最期の祈り
聖剣世界ハイフォリア。
銀水船ネフェウスが全速力で飛んでいた。
フレアドールに見つかることなく、鋼鉄世界から離脱したレブラハルドは、速やかに自らの世界へ戻ってきていた。
銀水船は聖王宮殿の船着き場に降りていく。
着陸を待たずして、レブラハルドは船から飛び降りた。
船着き場から聖王宮殿内に入り、その足で玉座の間へ飛び込んだ。
「聖王陛下っ!」
面を食らったようにオルドフは彼を見返した。
「レブラハルド。どこに行っていた? 即位の儀の準備が済んでいないと神官たちが探し回っているぞ」
「それより聖王陛下、ただちにハイフォリアへの入界を禁じていただきたいっ!!」
ただ事ではない様子を察知し、オルドフは表情を険しくした。
「なにがあった?」
「パブロヘタラです。狩猟貴族に完全に成りすまし、ハイフォリアに潜入していました。今、厳戒態勢を敷けば、潜入されるのを防げます」
その算段をつけ、レブラハルドは急いで戻ってきたのだ。
鋼鉄世界から船が出てこないかは魔力の網を張り、警戒していた。
今ならば、フレアドールの再侵入を防ぐことができる。
「わかった。ハイフォリアへの入界を禁じよう」
それ以上詳しく事情を聞くことなく、オルドフはレブラハルドの言葉を受け入れた。
「私が結界を構築しよう。皆は即位の儀の準備があるゆえに」
すっと祝聖天主エイフェが立ち上がる。
「天主。可及的速やかに、お願いできれば」
レブラハルドがそう進言すると、エイフェは柔らかく微笑んだ。
「其の方は、良き聖王になる」
そう言って、エイフェはすぐさま転移していった。
ハイフォリアの黒穹にて、エイフェは銀泡全体を祝福し、強固な結界を張り巡らせた。
これで外から容易に入界することはできない。無理矢理入ろうとすれば、エイフェが気が付くだろう。
「我々は急ぎ、パブロヘタラの対策を行わなければなりません」
玉座の間にて、レブラハルドが言う。
「レブラハルド。敵が脅威になればこそ、狩猟貴族は一つにまとまらなければならない」
レブラハルドの意見に賛同しつつ、穏やかにオルドフは道を指し示した。
「霊神人剣を半分失ったことなど些細なものだ。真に憂慮すべきは、それしきのことで我々の歩む道が分かれることなのだ。わかるな?」
オルドフの言わんとすることは、レブラハルドにもよくわかったことだろう。
確かに、狩猟貴族の団結なくして勝てる敵ではない。
そして、今彼らはそれを欠いている。
「……クルトン派に私の行く道が正しいと示さなければならない……」
レブラハルドが言うと、オルドフはうなずいた。
「まずは即位の儀をつつがなく終え、聖王としての最初の責務を果たせ。我々、狩猟貴族が同じ道を歩む限り、敵がどれだけ強大であろうとも恐れることはない」
パブロヘタラは狩猟貴族に完全に成りすますことができる。しかし、どれだけ根源を似せようとも、狩猟貴族の誇りまでは真似られない。
フレアドールにレブラハルドが違和感を覚えたように、隠しきれぬ何かがあるはずだ。
真に恐れるべきは敵ではなく、己の内にあるものだとオルドフは言っているのである。
「承知しました。即位の儀、つつがなく務めます」
片膝をついて跪き、レブラハルドは丁重に頭を下げた。
◇
予定通りの日程でレブラハルドは即位の儀を務め上げ、ハイフォリアの民に新しい聖王であることが認められた。
反対していたクルトン派もフレアドールがいなくなったためか、この日はレブラハルドを糾弾することはなく、表向きは新聖王の誕生を祝福していた。
無論、霊神人剣の剣身を失ったことは釈然としていないだろう。
レブラハルドは、クルトン家の当主ホーネットにフレアドールのことで話したい、と会談の約束を取りつけた。
フレアドールがパブロヘタラの者だと証明する方法があるわけではないが、同じ狩猟貴族ならば分かり合えると信じていたのだ。
聖王宮殿内、先王霊廟入口。
厳かな門の前に、祝聖天主エイフェと先王オルドフが並んで立っている。
