勇気の刃と宿命の親心
「あ、あのぉ……お、お父さん?」
シンの顔色を窺うようにミサが言った。
「ち、違うんですよ? あたしがちょっと本気を出すのを恥ずかしがったから、レイさんが緊張を解してくれていただけで、真面目に授業を受けなかったわけじゃ――」
「ミサ」
淡々とシンは言った。
「今は授業中です。お父さんではありません。公私混同は感心しませんね」
「……す、すみません」
恐縮したようにミサは俯く。
シンは距離を取るように下がりながら、こう言った。
「そういえば、レイ・グランズドリィ。三日前の夜、あなたはどこでなにをしていましたか?」
「……というと?」
微笑みを崩さずに、レイは訊き返す。
「いえ、特に意味はありません。ただ」
シンは立ち止まり、顔をレイに向けた。
「三日前の夜、娘が帰ってくるのがいつもよりも遅かったのです」
底冷えするほどの殺気が、その瞳に込められている。
「もう一度尋ねましょうか。三日前の夜、あなたはどこでなにをしていました?」
シンの手から魔力が伝わり、略奪剣が怪しく煌めく。
完全に公私混同であった。
「お、お父さんっ! あれはエレンの家に行ってて遅くなったって、エレンもそう言ってたじゃないですかー」
ミサの弁解に、シンはすぐさま言葉を返す。
「彼女にはあの日、魔王聖歌隊としての練習がありました。予定は日暮れまでではありましたが、しかし、その日、我が君はデルゾゲードで夜遅くまでご公務をこなされていたのです」
「……ええと……それが、どうかしたんですか?」
「聖歌隊の彼女たちは、特にエレンの忠義は、私から見ても手本にしたいと思えるものばかり。エレンほどの忠臣が、我が君よりも早く城を出るというのは、私には考えがたいことです」
忠臣は忠臣を知る。
魔王聖歌隊として日々、魔王のために勤しむファンユニオンの少女たちの姿を見て、シンにも思うところがあったのだろう。
つまり、彼はこう考えているのだ。
エレンはミサの口裏合わせにつき合ったのではないか、と。
「……た、たまにはそういうこともありますよぉ……」
困ったようにミサは笑う。
シンの前では苦しい言い訳にすぎなかった。
「ミサ、あなたには聞いていません。危ないですから、下がっていなさい」
「で、ですけど、お父さん、あの、レイさんにひどいことは」
「今はお父さんではありません」
「……はい」
ミサは困ったような表情を浮かべながらも、仕方なしに引き下がる。
心配そうに彼女がレイに視線をやると、彼は爽やかに微笑んだ。
大丈夫だと言わんばかりである。
「質問に答えてもらいましょうか、レイ・グランズドリィ」
「口ではなんとでも言えるからね」
レイは片手で魔法陣を描く。
神々しい光がそこに集い、召喚された霊神人剣エヴァンスマナを、彼は右手につかむ。
「その質問には、この剣で答えさせてもらう」
「潔さは買いましょう。しかし、あなたの太刀筋によこしまなものがあれば、ただちにその身を斬り裂きます」
対峙するレイとシン。
ミサは困惑したような表情で、二人に声をかけた。
「……え、えと、レイさん? あの、それ、霊神人剣ですよね? 魔王を滅ぼす聖剣じゃなかったですかね? お父さんも、略奪剣で、なにを奪おうとしてるんです? あの、二人とも、冷静ですか?」
だが、最早、互いの剣と剣に集中した二人は無言だった。
「あ、あはは……ど、どうしましょう……?」
「なに、問題あるまい」
ミサがばっと振り返る。
いつのまにか俺がそこにいたことに驚いた様子だった。
「問題ないって、アノシュ君、どういうことですか?」
「シンは愛を知らぬ男だった。だが、お前という娘ができたことで、初めて親心というものが宿ったのだ。愛を知らなかったがゆえに、その想いを抑える術もまた知らぬのだろう」
