鉄火人の後悔
パブロヘタラ宮殿。<絡繰淵盤>。
「絡繰世界が、正帝ヴラドが求めているのは、この銀水聖海にただ一つ、揺るぎのない完全なる正義を打ち立てることです。そのために、彼らは銀水世界リステリアを滅ぼし、<淵>を奪いました」
「馬鹿な……!!」
隠者エルミデの言葉に、バルツァロンドは憤りをあらわにした。
「リステリアを滅ぼし、大提督ジジを滅ぼし、兄上も滅ぼされかけた。他にも、正帝の手にかけられた者はごまんといるはずだ! それが、正義のためだというのかっ……!?」
「今、あなたが疑問に思われたことこそが、正帝にとってももどかしい事実だったのでしょう」
バルツァロンドが眉根を寄せた。
「もどかしい……?」
エルミデはグラハムに視線を向ける。
「絡繰神形のあなたならば、理解できるのではないですか?」
「さあね。正帝の歯車がどう思考しているのかなんて僕にはどうでもいいことだけど、二つ以上存在する
正義なんて馬鹿馬鹿しいとは思うよ」
「身勝手な理由で他者を滅ぼす者に正義などありはしないっ!」
グラハムに反論するようにバルツァロンドが声を上げる。
「だったら、君は正帝を滅ぼすつもりはないのかい?」
「無論、滅ぼす。それが誰もが望む、正しき道だ!」
「誰もが? 僕は望んではいないよ」
「それは……」
一瞬、バルツァロンドは返事に窮する。
「貴公が絡繰世界の……」
「絡繰神形だから? そうかもしれないね。けれど、君が言っているのは、自らの正義に賛同しない者を排除していけば、世の中は平和になるということだ」
善意を張りつけたような顔で、彼は笑う。
「正帝と同じだね」
「……断じて違う……! 狩猟貴族は、礼と義を重んじる。身勝手な正義を押しつけることなどありはしない!」
「君たちが身勝手に決めた、君たちの理屈の中ではね」
「それはどういうことかっ!?」
激昂しそうなバルツァロンドを、レイが手で制した。
「その話は今度にしようか。結論が出る前に、敵が来そうだからね」
そう窘められ、渋々といった様子で彼は引き下がった。
「正帝の計画は大体わかったんだけど」
レイは隠者エルミデに向き直り、次のように尋ねた。
「第一魔王アムルの目的はなんだい?」
正帝の計画が銀水聖海に完全なる正義を生み出すことだとすれば、アムルがそれに敵対するのは理解できる。
しかし、彼はこの海の平穏を壊滅する、と言った。
願望世界ラーヴァシュネイクの希輝星デュエルニーガ、傀儡皇ベズ、元首パリントン、王虎メイティレン、災人イザークらを引き入れ、ミリティア世界に攻撃を仕掛けたのだ。
その理由がわからぬ。
「いずこかの追憶に、それも残されているかもしれませんが、残念です。もう時間がないようです」
隠者エルミデの体が半透明に変わり、みるみる希薄になっていく。
「正帝の仕業か?」
「ええ。<絡繰淵盤>の一部は元々、絡繰世界のもの。どうやら、<淵>の力を最小限にしたようです」
いざとなれば、奴らはここから絡繰神を作ることもできる。取り返しに来る可能性は高いだろう。
「最後に、オットルルー」
隠者エルミデはオットルルーの瞳に魔法陣を描いた。そこにすっと手を差し入れ、歯車をつかんだ。
彼は手を引き抜く。
オットルルーの瞳の奥にあった歯車が取り除かれた。
「いよいよとなれば、正帝はあなたをこの歯車で操るつもりだったのでしょう。これであなたを縛る枷はありません」
その体が光の粒子となっていく。
「あなたはあなたの思い出を、どうか大切に」
そう言い残し、隠者エルミデは再び追憶の彼方へと消えていった。
「アノス」
真剣な面持ちで、レイがこちらを向く。
「絡繰世界が来るだろうな。銀泡の外に布陣を敷き、迎え撃つ」
こちらで制御していた<絡繰淵盤>に干渉できたのも、奴らが近づいて来ているからだろう。
まもなく、ミリティア世界を戦火が襲う。
「恐らく、絡繰世界だけではありませんわ」
ミサが言った。
「第一魔王の一派も?」
バルツァロンドの問いに、ミサはうなずいた。