レブラハルドは二人と向かい合っていた。
「これより、私とオルドフは霊廟にて日の出まで先王祈禱の儀を執り行う。本日はご苦労でした、聖王レブラハルド。ゆるりとお休みを」
「はい」
レブラハルドは頭を下げる。
「天主。少し構わぬか?」
オルドフが言うと、「では、中で待っているがゆえに」と祝聖天主は答え、霊廟の中へ入っていった。
オルドフはレブラハルドに向き直る。
「レブラハルド。お前はハイフォリアをどんな世界にしたい?」
「誰もが迷うことなく、正しき道を歩む、誇り高き世界に」
「そうだな」
オルドフが優しくうなずき、続けて言った。
「では、先王としてではなく、父として聞こう。お前はハイフォリアをどんな世界にしたい?」
その質問に、レブラハルドは答えあぐねた。
父は自らの迷いを見抜いている。だからこそ、そう問うたのだろう、と彼は思う。
包み隠さず打ち明けるしかなかった。
「……わからない……」
それが正直な答えだった。
災淵世界イーヴェゼイノは狩猟貴族の天敵だ。奴ら獣と断じ、狩ることこそ正義であり、正しき道とレブラハルドはこれまで信じてきた。
しかし、ルナ・アーツェノンに出会って考えは変わった。
「……わからなくなった。正しい道と誤った道、二つの道が目の前にあるのだと思っていた。だが、もしかしたら誤った道の先にこそ、私が求める物があるのかもしれない……そんな風に思う時がある……いや……」
レブラハルドは自問自答するように考え込み、それから言った。
「そもそも私は、虹路に頼りすぎてきたのかもしれない……正しさを求めすぎてきたのかもしれない……本当はそんなものは……」
言いかけて、レブラハルドは口を噤んだ。
俯き、再び考えて、彼は言う。
「……だとしても……聖王としての務めは果たさなければならない。私には民に道を示す責任がある……」
聖王が迷えば、民が不安に思うだろう。聖剣世界の元首として、聖王には正しき道を行く責務がある。それは紛れもない事実なのだ。
「お前の気持ちはよくわかる」
先王オルドフは言った。
「私もよく迷ったものだ」
僅かに驚きを見せたのはレブラハルドだ。
「父上が……?」
「意外か?」
「……はい……」
偉大なる聖王、ハイフォリアの勇者とまで呼ばれた父オルドフは、迷うことなく正義の道を邁進してきた。レブラハルドはずっとそう信じて疑わなかったのだ。
「レブラハルド。これからお前の前には幾多の試練が訪れるだろう。だが、これだけは覚えていてくれ」
レブラハルドの目をまっすぐ見て、オルドフは言った。
「お前は私の誇りだ。なにがあろうと、お前の進む道を信じている」
父の言葉に、レブラハルドは静かに耳を傾けた。
迷いが晴れたわけではない。
それでも、自然と力が湧いてくるような気がした。
困難を乗り越えるだけの力が。
「お前ならば大丈夫だ。ハイフォリアを任せたぞ」
「はい。父上」
オルドフは息子の門出を祝福するように、その肩を抱く。
「先王祈禱の儀が終わった後、玉座の間にて話そう。パブロヘタラのことを、そして災人イザークのことを」
レブラハルドは真剣な表情でこくりとうなずく。
彼の背中を軽く叩くと、オルドフは踵を返し、先王霊廟の間へ入っていった。
◇
オルドフと分かれた後、聖王宮殿を後にしたレブラハルドは自らの宮殿に帰ってきた。
月の出ていない夜だ。辺りはもう真っ暗だった。
宮殿の扉を開けようとして、彼は視線を鋭くする。
血の匂いがするのだ。
勢いよくレブラハルドは扉を開け放つ。
エントランスは血の海だった。レブラハルド隊――彼の従者たちが倒れている。
その遺体からは根源の力がまるで感じられなかった。
血の海の中心には剣を手にした男装の麗人が立っている。
「……フレア……ドール……!?」
レブラハルドの頭を疑問が覆い尽くした。
確かに彼女より先にハイフォリアに戻ってきた。祝聖天主エイフェの結界が張り巡らされているため、フレアドールは入界できないはずだ。
にもかかわらず、彼女はここにいる。
いったいなぜ?
