候補者探し
「えーと、他の世界と交流した方がいいって考えている人がいるってことですか? 新しい吟遊宗主の候補の中に?」
エレンの質問に、吟遊宗主は首肯した。
「ウィスプウェンズは主に二つの派閥に分かれています。他の世界と関わりをもたず、これまで通りの世界を保とうという穏健派。それから、他の世界に積極的に歌を広め、ウィスプウェンズの力を増していこうという吟遊派に」
「ウィスプウェンズに引きこもっているだけでは、なにか問題があるということかね?」
エールドメードがそう問い質す。
「この世界には多くの吟遊詩人がいます。彼女たちにとっては、様々な場所を回り、詩曲を奏でることこそ本懐なのです。狭い世界に閉じこもり、身内に歌を歌っているだけで果たして生きていると言えるのか。そう考える者も少なくはありません」
「なるほどなるほどぉ。誇りを失った弱腰の吟遊宗主を快く思わない者も多いと? あるいは、それで元首の座を追われているのではないか?」
「天父の子。人には人の事情がある」
アルカナが窘めようとしたが、「いえ」とエルムはそれを制した。
彼女は俯き、下唇を噛む。
「おっしゃる通りです。民の不満は高まり、争い事も増えるようになりました。わたしは吟遊宗主を退くことでしか、その事態を収めることができなかったのです」
苦渋の決断だったというように彼女は説明した。
「次の吟遊宗主にも穏健派が選ばれれば、元の木阿弥ではないかね?」
「そうかもしれません。だとしても、吟遊神選にはウィスプウェンズの全住人が参加し、吟遊宗主を選びます。この世界のために歌う、新しい歌い手。最も相応しい吟遊詩人を。わたしがこのまま続けるより、皆も納得することでしょう」
ウィスプウェンズは他世界と交流を持つべきか否か。それを全住人に問うのが、此度の吟遊神選というわけか。
「もちろん、吟遊派が選ばれるかもしれません。わたしたちの主神、神詩ロドウェルを銀海に広めるのが彼女たちの目的です。そのときには、きっと、あなた方に協力してくれるでしょう」
確かに吟遊派が勝ったなら、協力を得ることはさほど難しくはあるまい。他の世界を回るのなら、銀滅魔法の脅威を捨ておくことなどできぬ。
ウィスプウェンズにとっても、銀滅魔法への対抗手段を準備するのは急務となろう。
「よろしければ、首都シェルケーを回り、候補者たちを見ていってあげてください。銀滅魔法の脅威が迫っているのでしたら、吟遊派の方々に挨拶をしておいた方がいいでしょう」
「穏健派の吟遊宗主がそんなことを言ってもいいのかね?」
エルムは少し困ったように笑う。
「立場は違えど、彼女たちは皆、ウィスプウェンズの民ですから」
彼女は魔法陣を描く。
すると、そこに二枚の書状が現れた。
「吟遊神選に参加する候補者たちのリストと紹介状です。こちらを見せれば、不審に思われることはないでしょう」
差し出された書状を、エレンが受け取る。
「……吟遊宗主様は、吟遊派が選ばれた方がいいと思っているんですか?」
不思議そうに彼女は訊いた。
「それが皆の意思、そしてこのウィスプウェンズの意思ならば。わたしが間違っていたのかどうか、それを確かめる意味での吟遊神選でもあるのです」
そうでなければ、自ら吟遊宗主の座を下りたりはしまい。
彼女自身、ウィスプウェンズがこのままでいいのか、迷っていたのだろう。
もっと相応しい元首がいるのかもしれない。そう思ったとて不思議はない。
「もしも吟遊派の方が選ばれるのなら、あなたたちを紹介しておくべきだと、そう思ったのです。立場上、わたしはともに行くことはできませんが……」
「いえ、全然っ、大丈夫です。ね」
「はいっ。ありがとうございますっ! 候補者の方に、しっかり挨拶してきますねっ!」
