擬態世界
呪歌世界ディメディオンの呪弦船と教育世界ローデンヌの魔導気球は銀泡に降下していた。
擬態世界ライメニ。
深層十二界の一つである。
「カカカカカ、なんとも特徴のない平凡な世界ではないか。なあ、居残り」
魔導気球のブリッジでエールドメードは言った。
「は、はい。でも、その、擬態世界っていうぐらいですから、一見普通に見えて、色んなものが擬態しているんじゃないでしょうか?」
自信なさげにナーヤは考えを述べる。
「たとえば、なにがかね?」
「たとえば、えーと、その……」
視線を泳がせた後、彼女は遠くを指さした。
「あの雲とか……でしょうか?」
「雲ぉ?」
ぬっとエールドメードは顔を近づけ、舐め回すようにナーヤを見つめた。
「……ち、違いましたか?」
「正解だぁ!」
エールドメードがパチンと指を鳴らす。
すると、彼の頭にあったシルクハットが白い煙とともにポンっと消えて、雲の真上に現れた。
そこから数羽のハトが飛び出してきて、雲の上を飛んでいく。
すると、巨大な雲の一部が動き始めた。
それは口のような形に変形してパクリと数羽のハトを丸呑みしてしまった。
ズ、ズズ、ズズズズと正体を明らかにするように雲は変形していく。
翼を持ち、牙とかぎ爪を備えた生物。
その姿が完全にあらわになった。
「……あ、竜……」
と、ブリッジのナーヤが声を上げる。
大きな翼を持つ雲の竜であった。
そいつはまたすぐに竜の形をなくし、ぐにゅうと変形していく。そうして、僅か十数秒で元の雲に擬態した姿へと戻ってしまった。
「なかなか面白そうな世界ではないか」
エールドメードがそう口にすると、ガタン、とブリッジの扉が開いた。
「行きたまえ」
「は、はいっ」
ごくりと唾を飲み込み、ナーヤは開いた扉から思い切って身を投げ出した。
すぐに後を追って、エールドメードが飛び込んでくる。
彼らはそのまままっすぐ降りていき、広大な草原に着地した。
数秒遅れて、教育神ガーガリと元首カルラがそこに降り立った。
エールドメ―ドたちの後に魔導気球から飛び降りたのだ。
「さてさてさて、まずはどうする、教育神? そしてその教え子よ」
エールドメードが人を食ったような笑みを浮かべ、ガーガリたちに声をかける。
「教え子?」
元首カルラが問い返す。
「違ったかね? 教育の秩序が行き届いた世界の主神が教育神ならば、元首のオマエはその教え子と思ったが? ん?」
「間違いではありませんが、正解とするには足りません」
カルラは率直に見解を述べた。
「私は門下宗匠です」
「それは、なにかね?」
聞き覚えがないとばかりにエールドメードが問う。
すると、次に口を開いたのは教育神ガーガリだ。
「他の世界の者が知らずとも無理はなかろう。教育世界ローデンヌでは、神が教えを授け、人々はそれを享受する。されど、教え子はただ教え子というだけではないのだよ」
「ほう。つまり?」
「門弟に教えを授けることで、師父が逆に教わることもあろう。真に敬虔なる信徒は神の教えを受けながら、神に教えを授けることができる者、それが門下宗匠なのだよ」
神聖なる神の教えと、神へ教えを返すことのできる敬虔な信徒。
そうして、神と人が相互に教え合い、互いに成長することで、発展していくのが教育世界ローデンヌなのだろう。
「なんか、それって素敵ですね」
と、ナーヤが嬉しそうに顔を綻ばせた。
「そうかね?」
「え……あ……だって……」
エールドメードにじっと顔を覗かれ、彼女は恥ずかしげに視線をそらす。
「そうしたら、私でも少しぐらい熾死王先生の役に立てるのかなって思って……」
「な・る・ほ・どぉ。確かにこの熾死王も神には違いないなぁ」
悪巧みを思いついたといったような口振りで、熾死王はニヤニヤと笑う。
「エールドメード師父、先程の返答であるが」
ガーガリが言った。