いま一つ理解できないといった表情をしているミサに、俺は言った。
「簡単に言えば、親バカを抑えられぬということだ。愛を知らなかったシンが、まさかこうなるとはな。なんとも微笑ましいことだ」
「え、ええと……でも、今の二人が持っている剣は全然微笑ましくないんですが……?」
「娘を持つすべての親が通る道であろう。レイは真心を持って挑み、お前を勝ち取らねばならぬ。とはいえ、シンは不器用な男だからな。言葉だけではそうそうわかり合えぬ。その心情を汲み、レイは剣での対話を試みようとしているのだ」
「……剣で対話、ですか?」
「あの二人ほどの実力ともなれば、切り結べば、互いの想いがどれだけのものか、想像がつくだろう」
「そういうものなんですか……」
未だ半信半疑といった風に、ミサは両者に視線を送る。
レイとシンが打ち合い稽古を始めようとしていることに気がつき、他の生徒たちが彼らに注目し始めた。
「な、なあ。あれ。シン先生が持っている魔剣って、もしかしてヤバいんじゃ……尋常じゃないほどの魔力な気が……?」
「っていうか、レイ君が抜いたの霊神人剣だよっ。あれって魔王を滅ぼすために作られた聖剣じゃなかったっ!?」
「待てよ……待てよ……これってもしかして、勇者カノンと魔王の右腕シン・レグリアの一騎打ちなんじゃないのかっ!?」
「やっぱり、二千年前のわだかまりが解けてなかったとか? それでシン先生が、レイの奴を授業にかこつけて粛正しようとしてるんじゃ……」
「じゃなかったら、あんなものすごそうな魔剣抜かないだろうし、レイだってエヴァンスマナなんて持ち出さないよな?」
生徒たちが息を飲みながら、慎重に二人から距離を取っていく。
巻き添えを食いたくないといった様子だった。
「カッカッカ、オマエら、打ち合いをやめ、あの二人を見ろ。シン先生が最初に口にしたことを、これから実践してくれるようだ。準備運動などよりも、よほどためになる」
「……最初にって、死んでもらうってことですか?」
「その通り。二千年前では、死は当たり前であり、死を克服するのも、また当たり前であった。ならば、死を体感せねば、その境地には辿り着けないではないか! どの程度やられれば死ぬのか、これを知っていると知らないのとではまさに生死を分かつのだ!」
ダンッ、とエールドメードは杖で床を鳴らす。
「そして、死を体感することでもう一つメリットがある。<蘇生>だ。あれこそ、根源に働きかける魔法。死を自覚することにより、肉体から離れ、自らの根源を認識できるようになる。そうなれば、<蘇生>の魔法術式の意味することを、肌身で感じられるようになるであろうっ!」
カカカカカ、と喉を鳴らして笑いながら、エールドメードは声を上げる。
「さすがはシン・レグリアということだ。手っとり早く死を体感させ、戦いにおける基本中の基本たる根源を意識させようとは、乱暴でありながらも繊細、まさしく魔王の右腕ではないかっ!」
ビシィッと熾死王は杖で二人をさし、静かに言った。
「見たまえ、動くぞ」
レイが地面を蹴る。
その動きを先読みしたかのように、すでに眼前にシンが迫っていた。
「……ふっ……!」
ガギィィィッとまっすぐ霊神人剣と略奪剣が衝突する。
凄まじい魔力の余波が周囲に弾け飛び、風圧で生徒たちの髪や制服をかき乱す。
剣の魔力は霊神人剣が上、しかし、技量は僅かにシンが勝る。
二人の鍔迫り合いは拮抗し、レイとシンはその視線を交錯させた。
「三本勝負ってことでいいのかな?」
「ええ」
シンが答えると、二人の周囲を淡い光が覆った。
<聖域>の魔法である。
だが、それは想いを魔力に変換するためのものではない。
互いの剣の想いを、より相手に伝えやすくするためのものだ。
「……はあぁぁっ!!!」
