少女の夢見た
パブロヘタラ宮殿。格納庫。
水中から魔王列車が浮上し、車体を覆っていた泡が弾けた。
全ての扉が開き、魔王学院の生徒たちが疲れた様子で外へ出て行く。
バルツァロンドの部下、二名の狩猟貴族が車両から出ていった。
「元首アノス」
機関室にて、バルツァロンドが言う。
「世話になった。できれば、我ら狩猟貴族の手でフォールフォーラル滅亡の首謀者を捕らえたかったが、結果に不満はありはしない。貴公のおかげで、彼らの無念を晴らすことができる」
バルツァロンドの顔には、哀悼の意が現れていた。
「フォールフォーラルとは懇意にしていたのか?」
「同じ聖上六学院として、切磋琢磨した。理由はそれで十分であろう」
まっすぐ言葉を放つ彼からは、私利私欲というものが感じられない。
「貴公らが新たな聖上六学院として、ハイフォリアと肩を並べる日を心待ちにしている。さらばだ」
颯爽とバルツァロンドは踵を返す。
と、思ったのだが、なぜかそのままくるりと一回転して、再び俺に向き直った。
「どうした?」
「言い忘れたことがある」
真剣な表情でバルツァロンドは言う。
締まらぬ男だ。
「私の弓のことは伏せておいてもらいたい」
「言いはせぬ」
すると、今度こそ、バルツァロンドは踵を返す。
その背中に、俺は声をかけた。
「レブラハルドは、パリントンが元イーヴェゼイノの住人だと気がついていたのやもしれぬ」
バルツァロンドが足を止める。
「一連の出来事の発端となった一万四千年前、パリントンがそのときすでに<赤糸>の力を有していたことに気がついていてもおかしくはない」
むしろ、気がつかぬような男とは思えぬ。
霊神人剣を自在に使いこなし、イーヴェゼイノの住人である宿命をルナから断ち切るほどの力の持ち主。
魔眼も相応のレベルだと思って間違いあるまい。
あのときのパリントンと、ルツェンドフォルトのパリントンが、同一人物ではないかと疑問を抱かぬ方が不思議なほどだ。
そして、それならば、フォールフォーラル滅亡について、レブラハルドはパリントンにも疑いの目を向けているはずだった。
イーヴェゼイノとミリティアがパブロヘタラに加盟したばかりのタイミングだ。
奴が一番動きやすかった。
ハイフォリアが目を配っていたなら、こうはならなかったはずだ。
「パリントンを野放しにしておけば、パブロヘタラに混乱を呼び込むのは道理だ。だが、回避できぬ事情が聖王にはあったのだろう」
バルツァロンドは背を向けたまま、僅かに俯いた。
「親類ならば、心当たりはないか? バルツァロンド・フレネロス」
男爵時代のレブラハルドの姓は、フレネロスだった。
法廷会議にバルツァロンドを伴っていたことから、彼と近しく、信頼していることがわかる。
「陛下は」
バルツァロンドは、ゆっくりと顔だけ振り返る。
「聖王は変わってしまった。私が尊敬した義理と誇りを尊ぶ兄は、もうどこにも居はしない」
そう言い残し、彼は去って行った。
「ふむ」
どこの小世界も問題を抱えているものだな。
『アノス』
サーシャからの<思念通信>だ。
『お母様の意識が戻りそうなんだけど、ちょっと様子がおかしくて』
「すぐに行く」
<転移>を使い、母さんを寝かせている車両に転移する。
ミーシャやエレオノールが心配そうにベッドで寝ている母さんを見守っている。
隣のベッドには父さんが眠っていた。
すぐにサーシャが駆け寄ってきた。
「様子がおかしいというのは?」
「譫言で、大事なことを忘れたって、さっきから何度も……」
ベッドのそばまで歩いて行き、母さんに視線を落とす。
すると――
「……どう……して……?」
閉じているそのまぶたに、うっすらと涙が滲む。
譫言のように、けれども切実に母さんは言う。
「……忘れちゃった……大事なことだったのに……こんなに……」
その場の全員が、心配そうに母さんを見つめた。
「もしかして――」
サーシャが言いかけたそのとき、母さんがぱちっと目を開いた。
そして、俺を見るなり、言ったのだ。
「どうしよう、アノスちゃんっ!! お母さん、アノスちゃんが看病してくれてるところを、写真に撮り忘れちゃったわ……!!」
サーシャはなんとも言えぬ表情を浮かべ、ミーシャがぱちぱちと瞬きをする。
エレオノールはびっくりしたように口を開け、ゼシアとエンネスオーネは不思議そうな顔をしていた。
「ふむ。サーシャ。もしかして、なんだ?」
「……なんで病人が、写真撮ろうとしてるのよ……」
母さんは勢いよく身を起こし、口を開く。
