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追憶と歯車


 銀水世界リステリア。


 パブロヘタラ宮殿。知識の水槽。


 七七本の立体的な水路の一つに、隠者エルミデが浮かんでいる。


 彼は古い書物を読みながら、一人穏やかに時を過ごしていた。


 それはエルミデの日課だ。日がな一日中引きこもり、知識を増やすことに没頭する。


 飲食も忘れ、ひたすらに本を読み漁り、知識の水槽から新しい見識を得る。


 誰と会うこともなく、数か月、時に数年を一人で過ごすことも珍しくはない。


 エルミデは表舞台に出ることを嫌い、他世界との交流はごく稀にしか持たなかった。


 ゆえに限りなく深淵に近い深層世界でありながらも、リステリアの存在はほぼ知られていない。


 リステリアの者たちは、そんな元首に従うようにひっそりと暮らしていた。


 今日この時までは。


 ガタンッと一瞬、知識の水槽が揺れた。石造りの天井からパラパラと小さな破片が落ちてくる。


 エルミデは本を閉じて、天井を見上げた。


 ガガガガガガガガッとけたたましい爆音が鳴り響き、部屋全体が激しく揺さぶられた。


 水路の数本がへし曲がり、水が溢れ出る。


「これは……?」


 エルミデが表情を険しくしたその時、目の前に転移の魔法陣が描かれた。


「元首エルミデ」


 転移してきたのは、裁定神オットルルーだ。


 アノスたちが会った姿とは少し違う。瞳の奥に歯車はなく、巨大なネジ巻きも手にしていなかった。


「なにがありました?」


「リステリアは攻撃を受けています。敵の数は多数。どの世界の者かは不明ですが、リステリアよりも深層に位置するとオットルルーは考えます」


 エルミデの表情が険しさを増す。


「皆を避難させましょう」


 二人はパブロヘタラ宮殿の外に転移する。


 赤く、燃えていた。


 銀水世界リステリアの全てが炎に包まれている。


 天を仰げば、そこに見えるのは無数の絡繰神である。彼らが発射する魔法砲撃が、流星の如く、リステリアの大地に降り注ぐ。


 いたるところで爆発が起き、全てが炎の中に消えていく。


 生存者がどれだけいるのかというのも、見当がつかないほどに凄惨な状況だった。


「元首エルミデ。お逃げください。今ならばまだ――」


 オットルルーが絶句する。突如、彼女の目の前に現れた絡繰神が、大きく腕を振り上げていた。


 隠者エルミデが走り、魔法障壁を展開する。


 振り下ろされた右腕をかろうじて防ぎ、エルミデは指を鳴らす。


 魔法陣から現れた銀海クジラが絡繰神をパクリと食らい、丸飲みした。


「行きましょう、オットルルー。<追憶の廃淵>があれば、望みはつながります」


 そう口にして、隠者エルミデは銀海クジラに飛び乗った。差し出された手を、オットルルーがつかんだ。


 グシュ、と肉に刃が食い込む音がした。


 エルミデの首に歯車が突き刺さっている。


 口から血を吐き出しがら、彼はその方向に視線を向けた。


 絡繰り仕掛けの水槽が飛んでいる。<絡繰の淵槽>だ。そこから、無数の歯車が射出され、エルミデの右腕、左脚、右脚、左腕に突き刺さった。


「元首エルミデッ!!」


 歯車が高速で回転し、エルミデの五体が切り飛ばされた。


 ぬうっと伸びた絡繰神の腕が、エルミデの首をつかむ。


 それを自らの胴体に乗せると、水銀の体がぐにゃりと変形した。その絡繰神の姿が、隠者エルミデと化す。写し取ったのだ。


「呼びましたか、オットルルー」


 穏やかな表情で、エルミデの絡繰神が振り向いた。


 オットルルーは驚愕のあまり、目を丸くするしかない。


 エルミデの絡繰神が無造作に近寄ってくる。オットルルーは一歩後ずさった。


 ズドッとエルミデはその右手をオットルルーの胸に突き刺した。


 彼女の根源にヒビが入る。