霊神人剣の力を全開にし、レイはシンを押し飛ばす。
一瞬、体勢をぐらつかせた彼の右脇腹へ、エヴァンスマナが一閃した。
だが、それは誘いだ。あえて隙を作ったシンは、その攻撃を完全に見切り、僅かな動きで完全に避ける。
同時に踏み込み、完璧なタイミングで略奪剣を振り下ろした。
避けようがないかに思われたギリオノジェスの一撃が、しかし、空を切る。
レイの動きもまた誘いであり、彼はその剣筋を読み、シンの背後を取っていた。
シンが振り返りながら、略奪剣を一閃する。
同時に、霊神人剣が振り下ろされた。
剣閃と剣閃が十字を描く。
風圧と魔力の火花が周囲に散り、二つの刃が噛み合っていた。
「なかなか愚直な剣ですね」
「お褒めにあずかり光栄だよ」
「しかし、まだ技は拙い」
言葉と同時、レイの右肩から鮮血が散った。
目にも止まらぬ早業で、シンが略奪剣を打ち込んだのだ。
「……ふっ……!!」
再びレイとシンが刃を交錯させる。
一呼吸の間に、十数回剣を切り結ぶと、レイの右太ももが斬り裂かれる。
「……まだまだっ……!!」
三度目の衝突。
全力でふるわれた霊神人剣を見事に受け流し、シンはレイの右胸を裂いた。
「……くっ……!」
レイが一度、飛び退き、距離を取る。
「うまく急所を躱すものですね。略奪剣に奪わせないとは、並大抵の技量ではありません。ですが、それがいつまで持つでしょうか?」
鬼気迫るほどの剣の冴えは、これまでの彼すら超える。
娘への愛ゆえか、シンは完全にレイを圧倒していた。
「あっ、あの……もう終わりなんじゃ……三本勝負でしたよね? もうお父さん、三本入れたんじゃありませんか?」
「なにを言う。まだ一本も入っていないぞ」
俺の言葉に、ミサはわからないといった表情を浮かべた。
「三本勝負とは、どちらかが三回死ぬまでという意味だ」
「……そんな三本勝負って…………」
「そう心配するな。三本勝負は二千年前の剣術試合ではよくあるルールだ。シンもレイも慣れている」
ミサはきゅっと唇を引き結びながら、鍔迫り合いをするシンとレイの姿を見つめる。
「ふむ。両者譲らぬ想いをといったところか」
「ええと……ただ本気で斬り合ってるようにしか見えないんですが、レイさんとお父さんって、あれでなにか対話できてるんですか……?」
「ああ。では、解説しよう」
<思念通信>を使い、俺が感じた二人の想いがミサに伝わるようにした。
「俺の解釈だからな。少々誤訳があるかもしれぬが、概ねそのような想いと思ってくれればよい」
その瞬間、レイが動いた。
先程同様、シンを押しやり、距離を作ると、今度は霊神人剣の一撃を叩き込む。
その剣に彼の勇気が溢れていた。
――娘さんをくださいっ!!――
ガギィィィッとエヴァンスマナの強烈な斬撃を、シンの剣が阻んでいた。
――やらぬ――
底知れぬ覚悟がシンの魔剣から溢れる。
しかし、レイは構わず、霊神人剣で猛攻を仕掛ける。
一呼吸の内に三〇連撃、目にも止まらぬ剣の刃がシンを襲う。
同時にシンもその魔剣を閃光の如く煌めかせた。
剣速の極み、両者は互いに競い合うよう、速き刃を衝突させる。
それはまさに、譲れぬ想いと想いがぶつかり合うかのような光景だった。
互いの信念をかけ、誇りをかけ、今、勇者カノンと魔王の右腕シンが聖剣と魔剣を打ち合わせる。
挑むのはカノン、迎え打つはシン。
両者の強き想いが、ぶつかり合った剣の火花となり、弾け飛ぶ。
――娘さんをくださいっ! 必ず幸せにしますっ! この命にかけてっ!――
――やらぬやらぬやらぬやらぬやらぬやらぬ!――
「……さすがだね……柔らかい剣の中に、決して折れない一本の芯が通っている……」
「百年早いということです」
「その百年、僕は君と打ち合う間に乗り越えてみせる!」
シンの技を吸収するかの如く、レイは霊神人剣で略奪剣の勢いを吸収する。
