報告
銀水学院パブロヘタラ。魔王学院宿舎。
微睡んでいた意識が、ゆっくりと戻ってくる。
俺はベッドから身を起こすと、魔法陣を描き、いつもの制服に着替えた。
夢で見たのは、ロンクルスと二律僭主ノアの出会い。正確には夢ではなく、《融合転生》により記憶が混ざっているのだろう。
ロンクルスは融合世界の出身。《融合転生》もその世界の魔法だろう。転生というより、融合といった意味合いが強い。それゆえ、時折こうして記憶が混ざる。しかし、その融合が遅々として進まぬようだ。
融合世界の魔法に詳しい者がいれば、《融合転生》を完了させる糸口もつかめるだろうが、今の記憶によれば融合世界自体は滅びている。
ロンクルスは融合世界にて生まれる新しい命のために、秩序から切り離されることを望んだ。
二律僭主の魔法により、それが達成されたのは確かだろう。
だとすれば、あの時点でロンクルスに融合していなかった住人たちがこの銀水聖海のどこかにいるはずだ。
そこまで思考すると、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。
「起きてる?」
ミーシャの声だ。
「ああ。入れ」
ガチャ、とドアが開き、ミーシャとサーシャが入ってくる。
その後ろにオットルルーがいた。
「魔弾世界の件で報告があります」
いつものように事務的な口調で彼女は言う。エレネシアのことや、魔弾世界の処遇についてはすでに六学院法廷会議で取り決めている。
となれば、残るは――
「大提督のことか?」
「はい。魔弾世界を調査した結果、三体の絡繰神を発見しました。大提督ジジが作ったものと推測されます」
絡繰神を使い、正体を隠しながら、大提督ジジは力による支配を進めてきたというわけか。
「先のイーヴェゼイノ襲来、《渇望の災淵》にあった絡繰神が原因という元首アノスの報告にも、信頼性が持てます。大提督ジジは隠者エルミデという姿を使い分け、イーヴェゼイノとハイフォリアを対立させたのでしょう」
順当に考えれば、それが妥当な結論だろう。
しかし――
「なにが目的だった?」
「ハイフォリア、イーヴェゼイノ双方を消耗させ、戦力的優位に立つこととオットルルーは推測します」
大提督ジジ、そして神魔射手オードゥスならば、ありえぬ話ではない。奴らの目的は軍備増強。どの小世界からも侵略を受けぬほどの圧倒的な力を欲していた。
「わからぬのは、隠者エルミデがどのようにして魔弾世界の住人になりすまし、大提督まで上り詰めたのかということだ」
「調査中です。しかし、大提督ジジが本物の隠者エルミデであるという保証はありません。隠者エルミデが作っていた絡繰神を、どこかで入手したということも考えられます」
確かに、その可能性もあるだろう。
だが、レコルは言った。
隠者エルミデは生きている。そして、パブロヘタラに潜んでいる、と。
あの男の予測はどこまで正しいのか。
「お前にもわからないのか? 大提督ジジが、本物の隠者エルミデかどうか」
オットルルーは隠者エルミデが元首を務める銀水世界リステリアの裁定神だ。正確には、《追憶の廃淵》から作られた存在だが、エルミデに縁が深いことには代わりない。
「判別はできません。今のこの姿は、かつてのオットルルーではなく、この記憶もまた完全ではありません」
ふむ。まあ、わかっていれば、最初から大提督ジジの正体に気がついていたか。
仕方あるまい。
「いずれにしても、大提督ジジは滅びました。懸念点はいくつか残っていますが、当面の脅威はありません」
オットルルーは事務的に言い、頭を下げる。
「報告は以上です」
「一つ聞きたいのだが」
踵を返そうとした彼女が、こちらを振り向く。
「《融合転生》という魔法を知っているか?」
