陰謀の終幕
18話
モンザが俺の執務室のドアを叩いたのは、その三日後だった。
「隊長、いいかな?」
「ああ、どうぞ」
おっとりした顔のモンザは、足音ひとつ立てずに部屋に滑り込んでくる。彼女はこう見えて、狩りの名手だ。
彼女は手にした書類を俺の机に置いた。
「これ、例の六人を尾行した記録ね。簡単に言うと、全員が輝陽教の信者だった。同じ時間帯に、同じ神殿に礼拝してる。他に接点は無し」
「なるほどな」
宗教が接点か。
そっち絡みなら、先日の妙な襲撃も納得できる。
城門を突破できなければ、弓騎兵は右往左往するしかない。雑な用兵だが、おおかた不合理な理由でもあったのだろう。
モンザはニコニコ笑いながら、俺に尋ねてくる。
「やっちゃう?」
彼女の質問は、要するに「輝陽教徒を殲滅するの?」ということだ。
ずいぶんと物騒な話だが、魔族なら常識だ。強者に逆らう以上、死を覚悟しなくてはいけない。
とはいえ、人間相手にそれはあまりやりたくない。
すぐ恨むからな。
俺は首を横に振った。
「鶏を食うなら、卵を産ませてからだ。様子を見よう」
「えー」
不満そうな顔のモンザ。ボスである俺にそんな態度を取るお前も、ずいぶん不遜な気がするぞ。
だが彼女の態度は甘えだとわかっているので、俺は苦笑して応えた。
「輝陽教のボス……ユヒト司祭だったか、あいつを見張れ。何かあれば、すぐに報告しろ。経歴も調べるんだ。特にトゥバーンとの関係をな」
「はぁい、了解」
モンザは俺に敬礼してみせた。
その日のうちに、俺はユヒト司祭への疑惑を確信へと変えた。
輝陽教リューンハイト神殿の司祭を務めるユヒトは、隣の工業都市トゥバーンの出身だった。トゥバーンの助祭から昇格する形で、隣のリューンハイトの神殿の長となったのだ。
当然、トゥバーンの輝陽教徒には顔がきく。
そしてどこの都市でもそうだが、衛兵隊の大半は規律と協調を重んじる輝陽教徒だ。
そして決定打が、これだ。
「捕まえた六人とも、ユヒトのことをいつも褒めてたらしいねえ。『布教』にも、特に熱心だったらしいよ。近所の異教徒の間じゃ迷惑がられてたんだってさ」
モンザが俺の部屋の茶葉を嗅ぎながら、そんなことを言った。
「おい、その茶は俺のお気に入りなんだ。そんなに開けるな、香りが飛ぶ」
こっちの世界でやっと見つけた、日本茶に近い茶葉だ。俺はそいつをモンザの手から奪ってから、執務机の引き出しに入れて鍵をかける。
モンザは不満そうな顔をしつつ、俺に尋ねた。
「隊長のケチ。で、どうするの? 今度こそ……」
「やらないからな」
俺は不満げなモンザに笑いかけた。
「ここからは俺の仕事だ。お前たちは捕まえた六人の監視に戻れ。俺はジェリク隊を連れて、ユヒトに会ってくる」
「どうするつもり? あっ、隊長が自分で始末するんだ」
「いや……だから何で、そう殺したがる」
魔族だからこれが当たり前なのだが、どうも俺にはついていけない。
俺は別の引き出しを開けて、用意しておいた封書を取り出す。
「人間の始末は、人間流にやるんだ。まあ俺に任せとけ」
「隊長も人狼だよね?」
「まあそうだけどさ」
リューンハイトには輝陽教の礼拝所は複数あるが、儀式を行える神殿はひとつしかない。石造りの荘厳な建物だ。
時刻は夜。あちこちにランプが灯され、幻想的な光で神殿を浮かび上がらせている。太陽を模した彫刻が闇の中に浮かんでいるのは、なかなかに神秘的だ。
俺は石段を登ると、扉の前にいる守衛に司祭への面会を求めた。
「魔王軍第三師団副官のヴァイトだ。ユヒト司祭殿にお会いしたい」
俺は立派な内装の客間に通され、椅子に腰掛けながらユヒトを待っていた。
しばらくすると、初老の司祭が現れた。
