深淵の底へ迫る
すぐさま駆け出した俺は、橋を渡り終え、精霊王の城へ到着する。
扉を開け放ち、中へと進む。
そこは緋色の空間だった。
壁や、床、天井、柱、なにもかもが緋色に染まっている。
緋碑王の碑石だ。
この城はレイがいた場所ではない。
「ようこそ、魔王。吾輩の研究所に」
背後から声をかけられた。
扉の向こうからやってきたのは、先程、根源を消滅させたはずの緋碑王ギリシリスだ。
奴はその体を黒光りさせ、歪な笑みを浮かべるように、ぐにゅりとジェル状の顔を変形させる。
「しかし、精霊の学舎のルールも守らず、問答無用で吾輩を滅ぼそうとするとは、いささか軽率ではないかね?」
「なに、馬鹿でかい碑石を空に浮かべた時点で、お前がエニユニエンの目を盗み、俺に悪戯を仕掛けようとしたのだと思ってな。見られていないのならば、問題あるまい」
「証拠はなかったはずだ」
「証拠もなにも、お前はそういう性格だろうに。ここで攻撃はできぬと思わせて、不意をつこうという魂胆だったのだろうが、アテが外れたな」
俺の言葉に、ギリシリスは不快そうに顔を歪める。
「性格などで判断するかね。相も変わらず、いい加減な男だねぇ」
「お前はそこそこ成長したようだな。<根源再生>を、二千年前は使えなかったはずだ」
ぐにゃり、と嘲笑するようにジェル状の顔が変形した。
「気がついたのはそれだけかね?」
「ふむ。<魔呪壊死滅>も、<根源死殺>も、お前には初めて使ったな」
<根源再生>はその性質上、一度食らった攻撃に対してしか有効ではない。
「勇者カノンの根源魔法を研究したのだよ。今の吾輩は、七つの根源を持っている」
ギリシリスは体に魔力を走らせ、ジェル状の体を黒く光らせた。
七つの根源を持っていれば、さすがに一目見ればわかる。
魔眼で深淵を覗いてみるが、奴の根源の総量はやはり一つだ。
「なるほど。根源を七等分し、擬似的に七つとして働かせているか。それならば、一つの根源が滅びた瞬間に、<根源再生>を使うことが可能というわけだ」
「フフフ。汝の古い魔法など、ゆうに超えたと言ったはずだがねぇ」
「小細工にすぎぬ。七等分すれば魔力は弱まる。七つの根源を干渉させ、うまくやりくりしているようだが、それでは本来よりも弱くなっているぞ」
「魔力が強ければいいという考え方が、そもそも間違っているのだよ。どんな魔法を使おうと吾輩は何度でも蘇る。わかるかね? 汝が手こずった勇者カノンよりも、<根源再生>がある分、今の吾輩は不死身なのだよ」
嬉々として、ギリシリスは語る。
「それで? お前にかまっている暇もあまりない。今なら、見逃してやってもいいが?」
フフフ、とギリシリスは不気味に笑う。
「残念ながら、汝は吾輩を無視できないねぇ。これは深淵の試練。どちらが深淵の底に迫れるか。勝敗を決するまではここからは出られない。力尽くで出れば、精霊王の城には永久に辿り着けはしない」
緋碑王は精霊王の下についている。
これが精霊の試練の一環であったとしても不思議はない。
「懲りぬ男だ、二千年前からな」
「いつまで余裕ぶっているのかね? ここは吾輩の領域ぞ」
城中が輝き、所狭しと魔法文字が描かれていく。
ぽぉっと緋色の粒子が、無数に立ち上り始めた。
デルゾゲードの立体魔法陣に似ているのは、恐らくそれを真似たからだろう。
まあいい。
さっさと片付けるか。
「試練の内容はなんだ?」
ニヤリ、と笑うかのようにギリシリスはジェル状の顔を歪めた。
「無論、汝と吾輩の魔法術式、魔法技術を競うのだよ」
俺と緋碑王の足元に魔法陣が描かれる。
そこから現れたのは、小さな三つの碑石である。
