命のチップ
アゼシオンの遙か上空――
ミッドヘイズから飛び立った飛空城艦四隻が、<破滅の太陽>サージエルドナーヴェへ向かい、旋回していた。
乗っているのはレイとミサ、そしてミッドヘイズを守る魔王軍の中でもとりわけ屈強な二千年前の魔族たちだ。
彼らの目標は空に浮かぶあの禍々しい太陽を堕とし、<終滅の日蝕>を防ぐこと。
近づけば近づくほど、その脅威があらわになる空を恐れず、魔族の船は加速していく。
「飛空城艦アゼッタ、全速上昇」
「やっています……しかし……!」
十分に速度をつけた後、飛空城艦アゼッタは上昇しようと舵を切るが、しかし、途端に減速してしまい、思うように<破滅の太陽>との距離を縮めることができなかった。
<破滅の太陽>サージエルドナーヴェが支配する空域は、破壊の空と呼ばれている。
そこを自由に飛んだのは二千年前においても、希代の創造魔法の使い手、創術家ファリス・ノインが、一〇〇年の歳月をかけて完成させた巨大要塞のみ。
減速したアゼッタは、その空域に満ちる破壊の魔力に押しやられ、再び元の位置まで押し戻されてしまう。
火急の事態に備え、準備させていた飛空城艦アゼッタだが、完成に至ったのは僅か一〇隻。
神の軍勢に対して、ディルヘイドの防衛を考えれば、ひねり出せて四隻というエールドメードの見積もりは正しい。
部隊を率いるのはニギット。
かつての俺の配下の中で、シンの次に剣の腕に長けた男。
それから、デビドラ。
二千年前、憎悪に飲まれ、人間の少年イガレスを処刑しようとした魔族。俺に止められたことで改心した彼は、より強く生まれ変わった。
彼は今日まで、有事に備え、平和を守るための研鑽を積んできた。
最後にルーシェ。
ミッドヘイズを守護する魔王軍では最も風属性魔法に長けた魔族であり、飛空城艦の操作にも慣れている。
二千年前、ファリス・ノインとともに俺とシンをあの<破滅の太陽>へ導いた経験を持つ。
そして最後の一隻にはレイとミサが乗っている。
今現在、ディルヘイドが注ぎ込める最大の航空戦力だろう。
これを撃墜されれば、後はあるまい。
「……だめだな。破壊の空ではこれ以上は飛べない。無理をすれば、飛空城艦アゼッタとて、バラバラにされてしまう。あそこを飛べたのは、ファリス様のゼリドヘヴヌスだけだ。破壊神アベルニユーがいないためか、今のところ番神の姿は見えないが、この日蝕が作り出している空域は、あのとき以上の魔力だ」
アゼッタ三番艦の中でルーシェが言った。
それらは、<思念通信>によってレイやデビドラなど他の部隊へ伝わっている。
「どうする、勇者カノン?」
「<天牙刃断>はぎりぎり届いたんだけどね。さすがにこの距離じゃ、<破滅の太陽>の宿命を断ち切るまでは厳しいかな」
飛空城艦アゼッタ四番艦、その屋根の上に立ちながら、レイは今にも皆既日蝕を起こしそうなサージエルドナーヴェを睨む。
その手には、霊神人剣エヴァンスマナが握られ、神々しい光を発していた。
全身全霊の<天牙刃断>。
無数の剣閃を一つに束ね、彼は<破滅の太陽>を両断しようとした。だが、それでも、その聖剣は表面を傷つけたのみ。皆既日蝕を僅かに巻き戻したにすぎない。破壊の空を超えるのに、霊神人剣の力を消耗してしまったのだろう。
並の敵ならばいざ知らず、破壊神と創造神の権能ともなれば、直接、その刃にて切り裂かねば、宿命も断ち切れまい。
「飛空城艦を捨てる覚悟で近づこうにも、彼我の距離を半分にできれば良い方だろう」
デビドラが言った。
「アノス様が神界にて得た情報によれば、あの<破滅の太陽>は位置の秩序による恩恵を受けている。地上のどこにでも転移させることができるはずだ」
ニギットが厳しい面持ちで戦況を分析する。
神界で見聞きした情報は、エレオノールからエンネスオーネ、そこからエールドメードやレイたちへ、魔法線を通して伝わっていた。
「だが、ここまで近づき、転移しないところを見ると、なんの代償もなくというわけにはいかないのだろう」
飛空城艦が近づくまでに、<破滅の太陽>を転移させれば、霊神人剣の攻撃を受けることもなかった。
つまり、ここまでの接近であれば、転移させない方があちらにとっても都合が良いというわけだ。
霊神人剣の効果が存分に発揮できるほどの距離まで近づけば、あの月と太陽は違う場所へと転移するだろう。
そうなれば最後、次の機会が巡ってくるまでに地上が撃たれる。
『カッカッカ。ならば、転移できない瞬間を狙えばよいのではないか? ん?』
地上からエールドメードの<思念通信>が届く。
奴は今、ディルヘイドの辺境に現れた神の軍勢討伐の指揮に当たりながら、同時にこの破壊の空の状況を把握していた。
そちらもそちらで熾烈を極める状況だが、番神を御しながら、奴は愉快そうに戦場を歩いている。
「熾死王、それはどういう……?」
