牙獣世界
牙獣世界ドゥーダウス。
俺の目の前には青い森が広がっている。樹木や草花、大地に至るまで全てが真っ青に染まっている。
より正確には青い光を宿しているのだ。
生息している生物はいない。鳥や獣はおろか、虫の一匹さえその森にはいなかった。
<絶望の獣淵>。
青く奥深いその森には、銀水聖海中の絶望が集まってくると言われている。
「深層十二界の<淵>が深淵世界――<絶渦>に引き寄せられているというのは事実のようだね」
魔眼を光らせ、注意深く<絶望の獣淵>を観察しながら、レブラハルドが言った。
「銀水聖海の絶望が集まり、この青い森を形成している。しかし、不安定な箇所がある」
レブラハルドはすっと一本の大木を指さす。
その大木は他とは違い、黒ずんでおり、樹皮がボロボロだ。葉もまばらである。
「枯れかけているように見えるが、要するにここが大魔王ジニアが言った<絶渦>との綱引きの箇所だろうね」
「どういうことか? ただ枯れているだけではないのか?」
バルツァロンドが疑問の表情を浮かべる。
その質問に俺は答えた。
「<淵>は想いを引き寄せ、そしてその想いによって形成されている」
「つまり、<淵>によって作られたこの木々は、自然の木とは違い、枯れることはないってことかな?」
レイの問いに、俺はうなずく。
「その想いがなくなりでもしない限りな」
だが、レブラハルドの前にある大木は枯れかけている。
「この森に蓄えられている絶望が、<絶渦>に奪われようとしているということか」
バルツァロンドが言った。
大魔王ジニアは深淵魔法を使い、それを防いでいる。
恐らく、絶望を引き寄せる力も一定ではなく、<絶渦>に近づいたり、また戻ったりを繰り返しているのだろう。
文字通り、<淵>をめぐって綱引きをしているのだ。
そのため、この<絶望の獣淵>に蓄えられた絶望が安定せず、こうして枯れかかる樹木があるというわけだ。
これが増えていけば、それだけ事態は深刻さを増す。
「<絶渦>の渦動を防ぐ方法は二つだろうね。深層十二界の<淵>を外から干渉を受けないほど強固にするか、<絶渦>自体の<淵>の働きを弱めるか」
レブラハルドがそう結論を口にする。
だが、言うほど簡単なことでもない。
「<淵>を強固にする方法などあるのか?」
バルツァロンドが問う。
「ない」
俺は答えた。
「では、<絶渦>の働きを弱める方法は?」
「ない」
即答すると、バルツァロンドは渋い表情になった。
「それではここに来た意味が――」
「今は、ね」
俺の意図を理解したようにレイは言う。
「これからその方法を見つけるということか……そんな悠長なことをしていて間に合うのか?」
バルツァロンドが俺に聞いてくる。
「いずれにせよ、大魔王一人が銀水聖海の調和を保つには限度がある。深淵魔法を継承すれば、次の大魔王となる者の寿命もそれだけ早く訪れる」
逆に考えると、<絶渦>を止める必要がなくなりさえすれば、大魔王ジニアも深淵魔法を使う必要がなくなる。
ならば、深淵魔法を封印する方法を見つければ、ジニアの寿命を幾分かのばすこともできよう。
第一魔王アムルは<絶渦>をめぐって、大魔王ジニアと敵対した。それは深淵魔法を使ってはならぬ、ということやもしれぬ。
まあ、それは当人に聞けばわかることだ。
「一人の強者が抑え続けなければ保てぬ調和など、いずれ破綻するだろう。この銀水聖海そのものの調和がとれていなければならぬのだ」
俺がそう言うと、レイは一瞬、なにかを考えるように目を伏せた。
「……だけど、それってそもそもこの銀水聖海の秩序は、そのままじゃ各世界が滅びるようにできてるってことだよね?」
「そんなことはありはしない……!」
反射的にバルツァロンドは声を上げた。
「銀水聖海の秩序は全ての小世界の秩序の根幹。それが、そもそも滅びに向かうということは……!!」
そこまで口にして、しかし彼は続きを口にすることができない。
全ては浅きから深きに流れていくのが銀水聖海の根幹だ。しかし、現在わかっているのはそれこそが<絶渦>を生み、あらゆる小世界を滅ぼそうとしている元凶である、ということだ。
それがバルツァロンドの価値観では、受け入れることが難しいのだろう。
「いや、しかし……」
「どこかに歪みがあるのかもしれないね」
助け船を出すように言ったのは、レブラハルドである。
バルツァロンドが振り向くと、確信めいた口調で彼は続けた。
「どこかでなにかが狂わされてしまったのかもしれない」
