衝突した。
破片が飛散し、歯車がガタガタと揺れる。
追撃とばかりに、上から落ちてきたシンがその勢いのままに虚空剣を一閃した。
シンが僅かに表情を険しくする。
手ごたえがない。
先の意趣返しの如く、振り下ろした虚空剣の力を、アゼミは完全に受け流したのだ。
ぐらり、と体勢が崩れたシンに、霊命鬼剣の切っ先が目にもとまらぬ速度で迫った。
寸前のところで首をひねって躱し、シンは虚空剣を横薙ぎに振るった。
アゼミはそれを見切り、僅かに後退するだけで回避する。
巨大な歯車の上で、アゼミとシンは一歩も退かず、剣戟の音を響かせた。
十の刃が空を斬り、百の刃が身をかすめ、千の刃が服を裂いたが、互いの剣は未だ相手に届かない。
その魔剣も、その剣の腕も、五分と五分だ。
「霊命鬼剣、秘奥が壱――」
アゼミは一瞬目を閉じて、魔剣に意識を集中する。
「<鬼斬>」
霊命鬼剣から魔力が立ち上る。
それは鋭く、長大な刃と化した。
いかに剣の腕があろうとも、決して受け流すことなど不可能な、分厚い斬撃がシンの脳天に振り下ろされた。
「虚空剣、秘奥が壱――」
シンの魔力が一瞬無となり、次の瞬間、虚空剣から光の粒子が立ち上った。
「<虚白>」
素早く振りぬかれた虚空剣は、白き剣閃を描く。
分厚い斬撃を真っ向から弾き返した。
「やるねぇ。俺とここまで剣を交えたのは、お前が初めてだ」
「残念です」
シンが言った。
「なにがだ?」
「あなたが手にしているのが、その悲劇の魔剣でなければ、尊敬に値する剣士だったでしょう」
眉をひそめ、アゼミは言った。
「冷めること言うなよ。お前ほどの使い手が」
アゼミの姿がブレる。
残像を僅かに残し、彼はシンの背後を取っていた。
「同じだろ。お前にも、剣が全てだ。でなきゃ、ここまで深い技は得られない」
霊命鬼剣がシンを斬り裂く。
しかし、それは残像で、シンはアゼミに突きを放った。
剣の腹で、奴はそれを受け止める。
「余計な荷物を捨てな。不純物は剣を鈍らせる。今は俺とお前と、二本の剣が世界の全てだ」
「剣は斬るための道具にすぎない。かつては私にもそれが空虚な真実でした」
アゼミは虚空剣を受け流し、返す刀で突きを繰り出す。
高速かつ連続の突きを、シンは巧みに捌いていく。
「捨てられなかったか。惜しいな」
みるみる速度を増していくアゼミの突きを一つ、シンが捌き損ね、受けの剣が打ち払われた。
「霊命鬼剣、秘奥が弐――<鬼王>」
霊命鬼剣から放たれたのは、百の剣閃、それが寸分のズレもなく、同時にシンを襲う。
「虚空剣、秘奥が弐――<虚境>」
シンの刃が、弧を描き、分厚い斬撃の壁を作る。
百の剣閃をその壁が阻むも、その内のいくつかがすり抜けた。
シンの体に切り傷が走り、血がどっと溢れ出す。彼は片膝をついた。先に斬られた腹も治ってはおらず、力が入らないのか、すぐに起き上がることができない。
「ついて来れない、か、いや、久方ぶりに面白かったよ。手向けだ。お前には、剣の深さを知る資格がある」
高揚した口調でそう言うと、奴はその魔剣を天に構えた。
「霊命鬼剣、秘奥が玖――<鬼神剛斬>」
霊命鬼剣マギマが膨大な光を放ち始める。
見覚えがあった。
それは大戦で敵味方ともに幾度となく繰り返された、根源爆発の光――命を剣とし、命によって磨かれる霊命鬼剣は、根源爆発の力を刃に変えているのだ。
加速度的に力を増していく霊命鬼剣とは裏腹に、アゼミの魔力は急速に衰弱していく。
霊命鬼剣が使い手の寿命すら吸っているのだ。
だが、根源が滅びに近づくほど、魔力は増大する。それにより滅びを克服し、そしてまた霊命鬼剣が寿命を吸う。
アゼミはこの僅かな間に幾度となく滅びを克服し、霊命鬼剣を研ぎ澄ましているのだ。
「見えるか、これが命の輝き。命を懸けることによって初めて到達する、剣の深層だ」
一歩、アゼミは前に出る。
「名を聞こう」
「……シン・レグリア」
一瞬、アゼミは目を閉じる。
そうして、言った。
