復讐
五年後――
ロアナ砂漠。
小さな少年が飛んでいた。長い銀の髪が、ゆらゆらと水に漂うように揺れている。彼はつい先刻、この個別世界グラウヴェノアへやってきたばかりだ。
名を二律僭主ノアという。
彼は魔眼を光らせ、砂漠にある小さなオアシスへ降りていった。
水辺に入れば、その水底に水中洞窟があった。
ノアは迷わず洞窟に入った。
奥まで進めば、上方に丸い穴が空いていた。出口だ。泳いでいき、彼は水面から顔を出した。
辺りは暗い。水中ではないが、洞窟の続きのようだ。ノアは水辺から上がると、暗闇の奥へ歩いていく。
「誰だ?」
幼い声が、洞窟を反響した。
ノアが視線を向ければ、そこに自分と同じぐらいの背格好をした少年が立っていた。
燃えるような紅い髪で、鋭い目つきをしている。幼いながらも、歴戦の戦士を思わせる精悍な顔つきをしていた。
グラウヴェノアに住むのは孤影族が殆どだが、彼はどこか違うように思えた。
「私はノア」
彼は言った。
「人助けの旅をしている。困っていることはないか?」
いつものようにノアはそう尋ねた。
すると、少年はフハハッと笑った。
「なにを言うかと思えば」
屈託のない口調で少年は言う。
「面白い奴だな、お前は」
「ないのか? 困っていることは」
「ない」
「そうか」
ノアは納得して踵を返した。
少年は興味を覚えたか、その背中に問いかけた。
「なぜここへ来た?」
ノアは立ち止まり、少年を振り向く。
「私は秩序が救わない者を救っている。この個別世界は他者との絆が希薄だ。しかし、卿は違う」
魔眼を光らせ、ノアは少年の深淵を覗く。
「強い魔力を宿しているが、その輝きは愛魔法にひどく似ている」
ノアは淡々と説明する。
「愛魔法は他者とのつながりがなければ使えない。ゆえに、卿はこの世界の秩序が救わない存在なのだと思った」
「アムルだ」
少年の言葉に、ノアは一瞬疑問を覚えた。
「俺の名はアムル・ヴィーウィザー。時間があるならば、もう少しここにいろ」
「困ってはいないのではないか?」
「困ってはいない」
アムルは言った。
「だが、一人はつまらん」
彼は僅かに笑みを覗かせた。
「孤影族とは長くそばにいられない。他者と関われば、彼らは弱くなる。それでは第一魔王から逃げられない」
ゆえに、アムルは一人だった。普通の孤影族は他者と力を合わせることができず、逆に弱くなってしまう。
「わかった」
深くは聞かずに、ノアは承諾した。
「卿は若く見えるが、ずいぶん落ち着いている。大人と話しているようだ」
「そういうお前も年相応には見えん」
「私は<廃淵の落とし子>だ」
「なるほど。銀水世界リステリアにて、追憶から生じるといわれる種族か」
「珍しい。深層世界でも、知る者は少ないだろう」
銀水世界リステリアは元首である隠者エルミデがその名の通り隠遁しているため、知る者は極端に少ないのだ。
「俺の根源が、勝手に知識を集めてくる」
興味を覚えたようにノアは問う。
「どのようにだ?」
「心火の――」
アムルが言いかけたその時、ザバァッと水音がした。
水中洞窟を通り、何者かがここへやってきたのだ。足音が響き、人影が近づいてくる。
「俺の客だ」
アムルが言うと、人影の姿があらわになった。
筋骨隆々の戦士だった。腰に禍々しい魔剣を携えている。
なによりも特徴的なのは、その顔つきだ。
まるでこの世の全てを恨んでいるような激しい憎悪が、男の形相に表れていた。
「貴様が……アムル・ヴィーウィザーか?」
「ああ」
男の問いに、アムルは答えた。
「勝てるのか?」
アムルは答えず、黙って男の目を見つめた。
彼の心底にあるものを見定めようとするかのように。
男は続けて問うた。
「第一魔王ジゼルにっ!! 本当に我々に力を合わせることなどできるのかっ!?」
アムルは答えた。
「お前の憎悪が本物ならば、刃となり奴を斬り裂くだろう」
アムルの燃えるような瞳が、赤黒く輝きを発する。
禍々しくも魔を秘めた、それは銀水聖海に二つとない魔眼であった。
「聞かせてくれ」
アムルが言う。
男はぐっと拳を握りしめ、奥歯を噛んだ。
爪が手に食い込み、血が滲む。それでも更に、男は強く拳を握りしめる。
「俺の父と母は婚姻していた。人里離れた山奥で、俺たちは一目につかないようにひっそりと暮らしていた。無口で厳格な父と、お喋りで優しい母が、俺の何よりの誇りだった」
ポタッ、ポタッと血が地面に滴り落ちた。
「だが、俺が六歳の頃、第一魔王ジゼルがやってきた。婚姻罪にて父と母を容易く拘束した奴は、俺に言ったのだ」
底知れぬ怒りを吐き出すように、彼は叫んだ。
「両親を殺せ、と!! それが世界貢献だ、と!!」
アムルの時と同じだ。
第一魔王は婚姻した孤影族を間引いて回っているのだろう。
「俺はできなかった。震えて、一歩も動くことができなかった。すると、奴は次にこう言った」
「あなたが二人を殺さないのならば、あなたと母親を殺す、と」
まるでその光景を見てきたかのようにアムルが言った。
「それが俺たちにとって、最悪の結果だというのが奴にはわかっていたのだろう。父と母は必死になって、俺に訴えた。自分たちを殺せ、と。お前だけは生き延びてほしい、と!! 俺に懇願したのだ!!」
憎悪がそこに溢れかえる。
ただただただ恨みをぶつけるように男は声を上げた。
「俺が……殺した……!! この手で、俺が……父と母の……!! 俺がっ……!!」
男は思いきり拳を振り上げる。
怒りのまま地面に振り下ろそうとして、しかしそれがピタリと止まった。
アムルの魔眼と目が合ったのだ。
「俺が……」
鋭い眼光が、僅かに和らいだ気がした。
赤黒い炎が男の体から溢れ出し、アムルの体に吸い込まれていく。
少しずつしかし確実に、男の表情が柔和になっていき、反対にアムルの魔力が増大していた。
まるで憎悪を吸い取り、己の魔力にしているかのようだ。
やがて、男の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
彼はその場に崩れ落ちた。
「俺が……この手で……父と母の……命を……奪ってしまった……」
涙がとめどなくこぼれ落ちる。
憎悪を失い、残った悲しみだけが男の全身を支配していた。
アムルは数歩、彼に近づく。
「お前の憎悪はここにある。俺が奪った数多の憎悪とともに」
アムルは自らの左胸に手を当てながら、そう言った。
「俺は復讐を果たすための刃だ。お前たちの怒りが、この背を押し、奴を貫く」
すると、男は僅かに顔を上げる。
「……リニョルの樹海に……」
こくりとアムルはうなずいた。
「ああ。わかっている」
そう口にすると、アムルは転移の魔法陣を描く。
男が口にしたリニョルの樹海に彼は転移していった。




