深淵に至る
レイは無道剣エフェクにて、<破邪聖剣王道神覇>を放つ。
それは聖剣世界ハイフォリアまで続く光の道である。邪を阻むその光は銀水の毒を跳ね除け、彼らの力を増幅する。
祝聖天主エイフェの祝福により、恩恵は更に高まっており、レイたちは驚くべき速さで銀水聖海を飛び抜けていく。
未だ後方からの襲撃はない。その気配すら感じない。
それはやはり、聖剣世界ハイフォリアにレイたちを迎撃する十分な戦力があることの証左だろう。
あそこには聖帝ヴラドが、長年にわたって作り上げた<虹路の泉淵>がある。絡繰神を生み出す力を有する<淵>だ。時間さえあれば、奴らはそこから無限にわいてくる。
「ミリティアに来た大軍勢に、正帝ヴラドもかなりの絡繰神を投入しているはずだ。<淵>の特性上、<虹路の泉淵>に集まる想いがあればいくらでも奴らは戦力の補充が利く。だけど」
「瞬時に、というわけではないでしょうね」
シンが言った。
「ああ。時間があればあるだけ、あっちが有利になる。逆に言えば、今、この瞬間なら僕たちにも勝機がある」
更に魔力を込めて、レイたちは光の道を加速していく。
やがて、前方に見えてくるものがあった。
目映く光る銀の泡、聖剣世界ハイフォリアである。
「領海に、敵はいないみたいですね」
その場に停止して、魔眼を光らせながら、ミサは銀泡の周囲を見渡した。
だが、絡繰神やその他の敵影はない。視界は開けており、姿を隠すような場所はない。
奇襲はまずあるまい。
「外からは銀泡の様子が見えない。仕掛けてくるとしたら、中だろうね」
ミサが手を頭上に掲げれば、闇が彼女を覆う。直後、稲妻が走ったかと思えば、闇を切り裂いて、アヴォス・ディルヘヴィアの姿が現れた。
「なにが待ち構えていようと、すべて蹴散らして、正帝ヴラドの首をとれば終わりですわ」
ミサの言葉に、レイがうなずく。
「しかし、単純に首を斬ればいいという話でもありませんからね」
シンが言う。
正帝ヴラドは元首でも主神でもない。絡繰世界の秩序そのものだ。また<絡繰淵盤>がそうであるように、<虹路の泉淵>はその一部が絡繰世界の<淵>と同化している。まず、あの<淵>を滅ぼさなければ、正帝という絡繰機構が滅びることはないだろう。
「それは……」
レイが言おうとしたそのとき、シンは視線を鋭くした。
その魔眼は目の前の銀泡に向けられている。
はっとして、レイも銀泡に視線を移した。
ズ、ズズズズ、ズズズズ、と音が聞こえたような気がした。
「動いている……? ハイフォリアが……?」
少しずつ、しかし確実に聖剣世界ハイフォリアは移動していた。
本来は動かないはずの銀泡が、あたかも一個の生命体のように活動し始めている。
それはかつての災淵世界イーヴェゼイノを彷彿させる光景だ。
「すぐに入りましょう。機を逸すれば……」
シンの言葉を塗りつぶすように、ド・ゴ・ゴ・ゴ・ゴォォォォとけたたましい爆音が領海中に響き渡った。
聖剣世界ハイフォリアがぐにゃぐにゃと歪に変形しながら、矢の如く放たれた。
一気にハイフォリアが遠ざかっていく。
「追いましょう。レイ・グランズドリィッ!」
レイは無道剣エフェクを聖剣世界ハイフォリアへ向けた。
「<破邪聖剣王道神覇>」
放たれた光の道が、銀泡とつながった。
ますます速度を上げて、銀水聖海を飛びぬけていく聖剣世界ハイフォリアを、レイたちは追いかけた。
全魔力を<飛行>に注ぎ込み、レイ、ミサ、シンはハイフォリアにとりつこうとする。
だが、届かない。
懸命に手を伸ばすが、その指先は銀泡の光をすり抜ける。
次第に銀泡とレイたちとの距離が離れ始めた。
聖剣世界の方がレイたちより速いのである。
「くっ……!」
レイの手が空を切り、更に銀泡は遠ざかっていく。
「どこかで止まりますわ。見失わなければ、チャンスはあります」
持久戦に切り替え、レイたちは一定の速度を保ちながら聖剣世界ハイフォリアを追った。
◇
『アノス』
界間通信にてレイの声が響く。
『聖剣世界が動いている。イーヴェゼイノの時と同じだ』