「レブラハルド卿……お逃げ……くだ……」
その声に、レブラハルドは目を見張った。
血の海に倒れている従者が、まだ一人生きている。
それに気がついたフレアドールは聖剣を振りかぶった。
「ノエインッ!!!」
咄嗟にレブラハルドは地面を蹴った。
フレアドールが聖剣を振り下ろすより先に、ノエインを抱える。
手のひらに光が集中し、霊神人剣を召喚される。
ガギィッと甲高い音が鳴り響き、レブラハルドはフレアドールの聖剣を打ち払っていた。
「ちょうどいいところに来ましたね、レブラハルド卿」
フレアドールは持っていた聖剣を放り捨て、魔法陣の中心に手を入れた。
引き抜いたのは赤白の聖剣。
「祝聖礼剣エルドラムエクス」
「はあぁっ!!」
レブラハルドは全霊を込めて斬り払った。
祝聖礼剣が真上から振り下ろされ、霊神人剣に取りつけた剣身が真っ二つに斬り落とされた。
「……ぐっ……ぅ……!!」
レブラハルドの胸から腹部がぱっくりと斬り裂かれた。大量の血がどくどくと流れ、回復魔法をかけても癒える気配がない。
強い。
一合で分かった。
フレアドールの実力は、聖剣世界の住人の力を遥かに凌駕している。
彼女を祝聖天主に近づけるわけにはいかない。
「そなたは何者だ?」
「勿論、狩猟貴族ですよ。レブラハルド様、あなたは聖王に相応しくありません」
フレアドールが聖剣を構える。
「天に代わって、成敗します」
瞬間、レブラハルドはノエインを抱えたまま、全力で走った。
通路を駆け抜け、階段を飛んで、ある部屋に入り、扉を閉めた。
格納庫だ。
そこには銀水船ネフェウスがあった。
レブラハルドは銀水船に飛び乗った。
甲板にノエインを下ろすと、すぐにネフェウスを出発させた。
背後から白い閃光が走ったかと思えば、格納庫の扉が斬り裂かれた。
フレアドールである。
彼女は祝聖礼剣エルドラムエクスを振り下ろす。
白い斬撃が飛来して、銀水船に襲い掛かる。急浮上したネフェウスはかろうじて直撃を避けたが、船底が斬り落とされた。
迷わずレブラハルドは逃げの一手を打ち、銀水船を急発進させた。
格納庫の壁が開いていき、銀水船ネフェウスは大空に飛び立った。
そのまま、上昇を続けると、船は黒穹に達した。
銀泡には祝聖天主の結界が張ってあるが、それは外からの侵入を防ぐためのものだ。内側から外に出る分には問題がない。
銀水船ネフェウスはハイフォリアを出て、銀海を全速力で飛んでいく。
レブラハルドは後ろを振り返った。
小さな光が見えた。銀水船ネフェウスだ。甲板に立っているのはフレアドールである。レブラハルドを追ってきている。
同じ船だ。全速力で飛んでいる限り、フレアドールも追いつくことはできない。しかし、同時に逃げ切ることも不可能だ。いずれ魔力も枯渇し、飛べなくなるだろう。
いずれにせよ、交戦は避けられない。
レブラハルドはある方角へ舵を切り、銀水船を飛ばせ続けた。
フレアドールは弓を構え、矢を放つ。レブラハルドも弓で応戦した。
互いの矢は船体を削るが、致命打にはならない。
逃げるレブラハルドと、追うフレアドール。膠着状態が長く続いたが、フレアドールは別の手を打とうとはしない。
追い詰められているのはレブラハルドだ。どう逃げ回ったところで、最終的には打って出なければならなくなる。
その時を待てばいいと考えたのだろう。
我慢比べのような持久戦が長く続いた。
魔法砲撃と射撃により、互いの銀水船の速力が二割ほど落ちた頃、レブラハルドの船の前に大量の木片が見えてきた。
銀水船の残骸だ。
それ以外にも災亀の甲羅の残骸がある。
ここはルナ・アーツェノンが落ちた泡沫世界――後のミリティア世界の海域である。
あの時、ルナの腹から広がった<渇望の災淵>に銀水船と災亀は吸い込まれていった。
レブラハルドが霊神人剣で<渇望の災淵>を斬り裂いたことにより、残骸と化した銀水船と災亀がこの海域に残ったのだ。
レブラハルドの銀水船はその残骸の中をくぐり抜けていく。
フレアドールの銀水船も後を追い、残骸の中に入った。
彼女は弓に矢を番えると、目の前の銀水船に照準を定める。
そうして、矢を放った。
その時だった。
残骸の陰から、折れた霊神人剣を手に、レブラハルドが飛び出してきた。
それが狙いだ。銀水船が通過したときに、船の残骸に身を潜めていたのだ。
「霊神人剣、秘奥が肆――」
「そこでしたか」