ルーシェが眉をひそめて、口を開く。
「つまり、黒陽を撃たせるのかい?」
すでに考えに入れていたというようにレイが言った。
『そう、そう、その通りだ。黒陽は滅びの光、その余波は一切の魔法を打ち破るだろう。<破滅の太陽>と<創造の月>、その位置を制御する魔法術式とやらも、無事に済むとは思えない。今ある場所に月と太陽を固定しておくことはできても、転移させるのは至難の業だ』
「黒陽照射の瞬間は、あちらも迂闊に<破滅の太陽>を動かせないということか……確かに、先程、霊神人剣を転移して避けていれば、今頃は地上を撃てていた」
ルーシェが言う。
『さてさて、至難の業だが、動かせないとも限らない。土壇場で動いたとしても、オレは驚かんがね』
「動いたならどうする?」
『決まっているではないか。全滅だ』
「……熾死王……ふざけている場合ではないぞ……」
『カカカ、馬鹿を言うな、風の担い手。ギャンブルというものは、リスクがあればあるほど面白いのではないか。こんな愉快なことを、ふざけながらできるのか、オマエは? ん? いいか? 奇跡だ、奇跡を起こそうというのだぞ。最低限、勝負のテーブルにつくのならば、それぐらいのチップは賭けてもらわねばな』
確認している時間はない。
こちらの想定を越え、黒陽照射の瞬間にも<破滅の太陽>と<創造の月>を転移させられるのだとすれば、作戦の失敗は必至だ。
とはいえ、リスクのない手段など存在しない、と熾死王は言いたいのだろう。
「自分だけ安全なところにいて、私たちの命をチップにすると?」
『安全なところなどあったかね?』
人を食ったような熾死王の台詞に、ルーシェは苛立ちを見せる。
「ルーシェ」
レイが言った。
「迷っている時間はないよ」
「しかし……」
「君の主君、アノスは僕を滅ぼすことができなかった」
空を睨みながら、レイは言う。
「それがあの太陽にできるとでも?」
レイのその言葉に、ルーシェは返答に詰まった。
カカカ、と<思念通信>に笑い声が響く。
『カッカッカ、カーカッカッカーッ! いい、いいぞ、いい答えではないかっ! しかしだ。ベットしただけではまだ賭けのテーブルについたにすぎない。こちらには相手の手札がまるで見えず、相手にはこちらの手札が筒抜けだ。その上あちらのディーラーは、サイコロの出目さえ自在な世界そのものではないかっ!』
この危機を楽しむかのように熾死王は意気揚々と自分たちに不利な状況を説明する。
『そもそもギャンブルというものは、元締めが勝つと相場が決まっている。さあ、ならばっ!』
ダンッと杖がなにかを叩いたような音が響いた。
恐らくは、神の一匹でも弾き飛ばしたのだろう。
『その命なにに賭ける、勇者カノン?』
「七つの命のすべてを君に」
迷いのない言葉に、エールドメードは息を飲む。
愉快そうにしている顔が、目に浮かぶようだ。
「相手がサイコロの目を自在に出すなら、こっちはイカサマ師にでも賭けるしかない」
レイは穏やかに微笑んだ。
『な・る・ほ・どぉ。このオレに、世界の意思をペテンにハメろというのか? <全能なる煌輝>エクエスを? さてさて、そんな大それたことができるかどうか?』
「勝つよ」
気負いなく、レイは言い、魔法陣を描いた。
「たとえ世界の意思が滅べと言っても、受け入れてやるわけにはいかない。僕たちの背中には、アゼシオンとディルヘイドがある」
魔法陣から引き抜かれたのは、一意剣シグシェスタ。
禍々しい魔力がそこに集い、なおも霊神人剣は神々しいほどの輝きを発す。
聖と邪、異なる波長の魔力を共存させる彼に、ニギットたちは目を見張った。
「かつて大戦で剣を交わした君たちと、今こうして平和のためにともに戦えることが誇らしく、そして心強く思う」
瞳に闘志を燃やし、レイは言った。
「あの太陽を堕とす。力を貸してくれ」
『やれやれ。まったくまったく。やれやれだ、オマエときたら。なんの理屈にもなっていないというのにな』
エールドメードが苦笑する。
「貴様は相変わらずだ、カノン」
「呆れた男だがな。人間ながら、アノス様の身代わりになろうとしただけのことはある」
ニギットとルーシェが同じように苦笑しながら言った。
「我らはお前に賭けよう、勇者カノン。この命を持っていけ」
デビドラがそう口にすると、カカカカッとエールドメードが笑った。
『一番艦は、四番艦の盾に。二番艦、三番艦は背後につけ』
「「「了解」」」
エールドメードの指示に従い、ニギットが駆る一番艦が先頭に、レイとミサが乗った四番艦が続き、二番艦、三番艦がその後ろについた。
『玉砕覚悟で上昇したまえ』
反魔法と魔法障壁に回す分の魔力を集団魔法の<飛行>に注ぎ込み、飛空城艦アゼッタは破壊の空に侵入した。
ボロボロと外壁を壊しながらも、四隻の船は上昇する。
不気味な日蝕が待ち構える、その場所へと。
伸るか反るか――




