有翼世界
景色が黒穹から青空に変わった。
銀水船ネフェウスからは、無数の鳥たちが飛び抜けていく光景が見えた。
「わーお、鳥だぞーっ!」
甲板で周囲を飛んでいく鳥たちを見回しながら、エレオノールは笑みを浮かべている。
「鳥さん……たくさん……います……」
「ねー」
ゼシアとエンネスオーネが両手を翼のようにして、羽ばたく真似をする。
エンネスオーネは頭に翼があるにもかかわらず、なぜか手で羽ばたいていた。
「「パタパタ、パタパタ」」
すると、二人の体がふわりと浮かび上がった。
「……飛んで……ます……!?」
驚きながらも、ゼシアは歓喜の表情で、更に勢いよく両手をパタパタと羽ばたかせる。
「んー? なんでだ? <飛行>使ってなあい?」
目を細くしながら、エレオノールはあり得ない物を見るかのように我が子を凝視した。
「ズルは……してません……! ゼシアは……鳥になりました……!」
「空気がつかめる気がするよ? ほら」
エンネスオーネが頭の翼を軽くはためかせると、彼女の体が重さから解き放たれたかのようにぐんと上昇し、一瞬にして米粒のように小さくなった。
「んー、すっごい速いぞっ。エンネちゃーん、知らない世界だから、あんまり遠くいかないで、戻っておいでー」
エレオノールがそう声を飛ばす。
エンネスオーネは風を切り彼女の目の前まで一気に急降下してきた。
「エンネ……すごい……です……」
「えっへん」
と、エンネスオーネは小さな胸を張る。
「この有翼世界アリファーバの秩序なのでしょう。ここの空気は瞬間的にではありますが、手でもつかむことができる性質を持ちます。翼を使い飛ぶとなればこれほど良い環境もないでしょう」
甲板にやってきたのはマントを羽織った男装の麗人。五聖爵が一人、フレアドール子爵である。
「そっかそっか。じゃ、ここの魔王は翼がある人なんだ?」
「いえ、元首アノスの情報によれば、有翼世界を所有しているのは第四魔王アゼミという鬼人族です。翼は持っていない、とのことです」
魔王たちは大魔王の継承者となるために国盗りを行っている。元々、有翼世界を支配していた魔王は、第四魔王アゼミが滅ぼし、それを奪い取ったのだ。
ゆえに、この銀泡には常駐している魔王はいない。深層十二界の中では比較的安全と言えるだろう。
もっとも、魔王たちも常に同じ場所にいるわけではないが。
「んー?」
と、エレオノールは気になったようにフレアドールの足下に視線を向ける。
彼女の後ろに人影があり、小さな手が僅かに覗いていた。
「可愛い子がいるぞ」
「紹介が遅くなり、すみません。先程まで眠っていたもので。ほら、出てきなさい」
フレアドールは自らの後ろに隠れている小さな女の子をそっと手で促して、前に立たせる。
「私の子、パルムです。ご挨拶なさい」
「パルムだ。よろしく頼む」
幼いからか多少舌っ足らずだが、毅然とした、勇ましい口調である。
年齢はゼシアと同じぐらいに見えるが、ずいぶんと大人びていた。
すると、ゼシアはずいと前に出た。
彼女はじっとパルムを見た後、素早くフレアドールに視線を移し、またすぐにパルムに視線を戻した。
「そっくり……です……」
と、ゼシアは驚いたように言う。
彼女が言った通り、フレアドールの顔とパルムの顔は生き写しのようだった。髪の色も目の色も同じで、違いは年齢だけといっても過言ではない。
「そっくりっていうか、この子――」
魔眼を光らせ、エレオノールはじっとパルムの深淵を覗く。
彼女の奥底にあるその根源を。
「ゼシアと同じだぞ」
「ええ、パルムはわたしの根源クローンです。事情があり――」
「おおぉ……!」
フレアドールの話の途中で、ゼシアが食い気味に声を上げた。彼女はキラキラと瞳を輝かせながら、パルムの手を両手でつかんだ。
「お姉ちゃんたち以外で……おんなじ……初めて、です……!」
初めての根源クローン仲間に、ゼシアは嬉しそうにぶんぶんと両手を振っている。
「姉が根源クローンなのか? 何人いるんだ?」
パルムもゼシアに親近感を持ったのか、興味深そうに聞いてくる。
ゼシアはばっと両手を開いて、突き出した。
「一〇人か。多いな……!」
ぶるぶるとゼシアは首を左右に振った。
「……一万人……です……!」
「一万人……!?」
パルムがびっくりしたように目を見開き、
「一万人……ですか……!?」
同じく驚いたようにフレアドールが目を丸くしていた。