「なにが目的かは知りませんけれども、第一魔王はアノス様に弓を引きましたわ。絡繰世界が攻めてくるのでしたら、その機に乗じない手はありませんもの」
アムルの仲間は、希輝星デュエルニーガ、災人イザークを始めとして、かなりの強者が揃っている。
絡繰世界と同時に来るのならば、かなりの混戦になるだろう。
「それともう一人、警戒しておくべき男がいる」
俺が言うと、皆がこちらを向く。
「第四魔王アゼミだ。俺が知っている時代は、第四魔王は空席だった。第七魔王ジョズが滅ぼされた際も、奴だけは報復に現れなかった」
現在、銀水聖海の外に知れ渡っている魔王の人数は六人。
第一魔王アムル、第二魔王ムトーを除外したとしても、実際には七人いる。
相当新しく魔王になったのだろう。
「第一魔王アムルか、正帝ヴラドの仲間ということですの?」
「あの時、なにかが起こると知っていた。だから、来なかったと考えれば――」
ザザザッと耳に雑音が響いた。
界間通信だ。
『……アノ……ス……奴……は……』
鍛冶世界バーディルーアの元首ベラミーの声だ。
魔力が不安定なのか、なにかに妨害されているのか、雑音が混ざり、魔法通信は途切れ途切れだった。
『絡繰神を……』
そこまで聞こえた後、ぷっつりと界間通信が途絶えた。
『シン。聞いていたな』
ミリティア世界に戻っているシンに、<思念通信>を送る。
『すぐに向かいます』
返事の後すぐに飛空城艦ゼリドヘブヌスが、パブロヘタラ宮殿を追い越していくのが見えた。
いざという時に、救出に迎えるように待機していたのだ。
ゼリドヘブヌスは銀水聖海を勢いよく飛び抜け、光の如く、加速して、加速して、更に加速していく。
向かっているのは、界間通信の発信源が途絶えたエリアだ。
「……大丈夫……だよね……?」
ゼリドヘブヌスのブリッジだった。震える声でぽつりと呟いたのは、シルクである。
「ねえっ。こ、殺したって死なないんだからっ。あの婆サンはっ……!」
シンは黙ったまま、彼女に視線を向ける。
「まもなく到着します」
シンの言葉通り、ゼリドヘブヌスの前にバーディルーアの工房船が見えてきた。
動いていない。
工房船から魔力は感じられず、銀海の流れに身を任せるように漂うばかりだ。
『婆サンッ!? 聞こえるっ!? 答えてっ!』
<思念通信>で呼びかけながら、シルクは飛空城艦の外に出る。シンも彼女についていった。
二人は工房船まで近づいて行ったが、ベラミーからは応答がない。他の鉄火人も沈黙していた。
「あそこから入ろうっ」
シルクが工房船の煙突を指さし、すぐさまそこに飛び込もうとする。その手をシンがつかんだ。
「シン……?」
「斬られています」
「え?」
シンが慎重にバーディルーアの工房船に近づく。そして、魔法陣を描き、そこから屍焔ガラギュードスを引き抜いた。
コンッと煙突の先端を剣で触れる。
まるで雪崩のように、巨大な工房船がガラガラと崩壊していく。無数に舞った破片の一つ一つが、鋭利な刃物で斬られたかのようだった。
シンは魔眼を光らせ、その破片の隙間に人影を見つけた。
「いました」
シルクの手を引き、シンは崩壊する工房船の中へ突っ込んだ。ガラギュードスを一閃し、落ちてくる破片を斬り払う。
すると、そこに倒れていたのは、ベラミーである。
その胸に魔剣で貫かれた傷跡があった。
だが、妙だ。傷跡はあるが、出血は大したことがない。致命傷とは言い難いはずだ。にもかかわらず、ベラミーの魔力は滅びる寸前というほど衰弱していた。
「婆サンッ!」
シルクがベラミーに近づき、彼女を抱き起こす。
「……すまないねぇ……あたしとしたことが、ヘマをやらかしちまったよ……」
「だ、大丈夫っ! 大丈夫だからっ! ミリティア世界にいけば、祝聖天主様もいるし、それに……!」
すると、ベラミーは悲しげに笑い、シルクの頬に手を触れた。
「あの第四魔王に打った魔剣、霊命鬼剣マギマはね。あいつの主君、鬼刃世ミヒャイムの元首を剣にしたものなのさ」