「追いつけるか?」
『今のところ、勢いが衰える様子はないけど、どうにか追えてはいる』
あちらもそれ以上、速くは飛べぬようだな。
『永遠に追いかけっこをするわけにはいきませんもの。正帝もそれはわかっているはずですわ』
そうミサが言う。
問題はないという意味だろう。
「任せる」
そう返答をした。
樹海船アイオネイリアは銀水聖海を飛びぬけていく。
ひたすら最短距離を突き進み、やがて体に震動を覚えた。
次の瞬間、樹海船の大地が大地震かというほど激しく震え始めたのだ。
結界に穴が空き、そこから銀水が溢れこんでくる。
「ちょっ、なによ、これっ!?」
サーシャが驚いたように声を上げる。
「慌てるな。沈みはせぬ」
「あれが?」
前方に神眼を向けながら、ミーシャが尋ねてくる。
「ああ、混沌だ」
樹海船アイオネイリアの前に広がるのは、無数の星々――凝縮された小さな銀河。あらゆる魔力、あらゆる秩序、銀水聖海中の力という力がここに集い、深く、混沌としているのだ。
「かつてはなかなか骨が折れたが」
混沌の銀河を見据え、俺の左目が滅紫に染まる。
その瞳の深淵に闇十字が現れた。
目の前に広がる混沌の銀河を一睨みすれば、前方に船が通れるだけの影の道が現れた。
混沌を混沌で押しやり、その影響を相殺しているのだ。
樹海船アイオネイリアが影の道に入れば、激しい揺れは止まり、銀水の流入も収まった。
「これが混沌ってことは、じゃ、この先に願望世界が?」
サーシャの問いに、俺はうなずく。
「すぐにつく」
「第一魔王アムルは、そこにいる?」
「ああ」
「どうして?」
どうして――アムルは俺に敵対したのか?
なぜ、アムルは銀水聖海の平穏を壊そうとするのか?
ミーシャの瞳がそう尋ねている。
「わからぬ。だが、答えはここにある」
影の道を抜けて、樹海船アイオネイリアは、赤い空に辿り着いた。
「願望世界ラーヴァシュネイクに」
眼下には血に染まったような海がある。激しく波立つ、その深淵に赤い星々が大きな渦を巻いている。
<願望の星淵>――すなわち、<絶渦>である。
空の赤も、海の赤も、あの星々の光に照らされた結果だろう。
この世界で、アムルの身になにかが起きた。
彼の生き方を根本から変えるほどの出来事が――
◇
目の前を飛び続ける聖剣世界ハイフォリアを、レイたちは追いかけていた。
少しずつ離されてはいるものの、ハイフォリアはそれ以上大幅に速度を増すことはなく、彼らはなんとか食らいついている。
見失ってしまえば、次に正帝がなにを仕掛けてくるかわからない。無我夢中で追い、銀泡を視界に収め続けた。
やがて、ハイフォリアの勢いが弱まった。
なにかに衝突したのか、巨大な銀泡が大きく揺れ動いている。
レイたちは、ハイフォリアの行く先を注視していた。つい先ほどまで、その銀泡の進路を塞ぐようなものはなにもなかった。
いや、より正確には見えなかった。
確かに放たれていた光が、深すぎて視認できなかったのだ。それがハイフォリアとの衝突で、ようやくあらわになった。
凝縮された魔力、凝縮された秩序、銀泡よりもなおも眩く輝く、それは混沌の銀河である。
「これは……!?」
レイがはっとして、視線を巡らせる。
「混沌の銀河を突破するつもりか……!」
だとすれば、正帝の目指す場所は一つだろう。
「行きましょう。今ならば、届きます」
シンの言葉で、三人は魔力を集中し、全速力で飛んだ。瞬間的に速度が増したレイたちに対し、聖剣世界は混沌との衝突により、減速している。
彼我の差はみるみる埋まり、そして彼らの体が銀の光に包まれる。
レイは突き出した無道剣エフェクから、祝福の光を放つ。
それには祝聖天主エイフェの魔力が込められている。主神の権能により、三人の体は聖剣世界ハイフォリアの内部に入った。
瞬間、その世界が更に激しく揺れ始めた。
混沌を振り払うように、<虹路の泉淵>から虹の光が放たれる。そうして、勢いよく降下した銀泡は混沌の銀河を超えて、その先にある巨大な銀泡にまっすぐ落ちていく。
