計画の歯車
聖剣世界ハイフォリア。
銀水船ネフェウスに乗り、正帝ヴラドは戻ってきた。
「レブラハルド」
彼を呼ぶ声が聞こえた。
いち早く、彼の帰還を察知したのはハイフォリアの主神、祝聖天主エイフェである。
「ハイフォリアに異変が起きている。外から銀泡への干渉――しかし、銀滅魔法ではない。<淵>の力に似ているかな」
エイフェが言う。
「発生源の見当はついたよ。恐らく、深淵世界の<淵>が暴走した」
正帝ヴラドは言った。
「<淵>の暴走……?」
「<絶渦>と呼ぶそうだ。パブロヘタラという学院同盟に古い文献が残されていた」
ヴラドはそう説明した。
「なにが起きている?」
「<絶渦>は銀水聖海の大災厄。全ての銀泡は時間が狂い、火露を全て奪われるまで止まらないだろう。それだけではない。深淵世界の<淵>には今、この海の悪意の全てが集まり、具現化しようとしている」
「……アーツェノンの滅びの獅子のように?」
エイフェの質問に、ヴラドはこくりとうなずいた。
「悪意の怪物が生まれようとしている。それだけは、なんとしてでも阻止しなければならない」
「では、すぐに発つべき。五聖爵の総力を持って、対処しよう」
「ハイフォリアの力では、深淵世界までは行けないかもしれない。けれど、銀水聖海の危機だ。きっと、どの世界もともに戦ってくれると信じよう」
聖剣世界ハイフォリアはすぐさま全軍を率いて、<絶渦>の対処に当たった。
無論、動いたのは彼らだけではない。
鍛冶世界バーディルーアや、夢想世界フォールフォーラル、思念世界ライニーエリオン、傀儡世界ルツェンドフォルトなどをはじめとする深層世界は、こぞって<絶渦>を阻止するべく、銀水聖海の深淵を目指した。
とはいえ、深淵世界に行ける者は限られている。見つけることさえ容易ではない。
銀水聖海中の時間が乱れ、情報が錯綜する中、彼らが辿り着いたのは<絶渦>に吸い寄せられている悪意を滅ぼすことだった。
悪意の怪物が生まれてしまえば、今以上の危機が銀水聖海を襲うことになる。
<絶渦>に吸い寄せられる悪意は、深淵に沈む内に大きな塊となっていく。すでに半具現化状態にあり、それらは悪意の肉塊と呼ばれた。
悪意の肉塊が全て<絶渦>に到達し、悪意の怪物が生まれる前に、深層世界の住人たちはそれを滅ぼそうと考えたのだ。
そうすることで、<絶渦>がより深淵に沈むのを防ぐことはできる。
無論、それで<絶渦>が止められるかは定かではない。
もしも、止まらないのであれば、より深層に位置する世界の住人が、深淵世界に到達し、直接<絶渦>を止めてくれるのを待つしかない。
<絶渦>の影響が銀水聖海全体に及んでいるため、各世界間で情報のやりとりを行うのも困難だった。
殆どの世界は孤立無援の戦いを強いられたが、必死に悪意の肉塊を滅ぼし続けた。
<絶渦>対全ての銀泡との総力戦だ。
どれだけ悪意の肉塊を滅ぼしても、銀水聖海中から悪意が吸い寄せられてくる。
いつ終わるとも知れず、戦いは続いた。
一つ、また一つ、銀泡が海の藻屑となり、一人、また一人と主神が滅び去っていく。
各世界の戦力には限界があり、<絶渦>の悪意は無尽蔵だ。
このままではどちらが先に力尽きるか、火を見るよりも明らかだろう。
だが、焦燥に駆られた深層世界の住人たちとは裏腹に、悪意の肉塊の数が減り始めた。
そう、元々、<絶渦>が集めているのは人々の願望だ。<絶渦>という絶対なる悪が生まれ、各世界には滅びの危機が迫っている。
人々の願いは、悪の消滅に変わったのだ。
ゆえに、悪意は衰え始めた。
しばらくすれば、また別の願望が<絶渦>を激しく渦動させるかもしれないが、その移行期こそが最大の勝機だ。
この機会を見据え、待ち構えていた大魔王ジニア・シーヴァヘルドがとうとう動く。
彼は願望世界ラーヴァシュネイクへ赴いた。
逆巻く<絶渦>にその身を削りながら、深淵魔法をぶつける距離まで接近していく。
そして、<絶渦>が最も勢いを弱めるその瞬間に、深淵魔法<深魔>を発動した。
その時だ。
近寄ることさえ至難を極める<絶渦>の中に、第一魔王アムルが姿を現したのだ。
正帝ヴラドの計画通りに。
逆巻く星々の渦を斬り裂き、第一魔王は一直線に大魔王ジニアに突撃した。