「……元首を魔剣化してるってこと……? だけど、そんなことしたら、元の姿には戻れないんじゃ……」
ベラミーは静かにうなずく。
「我が身を犠牲にしても、鬼刃世界、最高の剣術士アゼミを魔王にしたい。そうしなければ、深層十二界を敵に回した鬼刃世界を守れないってね。だから、至高の剣を打ってほしいと言われたよ」
じっとシルクを見つめ、ベラミーは声を震わせた。一筋の涙が彼女の頬を伝った。
「だけど、嘘だったのさ」
「嘘……?」
「元首は操られていただけだった。全部、アゼミが仕組んだことだったのさ。あいつは、あたしの霊命鬼剣マギマを使って、第四魔王になった」
ぐっとベラミーは奥歯を噛む。
「……マギマは……斬る度に錆びていく魔剣だ……研ぎ直すには、強い魔力を持つ者の寿命を使う必要がある……」
「寿命……それじゃ……」
シルクははっとして、ベラミーの傷口に魔眼を向けた。
重傷ではないはずなのに、彼女はひどく衰弱している。まるで、寿命が尽きてしまったかのように。
第四魔王アゼミは、ベラミーの寿命を使い、霊命鬼剣マギマを研ぎ直したのだ。
「元首が、命に代えても、自分の世界を守りたいって言うものでねぇ……あたしもバーディルーアになにかがあったらって思っちまってさ……間違えたのさ……無様な剣を打っちまった……命を命でねじ斬るだけの、醜い剣を……」
ベラミーの指先が小刻みに震えている。
それが頬を通じて、シルクにもはっきりとわかった。
「シルク……頼みがあるんだ……」
きゅっと唇を引き結び、シルクは気丈に涙を堪えた。
「うん……! 大丈夫! 大丈夫だからっ! バーディルーアのことなら――」
「逃げとくれ……」
「……え?」
不思議そうにシルクはベラミーを見返した。
「奴はあんたを狙ってるのさ……マギマをもっと強く鍛え直すために……」
ベラミーはシルクの二の腕をつかみ、強く握る。
「……なにがあっても、逃げるんだよ……! バーディルーアがどうなっても、絶対にアゼミに出会っちゃだめだ……!」
じっとシルクを見つめ、ベラミーは言う。
「約束してくれるかい……?」
「……わかった」
ベラミーがほっとしたように力を緩めると、シルクは続けて言った。
「アタシの剣で、マギマを叩き斬ってあげる!」
驚いたようにベラミーは目を丸くする。
「……あんたは、まったく……なあ、頼むよ……! こんときぐらいあたしの言うことを……」
「わかるよっ!!!!」
叫ぶようにシルクは言う。
「婆サンの気持ちはっ、アタシにだってわかる。あんな無様な剣が、あんな醜い剣が、至高の剣のわけがないっ! だから、婆サンの弟子のアタシが、それを証明してみせるっ! 婆サンの本当の剣で、あの魔剣を叩ききってやるっ……!」
鉄火人であるシルクには、ベラミーの心残りがなんなのか、痛いほどよくわかったのだろう。
彼女らは武器とともに育ち、生涯を武器を打つことに費やす。どんな剣も彼女らにとっては、我が子のように大切な存在だ。
その鉄火人をして、無様とまで言い知らしめるのが、霊命鬼剣マギマである。
「だから……!」
目に涙を溜め、それでもこぼさないように、シルクは必死に笑みを作る。
「だから……! 帰ってきたら、アタシが一番弟子だって……認めてくれる……?」
消え入りそうな声で、シルクはそう問いかける。
それはまるで今にも消えゆく命を、懸命に繋ぎ止めようとするかのように。
か細い声で、ベラミーは答えた。
「……ああ……そのときは……あんたがよろず工房の魔女を名乗りな……」
静かにベラミーは目を閉じ、がっくりと全身の力が抜けた。
小さく、シルクは嗚咽を漏らす。
ぽたぽたと小さな雫がこぼれ、言葉にならない声が静寂に響く。
けれど、彼女はすぐに顔を上げて、ごしごしと腕で涙をぬぐった。
ベラミーがつけていたゴーグルを外して、シルクは自分の頭につける。そうして、強い瞳で前を向いた。
「見ててね……婆サン……」
横たわるベラミーの顔は安らかで、薄く微笑んでいたように見えた。