「使える魔力は、その三つの碑石からだけだ。己の魔力を使おうとすれば、試練は失格となる」
「なるほど。理滅剣を封じるというわけか」
緋碑王の碑石だけあり、そこそこの魔力が入っているが、<魔王城召喚>を使うにはまるで足りない。
「いつものように、魔力任せの力押しはできない。純粋に、魔法研究の実力だけの勝負だ。これで、どちらがより深淵の底に迫っているかがはっきりするというわけだねぇ」
「一つ尋ねたいのだが」
掌を上に向け、ひとさし指で手招きすれば、すっと三つの碑石が俺のもとへ飛んでくる。
「お前の魔法が俺に及ばぬのは、魔力の差のせいだと思っているのか?」
怒気をあらわにするように、ギリシリスが魔法陣の魔眼を光らせた。
「魔法研究において、汝に負けたことなど一度たりとてないのだよっ!」
碑石を一つ使い、その魔力を用いて、俺は片手に魔法陣を描いた。
その術式を見て、ギリシリスは勝ち誇ったかのように笑う。
「フフフ、これはこれは。起源魔法<魔黒雷帝>かね。なんとまあ、予想通りの魔法を使うものだ。もっとも、それしかないだろうがね。古いものには魔力が宿る。二千年前の魔王アノスを起源とすれば、リスクをバネに少ない魔力を用いて、膨大な魔力を借りてくることができるだろうねぇ。その碑石にある魔力を使って汝に放てる、最大の魔法というわけだ」
俺が使う魔法が予想通りだったからか、饒舌にギリシリスは語る。
「だが、そんな古い魔法では、到底及ばぬよ。吾輩の魔法はそれより遙かに深く、深淵の底近くへと潜っているのだからねぇ」
同じく、ギリシリスが碑石を一つ消費し、魔法陣を描いた。
その術式は珍しい魔法文字で描かれている。
「ほう。古代魔法文字か」
古代魔法文字は二千年前においてすら、なお古いとされた太古の昔に主流だった魔法文字だ。研究する者も少なく、その文字で魔法を発動できる者は神話の時代とて、まずいなかった。
それを難なく扱えるというのは、さすがは緋碑王といったところだ。
「俺の魔法を古いというわりに、ずいぶんと古い術式を構築するものだ」
「おやまあ、暴虐の魔王とまで呼ばれた汝がわからないのかね? 吾輩が研究した古文魔法は汝の開発した起源魔法よりも、深淵の底に近い。術式に組み込みにくい古代魔法文字や、不合理としか思えない古代魔法数字、それらは意味を正しく理解してさえいれば、少ない魔力を無限に増幅させる術式を描けるのだ」
ギリシリスの描いた魔法陣が光を放ち、城の床に古代魔法文字を次々と浮かび上がらせていく。
「フフフ、理解できるかね? 吾輩がこの二千年の間研究し、そして描いた古文魔法の術式が。古文と古数が複雑な術式を描き、美しささえ感じさせるほど絶妙に干渉しあっている。それぞれの文字がそれぞれの文字に働きかけ、魔力をどこまでも増幅させるのだ。常人には理解し難い古文魔法は、その使いにくさより廃れていき、神話の時代の魔族たちさえ忘れ去った」
ギリシリスは両腕を開き、誇るように高らかに言った。
「それを今、吾輩がここに蘇らせたのだ!!」
びっしりと古代魔法文字の描かれた床は、魔法術式を構成し、巨大な魔法陣と化した。
「ふむ。では、試してみよ」
起源魔法<魔黒雷帝>を発動する。
黒い雷が俺の手に纏い、それが増大するかの如く、城中に膨れあがっていく。
「来るがいい。汝の古い頭に、魔法の深淵を見せてやろう」
緋碑王ギリシリスが手をかざせば、緋色の雷が奴の腕に集った。
それは古代魔法文字の力により増幅され、みるみる内に城内部を覆いつくしていく。
「食らうがいい。古文魔法<魔緋雷震>」
奴の腕から緋色の雷が放たれ、碑石の城を大きく揺らす。
それを迎え撃つが如く、俺は<魔黒雷帝>を放った。