さすがは根源クローンの親子といったところか、その表情はそっくりだった。
「これは一万ではないだろう」
パルムはゼシアがやったのと同じように、五本指を立てた右手と左手を突き出す。
どうやら驚きのポイントは、一〇ではなく一万だったということのようだ。
「一万……です……!」
負けじとゼシアは指を一〇本立てて、一万だと猛プッシュしている。
「指は一〇本だろう? なぜ一万なんだ? 根拠はなんだ?」
「指は一〇本でも……ゼシアの気持ちが……一万です……!」
迫真の気迫でゼシアはズバリと言い切った。
「…………」
絶句したパルムに、ゼシアは気迫を込めた眼差しを向け続ける。
「ぷ」
あまりの強引さがツボにはまったか、パルムがふきだす。
「あはははっ」
お腹を抱え、パルムはケタケタと笑う。彼女が初めて見せた子どもらしい表情だった。
「君は馬鹿だな」
パルムがそう感想を漏らす。
すると、ゼシアはぷくーっと頬を膨らませた。
「ゼシアは……馬鹿じゃ、ありません……!」
「面白いという意味だ」
パルムがそう言い直すと、ゼシアはぱっと笑顔に変わった。
「面白ゼシア……です……!」
得意げにゼシアは言う。
その様子を見て、くすくすとパルムは笑声をこぼした。
「パルム……一緒に……飛びます……!」
ゼシアは再び手をパタパタして、浮かび上がった。それを真似して、エンネスオーネも手で羽ばたき始める。
「それは、なにか意味があるのか?」
不思議そうにパルムが問う。
合理的に育てられたのか、ゼシアたちの無邪気な行動が理解できない様子だ。
「すっごく……あります……!」
「……そうか。それはどんな……?」
「すっごく……ありますっ……!!」
顔を至近距離まで近づけ、ゼシアは力一杯アピールした。
「だから……」
「あり……ますっ……!」
「……わ、わかった。やってみよう」
ゼシアの勢いに負けたか、意味がわかっていないながらも、パルムは二人と同じように手を羽ばたかせ
る。
有翼世界の秩序に従い、彼女はふわりと浮き上がる。
「出発……です……!」
「いっくよー」
ゼシア、パルム、エンネスオーネの順番で隊列を組み、彼女たちはふわふわと甲板の上を低空飛行していく。
パルムは戸惑うような素振りを見せていたものの、ゼシアとエンネスオーネが満面の笑みではしゃいでいるため、悪い気はしていない様子だ。
「大変だったのですね」
遊んでいる娘の様子を見守りながら、フレアドールが言った。
「んー?」
エレオノールが首を捻ると、彼女は振り向いた。
「一万人もの根源クローンを作るのは、平時とは言えません」
「……うん……でも、みんな、アノス君が助けてくれたんだ。今はこうやってゼシアも笑ってるし、すっごく幸せなんだぞ」
エレオノールが笑顔でそう言うと、フレアドールは微笑んだ。
「わかります」
彼女は我が子に温かい視線を注ぎながら同意を示した。
「わたしもパルムが一番の宝です。あの子を守るためなら、この命も惜しくはありません」
「あー、そんなこと言っちゃだめだぞ」
人差し指を立てて、からかうようにエレオノールは笑った。
「フレアドールちゃんがいなくなったら、パルムちゃんがすっごく悲しくなっちゃうぞ」
ふふっとフレアドールが笑う。
「フレアドールちゃんと呼ばれたのは初めてです」
「あ……!」
と、エレオノールが声を上げ、銀水船の進行方向へ視線を向けた。
「あれじゃないかな? <有翼の風淵>」
目の前の空には光の柱が見える。それはキラキラと輝く無数の羽根だ。それらが空に舞い上がり、巨大な光の柱を形成していた。
<有翼の風淵>。それは地上を這うことしかできない者の、空への憧れが具象化したもの。その舞い上がる羽根の一つ一つが、空への憧憬なのだ。
「パルム、行きますよ」
フレアドールが娘を呼ぶ。
すると、パルムはゼシアたちを引き連れながら、手をパタパタさせながら飛んできた。
僅かに微笑み、フレアドールは言った。
「仲良くなれましたか?」
「はいっ。初めて友達ができました、母上」
子どもらしくパルムは無邪気に笑った。フレアドールは彼女の頭を優しく撫で、それから<有翼の風淵>に視線へ向けた。
「行きましょう。<淵>の調査にはあなたの魔法が欠かせません。手伝ってもらいますよ」
フレアドールとパルム、そしてエレオノールたちはその<淵>へ向かって飛び込んでいった。