「<絶渦>を止めるなっ!」
その魔眼が猛々しく燃え盛り、ジニアを睨み殺さんがばかりだった。
「止めねば、この銀海の全てが飲み込まれるじゃろう」
凝縮された力の塊、いと深き漆黒の球体を、ジニアはその手の平の上に浮かべている。
「一分じゃ。お前が<絶渦>をどうにかできると言うのならば、一分だけは待とう」
大魔王ジニアはそう提案した。
一分を過ぎれば、<絶渦>が再び勢力を増し始める。いかに大魔王とて、その真っ只中に踏みとどまれるものではないだろう。
アムルの決断は早かった。
「<極獄界滅壊陣魔砲>」
問答無用で彼が放ったのは終極の黒炎。第一魔王アムルの最大にして最強の深層大魔法が唸りを上げ
て、大魔王ジニアを飲み込んでいき――
「<深魔>」
――寸前で、深淵魔法がそれを押し返した。
<極獄界滅壊陣魔砲>をものともせずに弾き返し、それは第一魔王アムルに直撃した。
否、彼は回避せずに体で受け止めたのだ。
燃えたぎる魔眼で<深魔>を睨みつけながら、紅蓮に染まった両腕でそれを押さえ込む。
炎が激しく渦を巻き、夥しい数の火花が弾けた。
だが、止まらない。
<深魔>は第一魔王アムルをそのまま押しやっていき、<絶渦>の中心に直撃した。
深淵に飲み込まれるように、その場が暗闇に包まれる。
そこに輝くのは渦を巻く赤い星々だけだ。その光が徐々に収まっていき、やがて完全な暗闇が残された。
大魔王ジニアがすっと手を上げる。
すると、暗闇が晴れて、願望世界ラーヴァシュネイクが姿を現した。
眼下にある海には、赤い星々が渦を巻いている。しかし、<絶渦>はその勢いを弱め、銀水聖海への干渉は殆どない。
通常の<淵>と同程度の渦動状態に収まった。
「……ぐ……っ」
ジニアは顔をしかめる。
その手を目の前まで持ってきて、魔眼を向けた。
拳を握り、また開く。しかし、大魔王の魔眼は光を失っている。
彼は目を閉じて、そのままラーヴァシュネイクから飛び去っていった。
第一魔王アムルは<絶渦>に呑まれ、大魔王ジニアは<絶渦>を押さえるために動けない。
正帝ヴラドはこれを機に、パブロヘタラ学院同盟を拡大させるように取り計らった。
聖剣世界、鍛冶世界、魔弾世界、夢想世界、傀儡世界、多くの世界が銀海の凪に賛同し、加盟した。
それは正帝ヴラドの計画通りで、しかし達成率は目論見にはほど遠かったのだ。
「……もっと多くの世界がパブロヘタラに入ると思ったんだけどね」
パブロヘタラ宮殿。六学院法廷会議で、レブラハルド――正帝ヴラドはぽつりと呟いた。
「そうかい? あたしゃ、多すぎると思ったよ。どだい、無理な話さ。銀水聖海にある世界は秩序も文化
もまるで違う。これだけ多くの、しかも深層世界が加盟する同盟なんてのは、これまでは考えられなかっ
たしねぇ」
ふう、と正帝ヴラドはため息をつく。
「<絶渦>を経て、これではね。全世界が加盟する日はまだ遠い」
「フハッ」
笑ったのは傀儡皇ベズである。
「青いな。そんな日が来ると思っているのか。聖王よ」
傀儡皇ベズの言葉は正しく、そして同時に間違っていると正帝ヴラドは思った。
確かに失敗だった。
人々の願い、絶対なる悪を倒しても、世界に共通の正義は生まれない。
喉元を過ぎれば熱さを忘れるとでもいうように、各世界は<絶渦>のことなど忘れたように、己の権利と己の正義を主張し続ける。
このやり方ではだめだということがわかった。
しかし、着実に前に進んだ。
もう少しだ。
カタカタカタ、と正帝の歯車は回る。
秩序の思考は回転する。
もっと明確に。
もっと確実に。
完全なる正義を実行する術が必要だ。
正帝の出した答えは、聖剣世界ハイフォリアに<淵>を作り出し、銀水聖海の数多の正義を一つに束ね、それを実行する絡繰神を生み出すことだった。
それこそが最期の絡繰神――正帝アイゼル。
願望世界ラーヴァシュネイクの<絶渦>に並ぶ、もう一つの<絶渦>、それを聖剣世界ハイフォリアに作る。
全ての正義を結集した姿、それを具現化した神――新たなる正帝アイゼルは、文字通り正義の味方となるのだ。
今、ハイフォリアには<淵>が生まれ、その計画はあと一歩で実現しようとしていた――




