精霊王の試練
精霊王の試練が始まってから、レイは一歩たりとて動いてはいなかった。
彼の周囲には精霊が元となった剣が十数本ほど突き刺さっているが、それを抜こうとすらしない。
動けないのだ。
精霊王とレイの距離は十分に離れている。奴が腰に提げた剣は未だ鞘に収まったままで、魔法を使う素振りすら見せない。
両手をだらりと下げたまま、精霊王はただそこに立っている。
だというのに、一分の隙もない。
二千年前、勇者カノンとして鍛え上げた剣の腕を、転生後、レイは魔族として更に練り上げた。この時代の魔族どころか、二千年前の魔族の中にさえ、今の彼にそうそう並ぶ者はいないだろう。
そのレイが、一合も交わさぬ内から、追い詰められていた。
底知れぬ凄みが、精霊王の全身から滲んでいる。
剣に手を伸ばした瞬間に、やられる。
レイはそんな錯覚にさえ陥ったことだろう。
息の詰まるような緊張が、辺りを覆いつくし、レイの額から汗が流れ、つーっと頬を伝った。
彼は薄く、微笑みを浮かべた。
「……来ないのかい? 今なら僕は丸腰だよ?」
揺さぶりをかけるように、レイは言葉を放つ。
精霊王は声を発さず、ゆっくりとその手を剣の柄に伸ばした。
剣を抜き放てば、その刀身は宝石のように輝いていた。
翠の本に載っていた精霊剣の一つである。
「宝剣エイルアロウだったかな? 五芒星に斬った対象を、宝石の中に封じ込める精霊だね」
やはり、返事はなく、精霊王は仮面の向こうから冷たい視線を返すばかりだ。
覚悟を決めたように、レイは言った。
「……それじゃ、そろそろ行くよ」
次の瞬間、彼の体が残像を残し、消えた。
レイが移動したのは、床に突き刺さった精霊剣の内の一本、不折剣ジエリヤの目の前だ。
決して折れぬ剣という噂と伝承により生まれた精霊であり、単純だがレイが使えば強力な武器となるだろう。
レイは不折剣に手を伸ばし、そして目を見開く。
彼以上の速度で精霊王は駆け、不折剣の前に立ちはだかっていた。
「くっ…………!」
宝剣エイルアロウが閃光の如く、横一文字に振るわれた。
切っ先が皮膚を斬り裂く、その寸前のところでレイは飛び退く。
距離を取り、レイが身構えようとした瞬間、彼の胸元がぱっくりと斬り裂かれた。
キラキラと光る魔法線が傷口に浮かんだ。
ふー、と彼は息を吐く。
「五芒星を描くつもりなら、次に斬られる箇所はわかっているけど、自信があるのかな?」
レイは両手で魔法陣を描き、聖なる炎を召喚した。
<大覇聖炎>。
放たれた聖なる炎は一六に割れ、四方八方から精霊王を襲う。
しかし、精霊王の手元がブレたかと思うと、一六の炎の根本に五芒星の魔法線が描かれていた。
聖なる炎は瞬く間にその五芒星へと吸い込まれていき、封じられる。
ごとり、と赤い宝石がその場に落ちた。
「せめて、<聖域>が使えればいいんだけど」
レイが再び、両手で魔法陣を描く。
今度は右手で<大覇聖炎>を、左手に<大聖地壊>の術式を構築した。
「これは、どうかな」
レイが右手を突き出すと、今度は独立した三二発の<大覇聖炎>が雨あられの如く精霊王に撃ち放たれた。
「…………」
精霊王が無言で剣を振るう。
瞬きをする間に、五芒星が無数に描かれ、<大覇聖炎>が消える。後に残ったのは、それを封じ込めた三二個の赤い宝石だ。
そのとき、ドッガァァァンッと床が破裂した。
精霊王の立っていた場所が、みるみる崩落していき、床が崩れたことによって生じた瓦礫という瓦礫がすべて、精霊王に襲いかかった。