「だって、サーシャちゃんっ。アノスちゃんが看病してくれることなんて滅多にないのよっ!」
サーシャが俺を振り向く。
「してあげなさいよ」
ミーシャが小首をかしげて、俺に訊く。
「治すから無理?」
「ああ」
「あー、そっかそっか。アノス君がいたら、病気なんて滅多にしないし、それで看病してもらえないってことだ」
納得したといったようにエレオノールが声を上げた。
と、そのときだ。
「安心しな、イザベラ」
隣のベッドから響く声。
誰あろう父さんが、起き抜けにニヒルな表情を浮かべていた。
「お前が大変なときに、俺がなにしてたと思うんだ?」
そう言って、父さんはベッド脇に置かれた魔法写真機を手にする。
撮影係として、最近ずっと肩からかけていたものだ。
「あなた……」
母さんが瞳を輝かせると、父さんは優しくうなずいた。
「ばっちりだ。アノスの勇姿はここに収めた」
「お母様が大変なときになにしてるのよ……」
サーシャのぼやくようなツッコミが飛ぶ。
父さんは起き上がり、魔法写真機のレバーを回す。
それにより、魔法陣が描かれ、写真が現像されていく。
「一枚目」
父さんがさっと差し出した一枚の写真。
画像はブレにブレている。
最早なにが映っているのかすら定かではない。
「なにこれ……?」
「……ボケボケ?」
サーシャとミーシャが言う。
「ベッドにいるイザベラを看病するアノスッ!」
「ふむ。母さんが倒れたあまり、動揺したか」
それほどの手ブレだったわけだ。
父さんは更にレバーを回す。
「二枚目」
写真にあるのは、深き海中のみだ。
「なにも映ってないぞ?」
「……心霊写真…………ですか……?」
エレオノールとゼシアが言う。
「病気のイザベラのために、敵と戦うアノスッ!」
「俺の動きを追いきれなかったか」
「追い切れると思ったのがびっくりだわ」
父さんはまたレバーを回す。
「三枚目」
写真いっぱいに、魔眼のアップが映っていた。
「まともに撮れたのないんだけどっ!」
すかさず、サーシャがつっこんだ。
「誤って拡大してしまったようだな」
「よくある」
ミーシャがそうフォローすると、堂々と父さんは言った。
「以上だ」
「なんで出したのっ?」
「頑張りをアピールしようと思って……」
「馬鹿なのっ」
サーシャの声が響き渡る。
結局、一枚も看病らしき写真は撮れていないようだった。
「……これ……パリントン……?」
ベッドに腰掛け、写真に視線を注ぎながら、母さんが呟く。
確かにその魔眼は、パリントンのものだ。
「記憶があるのか?」
俺が問うと、母さんは戸惑いながらもうなずいた。
「……夢を見ていた気がするの。長い夢……それが本物の記憶みたいな気がして……わたしは昔、ルナ・アーツェノンっていう名前で、パリントンは弟で……それで、遠い世界に行って……」
写真から目を離し、母さんはゆっくりと見上げた。
父さんの姿を。
「……あなたに出会った気がするの……」
父さんの手が、母さんの手に重なる。
「待っていたと言ったはずだ。この時代で、お前に出会ったときにな」
そう口にした父さんは妙に大人びていて、まるで前世のセリス・ヴォルディゴードのようだった。
「あなた……?」
「思い出したかもしれない。ミーシャちゃんが持ってきてくれた創星エリアルってあっただろ。あの記憶を見たときに、なんか、ちょっとずつ。そう、二千年前、いや、七億年前、ルナ、俺はお前の――」
父さんは真剣な表情で言った。
「――たぶん、ペットだった」
「それ、幻獣の朱猫でしょっ。変な記憶混ざってない?」
すると、野太い声で、父さんは言う。
まるでセリス・ヴォルディゴードのように。
「ペットは語らず。ただ甘えるのみ。にゃんにゃん、にゃにゃん。にゃんにゃにゃん」
「セリスはそんなこと言わないわよっ! ミーシャ、これ大丈夫っ? 創星エリアルの悪影響とか、<赤糸>のせいとかないっ?」
ミーシャが小首をかしげる。
「……いつも通り?」
「……そっ……言われてみればそうね……紛らわしいわ……」
ふふっ、と母さんは笑う。
「前世のあなたが見られて、得した気分ね」
「……俺もだ」
小声で父さんが言う。
二人は、穏やかな視線を交わした。
少しは覚えているのだろう。
照れ隠しだったのやもしれぬな。
とことことゼシアが歩いていき、父さんと母さんの間に顔を出す。
そうして、手にした創星エリアルを見せた。
「ゼシア……続き、知りたい……です……」
「ん? 続きってなんのことかな、ゼシアちゃん」
母さんが訊く。