 しかし、まだかろうじて破壊されていない。その根源に埋め込まれた魔法歯車が、彼女を延命させ続けているのだ。


「安心してください。あなたはまだ滅びません」


「……どういうことですか?」


「銀水世界リステリアは滅びます。あなた方は追憶するでしょう。穏やかなこの世界の在りし日の姿を」


 その説明で、オットルルーにはそいつの目的がわかった。


「<追憶の廃淵>を使うつもりですか?」


「ええ。都合がいいのです。古くから存在する銀水学院パブロヘタラ。設立者である隠者エルミデは、隠遁していて名が表に出ていません。我々の絡繰世界は滅びようとしていますからね。パブロヘタラと<追憶の廃淵>が欲しいのです」


「……人々の追憶は自由ではありません。絡繰世界の企ては、失敗に終わるとオットルルーは断言します」


 はっきりと彼女は言った。


「意思を操るのは絡繰世界の得意とするところです。我々の心はまるで歯車のように精密に回る。怒るべき時に怒り、泣くべき時に泣き、笑うべき時に笑い、そして正義を行うべき時に実行する。どの世界よりも正確な心制御技術を有しています」


 オットルルーは眉をひそめる。


「正確に制御できる心は、本当に心と言えるのでしょうか……?」


「赤子は心を制御できないでしょう。私たちにとって、あなた方はとても幼く見えます。それゆえに、完全なる正義を実行することができないのです」


 ゆるり、とエルミデの絡繰神は手を挙げる。


 すると、絡繰神たちの魔法砲撃がピタリと止んだ。彼らの体がどろりと溶けて、半液体状に変化する。


 更にぐにゃりと変形していき、それは巨大な歯車となった。


 海と空をつなげる高い渦巻き、<追憶の廃淵>めがけて、その歯車は落ちていく。


 そうして、全ての歯車が噛み合い、その<淵>に立体的な魔法歯車を形成した。


「私たちの心は正確ゆえに、追憶をも操り、新しいパブロヘタラを生み出すことができます。その暁にはオットルルー、あなたにそこの裁定神となってもらいます。絡繰世界とパブロヘタラ、二つをつなげる架け橋として」


「……あなたの思惑通りにはいきません……! リステリアにとって追憶は、その人のかけがえのない思い出、滅びてもなお遺したい、心からの希望です。決して操ったり、捏造したりできるものではありません……!」


 語気を強めて、オットルルーは言った。


「それでは、せいぜい追憶するといいでしょう。あなたの心からの希望が、<追憶の廃淵>に届けば、あなたはパブロヘタラを守ることができるでしょうね」


 くるりと踵を返し、エルミデの絡繰神は飛び上がった。


「できなければ、あなたは<廃淵の落とし子>として、新しく生まれ変わります。あなたそっくりの別人に」


 がくん、とオットルルーはそこに膝をついた。


 破壊されかけた根源は、再生することもできない。声も出ず、魔法も使うことができない。


 オットルルーに出来たのは、ただ追憶することだけ。


 叶うならば、<追憶の廃淵>に在りし日のリステリア、在りし日のパブロヘタラが届くように。リステリアを滅茶苦茶にした、絡繰世界の思惑を打ち破る、そんな希望が遺せるように。


 オットルルーはそう願った。


 しかし、その彼女の願いこそ、正帝の狙い通りであり、銀水世界リステリアを完全に滅ぼさなかった理由だった。


 やがて、彼女の追憶は<追憶の廃淵>に届くだろう。


 それを絡繰世界の追憶と混ぜるのだ。


 裁定神オットルルーは絡繰神の力を持ち、そして正帝が捏造した記憶をもって生まれる。リステリアの滅亡は、隠者エルミデの乱心によって引き起こされたことになるだろう。


<追憶の廃淵>と<絡繰の淵槽>は溶けて交わり、<絡繰淵盤>に作り変えられる。それによって、絡繰神の量産体勢が整う。


 正帝ヴラドによる、絡繰世界の復興は目の前に見えてくるだろう。


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