ファンユニオンの少女たちがぺこり、ぺこりとお辞儀をした。
エルムは柔らかく微笑む。
しかし、すぐに真剣な顔つきになった。
「一つだけご忠告を申し上げます。吟遊派の中には、過激な手段を用いて吟遊神選を勝ち抜こうとしている者もいると聞き及んでいます。そのような者たちの歌が、民に響くとは思えませんが、くれぐれも巻き込まれないようにご注意を。なにかありましたら、わたしにお知らせ下さい」
それを聞き、エールドメードは妙に生き生きとした表情で言う。
「いやいや、それは危険ではないか。怪しい輩には注意しなくてはなぁ」
怪しい輩に会いたくてたまらないといった様子だ。しかし、次の瞬間、彼は不自然なほど真面目な顔になったかと思えば、そのまま吟遊宗主に大仰な礼をする。
「では、吟遊宗主のお言葉に甘えさせていただこう。御礼はまた後ほど」
くるりと踵を返し、熾死王は出口へ向かう。
「いくぞ、オマエら。まずは候補者たちに会ってこようではないか」
熾死王とアルカナ、生徒たちは王宮を後にした。
長い桃の並木道を抜け、街までやってくると、次第に様々な音楽が聞こえ始めた。
首都シェルケーには広場や劇場が数多く存在している。そこでは吟遊詩人たちが歌を歌い、曲を奏でる。人々は皆足を止め、その音楽に耳を楽しませていた。
「わぁぁ……」
「すごいっ。ジオルダルより賑やかっ」
「なんか、不思議な音色が聞こえない?」
「聞こえる聞こえる。なにこれ? 楽器?」
「行ってみようよ」
「だめだめっ。まず吟遊神選の候補者を探さないと」
ファンユニオンが口々に言うと、彼女たちの前に魔法陣が描かれた。現れたのは書状だ。
候補者たちのリストを熾死王が魔法で複製したのだ。同じのものが、他の生徒たちの手元にも現れている。
「街は広い。手分けして探そうではないか。三時間後にこの広場に集合だ。穏健派と吟遊派、どちらでも構わない。全員に声をかけたまえ」
「穏健派は必要だろうか?」
エールドメードに、アルカナが訊く。
「どちらかと言えば穏健派こそ必要なのではないか。他世界と交流をしない方針だろうと、銀滅魔法の対策は持って帰らなければ、最悪、どこぞの銀泡が一つ、銀界の藻屑となってしまう」
ニヤリと笑いながら、「一つで済めばいいがね」と彼は不穏なことを呟いた。
「で、でも、熾死王先生。魔弾世界が<銀界魔弾>を撃つとは限らないんですよね?」
ナーヤが訊く。
「だよな。撃っちまったら、他の世界から狙われるわけだし、魔弾世界だってそんな馬鹿じゃないだろ」
「実際、これまで一回も撃ってきてないんだしな。そりゃ、対抗手段があるに越したことはないけど、そこまで急ぎってわけじゃない気がするよな」
黒服の生徒たちがそう言葉を交わす。
「そう思うかね?」
もったいぶった調子でエールドメードが問う。
「そりゃ、だって」
「なあ。普通に考えれば」
タン、とエールドメードが杖をつく。
「状況からして、魔弾世界の取り得る選択肢は二つだ。<銀界魔弾>を破棄するか、それとも撃つか。いざというときに撃たない魔法を開発してきたのだとしたら、これほどマヌケな話もない」
授業を始めるように、エールドメードが生徒たちに説明していく。
「これまで撃たなかったのは、<銀界魔弾>を隠す目的があったからだ。それが発覚した今、むしろ撃たない理由がなくなってしまったのではないか? ん?」
「……って言っても、バレたからすぐ撃とうって話にはなんないわけだろ?」
「パブロヘタラだって馬鹿じゃないんだし、自分の世界が撃たれるかもしれないのに魔弾世界に実力行使とかしないよな」
「それなら結局、魔弾世界もパブロヘタラに所属しているんだし、同盟世界を撃たなきゃいけない理由がないわけで、だからしばらくは膠着状態で、法廷会議とかでの決着になるってのは別におかしくはないんじゃ――」
