プロローグ ~永遠の問い~
一万六千年前――
銀水聖海を樹海船アイオネイリアが飛んでいた。乗っているのは二律僭主ノアと第一魔王アムルである。
災淵世界イーヴェゼイノからの帰り道、二人は無言のまま、ただ前を見ていた。
周囲には銀泡の灯りが瞬いており、その冷たい海を照らし出す。
ノアとアムル、二つの影が樹海船の大地に長く伸び、交わっていた。
「もしも」
前を向いたまま、ぽつりとアムルが言葉をこぼす。
「もしも、自分が求めている答えが永遠にわからないとしたら、お前はどうする?」
そう問われ、ノアは答えた。
「別の答えを探すだろう」
「……お前らしい」
アムルは僅かに笑みを覗かせる。
「なんの答えを探しているのだ?」
ノアは問う。
ただ酔狂で話を切り出したわけではないことは、わかっていた。
「父と母の想いだ」
アムルは言った。
「なんのために俺を生かしたのか。それがわからない」
アムルの両親は我が子を守り、かつての第一魔王ジゼルに滅ぼされた。
「いつの話だ?」
「まだ生まれたばかりだった」
「覚えているのだな」
彼はうなずく。
「<心火の魔眼>が父と母の憎悪を吸収した。同時に二人の記憶が流れてきたのだ」
訥々とアムルは語る。
「生きてほしい、と。俺に生き延びてほしい、と二人は最後の瞬間に願った」
アムルはゆるりと手を顔の前に持ってきて、軽く握った。
「もしも、俺が<心火の魔眼>を持って生まれなければ、母の憎悪を吸収することはなかった。母は心力を失わず、ジゼルとまだ戦うことができた」
ジゼルを討っても消えぬ憎悪とともに、その光景がアムルの頭に焼きついている。
「予想外の事態だっただろう。父と母はあそこで死ぬつもりなど毛頭なかったはずだ。俺の存在は二人にとって、希望だったのか、それとも絶望だったのか」
遥か遠くに視線を注ぎ、アムルは言う。
「俺は……ジゼルを滅ぼし、第一魔王となり、個別世界を解放した。グラウヴェノアはかつて父と母が願ったであろう世界になったはずだ」
彼はどこか寂しげな表情を浮かべた。
「それでも、あの日の父と母の想いがわからない」
父と母から受け継いだ第一魔王ジゼルへの憎悪。それがアムルが触れた最初の感情であり、すなわち彼が抱いた想いの原点だ。
個別世界グラウヴェノアを両親が目指したであろう理想の世界に導けば、父と母の想いがわかるとアムルは思った。
いや、思ったわけではないのかもしれない。
答えの出ない問いに、少しでも近づけるのでは、と考えた。両親の大望を自らがなぞり、そして叶えることで、少なからずその想いがわかればよいと願ったのだ。
だが、答えは得られなかった。
恐らく、手がかりすらつかめなかったのだろう。
「なるほど」
納得したようにノアが呟く。
「なぜ、それほど知りたいのだ?」
まっすぐノアは問うた。
「憎悪というのは淀んでいる。暗く、塞ぎ込み、暗澹たる想いなのだ」
それは多くの憎悪を吸収してきたアムルだからこそ、実感できることだろう。
「だが、父と母の憎悪は違った。憎しみであるにもかかわらず、光を感じた」
「光とは?」
「愛や希望、優しさなどに感じる光だ。眩しく、憧憬さえ覚える、心の輝き」
アムルは言う。
「その矛盾が、この暗い海の光明に思えた」
「暗い海、か」
「そうは思わないか? この銀の海は、華やかな輝きとは裏腹に暗く沈み込んでいる」
「ふむ」
と、ノアは一瞬目を伏せた。
「確かに、秩序に支配されたどの銀泡も息苦しい」
「なぜかわかるか?」
真摯な表情を向け、アムルは問うた。
ゆるりとノアが首を左右に振ると、彼は言う。
「この海には、多くの憎しみが溶けている」
燃えるような魔眼で、銀に輝く海を見ながら、アムルは続けた。
「俺の母や父のような、秩序に虐げられ、抗おうとした者たちの憎しみが銀水聖海中に封じ込められている」
それは不適合者と呼ばれる秩序に反する者たち。ノアやアムルもそうだ。
「それは日を追うごとに増えている」
「憎しみがか?」
ノアが問えば、こくりとアムルはうなずいた。
憎しみを見ることのできる<心火の魔眼>を有する彼の言葉だ。間違いはないだろう。
「やがて、この海は憎しみを抱え込むことができなくなるだろう。俺やお前のように、秩序に圧されない不適合者たちが、俺たちよりも過激な道を選ぶ日がやってくる」
暗い銀の海を、熱い瞳で見つめながら、アムルは言った。
「滅びるのは秩序だけではない。それがこの海が抱える暗さだ」
だが……と彼は続けて言葉を発する。
「父と母から感じた、あの不思議な憎悪の正体がわかれば、この暗い海を光で満たすことができるのかもしれん。そう思っている」
「では」
静かにノアは口を開く。
「家族を作ればいい」
一瞬、真顔になってアムルが見返してくる。
同じくノアは真顔で応じた。
クハッ、と笑声がこぼれた。
「ノア。本気で言っているのか?」
「親になれば、親の気持ちがわかるかもしれぬ」
それを笑い飛ばすようにアムルは答えた。
「興味がない」
しかし、真剣な表情を崩さず、ノアは続けて問う。
「怖いのではないか?」
僅かに目を丸くし、アムルは押し黙る。
考えるように俯いた後、彼は顔を上げた。
「そうかもしれないな。俺にとって、家族とはすぐに消え果てる、脆く儚いものだ」
寂しそうな表情を覗かせ、自嘲するようにアムルは言ったのだ。
「結局、父と母の想いは、永遠にわからぬのかもしれん」