空と空がぶつかり、海と大地が衝突する。
聖剣世界ハイフォリアが、願望世界ラーヴァシュネイクに食らいつき、それを浸食し始めたのだ。
「ヴラドを探しますの?」
ミサが聞く。
「いや。<虹路の泉淵>へ行こう。あれが正帝ヴラドの要のはずだ」
そう口にして、レイは聖剣世界ハイフォリア側へ降下していく。
◇
願望世界ラーヴァシュネイク。
激しい振動が俺たちを襲い、赤い海が荒れ狂う。
聖剣世界ハイフォリアが、この願望世界に食らいつき、浸食しているのだ。
「イーヴェゼイノの時と同じね。聖剣世界に願望世界を取り込ませようってことかしら?」
サーシャが頭を捻りながら、そう口にする。
「正帝は第一魔王と敵対してる」
ミーシャが言った。
「で? 聖剣世界がここまで来ちゃったけど、どうするのよ?」
と、サーシャは俺に疑問を向けた。
「やることは変わらぬ。正帝ヴラドはレイたちに任せた。俺たちはアムルだ」
「ん」
俺たちは歩き出す。
「残念だが、そなたたちは辿り着けない」
響いた声と同時、上空から虹の光が降り注ぐ。
中から姿を現したのは、聖王レブラハルドの絡繰神――正帝ヴラドだ。
「この時を待っていたよ。二律僭主ノア」
奴の手の平に光が集い、霊神人剣エヴァンスマナが召喚される。
その切っ先が俺に向けられた。
「はあっ!!」
「下がれ」
一足飛びに正帝ヴラドが突っ込んでくる。
ミーシャとサーシャを後退させ、俺は真っ向から奴を迎え撃った。
白虹の剣閃が上段から真一文字に疾走した。
「<背反影体>」
影の手がぬっと現れ、振り下ろされた霊神人剣をつかむ。
一瞬、その刃が食い止められるも、影の指先が斬り落とされた。
そのまま、白虹の斬撃が俺を襲う。手でわしづかみにするも、手の平からは鮮血が散った。
「そなたにとっては大きな誤算だが、私たちにとっては計画通りだった」
霊神人剣から白虹の光が放たれ、俺は飛び退いた。
「霊神人剣、秘奥が壱――」
正帝ヴラドは霊神人剣を疾走させる。
「――<天牙刃断>!!」
白虹の剣閃が八つ、後退する俺に向けて放たれた。
影体の手でそれを打ち払うも、同時にその手は切断される。なおも勢いが止まらぬ白虹の剣閃が肩口をかすめ、俺の血を溢れさせる。
「そなたは数ある計画の内、最も愚かな選択をとった。この海の秩序に一切の縛りを持たない二律僭主ノアの体を捨て、転生した。よりにもよって、アーツェノンの滅びの獅子に。二律僭主のままならば、大魔王ジニアでもなければ滅ぼす手段などなかっただろうね」
二発、三発と、正帝ヴラドは<天牙刃断>を放つ。
剣閃が走る度に、影体が切断され、俺の体が斬り裂かれていく。
「しかし今、私の手にはアーツェノンの滅びの獅子を滅ぼすための正義の剣がある」
<天牙刃断>を乱れ撃ちながら、奴の意識が深淵へと沈んでいく。
「霊神人剣、秘奥が零――」
しん、と辺りに静寂が訪れる。
「<獅子断滅>」
それは滅びの獅子を滅ぼすための刃、霊神人剣の存在意義を十全に発揮した一刀だ。
十字に交差した白虹の剣閃が有無も言わず、俺の根源を直接斬りつけていた。防御も、回避も許さず、ただアーツェノンの滅びの獅子の宿命という宿命を断ち切る。
結果、その根源を断滅するのだ。
「そなたが一番理解に遠かった。凶悪なまでの力と引き換えに、秩序を破壊してまで得たのが、泡沫世界での仮初めの母だ。家族ごっこは楽しかったかい、二律僭主」
勝利を確信したように、奴は俺にそう問いかけた。
「ああ。それが、なにより大切なことだったのだ」
俺の言葉に、奴は目を見張った。
「確かにあの頃よりもひ弱になり、魔力は衰えた。混沌の力を持て余し、霊神人剣の一撃は少々堪える。だが」
顔を上げて、俺は奴を睨む。
正帝は霊神人剣をぐっと握りしめ、とどめをささんとばかりに魔力を込めた。
「お前にはこれぐらいでちょうどいい」
滅紫に染まった左目の深淵に、闇十字が現れる。
<混滅の魔眼>が発動し、俺は自らの胸を指先で斬り裂き、根源に右手を突っ込む。十字に走る白虹の剣閃、それをむんずとつかむと力ずくで引き剝がした。