<大聖地壊>は相手の足場を崩し、足止めするとともに、瓦礫や土砂によって攻撃を行う。
大したダメージは与えられないだろうが、僅かながら時間を稼げる。
<大聖地壊>の爆風により、不折剣ジエリヤがレイのもとへ飛ばされてくる。
彼がそれを手にしようとした瞬間――
「ぐ、ぁ……!!」
右手から鮮血が散り、不折剣が地面に突き刺さる。
<大聖地壊>を意に介さずくぐり抜け、精霊王がレイの前に立っていた。
それだけではない。指を切られたと同時に、彼の胸元が斜めに斬り裂かれ、そして斬りあげられていた。
これで合計三画。五芒星が完成するまで、あと二画だ。それでレイは宝石に封じ込められるだろう。
精霊の特性からして死ぬことはないだろうが、身動きが一切とれなくなる。
レイは間合いを計るように飛び退いた。
「偶然なのかな?」
レイが問うように言った。
「僕には七つの根源がある。どれだけ威力の高い精霊剣や魔法を使っても、滅ぼされることはそうそうない。だけど、君はまるで僕のことを知っているかのように、宝剣エイルアロウを手にしていた」
七つの根源を持つレイを滅ぼすのは至難だ。
彼と戦うなら、滅ぼそうとするよりも、その動きを封じた方が手っ取り早い。
「……どこかで、戦ったことがあるかい?」
レイが問うも、精霊王は答えない。
「僕の手の内を君は最初から知っているような気がする。君の思惑には、乗らない方がいいだろうね」
そう言って、レイは両手を上げた。
「降参するよ。このまま試練を受けるより、アノスが来るまで待った方がいいだろうからね」
レイが言った次の瞬間、精霊王が彼の眼前に現れていた。
問答無用とばかりにエイルアロウが突き出される。
警戒していたレイは間一髪それを躱し、大きく距離を取った。
「残念じゃが、精霊王様はもう少し試練を続けたいようじゃ」
エニユニエンの大樹の声が響いた。
「……降参させないってことは、無事に帰すつもりはないってことかな?」
悪い予感が当たったとばかりに、レイは言葉をこぼす。
そうしながらも精霊王の一挙手一投足に視線を配る。
やはり、一分たりとも隙はなく、素手で太刀打ちできる相手ではない。
対抗手段を考える暇さえ与えず、精霊王は踏み込んできた。
レイは距離を取ろうと更に後退する。
しかし、行く手を阻むように、彼の背後に突如、無数の雷が落ちた。それらはまるで檻のように変化して、レイの逃げ場を封じた。
レイが目の端に捉えたのは、小槌を持った小人の妖精。
風と雷の精霊ギガデアスである。
「ぐぅっ……!」
レイの顔が苦痛に歪む。
その足を鋭利な木の枝が貫いていた。
精霊は皆、精霊王の味方。エニユニエンの大樹の言葉が示すように、床から無数の枝が伸び、レイの体をその場に縫い止めるように串刺しにする。
「がっ……はぁ……」
七つの根源を持つレイは、それでも死ぬことはないが、目的は彼の足を止めることだろう。
精霊王は宝剣エイルアロウを携え、彼の眼前に立つ。
閃光のように、剣が煌めいた。
「…………」
精霊王の視線に、ほんの僅か、驚きが混ざる。
エイルアロウは空を斬った。
枝に縫い止められたはずのレイの姿がその場から消えていたのだ。
辺りには霧が漂っていた。
「あたしだって、半分は精霊ですから。手伝ったっていいんですよね?」
霧の中からミサの声が響く。
<雨霊霧消>の魔法だ。
霧が人型になり、精霊王から離れた場所にレイとミサが現れた。
エニユニエンの言葉はない。だが、二人が地上へ帰されることもないため、問題ないということだろう。
それとも、初めから帰すつもりなどないのか?
