新しき正帝
願望世界ラーヴァシュネイクを舞台に、絡繰神を操る正帝ドミエルと第一魔王アムルの死闘は三日間に及んでいた。
絡繰世界デボロスタとともに来ていた正帝は、自世界の恩恵を受け、無尽蔵の魔力供給を受け、限定秩序を行使することができた。
一方で、願望世界は第一魔王アムルの主戦場ではない。個別世界出身である彼は、実力の八割程度を出せればいいところだろう。
正帝にとって唯一の懸念点は<願望の星淵>だった。
それは銀水聖海中の悪意を吸い寄せている。
憎悪を魔力に変えることができる<心火の魔眼>にとって、無限の魔力貯蔵庫になりかねない。
だが、その懸念をよそに、アムルの魔眼は<願望の星淵>には反応していないようだった。
その<淵>に蓄えられた悪意は、あまりに膨大のため、吸収すればアムル自身がもたないのではないか? 正帝ドミエルはそんな仮説を打ち立てた。
持久戦でアムルの魔力を削ったドミエルは、一転して攻勢に出だ。彼を自らの絡繰世界デボロスタに引きずり込んだのだ。
そうして、無数の絡繰神を操り、集中攻撃を行った。
一体の絡繰神がアムルに組み付いた瞬間、次々と絡繰神が取り付いた。合計九九体の絡繰神が密集し、どろりと溶けて、水銀の球体に変わる。
そこに歯車の多重立体魔法陣が浮かび上がった。
「回れ」
ギチギチと何かを押し潰すような音を鳴らしながら、歯車の魔法陣が回転する。
膨大な魔力の粒子が立ち上り、激しい光が瞬いた。
「<銀世歯車悪滅爆壊>」
歯車の魔法陣の内側から、大爆発が巻き起こり、銀の光が天地をつなげる柱となった。
それは滅びの運命を強制する深層大魔法。絡繰世界において、その魔法の発動は絶対なる死を意味する。
確かに第一魔王アムルは滅んだ。
「……限り――」
光が収まりつつある中、爆心地から声が響き、正帝ドミエルは目を見張った。
「貴様に悪を憎む心がある限り、俺を滅ぼすことはできん」
銀の光の中心に赤く燃えるものが二つある。
<心火の魔眼>だ。それが正帝ドミエルの悪を憎む想いを吸収し、魔力に変えている。
滅びたはずの根源がみるみる内に再生されていき、<銀世歯車悪滅爆壊>の光が真っ二つに割れた。
そこにいたのは第一魔王アムルである。
彼の両腕に集う終末の火が七重の螺旋を描き、魔法陣を構築した。
「<極獄界滅壊陣魔砲>」
終極の黒炎が正帝ドミエルを怒濤の如く飲み込んでいく。奴が操っている絶渦の絡繰神が反魔法を全開にしても、体にまとわりつく黒炎は消えず、指先からボロボロと崩れ落ちるように黒き灰に変わっていく。
それだけではない。絡繰世界デボロスタ自体も、その余波を受け、大地が焼かれ、崩れ落ちていくのだ。
「……理解に苦しむよ、第一魔王アムル。他者の憎悪を取り込み、理由なき憎しみに支配されていきながら、力を求めてなんになる……?」
黒炎に焼かれながらも、正帝ドミエルは言う。
「行き着く果ては、己の身すらも焼き焦がす憎悪の化身だ」
「ああ」
アムルは即答した。
「そうだろうな、正帝ドミエル。お前の言う完全なる正義がなんであれ、俺は今、お前が憎くて仕方がない」
アムルの魔眼が憎悪に燃える。
共鳴するように、絡繰世界デボロスタの空に赤い星々が輝いて見えた。
それは次第に渦を巻き、みるみる空に拡大していく。
「……これは……貴様が……<願望の星淵>を……<絶渦>に……?」
正帝ドミエルの口調に初めて焦りらしきものが見えた。
次の瞬間、絡繰世界の大地がぐしゃりと歪んだ。巨大な手に握りつぶされる紙風船のように、絡繰世界が音を立てて崩れ、<絶渦>に吸い寄せられていく。
浅きは深きに奪われるのが、正帝ドミエルが作り出した銀水聖海の秩序。それにより、彼の絡繰世界が深淵に位置する<絶渦>に飲み込まれていくのだ。
「第一魔王……それ以上、<絶渦>の悪意を吸収するな。それではこの銀水聖海ごと、滅びるだろう」
「それがどうした」
絶渦の絡繰神に接近し、アムルはその胸に紅蓮の右手をねじ込んだ。
すでに終極の黒炎に飲み込まれていたそいつは完全に砕け散る。
その破片から、歯車が一つこぼれ落ちた。
落下していった歯車は、ぽちゃんと水槽に沈んだ。<絡繰の淵槽>である。
その中にあった歯車とガチッと噛み合い、ギリギリと回り始める。
落ちていった歯車こそ、完全なる正義を実行する絡繰機構の一部――正帝ドミエルである。
「デボロスタの損傷は甚大だ。必要最小限を残し、後は切り捨てる」
ガタンッと大きな音が鳴ると、<絡繰の淵槽>が二つに割れた。
三分の一になったその水槽だけが、<絶渦>に飲み込まれていく絡繰世界からかろうじて離れ、その海域を離脱していく。
第一魔王アムルは追ってこない。
気がついていないのか、絡繰世界を滅ぼせば、それで十分だと思ったのか。あるいは、あれだけの悪意をその身に宿し、自らも正気を保てないのか。
いずれにせよ、正帝ドミエルにとっては不幸中の幸いであった。
「今のままではだめだ」
カタカタカタカタ、と絡繰機構が回り始める。
「改良しろ」
どこからともなく、似たような声が聞こえた。
正帝ドミエルにそっくりで、けれどもどこか違う声だ。
「正帝ドミエルでは完全なる正義を実行できない」
「残念だが、それは正しい。正帝を次の段階へ進める必要がある」
正帝ドミエルは言う。
まるで絡繰機構同士で、対話しているようだった。
「ではどうする?」
「あの世界の学院が使えるかもしれない」
「パブロヘタラか。では銀水世界は排除するか」
「それが一つの計画だ。平行して、別の計画も立てておくべきだろう」
「それは正しい」
「ならば、次なる正帝を作ろう。銀水聖海の完全なる正義を実行する、この海の絡繰機構を」
「名は?」
正帝ドミエルが尋ねると、その絡繰機構は答えた。
「正帝ヴラドだ」