「元首アノス曰く、擬態世界の<淵>は、他者を騙したいという想いが集う<虚構淵擬>。それは、この世界のなにかに擬態しているものと思われる」
「同感だ」
と、エールドメードが同意する。
「時間はかかるが、自らの足で探していくのが一番だろう」
ガーガリはそう方針を示す。
だが、その直後だ。
「――お前、馬鹿だろ」
頭上から声が響き、ガーガリたちは上を向いた。
空から一直線に降りてきたのは呪歌世界の元首、呪歌王ボイズである。
非難めいた口調で彼は言う。
「こんな広い世界を歩いて回って<淵>を探す? 無駄に時間がかかるだけだ」
「取り消してください」
鋭い口調で言い返したのはカルラだ。
「なにがだ?」
「ガーガリ様は馬鹿ではありませんっ。数多の叡智を有し、妙なる教えをお授けくださる尊き主神。取り消してくださいっ」
はっきりと怒気をあらわにして、カルラは言う。
「ああ、そのことか。悪かったな。取り消そう」
発言に気をつけろと言わんばかりにカルラはキッとボイズを睨む。そうして、ぷいっとそっぽを向くと、
「お前みたいな無能を育てたんだから、こいつは馬鹿じゃなくて、大馬鹿だ」
空気が凍りつく。
カルラは静かにボイズを睨めつける。
「いいでしょう」
彼女の全身から、激しく魔力の粒子が立ち上った。
「どちらが馬鹿か教えて差し上げます」
今にも飛びかかろうとしていたカルラの肩に、トン、と手が置かれた。教育神ガーガリだ。
「ガーガリ様……」
「では呪歌王、あなたはどうやって<虚構淵擬>を探すのだ?」
ガーガリの問いに、ボイズは答えた。
「俺の呪歌を擬態世界中に聴かせる。生物も山も海も空も呪われ、擬態どころじゃなくなる。つまり、この世界の全てが一瞬で暴き出されるってわけだ」
「愚鈍なり」
そうガーガリが一蹴すると、かんに障ったと言わんばかりにボイズが殺気立った。
「なんだと?」
「あなたの世界を歌が歌えなくなるほどの音で満たしてやろう」
喧嘩を売るようにガーガリはボイズを睥睨した。
「やってみろよ。その耳が二度と使い物にならないぐらいの歌で呪ってやるよ」
「つまりはそういうことであろう」
ガーガリがそう口にすると、「なに?」とボイズは眉根を寄せた。
「根幹たる秩序を乱そうとすれば、逆襲にあうは必至。全ての擬態を暴こうなど、愚の骨頂なり」
「要するに怖じ気づいたんだろ。第六魔王だか、第七魔王だかが怖いなら、引っ込んでな。俺一人で十分だ」
バチバチと視線の火花を交わしながら、教育神ガーガリと呪歌王ボイズが睨み合う。
一触即発の緊張感が張り詰めていき、
「歌えば、その喉は永遠に声を失うであろう」
ガーガリが言った。
「無理だろ。その頃にはお前は身動き一つできない」
ボイズが言った。
「できるかね? この熾死王は大声で大魔王の悪口を言うぞ」
突如口を挟まれ、ガーガリとボイズが熾死王を振り向く。
「オレの悪口は光より速い。大魔王のお膝元だ。すぐに駆けつけてくるだろうなぁ。ん? どうするぅ?」
人を食ったような表情で熾死王は言う。
ちっ、とボイズは舌打ちし、興がそがれたと言わんばかりにガーガリから視線を外した。
「呪歌王。オマエは震動世界の方へ加勢に行きたまえ。どうも、あちらは面倒なことになっているようだ。オマエの力が役に立つ」
そう熾死王が言えば、ボイズは睨みつけてきた。
「……まあいい。馬鹿と宝探しをするよりはマシだ」
そう言って、ボイズは上空に待機させてある呪弦船へとまた戻っていった。
胸に手を当ててナーヤはほっと息を吐く。
「……ど、どうなることかと思いました。でも、よかったですね、ちょうど震動世界の方に加勢が必要で」
「まったくまったく。本当に加勢が必要だともっといいがね」
「え?」
きょとんとしたナーヤに、ニヤリとエールドメードは笑ってみせた。