「カカカカ、カカカカカカ、カーッカッッカッカッ!!!」
唐突に大声で熾死王が笑い出し、びくっと生徒たちが後ずさる。
「おいおい、オマエら。いったい誰の配下だ? 己の世界に照準を向けられたぐらいで、意を通さないと思うか、我らが魔王が」
その光景を想像したのか、生徒たちはまさに絶望といった表情を浮かべた。
「……やべぇわ。絶対止まんねえわ」
「ああ、やる。むしろ、世間話のためだってやる」
「っていうと、俺たちがここに寄越したのはあれか? 自分は魔弾世界に直接乗り込む気満々だから、ほぼ確実に発射される<銀界魔弾>のことはよろしくって意味か?」
ビシィ、とエールドメードは杖で生徒をさす。
「せ・い・か・い・だぁっ!」
ずーん、と生徒らの表情が更に沈み込む。
「マっジ……かよ……! 久しぶりに戦場とはほど遠い場所で休暇気分だと思ってたのに……」
「最前線どころじゃねえじゃねえか……! 世界を滅ぼす魔弾を普通、生徒に止めさせるかっ……!?」
「いやいや。困った困った困ったなぁ。これはどう考えても銀滅魔法の対策を持って帰らなければ、体で止めろとのお達しだろうからな。胃が痛い任務ではないか」
熾死王の言葉で、一瞬にして生徒たちの目が据わる。
皆、覚悟を決めたといった顔つきだ。
「よしっ! 候補者探すぞっ! 吟遊派だろうと穏健派だろうと、なにがなんでも協力してもらおうっ!」
「「「おうっ!!!」」」
かくして、魔王学院の生徒一同はウィスプウェンズの首都シェルケーを駆け出していく。
吟遊宗主からもらったリストには一部の例外を除き、候補者たちの拠点なども書かれており、それを頼りに彼らは次々とノルマをこなしていく。
エルムが言った通り、吟遊派の感触はやはりよく、ミリティアの住人である彼らを快く受け入れてくれた。
一方で穏健派は少々厳しく、協力してもらうという言質を得るには至らない。
それでも、めげずに生徒たちは一人でも多くの候補者に挨拶をしておこうと首都シェルケーを回っていた。
そんな中、一人の少女は暗い路地にいた。
「あれ……?」
エレンである。
彼女は暗がりに目を凝らす。
その先は行き止まりだった。
「……迷っちゃった……」
エレンは思念に魔力を込め、言葉を発する。
『みんな、聞こえる……?』
<思念通信>を飛ばす。
しかし、応答がない。
そこかしこで鳴っている歌や演奏が魔力場を乱しており、彼女の魔力では正常に<思念通信>を届けることができないのだ。
「どうしよう……? とりあえず、広いところに――」
と、彼女は再び路地の暗がりを見た。
微かに声とメロディが聞こえる。誰かが歌っているのだ。
「ラ~、ラ、ラララ♪ 別の場所でも聞いた歌だ。人気なのかな?」
その歌を口ずさみながら、まるで引き寄せられるかのように、エレンの足が暗がりを進んでいく。
左右をぐるりと見回した後、彼女は下を向く。
歌は地面から聞こえていた。
しゃがみ込み、手を伸ばす。
すると、指先が地面をすっとすり抜けた。
「わっ……」
僅かに驚きながらも、エレンは足を伸ばしてみる。
コツンと、石のような感触があった。魔法の入り口だ。ゆっくりとその中へ入っていけば、地下へと続く階段になっていた。
さっきよりも鮮明に歌が響いていた。
「綺麗な歌声……」
エレンがぽつりと呟く。
その歌声に誘われるようにエレンは階段をどんどん下っていく。
やがて、開けた場所に出た。
そこは地下に建設された、石造りの劇場だ。
厳かな舞台の上に、一人の少女が立っている。
外見年齢は一五歳ほどか。長い黒髪と蒼い花の髪飾り、寂しそうな表情が印象的だ。
彼女は蒼いドレスを身に纏い、澄み切った声で歌い続けている。
その周囲に、蒼い花が舞っていた。
その少女は――?