自らの力を利用され、シンの体が僅かにぐらついた。
――僕のなにがいけないんでしょうか? 悪いところがあれば直しますっ!――
交際を認めてもらうために、結婚する勢いで振るったその捨て身の剣は、まさに勇気の刃。常人に示せる覚悟ではない。
真剣なればこそ、最初から全力で。わかってはいても、ふんぎりがつかぬのが世の常だろう。
ゆえに勇者と呼ばれたレイだからこそ可能な、求婚の一撃だ。
――戯れ言を。この程度の腕前で結婚などまだ早い。お前に娘が守れるかっ!――
その勇気の一撃を問答無用で叩き落とす、慈悲なき刃は、さすがに魔王の右腕といったところか。
理屈も常識も超え、とにかくやらぬ、それはまさに理不尽なまでの難攻不落な剣の頂だった。
――娘さんをください、娘さんをください、娘さんをください!――
――やらぬやらぬやらぬやらぬやらぬやらぬ! 百年早いわ!――
鬩ぎ合う剣と剣、刃と刃。
互いに信念をかけて一歩も引かない二人の魔力は、激しい剣戟とは裏腹に小さく、みるみる薄れていった。
二人が狙うのは、剣の秘奥。必殺の一撃。
だが、七つの根源を持つレイは、その魔力を完全に無にすることが至難である。
先に、無の境地に至ったのはシンだった。
「略奪剣、秘奥が一――」
ギリオノジェスの剣先が鞭のようにしなり、まるで生き物の如く、変幻自在にレイを襲った。
「<剥奪>」
――娘を返せ――
刹那の間に、六連撃。
レイはなすすべもなく、その命を六度奪われた。
がくん、と力が抜けたようにレイはその場に倒れた。
「六本いただきました。どうやら、二百年は早かったようですね」
「……れ、レイさんっ!」
血相を変えて、ミサが倒れたレイのもとへ走ってくる。
すると、彼の体に魔法陣が浮かび、<蘇生>の魔法が使われる。
むくり、とレイは起き上がった。
彼に、シンの冷たい視線が突き刺さった。
「これに懲りたら、あまり夜遅くまでミサを連れ回さないことです。さもなくば、次は命ではなく、その根源を奪うことになるかもしれません」
背中を向け、シンが去っていく。
「お父さ……じゃなくて、先生っ、ちょっと待ってくださいよーっ……」
ミサが駆けよったそのとき、シンがよろめき、片膝をつく。
「……え……だ、大丈夫ですかっ?」
心配そうにミサがシンの顔を覗き込む。
「ええ……」
シンはそう言って、自らの左胸に手をやった。
僅かに血が滲んでいる。
「……<天牙刃断>」
シンが呟く。
七つの根源を持つレイが、そのままで剣の秘奥を行使するのは至難。
だが、あの瞬間、彼はぎりぎりのところでその境地に至ったのだ。
シンの命には届かなかったが、彼の魔眼にその剣閃すら映らなかったのは事実だ。
「……思えばレノも、すぐに求婚をしてきましたね……」
過去に想いを馳せるように言い、シンは立ち上がった。
「ミサ。一つだけ言っておきます」
彼女と視線を合わせないように背中越しに、彼は口を開く。
「せめて私に勝てるぐらいの男でなければ、交際は認められません」
「……そ、そんなこと言ったら、殆どの男の人が無理じゃないですか……お父さんは強すぎるんですよぉ……」
ミサの不平を聞く耳持たず、シンがその場から去っていく。
途中で、彼は言った。
「それと、嘘はつかないように。遅くなるのでしたら、<思念通信>ぐらいしてください。特に理由は聞きませんので」
「え……? えと、それって……?」
「レノが心配します」
ミサが笑顔でレイを振り返る。
彼もまた爽やかに微笑んだ。
その場から早足に去っていくシン。あるいは、交際を認められない頑なな親心の宿命を、ほんの僅か、霊神人剣が断ち切ったのやもしれぬ――
交際の時点でこれってことは、結婚への道は前途多難っぽいですよね……。