「ルナと……セリスの続き……です……二千年前、アノス……産まれる、ありました……ルナとセリスは、死んで、でも生まれ変わりました……それから、どうなりましたか……?」
父さんと母さんが顔を見合わせる。
「あー、それはボクもちょっと知りたいぞっ」
エレオノールが人差し指を立てる。
戻ってくる途中、興味があった何人かは、すでに創星エリアルで過去を見たのだ。
「そう言われても、ねえ……?」
「な、なあっ。前世なのはまあそうかもしれないんだけど、全然覚えてないっていうか……」
「そうっ、そうよねっ。覚えてないわよねっ」
阿吽の呼吸で誤魔化そうとする二人を見て、エレオノールが言う。
「んー? でも、転生した後の話だから、前世とかじゃなくて、今の二人の馴れそめが聞ければそれでいいんだぞ?」
「馴れそめ……」
珍しく母さんが恥ずかしそうに俯く。
「ど、どんなんだったかなぁ。昔のことだからなぁ」
父さんはいつも通り、わかりやすく動揺している。
簡単に言えば、顔がぷるぷる震えていた。
「そ、そうだわっ! お母さん、パンを焼かないとっ! しばらく休んじゃったから、きっと学院のみんなが楽しみにしてるわっ!」
母さんは勢いよくベッドから立ち上がった。
「お、おう! そうだなっ! 俺も手伝うぞっ。今日は休んだ分もガンガン焼こうっ!」
二人はうなずき合い、逃げるように魔王列車から出ていこうとする。
その途中、母さんはフラッとよろめく。
倒れかかったその体を、俺は支えた。
「……あ、ありがとう。アノスちゃん。ごめんね。もう大丈夫だと思ったんだけど」
「病み上がりだ。無理はせぬ方がいい」
俺は母さんをひょいと抱きかかえる。
「パンはミーシャたちに任せよ。今日一日は、俺が看病しよう」
俺の腕の中で一瞬、きょとんとした後、母さんは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、アノスちゃんっ……! アノスちゃんってなんって優しいのっ! お母さん、もう一生病気でもいいぐらいだわ!」
ぎゅーっと抱きついてくる母さんを腕に抱え、俺は魔王列車を後にする。
その後ろにミーシャたちや、父さんが朗らかな顔をして続く。
「イージェス」
一人残り、創星エリアルを回収していた冥王が、こちらを向いた。
「それにお前の前世があった。見ておくことだ」
「承知」
列車から下りると、その足で俺は宿舎へ向かう。
「ねえ、アノスちゃん」
「なんだ?」
ふふっと母さんは笑う。
「産まれてきてくれて、ありがとうねっ。お母さんの子になってくれてありがとう」
「どうしたのだ、急に?」
「だって、言いたかったんだもん」
父さんが唐突に走り出し、楽しげな顔で俺と母さんに魔法写真機を向けた。
亡霊だった頃の父とは、まるで違う。
だが、なにも変わっていない。
この気持ちを、ずっと彼は押し殺してきたのだろう。
「父さん。幸せか?」
「ば、馬鹿っ、お前っ。なに言ってんだよっ。俺が幸せじゃなかったら、幸せな奴は世の中にいねえよ……!」
恥ずかしげに言いながら、父さんがシャッターを連続で切った。
相当、動揺していると見える。
「母さんは?」
尋ねると、ふふっと母さんは笑った。
「アノスちゃんがいてくれて、お父さんがいてくれて、イージェス君やレイ君や、ミーシャちゃんやサーシャちゃんたちと毎日楽しく過ごせてるでしょ」
エンネスオーネが頭の翼をはためかせ、浮かび上がる。
彼女に持ち上げられたゼシアが、自分を指で差し、アピールしていた。
「ゼシアちゃんも、エンネスオーネちゃんも、エレオノールちゃんもいてくれて、嬉しいわよ」
満足げにゼシアは微笑み、エレオノールが頭を撫でられていた。
「思った以上に色んなことがあったけど、こういうのがお母さんの夢だったの。こんな素敵な家庭をずっとずっと、ずぅーっと作りたかったのね」
本当に嬉しそうに、母さんは言う。
ようやく手が届いたのだと、輝くような笑みをたたえながら。
「ありがとう、アノスちゃん。ありがとう、あなた。わたしね、こんなに幸せなことって、他にないわ」
夢見た家庭がここにある。いつも変わらず、彼女のそばに――
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
十二章も残すところ、あと1話。
エピローグのみとなりました。
次章はまたお休みをした後に、再開する予定です。
再開時期は少々考えまして次話でお知らせします。