「霊神人剣、秘奥が零――」
「<二律影踏>」
正帝ヴラドが、二撃目の<獅子断滅>を放つより早く、その影を踏み抜いた。
「がっ……はっ……!!」
<二律影踏>によって、根源を踏み抜かれた正帝ヴラドは、全身から血を流しながら、派手に吹っ飛んだ。
確かに霊神人剣は強力な力を持っており、聖王レブラハルドも深層世界では相当な実力者だ。
だが、第一魔王アムルや大魔王とは比べるまでもない。
「……やはり……」
吐血しながらも、奴は虚ろな瞳で言う。
「……この体では……勝てぬ、か……」
ガゴンッ、と願望世界ラーヴァシュネイクが激しく揺れた。
否、正確には聖剣世界が激しく震動しており、その揺れが願望世界にまで伝わっているのだ。
正帝ヴラドの背後、聖剣世界の方から虹の光が立ち上っている。それは<虹路の泉淵>から放たれているものだ。
次の瞬間、<虹路の泉淵>の水という水が天に向かって放出された。
それは虹の橋をかけるように、高く高く舞い上がり、願望世界ラーヴァシュネイクに降りてくる。
ぐにゃり、と<虹路の泉淵>は形を変え、真っ逆さまに急降下した。
それは、願望世界ラーヴァシュネイクに広がる広大な海に突き刺さったのだ。
赤い海は割れるかのように、四方に大津波を巻き起こす。
「これって……!?」
「聖剣……?」
サーシャが声を上げ、ミーシャはその神眼で深淵を覗く。
願望世界ラーヴァシュネイクの海に突き刺さっているのは、山よりも遥かに高い、一本の巨大な聖剣なのだ。
「この聖剣は、<虹路の泉淵>。それが今、<絶渦>に突き刺さり、浸食し始めた」
瀕死の体に鞭を打ち、正帝ヴラドはよろよろと立ち上がる。
「どういうことかわかるかな?」
奴は問う。
答えは自明だ。
「聖剣世界が願望世界に並び、深淵に至ったのだ。<淵>と<淵>が衝突し、<虹路の泉淵>は<絶渦>となる」
正帝ヴラドはそう口にして、自らの頭をその手で貫いた。
頭の中から、彼が取り出したのは一つの歯車である。
<虹路の泉淵>からその歯車に、純白の虹が降り注ぐ。虹路である。
虹路は幾重にも重なり、みるみる膨れ上がっていく。願望世界に突き刺さっていた巨大な聖剣もまた、
虹路に姿を変えていく。
<虹路の泉淵>の力が全て、そこに注ぎ込まれていくのだ。
やがて、凝縮された虹路の塊にヒビが入った。
卵が孵化する瞬間のように、ミシミシとヒビが広がっていき、そこから一本の腕が突き出された。
次の瞬間、虹路の塊が粉々に砕け散る。
中から姿を現したのは、両目に純白の歯車を宿した男。頭髪はその一本一本が虹路のように輝いており、その五体は陶器のように白く、滑らかだ。
人のようにも見えるが、決して人ではない。
「すなわち、私こそ、<絶渦>の絡繰神――正帝アイゼルだ」
アイゼルの瞳の歯車が回転する。
純白の髪が光り輝き、願望世界の上空に無数の巨大な歯車が出現した。
その中心から、虹路が降り注ぎ、それは<願望の星淵>に照射された。
赤い星々が少しずつ、虹路を辿り、歯車へと上っていく。願望世界の<絶渦>を、正帝アイゼルが飲みこもうとしているのだ。
「我らが絡繰世界の悲願は叶った。今日この時が、銀水聖海に完全なる正義がもたらされた瞬間だ」
「そうか。では死ね」
不遜な声は、俺とは逆方向――正帝アイゼルの背後から響いた。
奴が振り向くより早く、そいつは燃えるような魔眼を光らせる。
「<極獄界滅壊陣魔砲>」
終極の黒炎が猛々しく燃え盛り、正帝アイゼルを飲み込んだ。
周囲の大地が瞬く間に黒灰へと変わっていき、海の一部さえも滅び去った。
されど、正帝アイゼルは健在だ。
純白の虹が魔法障壁のように彼を守り、その滅びの魔法を遮断したのだ。
「二人がかりなら、勝負になると思ったかい? 第一魔王アムル」
「虫唾が走る」
アイゼルの言葉を、アムルは吐き捨てた。
「ふむ。役者がそろったようだな」
俺とアムル、アイゼルは互いに二者を睨みながら、その魔力を解放していく。
三つ巴の戦いが始まろうとしていた。