緋色と漆黒、二つの色の雷が互いに衝突し、ガガガガガッと爆音を奏でる。
一瞬の拮抗の後、緋色の雷が<魔黒雷帝>を相殺した。
なおも、<魔緋雷震>の勢いは止まらず、その威力を増大させて、俺を襲う。
「ふむ。なかなかだな」
俺は碑石をもう一つ使い、起源魔法にて二千年前の魔王アノスに魔力を借りる。
そうして、反魔法を張り巡らし、緋色の雷を防いだ。
「フフフ……」
ギリシリスが不気味に笑う。
「どうかね? 古文魔法の力は? これでもまだ八〇〇年分の研究成果しか見せてはいない。これだけでも、数千万文字もの魔法術式だがねぇ」
俺は城の内部に魔眼を向けた。
緋色の碑石でできた床や壁には、緋碑王の魔力に反応して発動する古文魔法の術式がある。
「なるほど。二千年の間コツコツとこの城の碑石に魔法術式を刻んできたというわけだ」
「魔力を使っているわけではないからねぇ。ルール通りだよ」
緋碑王ギリシリスは魔法術式を構築する速度も、その根源が有する魔力も弱い。そのため、自らの体を魔力が効率良く使えるように改造したり、魔力を貯蔵し、術式を刻んでおける碑石を使っている。
「お前が研究熱心なのはわかったがな。しかし、これでは深淵の底になど到底辿り着けまい」
そう口にすると、かんに障ったかのように緋碑王がぐにゅぐにゅと顔を歪める。
「これはこれは。お得意の起源魔法を破られ、碑石も一つしかなくなった汝がそのような負け惜しみを言うとは、滑稽なことだねぇ」
緋碑王は二つの碑石から同時に魔力を調達し、魔法陣を描く。
「汝の時代はもう終わりだ。魔王など、所詮は根源に恵まれただけの木偶の坊にすぎないのだからねぇ。汝には過ぎたその魔力、吾輩がもらい、深淵の底へ到達するのに役立ててくれよう」
緋碑王の魔法陣から光が放たれ、城の碑石に古代魔法文字が浮かぶ。
その数、凡そ一億は下るまい。
「見たまえ。これが吾輩の二千年の集大成、古文魔法<震魔緋雷牙>だ。わかるかね? 古文魔法を極めた先にある、無限の魔力、それこそが深淵の底なのだよ。そして吾輩は今、深淵の底に最も近いっ!」
奴の両腕に纏った緋色の雷が膨れあがり、まるで巨大な獣の牙と化す。
ジリジリと、その莫大な魔力の余波で、城全体が揺れ、小さな碑石の破片が落下してくる。
「そうは思えぬな」
俺は最後の碑石を消費して、起源魔法<魔黒雷帝>を使う。
黒き稲妻が俺の右腕を覆った。
「貴様の魔法がどの程度のものか、試してやろう」
右手を突き出すと、漆黒の雷が無数に増え、緋碑王めがけて撃ち出された。
「その程度かね」
緋碑王が<震魔緋雷牙>を纏った両腕を振るう。
緋色の雷牙に噛みつかれた<魔黒雷帝>は、周囲に拡散するように、容易く弾け飛ぶ。
「試練の結果を言い渡そう、暴虐の魔王よ」
ギリシリスは愉快千万といった風にジェル状の顔を歪め、<震魔緋雷牙>を俺に向かって撃ち出した。
「不合格だねぇ」
けたまましい雷鳴を響かせ、<震魔緋雷牙>は牙を剥く。
まるで顎開くかの如く、緋色の雷はぱっくりと上下に割れ、そして俺を飲み込んだ。
ジジジジジジッ、ギギギギギッと激しい音を響かせ、その雷の牙が突き立てられる。
その凄まじいまでの威力に耐えきれず、床が割れ、柱が倒れ、天井が崩落していった。
無数の瓦礫が降り注ぎ、砂埃が舞う。
次第にそれらが薄れていくと、緋碑王の目に黒い影が映った。
「……な……に…………?」
奴が目にしたのは、無傷の俺と、その腕に纏った黒い雷の牙である。
「なぜ……? 反魔法さえ使えなかったはずだ……どこから、魔力を…………!?」
