<淵>より生まれ出ずる者
大提督ジジが、地面に倒れた音が格納庫に響き渡る。
時間が止まったかのように、その光景がレブラハルドにはひどくゆっくりと流れて見えた。
静寂が辺りを包み込む。
まるで音が消えた世界にいるように、その場にいた者全ての視線が静かにそこに集まっていく。
そして、途端に騒然とした。
「ふ、フレアドール殿っ! いったいなにをっ!?」
一人の兵士が声を上げる。
すぐに二人目が続いた。
「こんなことをすれば魔弾世界との戦いは避けられぬ……!!」
三人目、四人目と彼らは騒ぎ立てる。
「そもそも、パブロヘタラの理念は銀海の凪! かような暴挙決して許されるものではありませんぞっ!」
兵士たちがフレアドールに詰め寄っていく。
「ご説明をっ!! 事と次第によってはただではおかぬっ!」
彼らは鋼鉄の剣を抜き、脅すように問い質す。
「そんなに心配しなくていいですよ」
ふんわりとフレアドールが微笑む。
説明を待つ兵士に、彼女は言った。
「無意味ですからね」
フレアドールの剣が煌めく。
閃光が走ったかと思えば、一瞬にしてその場にいた全ての兵士の首が飛んでいた。
口封じだろう。
根源が滅び去った後、フレアドールは魔法で彼らの遺体を完全に消し去った。
『捕えますか?』
ノエインは<思念通信>を送り、自らの聖剣に手をかける。
その視線はまっすぐフレアドールに注がれていた。
『いや』
レブラハルドは言った。
『大提督殿の遺体だけ残した理由があるはずだ』
彼はそのまま様子を見ることにした。
フレアドールは聖剣を魔法陣の中に収納すると、大提督の遺体を片手で持ち上げた。
そのまま引きずるようにして彼女は格納庫を出て行った。
フレアドールが完全に離れたのを確認すると、レブラハルドは言った。
『追おう。慎重にね』
水面から上がり、レブラハルドたちは距離を保ちつつ、フレアドールの後を追っていく。
格納庫から宮殿内に入れば、大提督の血の跡がてんてんと通路に続いていた。
『見失うことはなさそうですね』
床についた血を頼りに、レブラハルドとノエインは、宮殿の奥深くまで進んでいく。
フレアドールは格納庫から、まっすぐ奥へ奥へと移動しているようだ。
慎重に血の跡を辿っていった二人は、しばらくしてピタリと足を止めた。
通路の途中で、血の跡が途切れていたのだ。
レブラハルドは通路を見回した後、再び最後についた血の跡を見る。
コンコン、と彼は床を叩いた。
『……微妙なところですが?』
耳をすましながら、ノエインが言う。
床はかなり分厚い。その下に隠し通路があるとは限らない。
『ここまで来て安全策をとっても始まらない』
レブラハルドの掌に光が集う。霊神人剣が現れ、彼はそれを握った。
剣閃が煌めき、その床を真四角に斬り裂く。
ゴッとレブラハルドは剣先で床を押す。すると、真四角に切り抜いた床が真下に落下していく。
ノエインは手を伸ばし、魔法陣を描いた。
床が落ちきらない内に<飛行>で浮遊させ、音が立てないようにする。
床を切り抜いた先には、確かに空洞があった。
『当たりのようだね』
レブラハルドとノエインは床に開けた穴の中へ飛び込んだ。
縦に長い空洞だ。恐らくフレアドールはここを降りて行ったはずだ。
二人がしばらく落下すると、やがて光が見えてきた。広い空間がある。部屋のようだった。
<飛行>で浮かび上がり、その縦穴から中の様子を窺うことにする。
『これは……』
ノエインが声を発する。
広大な空間に設けられていたのは、絡繰り仕掛けの水槽であった。
バネやゼンマイ、歯車、重り、バルブなどが、カタカタと音を立ててひとりでに動いている。
絡繰り仕掛けの大きな翼が、水槽の中に入っている銀の液体をゆっくりとかき混ぜていた。
『……<淵>……のようだね……』
『はい。移動できる<淵>というのは初めて見ましたが……』
<淵>とは本来、深層世界に生じるものだ。この鋼鉄世界ドルケフは中層世界。つまり、この水槽の<淵>はどこか別の深層世界からここまで運んできたということになる。
恐らく、この宮殿自体がそうなのだろう。
『レブラハルド卿』
ノエインが指をさす。
その方向にフレアドールがいた。
彼女は水面に立っており、次の瞬間手にしていた大提督ジジを軽く放り投げた。
ジジは沈むことなく、水面に浮かんだ。
続いて彼女は収納魔法陣を描き、手を突っ込む。取り出したのは巨大なネジ巻きである。
そうして、足下に大きな魔法陣を描いた。中心には鍵穴のような部分がある。そこへ、巨大なネジ巻きを差し込み、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、と三度回した。
「<絡繰淵槽水銀創造>」
それはいかなる魔法か、水槽に入っていた水がねっとりと粘性を帯び始める。
巨大な翼に攪拌されるごとにどんどんとその銀の水は固形に近づいていき、やがて、形状を持ち始める。
胴体があり、腕があり、足がある。人型だ。完全に形が整えられると、それは水面に浮上した。
絡繰神である。
ただし、その絡繰神には首がなかった。
首無しの絡繰神は水面を歩いていき、倒れている大提督ジジの前で立ち止まる。
そして、手刀を振り下ろし、大提督の首を刎ねた。
転がったジジの首をつかみ、絡繰神は自らの胴体に乗せる。
すると、うねうねと絡繰神の体が液体金属のようになり、変形していく。
『まさか……!?』
驚きを発したのはノエインだ。
レブラハルドと目を見張り、その光景を見ていた。
絡繰神は、大提督ジジに変わったのだ。
姿だけではない。その魔力も、根源も、大提督ジジとまるで見分けがつかなかった。
そいつは体の動きを確かめるように手を開き、そして閉じる。
静かに口を開いた。
「魔弾世界の元首、大提督ジジか。まあまあの器だ」
大提督ジジの声だった。
「私で何人目だ?」
「六人です」
「まだそれだけか。故郷を救うには足りんな」
「四万六〇〇〇年かかります」
「……なに?」
ジジの絡繰神は眉根を寄せた。遅すぎる、と言わんばかりである。
「我が世界は願望世界と拮抗を保っていますが、身動きがとれません。<絡繰の淵槽>も、ここにある三割のみでは、根源クローンの量産も、絡繰神の量産も困難です」
「なるほど」
状況を理解した、といった風にジジの絡繰神はうなずく。
「では、第二計画か?」
「はい。銀水世界リステリアを落とし、この学院を名実ともにパブロヘタラに改造しましょう。魔弾世界が加盟する学院同盟ならば、深層世界も取り込みやすくなります」
「了解し――」
ジジの絡繰神がそう言おうとした瞬間、フレアドールはばっと頭上を見上げた。
その視線は入り口の縦穴に向けられている。
ごくり、とノエインは息を呑む。レブラハルドは身構えたまま、フレアドールの出方を窺った。
勘づかれたならば、やるしかない。二人は覚悟を決めた。
「どうした?」
「いいえ。気のせいでした」
そう言って、フレアドールは視線を戻す。
レブラハルドとノエインは目配せをした。
『戻ろう』
十分な情報は得られた。これ以上、深入りするのは危険と判断し、レブラハルドはパブロヘタラから脱出することにした。