「<絶渦>は自然発生したものじゃないってことかな?」
レイが問う。
レブラハルドは首肯した。
「何者かが<絶渦>を生み出したと?」
バルツァロンドが前のめりになり問うた。心なしか、言葉には怒りが混ざっている。
もしも、そんな者がいるのなら、決して許さぬといったところか。
「<絶渦>を生み出すのが目的だったのかはわからないけどね。全ての世界が滅びて得をする者などいないのだから」
そうレブラハルドは答えた。
何者かが銀水聖海の秩序を乱した。結果、偶発的に<絶渦>が発生する状況になってしまったというのは考えられる話だ。
「ふむ。確かに、この海の秩序が気に入らぬので変えようとする者がいてもおかしくはない」
俺はレブラハルドに言った。
「なんの話だい?」
「知っているだろう、お前は」
一万四〇〇〇年前のことだ。
ルナ・アーツェノンを解放するため、彼女を泡沫世界に落としたレブラハルドは、俺の影体を見ていた。
転生を許容しない銀水聖海の秩序を覆すため、俺はエレネシア世界に転生の魔法律を打ち立てた。
その光景を見ていたからこそ、レブラハルドは銀水聖海の秩序を乱す存在に思い至ったのだろう。
しかし――
「知っているわけではないよ。ただ可能性は十分考えられる」
そうレブラハルドは答えた。
俺が二律僭主だと知った以上、ルナ・アーツェノンを助けた幼子が誰かもわかったはずだ。
知らぬフリをする理由などあるまい。
ならば、なぜ――
『……えるか……!? 魔王……聞こ……か……!?』
疑問を覚えた瞬間、切羽詰まったような<思念通信>が耳に響いた。
だが、ノイズ交じりで正確に聞き取れぬ。深層十二界をつないでいる銀灯のレールに異常があるのだろう。
恐らくは交戦中だ。
「あそこだ」
レブラハルドが上空に視線を向ける。
キラリとそこが光り、次の瞬間、派手に爆発した。
その爆炎を抜け、まっすぐ飛んできたのは飛空城艦ゼリドへヴヌスだ。
となれば、乗っているのはイージェス、ファリス、ファンユニオン、それから魔王学院の生徒たちだろう。
彼らは震動世界にいたはずだが――
『イージェス。なにがあった?』
<思念通信>を返す。
同じ銀泡内まで辿り着いたならば、正確に聞こえるだろう。
すぐさま応答があった。
『呪歌王ボイズが第七魔王ジョズを滅ぼした……! 四人の魔王に追われている……! 奴らはパブロヘタラを完全に敵と認識した……!』
上空に閃光が走った。
目にもとまらぬ速度で飛び抜けるゼリドへヴヌスを追い抜いたのは、空を駆ける馬に乗る魔王、人馬世界の第六魔王エルヴィナである。
ゼリドへヴヌスは翼を砕かれ、ふらふらと地上へ落下していく。
次いで、黒穹から三人の魔王が降りてきた。
擬態世界の第八魔王ヴィアン。
雷鳴世界の第九魔王ガジラ。
降魔世界の第十魔王ダンカンだ。
鬼刃世界の第四魔王アゼミは戦いに加わっていないのか、姿は見えなかった。
「レブラハルド。お前たちは退け」
「……そなたはどうする?」
緊迫した表情で彼は問う。
「事情はわからぬが、今更話すだけでは収まるまい」
そう言って、俺は飛び上がった。
「レイ。レブラハルドに手を貸してやれ」
あえて、俺はそう命じた。
レイははっとして、こくりとうなずいた。
レブラハルド、レイ、バルツァロンドはすぐさまこの場から離れ、聖船エルトフェウスを停泊させている方角へ向かう。
「久しいな、二律僭主」
第十魔王ダンカンが言う。
かつての俺とは顔馴染みである。アムルと違い、他の魔王と親しかったわけではないがな。
「第三魔王ヒースを滅ぼしたかと思えば、仲間を引き連れて、今度は第七魔王ジョズを滅ぼすか」
ガジラ、ヴィアン、エルヴィナが後退し、第十魔王ダンカンは俺と対峙する。
「大魔王様のお気に入りだか知らぬが、少々やりすぎたな」
ダンカンは臨戦態勢とばかりに、その両手に魔力を集中する。
光の粒子が目映く輝き、牙獣世界ドゥーダウスの空を白く染め上げる。
「貴様に真の魔王の恐ろしさを教えてやる」
「残念だが、お前たちは最早、魔王ではない」
四人の魔王が視線を鋭くする。
「なに?」
僅かに怒気を込め、ダンカンが俺を見た。
「わからぬか? 深層十二界を俺の物にすると言ったのだ」
空気が凍る。
底冷えするほどの寒々しい殺気が第十魔王から発せられた。
「泡沫世界に転生して弱くなったとも聞いたがな。減らず口は相変わらずで安心したぞ、二律僭主よ!」
言葉と同時、四人全員が俺に襲いかかってきた。