振り向いたフレアドールはすぐに弓を手放し、魔法陣から祝聖礼剣を引き抜く。
レブラハルドが剣を振り下ろすより先に、フレアドールはその聖剣を彼の心臓に突き刺した。
大量の血がどっと溢れ出す。
ふんわりとフレアドールは微笑した。
だが、レブラハルドは止まらない。
「――<天覇王剣>!!」
根源を滅ぼされるより早く、レブラハルドの蒼白の剣閃がフレアドールを両断した。
彼女の根源は斬り裂かれ、斬滅した。
レブラハルドは小さく息を吐く。
瞬間、ドスッと剣が突き刺さる音がした。
「う……ぐぅ……!!?」
レブラハルドの首に二本目の聖剣が突き刺さっている。背後から声が響いた。
二人目のフレアドールの声が。
「根源……クローン……」
「思った以上に手強いですね。聖王レブラハルド、あなたをもらいます」
フレアドールはレブラハルドの首を刎ねた。
同時にレブラハルドの体が動いていた。
くるりとその体は反転して、再び蒼白の剣閃が二人目のフレアドールを斬り裂いた。
「……ま………さ……か………!」
<天覇王剣>。その斬撃は確かにフレアドールの根源を斬り滅ぼした。
だが、それが限界であった。
レブラハルドの体がぐらりと傾き、銀水船から落ちていく。
「……レブラハルド卿っ!!」
ノエインが叫ぶ。
重傷を負った体でどうにか飛んできた彼は、銀水聖海に投げ出されたレブラハルドの体に手を伸ばす。
『……届けて……くれ……』
残された力を振り絞るような<思念通信>が響いた。
レブラハルドの体は霊神人剣を手放す。ハインリエル勲章が彼の胸から外れ、ふわりと飛んでいった。
その二つをノエインはそっと手にした。
霊神人剣が蒼く輝く。その光はレブラハルドの胸を照らし出し、魔法陣を描いた。
<転生>の魔法陣である。
そのまま、レブラハルドの体は、霊神人剣の光に導かれるように、泡沫世界へと落ちていった。
「レブラハルド卿……」
ノエインは主君の首を抱き、霊神人剣と、ハインリエル勲章を手にした。
ハインリエル勲章にはレブラハルドの<聖遺言>が込められている。
「必ず……届けます……」
ノエイン自身、重傷を負っている。
それでも、主君の最期の命を果たすため、銀水船ネフェウスの舵を切り、ハイフォリアを目指した。
銀水船は来た道を全速力で戻っていく。
そうして、聖剣世界ハイフォリアを見た時、ノエインは異変を覚えた。
祝聖天主エイフェが張っているはずの結界がなくなっているのだ。
なにか異変が起きている。ノエインはそう直感した。
銀水船はそのままハイフォリアに降下していく。
『天主……? オルドフ様っ? 聞こえますかっ……?』
船を虹水湖の辺りまで移動させながら、ノエインは何度も<思念通信>を送った。
だが、返事がない。
「<思念通信>が乱されて――」
そう悟った瞬間、銀水船ネフェウスが爆発した。
魔法砲撃だ。
ノエインは宙に投げ出された。
それでも、霊神人剣とレブラハルドの首と、ハインリエル勲章からは手を離さなかった。
「ご苦労でしたね、ノエイン。それを待っていました」
ドスッとノエインの体が串刺しにされ、根源を聖剣が貫いていた。
「がっ……!!」
三人目のフレアドールである。
彼女は、ノエインの手からこぼれ落ちたレブラハルドの首とハインリエル勲章、霊神人剣を奪った。
ぐにゃり、とフレアドールの全身が液体金属のように歪んだかと思えば、首無しの絡繰神に変わる。
そいつはレブラハルドの首を手にして、胴体に乗せた。みるみるその絡繰神はレブラハルドの姿に変わっていく。
ノエインは虹水湖の中に落ち、沈んでいく。
「……これだけ……は……どうか……」
ノエインは自らの胸につけたレブラハルドのハインリエル勲章を手にした。
万が一の時のために、自分の物とすり替えておいたのだ。
彼はレブラハルドの<聖遺言>が込められたその勲章に、自らの<聖遺言>も込めていく。
そうすることで、いつかそれを見つけた誰かが、事の顛末を知ることができるはずだと考えたのだ。
彼は最後に魔法陣を描いた。
ハインリエル勲章は凍りついていき、更に岩に覆われた。
あのレブラハルドの絡繰神に見つけられないようにするための、苦肉の策だ。
隠すことで誰にも見つけられない可能性はあるだろう。
相応しくない者が見つけてしまう可能性もある。
どうか、正しき者に届くように。
ノエインは最期に祈り込めて、その生涯を終えたのだった――