「俺よりも強い魔力を出せたからといって、力押しが過ぎたな、緋碑王。お前が弾き飛ばした<魔黒雷帝>がどうなったのか、よく見てみることだ」
そう俺に言われ、ギリシリスは初めてその魔眼を周囲に向けた。
砂埃の向こう側、崩れ落ちた壁や天井、柱の隅々に至るまで、黒い雷で文字が描かれていた。
それは互いに干渉し合い、魔法陣を構成している。
その魔法術式がなんなのか悟り、ギリシリスは驚愕した。
「……馬鹿な……古代魔法文字……だと……!?」
一歩足を踏み出し、俺は言った。
「古文魔法というのは、お前が言う通り、正しく術式を組んでいけば、小さな魔力を増幅し続けることができる。このようにな」
右腕に纏った黒き雷の牙を奴に見せる。
<魔黒雷帝>の魔力が、古代魔法文字で描いた魔法陣に入り込み、古文魔法<殲黒雷滅牙>を発動した。
「だが、残念ながら、古文魔法は無限に魔力を増幅し続けることはできない。古代魔法文字を解読していけば、やがてはその術式が引き出せる魔力に限界があることに気がつく。それがこの<殲黒雷滅牙>だ」
ギリシリスは、その魔眼で俺が構築した古文魔法の術式を必死に解析しようとしている。
「小さな魔力を大きくできる効率には優れているが、その分だけ、限界が早く訪れる。つまりはお前のように根源の魔力に乏しい、弱者の魔法だ。恐らく魔族の先人たちはそれに気がつき、深淵の底に迫るために古代魔法文字を捨て、新たな魔法文字を開発したのだろう」
呆然と立ちつくすギリシリスのもとへ、俺はゆっくりと歩いていく。
「……そんな、そ……ことは……ありえない……ねぇ……古文魔法は、無限の魔力を作り出すための……」
右手で緋碑王のジェル状の顔面をわしづかみにする。
瞬間、俺の腕が纏った<殲黒雷滅牙>が牙を剥き、その体をズタズタに引き裂いていく。
「ぐ、ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
黒き雷の牙が、ギリシリスの体に深く食い込んでいた。
「……こ、れ……しきでぇぇ…………」
奴の魔力が、その根源が、<殲黒雷滅牙>に貪られるように飲み込まれた。
瞬間、この場に漂っていた結界のような空気が消えた。
緋碑王が死に、試練が終わったのだろう。
今ならば、精霊王の城へ行けるはずだ。
俺はまっすぐ扉へ向かった
「……ま、待てぇ……魔王…………まだ、終わってはいない……」
緋碑王の声が響いた。
ドロドロに溶け、消え去ったはずの緋碑王の体が、再生していた。
三つの碑石をすべて消費していた以上、<根源再生>は使えないはずだったが、プライドをかなぐり捨て、城の碑石の魔力を使ったのだろう。
「ふむ。だが、あいにくと古文魔法は効率だけは良いからな。その牙はお前の根源に食いついたままだぞ」
再生したギリシリスの体に再び<殲黒雷滅牙>がまとわりつき、その根源を貪り始める。
「な……ば……ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!」
「何度でも蘇るがよい。二千年の間、魔力を溜め込んだようだが、さて、<殲黒雷滅牙>が消えるまで、碑石の魔力が足りればいいが」
言い残し、俺は扉へと向かう。
「ま……待てぇ、吾輩はまだ……まだ……汝に負けて……な、どぉ……」
足を止め、振り返らずに、俺は言った。
「いい加減に認めるのだな。お前が目指した深淵の底は、二千年前、俺がとっくに通りすぎた浅瀬にすぎぬ」
そういえば、昨日で150部でした。
皆様が読んでくださるおかげで、今日までコツコツと更新してくることができました。
ありがとうございます。
これからも、地道にがんばりますので、おつき合いくださいましたら幸いです。