「はい。融合世界の魔法ですが、術者は現存していない可能性が高いです。融合世界は遙か昔、二律僭主によって滅ぼされました。かの不可侵領海は、融合世界の秩序を崩壊させ、その王位を力尽くで奪い取ったのです」
「……力尽くで?」
「はい。秩序に従った正式な即位ではないことが、僭主と呼ばれる所以となりました」
融合世界からロンクルスを切り離したのは、彼の望みだったはずだが、他の世界には正しく伝わっていないようだな。
いかなる理由があれど、秩序を崩壊させた以上、この銀水聖海では正義となるはずもないということか。
恐らくは融合世界も無事には済まなかったのだろう。主神がいなくとも成り立つ世界は、ミリティア世界が現れるまでなかったのだからな。
「では、《融合転生》の術式を調べる方法に心当たりはないか?」
一瞬、オットルルーは考える。
「融合世界とパブロヘタラは接点がありませんでした。《融合転生》を知る者は、学院同盟にはいないと思われますが、ご希望であれば全学院に照会をかけることができます」
「よい。融合世界の場所はわかるか?」
「融合世界は今、元首も主神も民もおらず、その残骸だけがかろうじて存在するのみとなります」
「それでよい」
俺がそう口にすると、オットルルーは魔法陣を描いた。
出現したのは銀水聖海の海図である。パブロヘタラから遠く離れた一点が、赤く光っていた。
オットルルーはそれを指さし、
「この場所にかつて融合世界ボルムテッドが存在しました。今、どうなっているかは定かではありません」
「十分だ」
「それでは失礼いたします」
軽く会釈をして、オットルルーは去っていった。
「融合世界へ行く?」
ミーシャが上目遣いで俺に聞いた。
「ああ。《融合転生》がどれぐらいで終わるものなのかはわからぬが、さすがに進みが遅い。不測の事態が起きたと見て間違いあるまい」
「二律僭主の執事だったロンクルスっていう人に、体を貸したんだったわよね? その《融合転生》を失敗したってこと?」
不思議そうにサーシャが問う。
「いや、恐らく《融合転生》よりも、俺の耐性の方が強い。下手をすれば、このまま適応できずに滅びるやもしれぬ」
「……魔法を仕掛けた方が滅びるってどうなってるのよ……」
呆れたようにサーシャがぼやく。
「ロンクルスならば耐えられると思って《融合転生》を受け入れたが、どうやら相性が悪かったようだ」
「本当に相性の問題なんでしょうね……」
疑いの目でサーシャが見てくる。
「なに、猶予はある。ロンクルスが自力で《融合転生》を完了できぬのなら、外から手助けしてやればよい」
「どうやって?」
ミーシャが不思議そうに聞く。
続けて、サーシャが確認するように言った。
「だって、融合世界はもう滅びたんでしょ?」
「二律僭主はロンクルスや融合世界の民を秩序から解放するために、そうしたようだ。生き残りがいるはずだ」
「じゃ、その人たちに会えれば?」
サーシャが言うと、
「《融合転生》のことがわかる」
ミーシャが結論づける。
「融合世界へ向かう。銀水聖海に出てからは戦続きだ。お前たちは休んでいても構わぬぞ」
「なに言ってるのよ。魔王様が働いているのに、のんびりしているわけにはいかないでしょ」
「行く」
サーシャとミーシャはそう言った。
すぐさま、俺たちはパブロヘタラから出て、ハイフォリア上空を飛んでいく。向かった先は幽玄樹海だ。
「樹海船で行くの?」
サーシャが聞く。
「融合世界の民と二律僭主は知らぬ仲ではないはずだ。樹海船で行った方が都合がいいだろう」
「アノス……」
ミーシャが眼下に神眼を向けながら、呟くように言った。
僅かに緊張の色が混ざっていた。
「……枯れてる……」
真下には幽玄樹海が見える。
俺たちはその大地へと静かに降り立つ。
サーシャが息を呑み、ミーシャが瞬きをする。
つい数日前とは、まるで異なる光景だ。
鬱蒼と生い茂っていた樹木という樹木が枯れ始めていた。