「レイさん、これ」
ミサは不折剣ジエリヤをレイに手渡す。
「……<雨霊霧消>の魔法を、前より使いこなせるようになったみたいだね……」
ミサはうなずく。
先程、彼女は<雨霊霧消>で、レイを霧に変えて、逃がした。これまで霧の中に味方を隠すことはできても、霧そのものに変化できるのは自分自身だけのはずだった。
「なんか、無我夢中でやったら、できちゃいました……」
レイが危機に陥ったからか、それともアハルトヘルンに来たからか、ミサの精霊としての力が強くなっているようだ。
「あたしも、戦います」
その言葉に、レイは爽やかに微笑み、彼女の手を握った。
「今なら、君となら、できる気がするよ」
「え……?」
疑問を向けるミサに、レイは言った。
「君は、僕の剣だ。君が僕を見ている限り、君と一緒に戦う限り、決して負けはしない」
戦いの最中、それでもレイはミサに問うた。
「信じてくれるかい?」
こくりとミサはうなずいた。
「はい、信じています」
レイは微笑む、そしてすぐ精霊王に視線を向けた。
瞬間、彼は地面を蹴り、まっすぐ精霊王へ接近する。
行く手を阻むように、無数の枝が壁や床、天井から現れ、先端を鋭利な刃と化して、襲いかかってくる。
「ふっ……!!」
全方位に剣を振るい、レイはその枝をすべて斬り伏せた。
追撃をかけるように、風と雷の精霊ギガデアスが無数の雷を放つ。その僅かな隙間を見切ってレイはすり抜け、精霊王に肉薄する。
「……はぁっ……!!」
大上段から振り下ろした剣撃を、精霊王の宝剣が受けとめる。不折剣の斬れ味と強靱さが勝り、僅かに、エイルアロウの刃が欠ける。
レイが踏み込んだちょうどその位置に、もう一つの精霊剣が突き刺さっていた。
彼はそれを蹴り上げて宙に浮かせ、左手でつかんだ。
そのまま、精霊王の仮面に突きだす――
「……おおぉぉぉっ……!!」
バギィ、ギィィンッと堅い物が割れる音がした。
レイが驚きをあらわにする。
左手の精霊剣と、右手の不折剣、その両方が精霊王の宝剣によって切断されていたのだ。
レイの剣よりも速く、精霊剣を折った腕も凄まじいが、決して折れぬ噂と伝承を持つ不折剣を砕くのは並大抵の技量ではない。
仮面の内側から、殺気のこもった視線がレイを貫く。
剣を失ったレイに宝剣エイルアロウが振り下ろされた。
「…………!?」
僅かに動揺が見られたか、仮面から精霊王の魔力が漏れた。
根本からぽっきりと折れたはずの不折剣で、レイはエイルアロウを受けとめていたのだ。
否、白い聖なる光が、その剣に集い、刃を形作っている。
それは、<聖域>によく似ていた。
だが、それよりも遙かに強い輝きだ。
ぐぅっと力を込め、レイは精霊王と鍔迫り合いの形に持ちこんだ。
「やっぱり、どう考えても君は二千年前の僕を知っている。試練の力で聖剣と魔剣を封じ、精霊剣を折られた僕には、もう剣はないと判断した」
レイが更に魔法の光が迸る剣を押し込む。
彼の力強さが増していた。
「二千年前の僕しか知らないから、かつては使いこなせなかったこの魔法、<聖愛域>を予期できなかったんじゃないかな?」
レイの全身に光が伴う。
彼が力を込めると、精霊王は僅かに足をすり後退した。
<聖愛域>。
それは二人の愛を一つに重ね、膨大な魔力に変換する勇者の奥の手。
ミサと手をつないだときに、すでに発動していたのだ。
愛する者と共に戦い、真実の愛を重ねることによってのみ初めて威力を発揮するその魔法を、神話の時代、勇者カノンは使いこなすことができなかった。
魔法の技術が及ばなかったわけではない。
皆の想いを一身に背負う彼の心はいつも、孤独だったからだ。
だが、今は違う。
「君は僕よりも強い。だけど、残念だったね」
ミサの愛が、レイの愛が一つとなり、彼の背中を押す。
本来弱い人間の身体能力や武器を強化するための<聖愛域>。
それを纏った魔族の体は、強靱という他ない。
レイがぐっと足を踏み込み、立ち上る光の剣を押し込めば、その斬れ味と勢いに押され、宝剣エイルアロウに亀裂が入った。
「平和になった今だからこそ、僕は――」
二人の想いが燃え上がるように、聖なる光が炎のように彼に纏う。
「――剣の代わりに、ようやく愛をつかんだ」
大きくレイは一歩を踏み込み、全力で愛の剣を振り下ろした。
「<聖愛剣爆裂>ッ!!」
レイの纏ったその光炎が瞬く間に膨れあがり、彼は宝剣エイルアロウごと、精霊王を斬り裂く。
瞬間、その剣閃の跡が、爆発した――
愛剣一閃――