「さらばだ。シン・レグリア。同じ道を目指した同志よ!」
命の輝きを放ちながら、<鬼神剛斬>が振り下ろされた。
瞬間、シンは虚空剣の白い刃を左手で握る。
閃光が弾けた。
「……なに………?」
受け止められている。
幾度となく滅びを克服し、研ぎ澄まされた刃、霊命鬼剣の秘奥が玖、<鬼神剛斬>が、秘奥すら使わずに。
虚空剣は先ほどまでと違い、鋼色の剣身になっている。
白い刃は、シンの傍らに転がっていた。
それらの意味するところは、すなわち――
「まさか……それは鞘、か……?」
アゼミが言った。
これまでシンは鞘に納めたまま、霊命鬼剣と打ち合っていた。鞘に納めていてなお、互角だったのだ。
その虚空剣の刃が今、初めて抜き放たれたのだ。
「かつて、私は一振りの魔剣でした」
静かに、シンは口を開いた。
「戦うための、斬るための道具。しかし、我が君は私に、斬るべき相手を教えてくれた。私に心があることを教えてくれた」
<鬼神剛斬>を押し返すように、シンがゆっくりと立ち上がる。
「剣に過ぎないこの身が、なぜ愛を知ることができたのか。あなたにはわかりますか?」
「……そんなことは……」
理解できない、そうアゼミの表情が物語っている。
「守るために作られたのですよ。この虚空剣も同じです。恩師ベラミーの名誉と誇りを守るため、彼女が魂を込めて鍛え上げました。ただ命を悪戯に奪うだけの無様な剣を、叩き斬るために……!」
虚空剣の刃が、<鬼神剛斬>を完全に押し返し、そして霊命鬼剣に食い込んだ。
「虚空剣、秘奥が参――」
シンの魔力が無になった瞬間、剣に伝える力も消えた。
余分な力が一斉ない、美しい型だ。
「<無斬>」
速さはなく、力はなく、鋭さもない。
されど、その刃は当たり前のように霊命鬼剣マギマを斬り落とした。
それだけではない。霊命鬼剣から、光が溢れ、それが輝く結晶と化す。ベラミーの寿命だ。霊命鬼剣に吸い取られ、最早一体化していたそれを、シンはその剣で斬り分けたのだ。
「――魔剣を、狙うと思ったよ」
斬り落とされたマギマの剣身が床に落下するより先に、アゼミはその根本をつかんでいた。
そのまま、奴は虚空剣を握るシンの右手を斬り払った。
指が飛んで、虚空剣が宙に舞う。
その柄をアゼミが握った。
「手に入れたぞ、至高の剣よ。さあ、虚空剣。俺に更なる底を見せてくれ!!」
虚空剣がシンの右肩に食い込み、袈裟懸けに振り下ろされた。
歓喜に震えるアゼミの瞳が、次の瞬間、驚愕に染まる。
「……斬れ……ない……!?」
虚空剣の刃はシンの胸にまで達している。
だが、それ以上断つことができない。
霊命鬼剣マギマさえ斬り落とした刃が、魔族一人の体を斬り裂けないのだ。
「虚空剣とは、その名の通り、無さえ斬り落とすことのできる魔剣。使いこなすには、より深く、剣の深淵に迫らなければなりません」
「ぐっ……!」
アゼミが反射的に虚空剣から手を放した。
手の平が刃物でも握ったかのように、ズタズタに切り裂かれていた。
まるで虚空剣に拒絶されたかのように。
「ただ斬るための剣では、斬ることはできません」
虚空剣を手に取ると、シンはアゼミの胴体を真っ二つに斬り裂いた。
ぐらり、とその体が傾き、巨大な歯車の上から、地上に向かって落ちていく。
「……もっと……斬り……た……かった……」
無念の言葉を残しながら、アゼミは消えていった。
シンは胸に手をあてる。そこに現れたのは影珠である。
その魔力を解放し、輝く結晶に魔法陣を描く。
彼の手には、ベラミーの寿命を切り分けた結晶がある。この海の秩序に反する二律僭主の魔力ならば、奇跡が起こせるかもしれない。そう考えたのだろう。
しかし、その結果を見ることは、彼には叶わない。深手を負ったその傷は癒えることなく、シンの体に亀裂が走った。
「あとは任せましたよ、レイ・グランズドリィ……」
その体が粉々に砕け散った。
最後の瞬間、影珠が眩い光を放ち、そして影の魔法陣を描いていた――