「祈祷の務めがありまして、遅くなりました。申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ突然の来訪をお詫びする」
さて、戦いを始めようか。
俺はまず、輝陽教徒の六人を捕縛したことを詫びた。軽いジャブだ。
「緊急事態だったので、六人の身柄を拘束して取り調べをさせてもらった。これも私の務めなので、どうかお許し願いたい」
「いえいえ、とんでもない」
ふむ、動揺してはいないようだ。匂いがしない。
さすがに千人を超える信徒を束ねるだけのことはあるな。
「ところで、ユヒト殿はトゥバーンの御出身と聞くが」
司祭の眉が一瞬動いたのを、俺は見逃さなかった。
彼はごく冷静に、ちらりと俺を見る。
「ええ、そうですが。それが何か?」
徹底的にしらばっくれる気らしい。
こちらは支配者だ。相手がしらばっくれるつもりなら、まどろっこしい手は必要ない。
「ユヒト殿、トゥバーンの輝陽教徒を扇動しましたな?」
彼は無言だ。否定はしない。
否定したところで、俺がそれを信じるはずがない。それはわかっているようだった。
司祭は長い溜息をつく。
それから、こう呟いた。
「トゥバーンにいた頃、神殿で鳩を飼っていましてな」
俺は彼の発言を遮らずに、じっと耳を傾けた。
ユヒト司祭は続ける。
「リューンハイトに赴任するときに、何羽か連れてきたのです。あれはトゥバーンの鳩舎を覚えておりますから」
なるほど、伝書鳩代わりにしたのか。
今度はユヒトが俺に問いかける。
「私を殺すおつもりでしょう?」
俺はそれには答えず、こう告げる。
「お前のせいで、俺は何の恨みもないトゥバーンの兵を四百人も殺す羽目になった。全員だ」
ユヒトの顔色がさっと変わった。
野戦だし、まさか四百人全員が戦死したとは思っていなかったのだろう。実際、普通なら百人そこらの死傷者が出た時点で退却するはずだ。
「ぜ、全員、ですと……?」
司祭の声が震えている。
俺は威圧のために、敢えてニヤリと笑う。
「お前は我々を侮った。魔王軍は刃向かう者には容赦しない」
たっぷりと絶望感を与えておいてから、俺はユヒト司祭に詰め寄った。
「愚かな真似をしたな、司祭殿。だがなぜそうまでして、我々に敵対する? 信仰の自由だけでは不満か?」
するとユヒトは重い溜息をついて、自身の頬を撫でた。
「人間は……」
彼はそう言ってしばらく黙り、それから一気にこう言う。
「人間は、人間以外に支配されてはならぬのです」
なるほど、そういうことか。
俺も前世は人間だ、気持ちはわかる。人狼に支配されるのは面白くないだろう。
だから俺は特に腹も立てず、必要な質問をする。
「それは輝陽教の指導者としての見解か?」
すぐさまユヒトは首を横に振った。
「とんでもない。これはあくまでも、私個人の考えです」
「ユヒト殿は魔族を退ける力もない癖に、魔族と共に歩むのはお嫌いなようだな」
俺はたっぷりと皮肉をきかせる。
彼の生殺与奪権は、俺が握っているのだ。一秒あれば、彼の首を赤い絨毯に転がすことができる。
だがユヒトは恐れることなく、俺をまっすぐに見つめた。
「この世界は魔族ではなく、人間が治めるべきなのです。これまでと同じように」
魔族が聞いたら失笑モノだが、俺としては彼の気持ちはよくわかる。
とはいっても、俺たちは武力でリューンハイトを占領したのだ。言葉の力で、その権利を手放すはずもない。
おまけに魔族による支配そのものを否定されては、譲歩できる余地がない。いくら元人間の俺だって、そこだけは譲れないのだ。
彼の心情は理解できるが、交渉の時間は終わったようだ。
俺は彼に顔を近づけると、こういうときのために練習しておいた、とっておきの凶悪な笑顔を浮かべてみせた。
「面白い。では人間の力で治めていただこう」
俺は懐からそれを取り出した。




